それは明治時代に建てられた養蚕農家の家で、普通の農家の様にだだっ広い土間があるだけでなく、蚕を飼う為の二階部分があるのが特徴だ。
親戚の家が元養蚕農家なので、あの特徴的な外観の二階建の家は見慣れているが、これほどまでに古めかしい間取りの家を見たのは初めてだった。なんたって、玄関入ってすぐ右手が厩になっている。一つ屋根の下に家畜の住処があるなんて。
それ以上に目を引かれたのは、玄関から一番奥にある台所だった。
家の奥の壁に面している流し台の手前には竈があり、その前には囲炉裏があって、更にその前には大きな火鉢があった。つまり今で言うところのダイニングルーム・リビングとキッチンが隣接しているというか、むしろほぼ一体化している。洗い物をする際は囲炉裏に背を向ける事になるが、煮炊きをしている間は囲炉裏ばたに居る人達と対面で話が出来る。そういう造りだった。
もし、囲炉裏ばたでご飯を食べている最中に喉が渇いたとしたら、三和土に降りて数歩で水道だ(古民家なのに何故か流しにはごく普通の水道が引かれている)。あるいは台所で作業している誰かに「お水ちょうだい」といえば、はいよっとすぐにお水をくれるだろう。
私は、日本式の台所といえばもっと孤独な場所、隔絶された、上は熱気がこもっていても足元は寒々しい様な場所と思い込んでいたから、あの古民家の台所の、玄関から囲炉裏にかけての大きな空間にきちんと溶け込み存在している感じを、とても意外に思ったのだ。
それで、これまでに私が見た事のある古い家の台所の様子を思い出してみた。父の実家、母の生家、祖母の生家、祖母の友人の家、夫の祖父の家。
どこも家の一番奥に台所はあって、そこは茶の間に近いものの廊下や戸で隔てられていて暗い。玄関からは覗く事が出来ない隠された場所だった。
それらで一番印象的だったのは祖母の友人の家の台所だった。
私はまだ5歳位の頃に、祖母に連れられてそのお宅へお邪魔した。祖母の友人が私たちを通したのは客間でも茶の間でもなく台所だった。
当時祖母の友人宅は増築をしたばかりで、ついでに台所もリフォームしたらしい。新しいシンクにガスコンロにピカピカのナイロンの床。暗い奥まった所から戸を開けたら別世界のような暖かい光の溢れるキッチンに入るのである。
広い台所の中央には作業用のテーブルはあっても食卓は無かった。その代わり、部屋の片隅にはなんと炬燵があった。私達はその炬燵に入ってお茶とお菓子をいただきながらおしゃべりをしたのだった。
祖母と祖母の友人がおしゃべりを楽しんでいる間、お嫁さんが忙しそうに夕飯の支度をしていた。立ち仕事をするお嫁さんの足元にはファンヒーター。お嫁さんは一段落つくと炬燵に入って来た。
要はその台所は、古い家制度下において最上級の厚待遇で設えた女の園的な場所になっていたということ。家の他の部分とは隔絶された異世界なのには違いない。そこを使っていた主婦はそこを自分の支配する城の様に思えたかもしれないが、自由は無い。
一方、明治時代に建てられた例の古民家のやけに開かれた台所で仕事をしていた人は一体どの様な思いで日々を暮らしていたのだろうか?非常に興味深いことだ。
お年寄りの話によれば、養蚕農家の嫁というのは朝から晩まで蚕の世話にと酷くこき使われ、妊娠中でもろくに休みを与えられず、出産後はほんの数日で子供を取り上げられ働かされたものだという。
ああいった開放的な台所で立ち働く人を、家族はそんなにも虐げる事が出来たものなのだろうか?それとも案外嫁は台所に立たずにどっか隅の方にでも追いやられていたのだろうか?
或いは古民家の建てられた時代の女性は案外昭和~現在よりまともに扱われていたのだろうか?
そんな事を考えた。