一言で今回書きたいことをなんと表せばよいのか。
昔からよく聞く曲の一つだが、
[頭と心は違う 誰かが言った言葉が巡ってるよ
後悔の無い様に生きる為にはやっぱり心なんだろう
色んなことを引き受けたり委ねたりしてるけど
身の程知って愛を込めて日常を生きていこう
生きていこうか]
本当にそうだと思う。頭と心は違う。
私は既卒の就活生なので多分周りの就活生よりは焦った方がよい。
この3月まで就職とは別の道を志していたので、今回が初めての就活セミナーだった。
就職活動に対して何の知識もない状態だったので、基礎的な就活講座を受けることにした。
かつてはヤンチャ()だった私だが、今となってはすっかり平和主義である。
もし選考で落ちるとしても面接担当者や選考に関わる人に不快な思いをさせたくなくてこの講座を選んだ。
一つ上の学年の私は妙な気分になったりもしたが知りたかった情報を得ることはできた。
面接なんてそうそう受けないので、独特のルールを知れたことは大変身になった。
みんな親戚かと思うくらい同じようにスタッフさんに挨拶をしていた。
もちろん当たり前だ。スタッフさんに感謝はするべきでもあるし、するべきだと思う。
早速実践できているということはちゃんと学べているのだと思う。
あの場では、挨拶するべきことが正しい。それは誰が見てもそうだろう。
私だってそう思う。思っているはずだ。
しかし、真面目に挨拶ができる彼ら・彼女らを見て私の心に浮かんだ感情は
実践できていることがすごいのはわかっているのに、
その状況にあんぐりしてしまってスタッフさんにまともな挨拶すらできなかった私より他の就活生が秀でていることはわかっているのに、
そして他の就活生を見下す気など全くなかったつもりだったのに、
一つ目は入場時にそのような挨拶をしていた就活生は一人もいなかったこと、
だと思う。
もし感情がこもっていたとしても、言葉とお辞儀を分ける、腰から深々とお辞儀をするなんてことしたことがある就活生なんてごく少数だろう。
それでも行動に敬意を表そうとするその気持ちが大切なんだろうと思う。
もちろん就職活動のみでなくて、これから入社して仕事をしていく上で必要なことだとは思う。
わかっていても、その場で私は
「上辺だけでやりとりをするのではなくてちゃんと心で繋がりたいな」
と思ってしまった。
それでも、相手を理解したい、同時に自分のこともわかってほしいだなんてエゴが浮かんできてしまうのだ。
卒業式で学生気分なんて捨ててきたつもりだ。家庭の事情で一刻も早く内定をもらわないといけない。
就活生の立場で何だが、それでも社会人として適応できてない自分がいる。
こんな自分を必要としてくれる会社なんてきっとどこにもないのだろう。
こんな割り切れない感情を抱えたまま明日も就活セミナーに向かう。
なんとか人を不快にさせないで人と心から繋がれる方法はないのか。