学校では、さまざまな教科が教えられる。しかし実際に社会で営まれるような協力作業を実践するカリキュラムは、実はあんまりない。
あんまりないが、ない訳ではない。そしてその教科で活躍するものは、スターとなる。その希少な教科が、体育の団体戦である。だから運動能力に秀でたものは自動的に、学校社会の上位へ繰り上がる。いわゆるジョックスである。こどもたちは、体育の団体戦の時間に社会というものを知る。
一方、運動能力の劣る人種はカーストの下位へ追いやられて劣等感を覚える。さらに体育の授業において足を引っ張ったことは「協調性がない」というレッテルに変換され、それが貼られる。かれらは劣等感によってすでにナイーブになっているため、やがて自身でも「協調性がない」という評価を受け入れ自覚するに至る。(つまりその自覚は錯覚であることも多々あるが、ともあれ)こうしてナードに、ナードの自我が芽生える。そしていずれ理想郷をファンタジーに見出して、オタクとなる。
冒頭に書いたとおり社会…特に会社という組織は協力作業の塊である。それも上述の、学生時代に相克した元ジョックスと元ナードの協力作業である。
元ジョックスやサイドキックは、学生時代に自分の居場所を維持するために秩序を重んじていた経験から会社においても、協調性を最重要視する。一方で元ナードは協調性がないと自覚しているし理想をファンタジーに見出しているので、秩序とか協調性とかは、技術や知識を用いて破壊してしまうべきだと考えている。
ここまで書いてきた元ジョックスのコンサバティズムや元ナードのラジカリズムが、うまく噛み合い作動している組織もあるがそれは極めて稀なケースであって、これをお手本として追体験しようという試みは、おおよそ失敗に終わる。なぜなら、おのおののおのおのに対する偏見は学生時代に刷り込まれていて、それを大人になってから覆させることは極めて困難だからだ。たとえば昔アメリカという国では偏見に基づく秩序を覆そうとした結果、国土を南北に二分する戦争に発展した。
ともかくかようにしてスクールカースト間の相克は大人社会へも継承され、いつまでもジョックスはナードが協調性のない世間知らずとレッテルを貼って会社から追い出そうとするし、ナードはジョックスに理想郷の話をしたがる。結果、ナードは転職を繰り返す。オチのない悲劇である。