Twitterが無くなるかも〜って話題は定期的に上がるよね。
私はTwitterが無くなったら、いや、もし、Twitterというツールがなかったら
もうすでに死んでたのでは?と思うこともしばしば。
腕を切り刻むことをもうほとんどしてないですし、付けた傷も今では白くケロイドになっています。
人の目が気になるので、腕まくりも半袖も着ませんがね。
そう、Twitterの話です。
もう数年も前ですが、学生の頃、私のメンタルヘラヘラが最高潮だった時の話をします。
私は頭が悪く、赤点祭りが開催され、留年の危機だぞ!と言われてましてね、
勉強しても身にならない!やり方が悪いし、もともと記憶力もない!
そして最大の敵、サボり癖!
そんなこんなで、クソみたいな成績を叩き出してた私ですが、
当然親に怒られるのです。
コミュ障ですが、人当たりは悪くないと自負しているので、
いじめなどそれに似た類はないのです。
それなのに、メンタルヘラッヘラが加速するのは親の小言とお説教。
勉強しろ〜から始まって、留年したら私が恥ずかしすぎて外を歩けない!とか、
家からほっぽり出すぞ!とか、この家はお前に貸してやってるだけだ!とか、、
まぁ、私を心配しているのではなく、自分の保身が溢れる言葉を幾つもかけられましてね。
もう、焦ったのか、自己嫌悪なのか、泣きそうになったのですが、
通学中、ツイ廃気味に何気なく呟き、当時仲の良かった子から「テスト頑張れ!応援してる!」みたいな
リプが来たので、そうだ、そうそう、頑張れって言われたから頑張ろう。って思えたのです。
泣きませんでした。よかったよかった。
現実の人にいくら親切に、優しい言葉をかけられても、私の性格がひねくれているのか、
素直に受け取れず、その言葉の裏に隠された言葉は?と、考えてしまいます。
何か悩んでるなら相談乗るよ?と言われても、晒した弱みに付け込むのでは?
誰かに吹聴するのでは?と思ってしまい、一線を引いてしまいます。
現実の人に、弱みを見せてはいけない。と思っているからでしょう。
住所を教えたり、とかの信用ではなく、その人の言葉を、大切にします。
現実の誰よりも、ネットの誰かを、大切にしている節があるのです。
私は、Twitterがなかったら、死んでいたでしょう。
通学中候補に挙げたビルやマンションから華麗にダイブをしていたはずです。
愚痴を現実で言えない。悩みを現実で言えない。そんな私は、Twitterに救われたともいえるでしょう。
結局、私は、学校を卒業できたし、現在は好きな事をやることをあと1年甘やかされて、フリーターで、
今まで生きてきて一番幸せな時期ですが、
それでも、死ぬことを考えてきた時間が長すぎて、いつでも死んでもいいと思っている。
あと1年以内に、今度こそ死ぬかな?って地点に近付いて来てますが、まだ大丈夫。今考えることじゃない。
その地点に行って、身の周りの環境はどうかと、Twitterで聞いた話を吟味して、選ぼうか。
これは、私が私のために吐き出したかった話。
Twitterだと、なんだか恥ずかしくて言えなくってさ。ははは。