ここに至るまでの経緯自体には問題あると思うものの、安保法案には大枠で賛成する20代半ば。
ただ今回ここまで抗議活動が盛り上がるまでは、法案に反対する人たちの意見にも半ば同調することが度々、いや、もしかしたら半数以上の割合であったかもしれない。
そんな私の考えを結果的に一変させることになったのが、今回の抗議活動の盛り上がりだった。正直予想もしなかった。
まず、反対派のなかから前述のような「これは一理あるな」と一瞬唸ってしまうような意見が、自分の情報アンテナに拾われる割合が大幅に減ってしまった。
視界に入るのは罵倒、そして揚げ足取りばかり。情報量そのものが大幅に増えたのが最大の要因であろうが、わざわざノイズだらけの地雷原の中から「一理ある」と思うような意見を掘り当てる気力なんてとりわけ平日にはない。
抗議活動の主体者は「もし本当に中国や韓国が攻めてくるというのなら、僕が九州の玄関口で、とことん話して、酒を飲んで、遊んで、食い止めます。それが本当の抑止力でしょう?」と語ったそうで。フォロワー含めて既に政権に対して罵倒だらけになってますが、それらの近隣国が現政権、あるいはそれを上回る卑劣な行動をとったとき、いかが対処するのでしょうかね。
もうひとつ、主題はこちら。今回の法案反対活動がそのまま学生運動のリバイバルにしか思えない件。
その意味だといまは68年頃なのでしょうか。当時と異なり高学歴者の参加率が低く思えるのは、その層の思考の保守化もあるのかな。労働者層の参加比率も低くなってるようにみえますが、勤労環境の変化という言葉でお茶濁し。
今回を火種に安保法案のみならず、あらゆる事案について反対の抗議活動はこれまでより増えることになるでしょう。さまざまな組織も形成され、人も集まり、なにより人脈ができた。これは間違いなく大きい。
別件で「代案の提示がない反対(活動)は容易」と揶揄されていたが、ハードルはさらに下がることになりそう。
そして時間が経過するごとに巨大化した組織内・間の意見・見解のすれ違いが徐々に発生することになろう。
前述の「敵が攻めてきたら酒を飲んで語り合う」人は、もしかすると罵倒なんてしない人なのかもしれない(調査不足なのでここは仮定としつつ)。
だけど反対活動をおこなっている、あるいは支持している人達にはいくらか、いや、大勢、罵倒をするような人々も含まれている。
今は安保反対という明確で大きな共通目標があるから一致団結できているが、それがなくなったとき、あるいは時間が経過して徐々に意見や見解のすれ違いが増加してくるとどうなるか。それは学生運動が辿った歴史そのものが黙示録になってるようにしか私には思えない。
「日本、そして自分を巡る環境の将来を案じて」抗議活動をおこなっている学生が多いそうだけど、私にはどうしても短絡的な動機にしかみえず、前述の罵倒や揚げ足取りも加わって、抗議活動そのものへの不信感を募らせることになっているのが正直現状です。
当時の学生運動に詳しい人はまだ寝てるんじゃないかな。 お年寄りはそろそろ起きだす時間だと思うけど、ネットは苦手だと思うよ。
まあそうかもしれないね、としか言えない凡百な予想をまるで自分の意見のように言われてもまあそうかもしれないね、としか言えないです。 昔の学生運動から何年経ってるか計算でき...
学生運動の話じゃないんだけどさ。 ただ今回ここまで抗議活動が盛り上がるまでは、法案に反対する人たちの意見にも半ば同調することが度々、いや、もしかしたら半数以上の割合で...