2014-07-22

音楽世界を作るまで、またはシュミラクル無限廻廊

子供電車をみてガタンゴトンと叫ぶ。走るときは両手を拡げてキーンと言うとそう昔から決まっている。

タンゴトンは対象重要性を重みづけ、キーン行為妥当性を評価していることにお気づきだろうか?

タモリ音楽世界だが終わってから生まれた脱ゆとり世代の君達は。(倒置法)


西欧では擬態語は幼稚な言葉とされるが日本では擬態語は幼稚とされることもあれば立派な言葉とされることもある。

日本擬態語の豊かさについては、擬態語辞典を見て貰おう。海外ではどこの国にもそのような辞典存在しないと国語学者は指摘する。日本固有の文化である


しかしながら日本人特に現代日本人擬態語を十二分に活用できていない。つまり我々は人生において

物事の重要性を決めたりそれに対する行為妥当性を評価することで日々の生活コントロールをしていきたいと考えている。

にも関わらず、それに最適なツールである擬態語をまるで活用していないという事実にばったり行き当たるのである


シュミラクルという芸術用語はご存じか?パクリパクリパクリパクリパクリ模倣連鎖が起きることで

やがてオリジナルパクリ境界がとろけてオリジナルという概念のもの喪失する。シュミレーション(模像)がクルクル回ってオリジナル喪失する。


擬態語というのもこれと極めて似ている。ある対象を模擬した擬態語があるとしよう。その擬態語はやがて拡大解釈されて意味あいまいになる。

まりオノマトペの「使用が」シュミラクル無限廻廊に取り込まれ、真正性はやがてどこにも見当たらなくなる。

そのような過程を経て、擬態語本来機能を失い、物事の重要さの重み付け、またそれに関する行為妥当性の評価という機能喪失する。


子供はそのような喪失からは至って自由である。すなわちアラレちゃんキーンと感じた時にだけキーンと言う。キーンと感じない時にはキーンと言わない。

しかしそれをまねする大人はどうだろう?キーンと感じなくてもキーンと言う。それはもはや演技である。言行不一致。

言ってることとやってることが違うのである還元すれば自由妖精もとい物事の重要性と行為妥当性との間のマッピング(写像)が歪んでいる。


ここで議論を明確にするため、重要関数妥当関数という概念を導入することができる。

例えばロボットの性能評価は時にだめ人間とは何かという哲学問題を提起する。無駄なことに無駄な労力を使うのがダメであろう?つまりこれは近似的にはコスト分配の問題である

巡回セールスマン問題の近似解を求めるよりははるかに複雑であるが。


話を戻すけど擬態語問題音楽にもついて回る。ノーミュージックノーライフと拳を突き上げるまでもなく人生音楽世界音楽というプロパガンダがある。

それは結局のところ音楽世界のあらゆるものを重み付けできることを指している。ところが、音楽の中で消費文化のJPOPが絶えず流れ

アレアの一擲に身を任せているような人はそのような機会をすべからく失っている。


もうお解りだろう。

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