結局我慢しきれずに見に来てしまいましたよ。
罵倒されてなくてよかった……。
>ユーザーが登校できるようにすれば良いのに。
管理が難しくなっちゃうので……。
はじめはフォームで選択して好きなパーツを選べるようにしていたのだけども、それも取っちゃいました。
ぼけーっとクリックするだけで遊べるのが理想だったのです(特にケータイとかで)。
>パーツのサイズ調整とか位置合わせがうまくいっているね
そのあたりは完全に人力です。
見本の上に半透明にした顔を重ねて、できるだけずれないように調整してます。
古来より貧富の差が一定以上広がって固定されると文明が滅ぶといわれておりますな。
ひるがえって今の日本。
問題なのは金持ちからはとれるだけとってるのに分配が機能していないことなんじゃないの?
せっかく集まったお金も分配するどころか借金にかえてしまうのが日本の富の再分配クオリティ。
道路つくっても人減るいっぽうだし、林野整備しても切り出しても売れないから無駄にしてるだけじゃん。
問題なのは金を稼ぐやつじゃないんだよ。
金を徴収してそれを配るやつが確信犯なだけだ。
みんなが儲かってるときはいいんだけど、貧窮してくると樽に空いた穴を探すもんなんだ。
はいはい、貴方、顔真っ赤ですよー。
36条は読んだ?いわゆる36協定のとこ
でも田舎者の自分には無理かなと思ったり。
東京で暮らすってどうよ?特に地方出身者に聞きたい。
地元は普通の田舎。高校へは1時間に二本しかない3セクの電車で1時間かけて通った。
そんなオイラは都心が通勤路で電車の時間など考えずに駅に行って通勤している。
で、東京に暮らして4年目なんだが、どうと言われても困る。
憧れをもたれるほどいい暮らしじゃないような気がする。
治安悪いし(通り向かいのブロックでこの前殺人事件が)、変な人はいっぱいいるし(浮浪者が駅付近にゴロゴロ)。
スーパーはマンションの1Fにこぢんまりとあるだけだし、ホームセンターはハンズかロフトで、定価で買うしかない。
たしかにアキバや渋谷まで電車で30分だったりするけれど、かえって近すぎて行く気がしない。
本屋も大きいのはあるけど、仕事帰りに寄れるほど遅くまでやってないし。
マイナーなお店が割とあるのがいい点だけど、あとはなんだかなぁ。
逆に、憧れってどんなところか教えて欲しい。
道行く女性が垢抜けていて綺麗とか?
あ、それはあるわ。
人が多いだけかな?
結構な遠隔地に住んでて、もう何年も顔を合わせてなかった友人がいる。
かつては毎日のようにお喋りしたり遊んだりする間柄だったけど、距離と時間に比例して次第に縁も遠くなり、いまや電話どころか定期的なメールのやりとりすらない。かろうじてお互いのブログにコメント付け合う程度には近況を把握してる、そんな細い縁だけが残ってる関係だ。
大昔のことだけど、告って華麗にスルーされたこともあったっけ。
なんというかまぁ、そんな異性の友人。
で、ブログによれば、その友人は別な友人と連れ立って、次の週末に某有名観光スポットを訪れるという。
私の自宅はすぐそばだ。
メールを投げてみた。
お互いケータイメアドは長いこと変えておらず、無事にメールは届いた。
「ひさしぶり」の挨拶にはじまり、某有名観光スポットの話を交えつつ、ここ最近ないほど密にメールが飛び交う。
当時と今とじゃ二人の趣味も変わってるし、共通の話題なんか大してなかったはずなのに、最初は事務的だったメールも徐々に長く、頻繁になっていく。
横にいた同居人に睨まれたくらいだから、傍目には相当必死にケータイ弄って見えたのだろう。
自分が恥ずかしい。
その文面からは(当時と変わらない)彼女の視点の面白さや頭の回転の速さや、あるいは言葉には表現しにくい彼女の持つ魅力……有形無形のかわいらしさがあふれ出ていた。
昔も今も、向こうにとっての自分は一貫して「(ちょっとウザい)男友達のひとり」でしかないのだろうけど、そのメールを見ていると、自分が彼女にかつて惚れていたこと(そして今でも彼女がとても魅力的な女性をやっているらしいこと)を再認識させられた。
「近くだし、会えないか?」
別に特殊な展開を期待したりしたわけじゃない。
ただ、かつて魅力的だった友人が今もその魅力を失っていなかったことが嬉しくて、いまはどんな笑顔をしてるのか見たかっただけなんだ。
勢い任せで聞いてはみたけど、同行の友人の都合もあるからと、やんわりと断られた。
物理的には近くても、やっぱり今の私と友人との距離は「メール」どまり。
まぁね。もし本当に顔を合わせたとして、どんな顔して何話せばいいのか自分でもよくわかんないや。
だから断られて、残念に思うのと同時に安堵している自分がいる。
「たくさんありがとう!」とメールで別れを告げて、そして彼女たちは帰っていった。
そういえば同行してる友人って誰だろ。
同性か異性かすらも明らかにしてくれなかったけど、きっとそういうことなのだろうか。
当時の諸々を思い出し、あの男嫌いだった友人が彼氏を作るなんて本当は今でも考えられないんだけど、自分にだって今は大切なパートナーが隣にいるのだし、彼女の人生にも同じような大転換が起きていても不思議はないんだよな。
今は、会えなかった友人と、その同行者である"友人の友人"が旅を楽しんでくれたことを喜ぼう。
そしていつか互いのパートナーを紹介しあう日が……いや、これはないだろうな。
もしかしたらもう生涯顔を合わせることはないのかもとか、どちらかといえばそんな予感さえする。
こんなこと自分のブログじゃ絶対書けない(嫁もその友人も見てるし、そもそも他の読者が迷惑だろうよ)から、ちょっと名前を隠して吐露させていただきました。
ああキモスキモス>俺
何か内容のあること書いてください。
ふと気になって越谷レイクタウンも検索したら見事ひっかからなかったw
《『東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件』での誤解》 誤解された原因がわかりました。 3ヶ月ほど前、『芸能!裏チャンネル』の悩み相談室に 「東海林は信用できない。なぜならば、"宮崎事件"のときに、コミックマーケットに来た人々を"宮崎勤"扱いした。『皆さん、ここに10万人の宮崎勤がいます!』と発言した」 TBSのワイドショーで、私・東海林がそう発言した、ということから、私の人格そして相談内容にまで信用できないという旨の書き込みがありました。 そのときすぐ私は、「その事件を取材したけれど、絶対に発言はしていない」と説明したのですが、その後も 「そういう発言をする人間なので、コラムまでもがそんな人が書いているのでとても軽いように思えてきた」 という書き込みもありました。その後、事実ではないのに、なぜそう思われたかを調べたところ、インターネット上のフリー百科事典「Wikipedia (ウィキペディア)」の"東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件"の中の事件説明中の「業界への影響」というところに、私の名前がフルネームで入っていたのが誤解の原因と分かりました。 私が"宮崎事件"を報道していたのはフジテレビです。 Wikipediaでは、『TBSのワイドショーで女性レポーター東海林のり子が・・・』と書かれていたので、ここで誤解が生じたとわかりました。 あのころは毎日のように事件を追い続けていましたので、単純に、女性レポーター=東海林、と誤解されたのかもしれません。 しかし、非常に重要な事件でした。事実に添って日々真剣に取材していたのを今でも覚えています。その中で、コミックマーケットにきた人々を"宮崎勤"扱いした、と誤解されたということは、私の取材人生の中で非常につらいものとなりました。 言い訳でも何でもなくて、事実がわかったことが本当によかったと思っています。 でもこのWikipediaの間違った内容を週刊誌までも引用して私の名前を載せていたことが残念でなりません。 事実を確かめる事無く人違いのまま書き込まれた事で、知らぬままそれが事実となってしまう恐さを体験しました。
増田に書いたことに増田で反論される点については、それが普通じゃないか?増田でのことを増田以外の場所からなんか言われる方がイレギュラーなんであって。
顕名のBlogとか別のところの内容に対して匿名で非難するために増田に持ち込んだ奴については卑怯だなーと思うけど、増田が起点の内容を増田でやり合うことに対しては、そういうのは全く思わないな。むしろ顕名で口出してくる奴の方がルール違反・・・・・・というほどのことでもないけど、なんだよお前言葉だけで勝負する自信ないのかよ取巻きに味方してもらわないと書けないのかよ的な感想を持つな。
たぶん高校生くらいなんだろう
それが現実の展開になるなら、通告がなされるまでの外交経緯をみて、日本の安全保障や日米同盟の質も変化するだろ。
君のエントリをみると、「ある日突然、中国が条約を無視して攻め込んで来る」なんて想像してるようだが、中国がそこまで好き放題できるようには世界はなっていない。
その頃とは時代が違うし単純には比較できない。中印紛争では中国は自発的に撤退したし、中越戦争での占領もごく短期間だ。
最近を見てみれば、中露国境問題はほぼ解決のメドがたったし、中印国境問題も視界は開けてる。東シナ海ガス田は共同開発案が具体化しはじめた。「東シナ海を協力と友好の海に」ってやつだ。
一方で竹島で韓国と一触即発状態になり、今は尖閣で台湾とにらみあい、北方領土は解決の見込みがまったくついていないのが日本なのだが。
ひょっとしたら侵略という言葉を東トルキスタンやチベットに使いたいのかもしれないが、国際政治主体でチベットと新疆を中国領土と認めていない国家はないよね。
拒否権についていえば、中国が拒否権を発動したのは昨年のミャンマー政治囚釈放要求決議が最新で、その前が1999年のはず。
これまで行使した総計も5回で、アメリカの80回やロシアの120回に比べると可愛いもんだ。
つーか、米朝平和条約が結ばれる形勢を見せてきたこの時代に「表に結ぶ条約も、心の底ははかしれず、万国公法(国際法)ありとても、いざ事あらば腕力の強弱肉を争うは、覚悟の前の事なるぞ」ってか。
日本人の国際政治下手とか被害者意識で行動しているうちにアジアの侵略国になっていたとか、こういう猜疑心からもたらされるんだろうね。
俺って物事を深く考えてるよ。っていう意識と、考えてる内容の陳腐さとのギャップが痛々しい