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2009-02-01

聖剣伝説4ってそんなにクソゲーなの?

個人的な趣味として、ゲームの面白さって何だろう?と、最近は色んなRPGシステムを字面で見てみたり実際にプレイして研究してみたりしている。

その中でプレイした自由度の大きさを売りにしたジルオールは、大きく膨らんでるだけで中身や実が無いからすぐ飽きた。CGの背景と末弥純の絵だけあればいいんじゃね?

そういう話は放っておいて。

そんな中で、『聖剣伝説4』というゲーム存在を思い出した。よく知らないのだけど、この素人レビューサイトにも見られるように、当時から絵と音以外全否定とばかりに糞みそに嫌われ、完膚なきほどにコテンパンにクソゲー呼ばわりされることだけは知っている。そういえば、昔の知り合いにも自称被害者がいた。

ファミコンからプレイステーションの時代に散見された無名メーカーと違って、JRPGいろはを熟知し、それを実際のゲームで示してきたスクウェア・エニックスが作っているのだから、RPGの体裁が保たれていればRPG好きなユーザーであればそこそこに遊べるはず・・・なのになぜ?と思って調べてみたら、そもそもRPGじゃなかったということを初めて知った。

はっきり言って、システムを見る限りはかなり面白そうだと思った。自分はあまりゲームを知らないのだけど、ムチを使って物理法則によって動くMONOというオブジェクトを駆使しながら進んでいく、というゲーム日本にはあまり無いものだと思うし、ビリヤードみたいにオブジェクトをうまく動かしてアクションが決まれば爽快なものだと思う。

ただ、自分プレイをしてないから糞だとは断定できないけど、「これはクソゲーだろ」と思える部分はこの素人レビュー群の中できちんと示されている。「自分の思っていたものと違う」という疑念を実際のアクションで晴らせた様子は見られない。そもそものゲームデザインが悪いのか、または優れたゲームデザインだったとしても操作性の悪さやカメラワークの悪さが帳消しにしてしまっているのではと思った。自分3D酔いをしやすい体質(あの酔わないように工夫されてるスーパーマリオギャラクシーでもちょっと酔った、特に水中面)なので、自分から酔って苦しい思いをするためにこのゲームプレイしようとは思えない。そういう意味でこのゲームレビューは役に立った。

でも、先のレビューにしても、プレイアビリティの批判以外のほとんどは、ジャンルシステム設計構造を無視したものばかり。

街がない、フィールドがない、仲間がいない、アイテムが少ないとかはゲーム性を考えたら当然。レベルリセットにしても、だって動かせるMONOレベルによって変わるから、レベルを任意で上げられたらゲーム開発者の思うとおりに成り立たなくなってしまう。そもそもレベル上げはこのゲーム本質じゃない。

(それでも、一度上げたものを下げるというシステムRPGユーザーにはかなりヘコませるものがあるらしいけれど)

ここにある与えられたものを楽しむという自然な心構えでゲームプレイできないのだろうか。そういう自分も昔はあまりそういう気分でプレイできなかったのだけど。

それどころか「(俺の中で)聖剣伝説はかくあるべき」ということを併せて書いてるレビューが多すぎる。そういうの信者同士の共感しかもたらさないからいらないから。まるで去年一時期のサンダーフォースVIみたいで、気持ち悪い。信者の私情を挟んで批判なんかしなくても「前作とは全く違うシステム」の一言があればレビューとしては十分だから。余計なこと挟まなくていいから、その前提で「操作性が悪い」「カメラワークが悪い」とかあれば良レビューだから惜しい。

それでも腹の虫が収まらなかったらかくあるべきものを作っちまえよと言いたいけれど、それは許されないだろう。

聖剣伝説過去シリーズ作品に一切肩入れをしていない傍観者としては、せめて『ギルティギア2』と、良か糞かの違いはあるにせよ、同質の扱いを受けてもいいのではないか、と思った。具体的には「惜作クソゲー」というぐらいには。

日本では、というか人間の心理として、ドラスティックシステムの変化を遂げた続編というのはあまり受け入れられないのかもしれない。個人的には、同じことを続けても楽しくないと思うのだけどね。『ギルティギア2』の関連作の『GGXX』は自分もそこそこやったけど最新作のACが一番好きだし、これだけでももっと遊べると思う。

もっとも、ゲーム性が良かったら、「これはこれで面白いけど、次はかくあるべき聖剣伝説を出してね(はぁと」という感想がもらえるはずなので、責められるべきなのはもちろん、別ゲーかつクソゲーに仕立てた開発者なのだけれど。

聖剣4がこういう作品になってしまった背景は今になっていくつか思い当たる。

このゲーム企画したスクウェア古参スタッフ石井浩一独立して立てたグレッゾという会社Wii専用の新作ゲームとして製作しているのが、線を振り回して攻撃するというアクションゲーム「ラインアタックヒーローズ」(仮)で、これも聖剣4と同じく物理計算を利用したゲームと分かる。らしい聖剣伝説な『レジェンドオブマナ』のスタッフ独立して設立したブラウニーブラウンは「マジカルバケーション」ってレジェンドオブマナ二番煎じ製作してるのとは対照的。

たぶん、石井氏は近年、こうした「物理法則」を取り入れたアクションゲーム自分の中ではパッと思いつくのが『マーブルマッドネス』)に傾倒していたのではなかろうか。結果として生まれたのが『聖剣伝説4』だったわけだ。クソゲーになってしまった理由としては、スクウェアRPGに注力してきた反面、アクションRPGは多く作ったけれども、アクションゲームを作った数はPS時代のヘッドハンティング期ですら少なかった(もしくは無かった)し、ノウハウ不足だった、早すぎたのではないだろうか。

まあ前作の存在するシリーズもので全く別ジャンル冒険することもないだろうに、という話だが。スクウェア・エニックス企業体質としてシリーズもの以外では売り出しにくかったのであろう。

まあとにかく、ゲームの一つ一つには、娯楽のための売り物である以上に製作者の魂が込められているわけで、そういうのを無視して一面的に糞糞糞とされるのは個人的に不憫だと思うのでここに書いてみたわけだけど。

そんなこと、多くのプレイヤーは知ったこっちゃないのだが。

2008-11-21

ブレイブルー自分にとって残念なこと。

散々いろんな人に言ってきたことだけど、ここでも言わせて頂戴。

昨日から『ブレイブルー』というゲームゲーセンで稼動を開始した。

当然格闘ゲームが(一応)好きな自分はそれなりには触ってみようと思っているんだけど、

ずっとこのプレイするのに悩んでいることがある。

このゲームには一人も使いたいキャラがいない。

自分キャラを使う条件には


というものがあるんだけど、自分が一番やってたGGXXにはこの条件に全部合ったキャラがいたので

見かけたら対戦するよりもそのキャラを使うためだけに100円を入れてたんだけど、このゲームにはそういうキャラが全くいない。

この条件にそれなりに合ったキャラが、ブレイブルーにはほんの一人もいない。

他のゲームには条件から外れてても「じゃあこのキャラ使ってみようか」ってのが数人は居たのに・・・

自分にとってはこれは致命的だと思う。

みんな基本的に格ゲーキャラ関係無しに「対戦ツール」として見てる人が多いと思うけど

自分にとってはSNKゲームで育ってきた影響からか、格ゲーは「キャラを上手く扱うゲーム」って認識が強い。

相手がCPUであっても人間であっても、好きなキャラ同調して、格ゲー特有の多彩なアクションを駆使して、相手をそのキャラらしく格好良く倒す。

それができると「俺TUEEEEEEEEEE!!!」って最高にトリップできた。もちろん対戦するのが面白いけど。

そういう意味で、自分に完全に合致したキャラがいた「GGXX」は、自分にとってベストゲームと言っていいぐらい忘れられないゲームになってる。

戦国BASARA X」をガチャプレイしていた格ゲーに慣れて無さそうな腐女子に対しては、

「もっと動かしかた覚えればもっと楽しいのになあ」と余計な想いを馳せていた。

「じゃあやるな」って言われてきたけど、とりあえずまだ『ブレイブルー』は触ったことはないので、

本格的に文句言うのはやってから、キャラも同じようにやってから決めていこうと思っている。

その一方で、「GGXX」はまだそのキャラを使い足りたとは思えないので、ゲーセンに稼動している限り、対戦に関係なくやっていきたい。

願わくば、新作で自分が一番使ってたそのキャラをもう一度使わせて欲しいです。

2008-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20080901115707

このエントリ元増田です。

弱小ゲーマーのしゃがれた叫びを温かく聞いてくださって本当にありがとうございます。

ただ、トラバブクマ双方で自分と同じような悩みを抱えてる人が多いことに、ある意味では絶望していたり。

ちなみに

うちのホームにしてたゲーセンではニコニコ動画で対戦動画が上がるたびに「下手」「弱い」というコメントの餌食になってました。

そんなレベル高くないと思います。田舎だし。

この下はニュアンスだけ伝われのようなごく個人的な駄文なんで聞き流してください。

受験勉強ほっぽり出してゲームに精を出した理由は、本来気分転換なことを言い訳してるだけかもしれないけど、

格ゲーをやることで誰かに注目されたいって欲求もあったし、好きなことで上手くできた、強くなったという自信が欲しかった。

STGをやることで、同じように、「やり遂げた」ことの喜びが欲しかった。

GGXXは一回だけやってる途中に「上手いですね」って言われたことがある。でもそこから何か生まれるわけじゃなかったし、実感も無かった。

STGは「虫姫さまふたり」のオリジナルのノーコンティニュークリアがそれだったんだろうけど、自分を誇ることができなかった)

他人に自分を人間関係でのアピールポイントに欠けてた自覚があって、ゲームでそれを埋め合わせようとしていた。

ゲームを通して誰かに「好き」って言われたかった。そうしたら、自信が持てるから。

大学志望校に入ることなんかよりよっぽど大切だったと思う。スパロボオフ会で対人関係を非常に恐れるようになったこともあるし。

大学には勉強したい部分もあるけど人付き合いが怖いから行きたくないって言う屈折した人でした)

だからみんなが言ってるのとは違って、自分にとってゲームは単なる遊びじゃなかった。

もちろん、この考えは受け入れられるものとは思えなかったけど、そう思うことでしか自分を保てなかった。

(そんなわけでゲームとしての素朴な楽しさを持つゲームにも自然と遠のいてしまったのだと思う。

自分がプレイした中では大神とか、スーパーマリオギャラクシーとか、途中で飽きた。スパロボZも、全く買う気がない。)

自分が唯一の拠り所としてたゲーム趣味として消え去るのは、自分が全て消え去ってしまうことと同義になる。

でも、結局は何もかも中途半端に終わった。

そういう自分の保身?のダシにゲームを使おうとした自分はゲーム排他されて当然かもしれないけど。

でも。

結局はゲームはただの娯楽で、楽しんだものが勝ちで、そこからは実生活で役立つものは何も生み出さない。

だからいい。

ゲームという遊びを素直に楽しむという姿勢を持とう」という皆様が言ってくださったアドバイス

その姿勢でなければゲーム人間として失格だろうし、ゲーム無しに自己を形成できない自分は真人間としても失格してるんじゃないかと思う。

たまに行くゲームセンターで答えの代わりに空を掴みながら、ゲーム人生を考え直してみようと思う。

取りとめも無いですが、この文を借りてアドバイスを下さったはてな住民たちへの感謝としたいと思います。

2008-09-01

ゲーム人間失格

今までは「趣味ゲーム」を地で行く狭い世界を生きる人間だったけど

そろそろそれも終わりなのかもしれない。

ゲームがつまんないw

楽しめてないというのが正しいかもしれない。

理由は三つ。

ひとつはゲームが少しも上手くならないこと。

自分はゲームセンターにあるストリートファイターIIみたいな格闘ゲームとか

グラディウスみたいなシューティングゲームを主にやってる人で、

特に一年前、目標なし進路なし未来なしで高校卒業したあとに予備校行って浪人してる傍ら

高校時代までは田舎に住んでた土地柄で全然行けなかったゲームセンター

勉強そっちのけてゲームセンターとか何考えてるの?馬鹿なの?死ぬの?」と思いつつも

それこそ予備校の授業以外はゲーセンと言っていいぐらい熱心に100円を繰り返しゲーム型賽銭箱に入れていた。

でも少しも上手くならなかった。

下手なうちからもうこれ以上強くなれないという思いが出てしまったというか。

「そんなこと思ってるから勝てない」とかいうありがちな精神論は別にしても、

読み合いにはこれ以上読み勝てる気がしないし、その割には強い相手には何やっても先読みされたように処理されて負けてしまうし

シューティングゲームにしても同じように弾避けなどの基本的スキルを伸ばせる気がしない。

腕前としては

格闘ゲームはある程度歴史の長いゲームとはいえ

キャラを手足のように動かせるようになっても一年以上も一方的に負ける側で連勝することはできなかった。

ゲームセンター行く前もPC上でネット対戦とかちょろっとやったりゲーセンに行けなくなった後に別の家庭用のゲームネット対戦をやったりしたけど、

ほとんど同じ、勝った回数が指で数えられるぐらいの結果だった。

シューティングゲームも、2ちゃんねらーが口を揃えて「一日そこらでクリアできる」「超簡単」みたいな評価してるゲームに半年以上かかった。

(追記:ゲーム名は伏せる必要なかった?自分が主にやってたのはGGXX虫姫さまふたり、スマブラXタイマン。)

何事も上手になるのに必要なのはトライアンドエラーだと思う。

基本的なこと、それができたら応用的なことを覚えるのも重要だけど

負けた場合に負けた理由をよく考えて、それに対処して負けの可能性を減らしていくのが特に重要

自分は基本操作はそれなりにはできたけど

「そこ、引っかかるとこじゃなくね?」って所が悪い癖がついて躓いてた自覚が強く

応用操作はわからなかったので手をつけてなかった。

「次第に慣れていく」と思い込みすぎてほとんど思考放棄でプレイしてたので

どうして負けたのか全くわからなかった。相手の一定した動きを見つけられなかった。

何が何に強いのかわからなかった。キャラ対策を考える材料が無かった。

最近は何でもインターネット情報交換される時代だけど、時間が無かったし

学問みたいに長年をかけて培われてきたことじゃないことから

上手い人なら勝手に自分で考えるだろという思い込みも強かった。

勉強でも同じようにして常に考えるということをしてこなかったんじゃないかと思ってる。

ふたつは、

以前はRTSやFPSみたいなコア向けのゲームはやってないまでも

RPGとかシミュレーションゲームとかスパロボとか、ゲーオタの好きそうなゲームを好んでやってたけど

そういうゲームはどうやってもクリアできてしまう(ように親切に設計されてる)から、

確かに楽しいし楽しめるけど、挑戦しないからかえって時間無駄と思うようになってしまったこと。

いわゆる江川達也的発想。

三つめは

ゲームに関連したコミュニティに全く入れなかったこと。

スパロボ』のコミュニティには熱心に参加してたけど

ロボットアニメを見てないままスパロボにハマった異端者だったことが会話のネックになったことや

コミュニティオフ会に参加したときの周りのオタク臭さにまるでついて行けなかった。

オタク的な会話にすごく熱を入れて華を咲かせることもできなかった。

元々会話下手で友達いない人だった。

ゲームセンターに関しても

シューティングゲームでは周囲に同じくシューティングゲームに熱を入れてる人はいなかったし

いたとしても得てしてすごく上手い人だった。話しかけるなんて畏れ多い。

格闘ゲームも毎回ボコボコに負けてるような人に誰も話しかけてくれるわけもないし

こっちからもそんなの恥ずかしすぎて話しかけられるわけがない。

ゲームってのは元々コミュニティも楽しむものだったと認識するようになってからは

自分をすごく疎ましく思うようになってきた。

(追記:言われて思い出したけど「相手が楽しいと思ってくれてるか?」を意識するとますます思いをややこしいことにしてた。

「対戦後感想」を書かれても褒め言葉の大体が嘘を吐いてるように思うしかなかったし、

逆に正直に「弱いねお前」なんて感想は名前つきでくれるわけもなかったけど、

その「弱い、見るところなし、死ね」と思われていると自分で思い込んでしまったことでいろいろと邪魔したように思える)

特に「趣味ゲーム」にとってゲームの上手さは人生の一大事だと思ってた。

別に全国一位になりたかったわけでもないけど、時間さえかければそのぐらい行けそうみたいな感じがあれば十分だったけど

自分はピラミッドの最下層近くに位置する下手糞以外の何者でもないし、その一方でゲームを単なる遊びと捉えてる人が自分の実力を簡単に上回っていく。

ゲームを必死にやった者としてそんな現状を正視できなかった。かといって素直な心でゲームを楽しむことも、ゲームを通じてほかの人間と楽しむこともできない。

他人が上手くなっていくゲームは上手くならないし、一方でゲームを楽しめない、コミュ力も不足してるで、ゲームを心底から楽しめてない自分がいる。

だったらもう、ゲーム世界に参加せずに身を引いちゃったほうが善いのではないかと思ってる。

別にゲームがつまらない・悪いわけでなく、自分がすぐ上手くなってしかも奥が深くて楽しめるみたいな俺好みゲームを出してほしいわけでもなく。

ただ、一生懸命やった自覚も下手なりにあったし、たかかゲームという思いもあったから、今の自分には「たかがゲームもできないならもう何もできない」って考えしか無い。

(追記:「ゲームも真剣にできない奴が他なことを真剣にできるのか?」と真顔で追求してるのには半分同意半分苦笑。

他なことを真面目にやってそれなりにできてる人は、ゲームも興味さえあればそれなりにできると思ってます。)

自分の時間を大抵ゲームに費やしてきたこともあって、趣味からゲームが消え去ることでもう自分のすべてが消え去ってしまうという気分。

 
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