はてなキーワード: シミュレーションゲームとは
ああいうリア充シミュレーションゲームの中のデートは
キャピキャピした可愛い彼女が「遊園地行きたい!」とか提案して
しゃーねーなー、とか言いながら興味ないけど渋々付き合ってあげちゃう懐の広いオレ、みたいな感じなんじゃね?と想像してみる。
いやいや オレがはやく趣味のシミュレーションゲームを完成させないからだよ
あれに手をつけて以来ロクなことがないんだよね世の中に
制作が順調なうちは平穏だったんだけど、滞ったとたんに震災だもんな
がんばらんといかんよホント
AIの頭の悪さに引きずられて、本来全部コマンドを指定できれば勝てた相手に負けるのは、戦略性じゃなくて、サクサク感が重要視されているからだろ。
全てのコマンドを1つ1つ指定した上で、MPなどの数字的縛りがあるゲームで、仲間が5人も6人も同時に動けるゲームと
全てのコマンドを1つ1つ指定できず、MPによる縛りもなく、ATBで時間制限があり、仲間が高々3人のゲーム。
アクションゲームとシミュレーションゲームを比較して、アクションゲームに戦略性があるっていわれても、そらあるだろうけど、一般的には、そういうものは、戦略とは呼ばずに、戦術もしくは、戦闘技術というのだよ。
RPGにおける戦略というのは、長いダンジョンを踏破するに当たり、HP回復薬とMP回復薬の個数に制限があるから、ザコと戦うときにMPが全部使えない。という所にも起因してるんだよ。
将棋のように考えるときは、何分も考え 決まった相手には、ボタン連打で数秒でって事も昔はできたが
今は、たかだか、ザコ相手に 呪文唱えたり、攻撃準備したり、 いったい何秒またせるんだ?っていう クソみたいな、ATBのロード時間と
例の「デキビジ」でのひろゆきと勝間和代の対談、とそれによってネットで起こった勝間批判を受け、ホリエモンが仲を取り持って鼎談(ていだん)するという態の本。昼休みに本屋に行ったら平積みされていて、他にも何冊か買う本があったのでついでに買ってしまったのだけど面白かった。内容は、「デキビジ」であんなにギスギスしたのはなんだったのかと思うほど三人で仲良くお喋りしているという感じなんだけど俺は特に今まで知らなかった勝間和代の意外な一面に心打たれたので「萌え勝間」な箇所を以下に引用する。
・「結局女はキレイが勝ち」が叩かれた件
西村 勝間さんはギャグをやるタイプだとは思われていない。そこが問題だったんですね。
勝間 (首をかしげて)あれは大真面目に出した本なんですよ。タイトルも大真面目につけましたし。
西村 えっと。勝間さん、自分で自分のこと美人だと思いますか?
勝間 あれは読んでいただければわかるんですけど、”当社比”と書いてあるんですよ。つまり、当人比でキレイになりましょうと。
西村 ああ、なるほど。読んだ人はわかるんだ。でも、タイトルだけを見た人が「キレイが勝ち」という部分から、「勝間さんは自分のことをキレイだと思っているんじゃないか?」と思ってしまう可能性を、なんで感じなかったのかが不思議なんですよ。
勝間 まあ、多少は炎上するだろうとは思っていましたけど、その多少の見込みが多少違ったと(笑)
――勝間は天然だったということが判明(俺の中で)。
西村 勝間さんは、自由のために使うお金はあって、手元にも結構なお金があるわけじゃないですか。そうしたら、もう働かなくても自由は手に入っているわけじゃないですか。
西村 勝間さん、何かのテレビ番組でコスプレしてましたけど、コスプレをする仕事も働きたい仕事だったんですか?(笑)
勝間 いやコスプレがしたかったのではなくて、番組ではデフレの話をしたくて、その部分を見てほしかったんですよ。でも「コスプレをすると視聴率が上がって、デフレの話も聞いてくれるよ」ち言われたので、そうかなやってみようかなって……。
勝間 そうなんです。やってみたら、みんなからデフレのデの字も出なくて、コスプレの話しかしなかったんです(笑)
――なんか上京した女優志望の田舎娘が騙されてAVに出るみたいな話である。
2.モーニングを「ホワッツマイケル」の頃から20年以上読んでいる。(そういや「エンゼルバンク」のおまけコラムを連載してましたね)
3.よしながふみの「大奥」が好き。「のだめ」、「デスノ」は全巻所持。「ベルセルク」も普通に読む。その他少女漫画は割と読んでいるようだ。
4.コンビニに行くと漫画雑誌を2時間くらい立ち読みしてしまうタイプだが、最近は紐で縛ってあるので買って読んでいる(邪魔だから1回読んだら捨てる)。
5.学生時代、隠れオタクだったが漫画研究会の人と漫画の貸し借りを行っていた。
6.大学ではシミュレーションゲーム部で「ダンジョンズアンドドラゴンズ」をやったりしていた。
――2時間立ち読みしちゃうのは良くない! けど俺も学生時代金がなくてよくやってたので共感できる。そしてマンガはともかくTRPGとかやっちゃう系の人だったとは知らなかったぜ。でも絶対隠れられてなかったと思うけど。
前書きでホリエモンが言っている通り「いじられキャラとしての勝間和代」がよく表現されていて面白かった。誰かが言ってたけどひろゆきと勝間和代が結婚したら案外いい夫婦になるんじゃないかとすら思った。ただしゃべってるだけの内容で1500円なんで本にお金を掛けたくないという人にはあれだけど、まあおすすめですよ。
図星を指された勤め人たちが、自分のアイデンティティを守るためにブコメで必死に増田を叩いてるのが笑える。
http://anond.hatelabo.jp/20100725230513
やりがいの定義は色々あるにしても、勤め人じゃ努力は報われないでしょ。
ベンチャーの社員がどんなに努力して成功しても、自分の働いた対価に見合った報酬なんてもらえるわけがない。
そりゃそうだよね。リスクを取らない(というよりリスクを自分でコントロールすることを放棄した)、
飼い犬の人生を選んだ人たちなんだから。
まともなベンチャーの役員なら口が裂けても言わないけど、社員なんて創業メンバーの懐を潤すための「コマ」だからね。
ある程度以上会社が大きくなると、人材がシミュレーションゲームの部隊数みたいにしか考えられなくなる。
日本のサラリーマン、特に中間管理職のみなさんは、ベンチャーに入るような人でさえ、本当にピュアで従順で、勝手に空気を読んで、
狭い土俵で勝手に競争心を持って頑張って、お互いに牽制しあってくれて、本当に使いやすいです♪
よくある自分への言い訳として、「きつい仕事は成長のチャンス」、「若い時の苦労は買ってでもしろ」、「転職へのステップ」、
「将来起業するための勉強」、「ベンチャースピリットに惹かれた」、「若いうちから裁量を任せてくれる」、「達成感と充実感」、
「会社と一緒に成長したい」、「大企業の安定志向よりも将来性のあるベンチャーのほうが」等々。
それ全部、不安定な労働環境で労働力を安く搾取されてるだけだってことに、気づいてる?
デスマーチみたいなつらい仕事ほど終わった後の達成感があるのって、SMプレイにハマってるだけだから。
どんなにリスクを取ってもあなたにはリターンありませんから! リターン得られるのは創業メンバーだけですから!
あと、起業したいって言ってる奴で、5年以内に本当に起業した奴なんて100人に1人もいないよな(笑)
こういう愚痴だらけ、言い訳だらけの生き方が本気で嫌な人は、俺みたいに早いとこ起業したほうがいいよ。
【追記】
ブコメで「ベンチャーに入るのは起業前のステップアップとか勉強のため」とか言ってる人が多いけど、
いやマジで実際働いてる奴でも死ぬほど多いけど、そのうち何人が本当に起業してるんでしたっけ? って話。
で、具体的にその経験ってどんな仕事に活かせて、それでいくら収入上がったの? って話。
思考実験の類か。シミュレーションゲームの攻略法を練っているような気分なのかなすると。
考えること自体が楽しい。
考えて、それで何かが劇的に変わると信じている。
といったわけではないなら、そういう趣味も全然アリですね。
これなんですが
> あなたはこの「普通選挙の実施」を求める人々に「で、メリットはなんですか?」とお尋ねになるんでしょうか。
> あなたはこの「女性の選挙権付与」を求める人、それを支持する人に対して「で、メリットはなんですか?」と問いかけるのでしょうか?
大戦時の総動員体制で女性を産業に参加させることに対するバーターなんだから問いかけるまでもないよね
と、しれっと考えてしまう自分に愕然とした。
歴史シミュレーションゲームのやりすぎなんかなあ。
あるいは基本的人権というものに対する疑念が意識下にあるのかな。
たまたま民主主義政体の国家がうまく回っているので人権もあるということになっていてラッキーなだけで
風向きがすこし変われば吹き飛んでしまいかねないもの、
吹き飛んだあとには微塵ものこらないもの、とみているのかもしれない。
色々、本を読んだり、試したりしているが、難しい。
今までやってきた方法論と考え方をある程度、整理するために、自分の考えを書きながらまとめていこうと思う。
議論はしたくないが(ハイ、チキンです)、ご意見をいただけると嬉しい。
正直、純文学は俺自身よく分かっていないので、エンタメ小説の話という事を前提に読んでいただければ、と思う。
まず、物語のパターンに対する有名な言説として、『村上龍の「穴に落ちた主人公が、穴から這い上がる」「 穴に落ちた主人公が、穴の中で野たれ死ぬ」の2つしかない』というのがある。おそらく、これはエンタメ小説の基本形だと思う。「そもそも穴はどうしてできたのか?」「主人公は本当に穴の中にいるのか?」「そもそも主人公はなぜ主人公なのか?」のようなことを延々と逡巡するのが純文学かも知れない(純文学は読まないので、間違っていたらごめんなさい)。純文学は、(面白い/鋭い/ビビットな/より本質的な)問題提起自体が重要であって、それを読者に考えさせることが主題である……様な気がする。ただ、純文学の作者にせよ、物語の基本を踏まえたうえで、あえて外すからサマになるのであろう、とは思うが。
話を元に戻すと、エンタメ小説の基本を俺なりにさらに単純化させると、「主人公が問題を解決するか/しないか」であると思う(以前、増田の「5分で物語を作れるにようになるコツ(p://anond.hatelabo.jp/20091002081424)」が話題になっていたが、この増田の考え方はそれほど間違っていないと思う)。ただし、エンタメ小説は、エンターテイメントである以上、読者を楽しませなければいけない。問題が解決するにせよ、しないにせよ、きちんと納得の行くオチにすべきであろう。そうしないと、読者は満足感を得られないだろうし、満足度が低い店に行かなくなるように、ファンもまた離れていくと思う。
もちろん、将来のファン離れを心配する前に、やる事があるのではないのか?というのはごもっともな意見だと思うが、やはり、自分でも読んでいて面白い物語を書きたいし、途中まで書いていて、自分でも面白くないなあ、と思った事がたびたびあるのでその辺を考えていきたい。
では、面白さとは何か、という話になる訳だが、「主人公が問題を解決するか/しないか」に絞って下に挙げてみよう。
(1)基本的に、読者は「主人公が問題を解決するか/しないか」分からないから、ハラハラドキドキする。サスペンス性(→suspense 不安感。特に、映画や小説などで、観客や読者が危機的な場面にはらはらする感情)。あるいは、大抵のエンタメ小説の場合、「主人公が問題を解決してしまう(読者も基本的には楽しむために読むので、ハッピーエンドも望んでいるはず)」ので、どのように解決するのかという点が重要。
(2)問題設定の面白さ(舞台設定/キャラクター設定/問題の大きさと主人公の能力のバランスなど)。”奇(変わっている事)”であり、”妙(巧妙さ。全体のバランスも含めた緻密な設定)”なほど、評価が高いのではないか?ジャンルがSFやミステリの場合、いかに凝った問題設定と解法を用意するかがキモになると思われる。ただし、あまりにもぶっ飛びすぎていると、読者が感情移入できなくなる問題も発生するような。
(3)間口の広い感情移入の仕組み。感情移入できない主人公の小説というのは、エンタメ小説の”てい”をなしていないのではないだろうか。主人公に感情移入出来なければ、他人事と捉えられてしまい、熱中して読んでもらえなくなる。想定している読者になんらかの”共感”を持たせるような主人公を用意すべきではないだろうか?(例えば、何らかのコンプレックスを持たせる)
(4)展開のドラマチック性。(1)の”サスペンス性”にもつながってくる話だが、「読者が想定している期待度を超えるという意味で、予想を裏切る」展開が重要になるのではないか。展開が二転三転して、劇的な勝利(問題解決)をするというのが理想かも知れない。もちろん、より読者にドラマにのめり込んでもらうためには、(3)の”間口の広い感情移入の仕組み”が必要でないかと思われる。
つまり、教養小説(ビルドゥングスロマン)的側面。通過儀礼(イニシエーション)としての小説。これこれこういう理由で、彼は”強く””大人に”なったのさ、というお話としてのエンタメ小説。
また、面白さとは何か、を追求していくと、以下のような視点も考えられはしないだろうか?
(1)読者の想像力を喚起させる事
例えば、文章レベルで言えば、情景が浮かんでくること。読者に、痛み/恥ずかしさ/快感などの感覚を想起させ、リアリティを持って受け止めさせ、疑似体験させる事。”体験的なもの”として、読者に受け取ってもらえるか。文脈レベルで言えば、展開の読めない”不安”感、手に汗を握る”緊張”感、問題解決による”達成”感などを過去の展開の蓄積により実現しているか?
(2)読者の欲望を刺激する事
例えば、女の子の描画。ポルノでも萌えでも女の子のかわいらしさをどういう風に表現し、読者の想像力を喚起させるか。あるいは、食べ物の描画。うまそうな食べ物をうまそうに(文章で)描画できるか。カッコイ戦闘機をどう格好良く(文章で)描画できるか。外には、ファッションなど。粋なファッションを粋に表現できるか。読者が関心がある事柄に対して、いかに”幻想”を抱かせ、”欲望”を感じさせるか、という点。
(3)教養としての側面
さりげなく、”うんちく”を混ぜる。例えば、中世ファンタジー物だったら、朝食は貴族しか取れなかった事を説明しながら、朝食を要求する元貴族の商人の心理を読者に想像させるなど(ライトノベル「狼と香辛料」にそんなネタがあったはず)。個人的には、少々苦手。資料用に読んだ本で気に入った設定はメモっておくなどしているのだろうか?
(4)虚構と現実の境界性
例えば、伝奇ものの面白さ。現実の実在の人物(や場所?)がファンタジーで出てくるというハイブリット感。あるいは、2chのどこまでネタか分からない感というか。
(5)比喩表現の面白さ
暗喩と直喩。村上春樹は独特の比喩表現で有名になった訳だが。(1)の”読者の想像力を喚起させる事”や(2)の”読者の欲望を刺激する事”に密接に関わってくる。例えば、「彼女の組んだ腕の上には双丘が気持ちよさそうに並んでいる」の様な表現などはどうだろうか。
(6)気の利いた会話
最近流行りの会話劇だが、コントや漫才、ネット上のやりとりなど、トレンドの文脈をある程度押さえつつも(気に入ったネタはストックしておくべきか)、表面だけの真似に留まらないために、自分の言葉による体験的要素も問われるのではないか。
(7)説得力のある説教
ガンダムの富野氏の説教くらいに説得力がありつつ、面白い説教するためには、独自の価値観を持っている必要がある。大抵の人は人生経験を積めば、それなりの一言を持っているはず。一人の人間としての成熟性が問われる、のかも知れない。
(8)笑いの要素
ギャグ/ユーモア/パロディ/言葉遊びなど。個人的に苦手な要素である。自分の場合は、どうも野暮ったくなってしまう。センスや基礎教養が問われるからかも知れない。とにかく面白いと思う話を大量に読み、小話を書いたりして、自分にあったやり方を発見するしかないのではないか。自分の場合は、実にどうでも良い事を真剣に議論していく話がウケが良いようだ。
(9)恐怖の要素
笑いと恐怖は近いものがある、と言われている。(8)の”笑いの要素”がうまく書ける人は、恐怖もうまく書けるのではないか。これも個人的には苦手な要素だ。ホラー映画も苦手だし。単に読者のトラウマを刺激しても、嫌われるだけだろうし……。ただ、最近のトレンドにはこの要素が絡んでくる作品も多いのではないか。また、サスペンス性を上げるという面でも重要な要素であろう(ジェットコースターのようなスリルと快感の関係というか)。それから、演出技法としては(1)の”読者の想像力を喚起させる事”と関連性が高いと思う。スティーブン・キングなどを読んで勉強すべきかも。
(10)恋愛的な要素
いわゆる一つの萌え要素、と言う訳でもないが(ほら、スベった)、自分の中にある理想のヒロイン像を具現化して駆け引きを思考実験するという意味では、裸になって踊るようなものだと思う。慣れれば快感になるのかも知れない。ただ、個人的には最近、食傷気味。
(11)バイオレンス
闘争本能を刺激する要素。”読者の想像力を喚起”させ、重みのあるリアリティとして受け取ってもらえないと、単なる茶番になるような気がする。
……ひたすら要素を羅列してきたが、要するに、”読者の感情や価値観を揺さぶる”という点が重要なのかも知れない、と思った。
(文字による心理操作によって衝撃を与える、という意味では、詐欺師に近いものがあるというか。嘘をつくのがうまい人間がお話を作るのが上手、というのも頷ける。本来、エンターテイナーというのはそういうものなのかも知れないが。ヤクザな業界というか。現在最強の任天堂さえ。というか、任天堂こそが勝つべくして勝っている”名博打打ち”なのではないか。そもそも、経営という概念自体が(ry)
あと、話題になっている、うまい=面白いでない、という件について。
テクニックは描いた量に比例する(作品の)魅力は考えた量に比例する
物語の中だるみについて。
途中からなんだか間延びしている、なんだか乗れない、と感じたとき、物語の推進力が低下している。
主人公を追い込んだり、障害を増幅したりして、推進力を高める必要がある。すなわち障害やクリア条件を上げていくのである。
主人公は最後のゴールに簡単に到達してはいけない。ハードルが最初よりも下がってはいけない。敵が最初よりも弱くなってはいけない。
考えてみれば、続刊の出ない、あの小説やあの小説も、すでに、主人公を危機に陥れる「強い敵(難しい問題)」が取り除かれてしまったのではないか。あとは、シミュレーションゲームの終盤局面のように力押しで何とかなる状態というか。主人公がリアルに死ぬ/臨死体験するくらいの危機が常にある状態で、最後の最後で、”おおかた”の問題が片付くのが理想かも知れない。
文章力の磨き方。
基本かも知れないが、自分の好きな作家の文章を写す(タイプする)。良さが理解できない作家の文章を写しても多分、意味は無いと思う。文章を写すだけのヒマがない場合は、ラインを引きながら読むだけでも違うような気がした。逆に思ったのだが、好きな作家の文章をラインを引きながら読んでいると、作者の認識力の限界を見切る事がたまにある(例えば、そもそもの問題設定の矛盾とか、作者のルーツ(根源)はどこにあるとか)。その辺が大切なのではないか。また、好きな作家は最低二回読むべきかも知れない。
(Webより引用)
正しく見るためには二度見よ。
美しく見るためには一度しか見るな。
実は、優れたツリーの裏側に何十枚もの「デッサン」がある。
例えば医者コントってテーマを決めたら、オーソドックスな医者コントを、だーっと全部考える。
それだけでも充分おもしろいっていうネタにしておきつつ、更に松本がやった作業って言うのは、 部分部分で、どれだけ予想できる笑いを裏切るかって作業。確かにこれでもおもしろいけど、ここはこうやったらもっとおもしろい、こうやったらもっと裏切ってる…そういうのを延々繰り返していって、どれが一番ベストな裏切りかなぁってことを積み上げて、ネタを磨き上げていくんだって。
例えば、小説の創作手法にシミュレーション的手法を取り入れるということなのかも知れない。つまり、何回も思考実験を繰り返して、ドラマチックな展開のものだけを商品化する、という考え方。確かに、小説は元々、思考実験的な物を含んでいると思う。
その他。
「最初からフルスクラッチすると、効率が悪すぎる(1から作るのは大変であり、ベーマガのプログラムを改造しながらプログラミングを覚えていったように、まず改造する)」「問題を小さく切り刻む」「リファクタリング」的な要素を考えると、二次創作のSSをとにかく大量に書き、慣れてきたら、規模を増大させていく、徐々に設定も作り込んでいく、の様な方向になるのではないか。
まだよく分かっていない事。
あかほりさとるの新書に、「見たいシーンを書け」と書いてあったが、全く別のWeb上の指摘で、「最近のドラマは、脚本家が見たいシーンだけ繋げていった感じで、物語的な山場や整合性が軽視されているのではないか?」のようなものがあった。その辺の解決法。
文章の勉強以外であまり再読をした事がないので、よく分からない。
何かを創り出そうというタイプの人間には多かれ少なかれ、精神的な「欠損」があります。
その欠損を埋めようとするところから、何かをクリエイトしたいという欲望や欲求が生まれてくることが多いのです。
もちろんそれだけじゃないけど、そういうケースはしばしば見受けられます。
問題はその欠損をどこまで「普遍的なもの」にまで高めていけるかということだと思うんです。
中にはその欠損の欠損性にいつまでも拘泥しているという人もいます。
それでは本当の芸術にはなりませんよね。そのためには、人はもっと広く世界を見なくてはなりません。
人生は長期戦ですから、ゆっくりとしっかり息をしながら、前に進んでいってください。
まとまらないけど、以上。
補足。
(1)確かに、とりあえず、稚拙でも一作書き上げるという考えもありかも知れない。試してみるか……。
(2)色々本の紹介、ありがとうございます。
(3)Webからの引用元を書かないのに、他意はありません。面白いと思った文章は個人的にスクラップしているのですが(ローカルのメモ帳にコピペするだけ、のようなもの)、URLまでは保存していませんでした。申し訳ないです。
(4)確かに、あるパターンの繰り返しや場面転換の組み合わせというのは、あまり考えた事がなかったですね。なるほど。……少し見通しが立った感じです。ミクロレベルとマクロレベルの視点を重視しすぎて、中規模レベルのパターン認識がうまくいっていなかったようです。皆さん、ご意見ありがとうございました。(さらに追記すると、これは上に書いたあかほりさとるの新書の話にも繋がってきますね。それなりに問題意識を持っていたけれど、もう一押し足りませんでしたね>自分)
http://anond.hatelabo.jp/20091020061931
政治を簡略化したものとして思いつくのが、歴史シミュレーションゲームだ。どのゲームでもだいたい「開発」「施し」「人事」「軍事」「商人」のような行動選択肢がある。日本の現政権は今のところ「施し」、つまり国民の忠誠度を上げることに特化しているように見える。
施しは急いで国民を味方につけるのには最適の選択だが、この手のシミュレーションゲームでは「開発」をチマチマ行うことが長期的に国を強くする基本だ。開墾、治水、商業投資…などなど。(治水、つまりダム工事はホットな話題のひとつではあるが、個々のダムの効果・影響についての議論があまり出てこないところを見ると、パフォーマンスに分類されているように感じる。迷惑な話である)
たぶんKOEIの「三国志」シリーズや「信長の野望」シリーズを念頭においていると思うけど、そうしたシミュレーションゲームって維持費に関する考えに乏しいよね。せいぜい、軍の維持費ぐらいしかない。
つまり、大軍を保有すれば、それだけの軍を維持するための兵糧と金が定期的にかかるという考えはあるが、馬や鉄砲の保管にかかる維持費の概念はない。城壁の耐久度を上げる工事にお金はかかるが、城壁の維持費という概念はない。
都市住民の君主に対する忠誠度は、税率と施しによってほぼ単純に決まる。一度施しをすれば、徴兵をしたりや災害が起こらない限り忠誠度が下がることはない。つまり、忠誠度の維持費という概念がない。(マキャベリがこれを聞いたら憤死すると思う)
こうしたシミュレーションゲームでは基本的には、開発すればするほど、徴税によって得られる兵糧と金は増える。しかも線形的に。そして都市の人口・開発度は予め決められた上限まで上昇するが、その上限を左右するような選択肢は通常存在しない。
これは、単純にこうしたシミュレーションゲームが合戦シミュレーションゲームだからだと思う。
国力・内政に関する項目を極力単純化して、プレイヤーを合戦にフォーカスさせているわけだ。
ところが、もっと俯瞰的なシミュレーションゲームである「シヴィライゼーション」を見ていくと、国力・内政に関する考えがより複雑化されている。
例えば、都市の人口増加速度を増やすために穀物倉庫が必要だ(もちろん維持費がかかる)。また、人口を一定以上に増やすためには都市に水道を敷かないといけない(もちろん維持費がかかる)。
人口が増えれば、税収もあがり、都市の生産力や科学力が向上するが、人口が増えることは、必ずしも良いことではない。
人口が増えると都市で暴動が発生しやすくなる。暴動を抑えるために、都市常設軍を増やして不満を押さえ込む(もちろん維持費がかかる)か、宗教施設(もちろん維持費がかかる)や娯楽施設(もちろん維持費がかかる)を増やさないといけない。人口が増えたら環境汚染も起こる。これを取り除くためには厚生施設(もちろん維持費がかかる)が必要だ。
こういったシミュレーションゲームのリアルさっていうのは、やっぱり欧米のそれに劣るところがあるんじゃないだろうか。外交政策にしたって、KOEIのゲームでは、せいぜい同盟とか政略結婚ぐらいしかない。謀略もあってないようなもの。しかも満寵さんの人材登用能力は異常だ。
つまるところ、増田が想定しているシミュレーションゲームである「三国志」シリーズや「信長の野望」シリーズは、合戦で国士無双の武将や知将が大活躍するゲームだ。
あれ、これって・・・。
そう、「大艦巨砲主義」的なのだ。
「巨大な国力、優れた人材」というドグマに囚われすぎているゲームなのだ。
巨大な国家の維持は難しいし、優れた人材だけで戦争をするわけではないのに、だ。
日本人の政治観は未だに「大艦巨砲主義」だし、維持費に関する視点も乏しい。開発すれば税収は増えると思い込んでいる。
こうした「大艦巨砲主義」シミュレーションキャラクターゲームが日本の政治を拙くさせているのではないか。KOEIにしても、こういう形のゲームにしないと売れないと思っているのだろうけども。
普段から政治にたいして興味のなかった身にも、最近はなんとなく、何が起こっているのが感じられるようになってきた。
政治を簡略化したものとして思いつくのが、歴史シミュレーションゲームだ。どのゲームでもだいたい「開発」「施し」「人事」「軍事」「商人」のような行動選択肢がある。日本の現政権は今のところ「施し」、つまり国民の忠誠度を上げることに特化しているように見える。
施しは急いで国民を味方につけるのには最適の選択だが、この手のシミュレーションゲームでは「開発」をチマチマ行うことが長期的に国を強くする基本だ。開墾、治水、商業投資…などなど。(治水、つまりダム工事はホットな話題のひとつではあるが、個々のダムの効果・影響についての議論があまり出てこないところを見ると、パフォーマンスに分類されているように感じる。迷惑な話である)
予算が限られている以上、企業経済ではなく国民へ直接に施した分のお金に相当する分の開発が、犠牲になる。
人数が少なく投票率の低い若年労働層ではなく、その逆の傾向を示す中年以上がターゲット。わずかな給料で必死に働いている若者なんて救われるわけがない。後回しだ。こんなところで、投票することの価値を理解することとなった。
特に日本の中年以上層には、専業主婦が多くいる。残念ながら、今まで男女の雇用・教育機会が均等でなかったことの影響が出ているのだろうが、「高等以降の教育が弱い」「事務系以外の就業経験・知識がない」人間が多く含まれるのだ。生活に必要な末端消費者の知識と、TVで報道された情報そのままの知識は持ち合わせているかもしれないが。
こういった人間を相手にするとき、経済に対する間接投資が理解される確率は高くない。末端消費者が理解できるようにお金を与えたり割引を与えたり…そしてその分の負担は、企業から徴収するのだろう。そんなとき大手企業は、日本という土地に固執する必要がなければ、日本から引きはらってしまうことが可能だ。恐ろしい。これを引き止めている要因のひとつに言語の壁があって、壁を超えられない人間は最後までこの国に縛り付けられてしまうのかもしれないな。
少し脱線するが、ここまで民主党ヤバイ的な書き方をしてきたものの、おそらく自民党も復権のためには同様に、この愚民層に餌を投入せざるを得ないのかもしれない。民主主義における選挙では、頭が悪い人間をたくさん集めることすなわち勝利なのだ。(頭の良い人間は、機会がある度に判断して誰を支持するか考えなおすので信頼がおけないが、無知な人間は一度支持と決めたら「支持すること」が目的にすり代わってしまうことが多々ある、あるいはそう導きやすいのも都合が良い)
当面の間、民主党が何を行ったとしても「自民党の負の遺産」の一言で済ますことが出来る、無敵状態が続く。
この間にどんなに恐ろしいことが起きても、我々愚民に止めるすべはない。もう遅いのだ。
あ、もちろん、「麻雀ゲーム」としての出来のよさと、「麻雀シミュレーションゲーム」としての出来のよさは別だね。ゲーセンにあるふたり打ちの脱衣麻雀ゲーム、いまはもうどこにもないんだけど、いい感じに温くて好きだった。
たぶん、ソープランドシミュレーションゲーム「みんなであらいっこ☆」を出すための布石。
マイクロソフト(MS)の新作ゲームに李舜臣(イ・スンシン)将軍と亀甲船が登場する。MSは30日、戦略シミュレーションゲーム「エイジオブエンパイアー2」のハングル版拡張パック「征服の時代」を来月5日、一般に発表すると明らかにした。
このゲームは、ゲーマーが直接世界史の中の戦争の英雄となり、有名な戦闘の陣頭指揮をとるという内容。今回の拡張パックには壬辰倭乱当時の露梁津(ノリャンジン)の海戦が登場、ゲーマーが李舜臣将軍となって亀甲船に乗り、日本征服に乗り出すというものが入っている。
「エイジオブエンパイアー」シリーズは全世界のゲーマーの間で人気を呼んでいるソフトで、昨年売り出された2編は販売開始後6ヵ月で250万枚も売れた。しかし、1編で朝鮮を日本の属国と表現、2編では日本・中国・モンゴルを背景に入れているのに朝鮮が入っておらず、韓国内のゲーマーの怒りを呼んだ。MSは今回の拡張パックでは韓国の他アステカ・マヤ・フン・スペインなど5つの文明を追加した。
今までは「趣味:ゲーム」を地で行く狭い世界を生きる人間だったけど
そろそろそれも終わりなのかもしれない。
ゲームがつまんないw
楽しめてないというのが正しいかもしれない。
理由は三つ。
ひとつはゲームが少しも上手くならないこと。
自分はゲームセンターにあるストリートファイターIIみたいな格闘ゲームとか
グラディウスみたいなシューティングゲームを主にやってる人で、
特に一年前、目標なし進路なし未来なしで高校を卒業したあとに予備校行って浪人してる傍ら
高校時代までは田舎に住んでた土地柄で全然行けなかったゲームセンターに
「勉強そっちのけてゲームセンターとか何考えてるの?馬鹿なの?死ぬの?」と思いつつも
それこそ予備校の授業以外はゲーセンと言っていいぐらい熱心に100円を繰り返しゲーム型賽銭箱に入れていた。
でも少しも上手くならなかった。
下手なうちからもうこれ以上強くなれないという思いが出てしまったというか。
「そんなこと思ってるから勝てない」とかいうありがちな精神論は別にしても、
読み合いにはこれ以上読み勝てる気がしないし、その割には強い相手には何やっても先読みされたように処理されて負けてしまうし
シューティングゲームにしても同じように弾避けなどの基本的スキルを伸ばせる気がしない。
腕前としては
キャラを手足のように動かせるようになっても一年以上も一方的に負ける側で連勝することはできなかった。
ゲームセンター行く前もPC上でネット対戦とかちょろっとやったりゲーセンに行けなくなった後に別の家庭用のゲームでネット対戦をやったりしたけど、
ほとんど同じ、勝った回数が指で数えられるぐらいの結果だった。
シューティングゲームも、2ちゃんねらーが口を揃えて「一日そこらでクリアできる」「超簡単」みたいな評価してるゲームに半年以上かかった。
(追記:ゲーム名は伏せる必要なかった?自分が主にやってたのはGGXX、虫姫さまふたり、スマブラXのタイマン。)
何事も上手になるのに必要なのはトライアンドエラーだと思う。
基本的なこと、それができたら応用的なことを覚えるのも重要だけど
負けた場合に負けた理由をよく考えて、それに対処して負けの可能性を減らしていくのが特に重要。
自分は基本操作はそれなりにはできたけど
「そこ、引っかかるとこじゃなくね?」って所が悪い癖がついて躓いてた自覚が強く
応用操作はわからなかったので手をつけてなかった。
「次第に慣れていく」と思い込みすぎてほとんど思考放棄でプレイしてたので
どうして負けたのか全くわからなかった。相手の一定した動きを見つけられなかった。
何が何に強いのかわからなかった。キャラ対策を考える材料が無かった。
最近は何でもインターネットで情報交換される時代だけど、時間が無かったし
学問みたいに長年をかけて培われてきたことじゃないことから
上手い人なら勝手に自分で考えるだろという思い込みも強かった。
勉強でも同じようにして常に考えるということをしてこなかったんじゃないかと思ってる。
ふたつは、
以前はRTSやFPSみたいなコア向けのゲームはやってないまでも
RPGとかシミュレーションゲームとかスパロボとか、ゲーオタの好きそうなゲームを好んでやってたけど
そういうゲームはどうやってもクリアできてしまう(ように親切に設計されてる)から、
確かに楽しいし楽しめるけど、挑戦しないからかえって時間の無駄と思うようになってしまったこと。
いわゆる江川達也的発想。
三つめは
ロボットアニメを見てないままスパロボにハマった異端者だったことが会話のネックになったことや
コミュニティのオフ会に参加したときの周りのオタク臭さにまるでついて行けなかった。
オタク的な会話にすごく熱を入れて華を咲かせることもできなかった。
元々会話下手で友達いない人だった。
ゲームセンターに関しても
シューティングゲームでは周囲に同じくシューティングゲームに熱を入れてる人はいなかったし
いたとしても得てしてすごく上手い人だった。話しかけるなんて畏れ多い。
格闘ゲームも毎回ボコボコに負けてるような人に誰も話しかけてくれるわけもないし
こっちからもそんなの恥ずかしすぎて話しかけられるわけがない。
ゲームってのは元々コミュニティも楽しむものだったと認識するようになってからは
自分をすごく疎ましく思うようになってきた。
(追記:言われて思い出したけど「相手が楽しいと思ってくれてるか?」を意識するとますます思いをややこしいことにしてた。
「対戦後の感想」を書かれても褒め言葉の大体が嘘を吐いてるように思うしかなかったし、
逆に正直に「弱いねお前」なんて感想は名前つきでくれるわけもなかったけど、
その「弱い、見るところなし、死ね」と思われていると自分で思い込んでしまったことでいろいろと邪魔したように思える)
特に「趣味:ゲーム」にとってゲームの上手さは人生の一大事だと思ってた。
別に全国一位になりたかったわけでもないけど、時間さえかければそのぐらい行けそうみたいな感じがあれば十分だったけど
自分はピラミッドの最下層近くに位置する下手糞以外の何者でもないし、その一方でゲームを単なる遊びと捉えてる人が自分の実力を簡単に上回っていく。
ゲームを必死にやった者としてそんな現状を正視できなかった。かといって素直な心でゲームを楽しむことも、ゲームを通じてほかの人間と楽しむこともできない。
他人が上手くなっていくゲームは上手くならないし、一方でゲームを楽しめない、コミュ力も不足してるで、ゲームを心底から楽しめてない自分がいる。
だったらもう、ゲーム世界に参加せずに身を引いちゃったほうが善いのではないかと思ってる。
別にゲームがつまらない・悪いわけでなく、自分がすぐ上手くなってしかも奥が深くて楽しめるみたいな俺好みのゲームを出してほしいわけでもなく。
ただ、一生懸命やった自覚も下手なりにあったし、たかかゲームという思いもあったから、今の自分には「たかがゲームもできないならもう何もできない」って考えしか無い。
(追記:「ゲームも真剣にできない奴が他なことを真剣にできるのか?」と真顔で追求してるのには半分同意半分苦笑。
他なことを真面目にやってそれなりにできてる人は、ゲームも興味さえあればそれなりにできると思ってます。)
自分の時間を大抵ゲームに費やしてきたこともあって、趣味からゲームが消え去ることでもう自分のすべてが消え去ってしまうという気分。
面白いゲームを作るにはどうすれば良いかを考えて書いてみた。まだまだ書き足りない気もするけど(各節との相互作用を書いた部分は「局面の価値と因子」しかない)投稿。
面白くないゲームを作りたい人或いは面白いゲームを作りたくない人は読まなくても良いと思いますし、呼んでる人も途中で読むのをやめても良いとも思います。
ゲームの状態。但しプレイヤーもゲームの状態に含まれます。これはプレイヤーの操作可能な因子が非常に少なくルールによる束縛性が強いがプレイヤー以外によって動かされている或いは存在する因子が非常に多いゲームが存在し、それらのゲームのプレイ目的はある種の受動的鑑賞と同じだからです。プレイヤーはゲームに対して何か反応をする訳でもなく、ただ受け止めるだけをします。ゲームを作る上でこの主観的思考状態も考慮しなければいけません。例としてLSDはプレイヤーが可能な行動は移動とリンクのみですが、移動できる範囲が広大で鑑賞可能な対象もまた膨大です。多人数でのゲームでは主観的思考状態に加え相手の思考状態を客観的に判断する必要性も出てきます。ポーカーの熟練者は相手のプレイに対する態度、心理状態から自分の行動を絞っていきます。これらの様なゲームも成り立つと言う事も頭のどこかにでも置いていてください。
ゲームにはプレイヤーが操作可能なものが因子として存在します。将棋やチェスで言えばそれは自分のコマであるし、ビデオゲームであるならば自分の操作するキャラクターにこれが該当します。しかしこれらは静的に決まるものではなく、ゲームの局面それぞれに対して刻一刻と減少したり増加したりと動的に決まるものです。自分の推論結果の行動によって直接操作が可能な因子がルールによって縛られたまま、相手やコンピュータの管理する因子を自分の思った通りに動かす事も可能であるし、その逆もまた然りだからです。
対局型のゲームで言えば、目的は常に勝利となります。しかし因子の種類や数が多い場合には目的を達成する為に必要な子目的が自ずと発生します。しかもこれは静的に決まるものではなく、動的に決まる場合も多いです。自分以外に属する因子が目的或いは子目的の達成を阻害しようと働きかける事で新たな子目的が生まれます。それらの子目的を発生させる因子は必ず自分との利害関係が衝突するものによって動かされていますから、両者のどちらかに不確定さが含まれていれば動的に子目的が発生するでしょう。
動的な不確定さはゲームの子目的の生成を自動化したり、バリエーションを与えたりします。シューティングゲームでは狙撃の際にランダムにブレる照準を合わせタイミング良く発砲ボタンを押すという子目的が発生し、シミュレーションゲームでは自分の資金の一部を要所で賭けて確率的に増やすか増やさないかの判断が迫られ、アクションゲームでは敵がランダム配置されそれらにプレイヤーが順応する事を要求します。プレイヤーの最終的な目的にこれらの様な不確定さが直接関係してはいけません。最終的な目的は論理的でなければならず、確率的な要因はそれに包括されなければいけません。技法的に確率的要因を潰せる余地が残っていなければならないのです。そうしなければプレイヤーはあらかじめ提示された最終的な目的以外に楽しみを見出そうとするか、ゲームを放棄してしまいます。
将棋やチェスの様にゲームが完全に前回の局面に依存しているモデルであっても、読まなければいけない先がプレイヤーの限界を超えている場合に静的な不確定さが発生します。プレイヤーはこの問題をできるだけ論理的に解決しようとしますが、無理ならば技法的に解決しようと試みます。局所的な判断を求められる場合に論理的に、大局的な判断を求められる場合に技法的に解決される傾向があります。この種のゲームは往々にして全ての判断が論理的でありプレイヤーの責任となるので、これがゲームの最終目的に直接関わっても問題ありません。
動的及び静的な不確定さをまとめると、不確定さから来る駆け引きは常に論理的判断に結果が帰着しなければいけません。駆け引きが失敗に終わった後の事も論理的に判断できる余地が残されてなければいけません。
現在の局面がどれだけ勝利した状態の局面に近いかと、どれだけ敗北した状態の局面から遠いかによって決まります。因子の数が多ければ多い程局面の価値を完全に把握する事が難しくなり、これも技法的に解決される場合が多くなります。
因子が全体の局面に寄与する価値を動的に決定します。例えば、ある将棋のコマがどれだけその局面において重要視されるかを考えるとそのコマの重要性は配置によっても決まると考えられます。つまりコマの局面に寄与する価値には固定値、そのコマがどれだけ貴重なものかという属性に加えコマの配置によって局面ごとに変わる重要性という属性もまた存在する訳です。将棋においてのみ考えてみればこの事当たり前の様に思えるかもしれませんが、これを一般のゲームの因子にも当てはめてみるとこの性質がどれだけ重要かが分かってきます。因子は別の因子と相互作用し、因子を縛るルールに静的な整合性がありながらもそれぞれの局面によって動的に因子の実質的価値に差を付け、時にはゲームの局面そのものをも大きく変化させます。勿論これは自分の因子同士の相互作用でも良く、相手の因子を利用した相互作用でも構いません。後者の場合は相手の因子は自分の因子としても一時的に属する事になりますから、相手のコマの価値は基本的に自分にとってマイナスですが重要度もマイナスになればマイナス * マイナス = プラスで自分にとって有利な状況になります。
いろいろ勉強されているようだから、著作権法上ゲームが問題となったいくつか判例を紹介するね。
パックマン事件
影像をディスプレイ上に映し出し、極めて短い間隔でフレームを入れ替えることによってその影像が連続的に変化しているように見せる方法で表現されているビデオゲーム「パックマン」につき、著作権法2条3項にいう「映画の効果に類似する視覚的効果を生じさせる方法で表現され」ているものに該当し、また、ディスプレイ上に映し出される影像がコンピュータ・システムの記憶装置(ROM)の中に電気的信号で取り出せる形で収納されているのであるから、同項にいう「物に固定されているもの」に当たるとし、さらに、著作者の知的精神的創作活動の所産が具体的に表現されているものであるから、同条1項1号にいう「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」ということができるから、前記ビデオゲームは同法10条1項7号にいう映画の著作物に該当するとされた事例。
三国志事件
パソコン用シミュレーションゲームについて、ディスプレイ上の影像の流れを楽しむことが主ではなくユーザーの思考の積み重ねに主眼があり、ディスプレイに現れる影像及び効果音に関するデータ容量は極めて限られたものとなっているほか、影像は、静止画像が圧倒的に多く、同じ内容の定型的な画像及び効果音がたびたび現れるのであって、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されているとはいえず、映画ないしこれに類する著作物とはいえないとされた事例。
講学上、よく引き合いに出されるのがこの二つ。
パックマン事件ではゲームを映画の著作物として著作権法による保護を認めたけど、
三国志事件ではこれを認めなかった。
これは一見矛盾するんだけど、実は、パックマンは画面がちょこちょこ変わるのに対して、三国志はほとんど画面が変わらないっていう理由で認めなかったんだ。
普通のアクションゲームなら映画の著作物として著作権法による保護を受けると思う。
こんなのもある。
ドラゴンクエスト2事件
ファミリーコンピュータ用ゲームソフトウェア「ドラゴンクエスト2」を実行して表示される映像画面の掲載及び当該画面を掲載した雑誌の発売の禁止を求める仮処分申請が認められた事例。
(R)TKC
増田宇宙通信所では、アルファブロガーからの電波を受信し、ブロゴスフィアが正しい軌道や位置及び姿勢を保っているかを監視したり、搭載している人工無脳などが正しく機能しているかを知るためのデータを、筑波宇宙センターに送っています。また状況に応じて、分裂勘違い君にコマンド(指令)信号を送信し、小飼弾の軌道や姿勢の制御及び搭載機器の調整を行っています。 小飼弾の追跡管制とは別に、otsuneからの電波を受信し、飛行状態の監視を行うとともに受信したotsuneのデータを鹿児島宇宙センター(種子島)に送っています。
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詳細はチラシ(PDF:280KB)をご覧ください。