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2023-07-29

100円のジュースが110円になった

近所の100円自販機に売っているジュースが軒並み110円に値上げしていた。

いままで、100円硬貨1枚で買えたジュース

いまは硬貨2枚をポケットに入れて外に出る。

この10円硬貨1枚分、社会に恵んでもらえているのか。

給料はほんの少し上がった。でも10%もあがってない。

自販機硬貨口に2枚めの硬貨を通す。

慣れない手間に、やり場のない苛立ちを覚えた。

2014-03-08

経済学素人が考えたお金の話

経済学部生でもないのに、学部教養でかじった程度の経済学の知識で書いてしまいました。

間違っていることも多いと思います。ごめんなさい。

はじめに

しか現代マネーは昔の金(gold)を価値裏付けとする兌換紙幣ではなく、債務価値裏付けとする不換紙幣です。

債務の返済とは、マネー消失と全く同じことなのです。

http://d.hatena.ne.jp/shavetail1/20140307

さらっと書いてるけど、好きで調べたりしている人以外には、こういうのがとてもわかりにくいと思う。

自分自身がそうだったからだ。だから簡単に説明してみようと思う。

金と交換できる「兌換紙幣」の場合

100gの金と交換できますよーっていう証明書マネー

この証明書裏付けるのは金の価値。みんなが、「金は高価だ」と思っていて、食べ物や服や家具機械とか、あるいはおねーさんと酒のんでおしゃべりする権利とかと交換してもいいと考えている。でも、金そのものを持ち歩くのはいろいろと面倒だしあぶない(財布の中に入れておくとすり減ったりする)から、金庫屋が金を預かり、かわりに「金と交換できる券」発行している。それをみんなが金の代わりに使っている。

金と交換するわけじゃない「不換紙幣」の場合

これはむずかしい。

なんでかというと、この場合の紙の券は、なにか具体的なモノと交換できる証明書ではないから

とすると、それは一体なんなのか?簡単化した単純な例で考えてみる。

まず登場するのは、超できる男として有名な出来山さん。この出来山さんがお店を出すことになった。お店を出すには仕入れが必要になる。しかし、裸一貫の出来山さん、仕入品の代わりに提供できるものがまだない。そこで、出来山さんは業者の人にこう言う。「この店がうまくいったら、色をつけてお礼するから、まずは仕入品を納入して欲しい」。仕入れ業者の人は「出来山さんは超できる奴。多分、出来山さんのお店は繁盛するに違いない。まだなにもない出来山さんだけど、そこに納入すれば、後々いい商売になるだろう」と考える。そこで、仕入れ業者は、まず出来山さんのお店に品を納入する。出来山さんは、お店の将来の売上から、仕入れ業者に色をつけて返す約束をする。

出来山さんは、その仕入品を使って自分商品を魅力的なものにするために色々な努力をする。そして、商品の売上から、仕入れ業者に、前借りしたものよりも多くを返す。そうすると、仕入れ業者は「出来山さんと商売しているとこっちも儲かるな」ということになって、もっと大きな商売をさせるために、仕入れ品をもっと納入するようになったりする。

さて、ここで、出来山さんを日本政府(あるいは中央政府)、仕入れ業者を日本銀行(あるいは中央銀行)と考えてみる。

出来山さん(日本政府)の商品というのは日本経済のもので、出来山さんの手にする売上は日本経済からくるアガリ(税金)だ。仕入れ業者は、出来山さんの商品日本経済)が魅力的(活発で生産的)だと見込んで、紙幣を「発行」して出来山さんに貸しつける。つまり、相手がリターン(利子)を返してくれるだろうという「信用」によって紙幣マネーが生まれる(creating money)。だから不換紙幣マネーというのは、兌換紙幣マネーと違って、モノとは交換できないけれども、より大きなリターンを返してくれるだろうという信用を形にした「信用紙幣」ということになる。

普通通貨は国単位経済単位流通している。例えば、日本なら1万円券や1千円券の日本銀行券、あるいは、造幣局が発行する100円硬貨なんかが流通しているし、アメリカならドル紙幣流通している。だから、この信用紙幣の「信用」は何に対する信用なのかというと、その通貨流通している経済体そのものが活発で成長する、あるいは(すくなくとも規模を維持して)その他の経済体に対して影響力を持つことへの信用だ。例えば、「(日本円を使ってモノを交換している)日本経済ドボンしないだろう」とか「日本円で買える日本商品が欲しい」とみんなが思っている(日本経済を信用している)限り、日本円はその価値を保つ。

日本円日本経済の信用を元手にしているということは、逆に言うと、「日本経済はもうダメや!」とか「日本に欲しい物なんかあらへん!」みたいにみんなが思い始める(信用を失う)と、日本円価値暴落して流通できなくなってしまう(ハイパーインフレ紙幣紙くず)。そうすると、日本なのに、みんな日本円を使わなくなってしまい、米ドルなどの外国通貨流通するようになったりする。そうなったケースが、アルゼンチンなど。

至極単純化したけれども、不換紙幣=信用紙幣、の仕組みは大雑把に言ってこういう感じのものだ。

日本銀行借金を返しちゃったらどうなるの?

日本銀行は、自分紙幣を発行していろんな人に貸し付けている。日本政府はその中のひとりだ。

から、なにも、日本政府けが日本銀行が発行するマネーを市中(日本経済)に流しこむパイプ役なわけではない。そこには色々複雑な仕組みがある(らしい)。例えば、日本銀行は、自分が発行したマネー不動産なんかにも投資したりする。つまり、直接、市中にマネーをぶっこむこともできる。でも、それはあまり勧められることではないとされている。なぜなら、自由にマネーを発行できる日本銀行は、理屈の上では、市中の商品をいくらでも買いあげることが出来る。すると、どんなジャンクな品物や詐欺まがいの商品でも、日本銀行に売りつければ商売になってしまうことになる。ジャンクな品物や詐欺まがいの商品が売れる経済というのは、まったく健康的じゃない。言い方は悪いけれど、そんなのは闇経済と同じことだ。

日本銀行がなんでも買ってくれるから適当商品使ってぼろ儲けしてやれ」「日本銀行がなんとかしてくれるから、いくらでも借金してやれ」なんていうのが、いわゆる「モラルハザード」というやつだ。

少し話がずれたけれど、ここで、わかりやすくするために、日本政府借金は全部日本銀行が引き受けているとしてしまおう。その額およそ1000兆円。そして、日本政府借金を返したら、再借金はしないと仮定してみる。すると、どうなるか?

日本経済には、すでに発行済の日本銀行券=マネーが出回っている。そこから日本政府はアガリ(税金)をとり、そこから日本銀行借金を返して、借用書(国債証書)を取り戻す。つまり日本政府日本銀行借金返済しきってしまうということは、日本経済から1000兆円のマネーを吸い上げて、日本銀行に収めてしまうということになる。マネーはみんなの交換を活発にするものから物々交換は、自分の欲しい物と相手の欲しい物がうまく噛み合わないと成立しなかったり、いろいろと面倒くさいのだ)、マネーが減った分だけ、みんなの交換は不活発になる。交換が不活発になるということは、在庫が余ってしまったり、あるいは欲しい物が手に入らなかったりするということだ。

マネーがないとどうなる?

マネーがないと交換が不活発になるということを、また簡単化した例で考えてみよう。あなたお腹が減っていて、定食屋に入りたい。マネーがないのだからあなたは、例えば皿洗いなんかの仕事定食を交換して欲しいけれど、皿洗いの仕事をする人はたくさんいて、定食屋の洗い場ではすでに定食目当ての人が働いていたりする。あなた機械を直すのが得意だから機械を直しましょうと定食屋オヤジに言うのだが、定食屋には壊れた機械がない。だから、やっぱり定食を食べられない。

ここにマネーがあったとするとどうなるか。あなた機械を直して欲しい人を探して、その人の機械を直してあげるかわりにマネーをもらう。そのマネーをもって、定食屋に行き、定食マネーを交換してもらう。機械を直して欲しい人、お腹の減ったあなたマネーが欲しい定食屋オヤジ、と3人ともハッピーになれる。つまり在庫が余る(あなた機械を直す能力が活かされない)ことや、欲しい物が手に入らない(あなた定食を食べられない)ということがなくなる。さらには、それぞれが得意なことをすることで、とても効率よく仕事ができるし、みんなが効率よく欲しい物を手に入れることができる。つまり、それぞれの能力が最大限生かす機会が生まれるということにもなるのだ。マネーすごいぜ!

そういうわけで、必ずしも、国の借金を減らせばそれでいいというわけではない。それは、日本経済の中に流通するマネーを減らしてしまう=交換が不活発になってしまう→日本経済の信用がなくなってしまう、ということにもつながりかねないからだ。

でもしか

もちろん、「日本政府は、もう借金の利子を払うこともできない」といった具合に日本国債の信用が失くなってしまうと、これはこれでまた大変なことになる。なぜかというと、そうなれば日本国債を買う人がいなくなってしまうからだ。日本国債を買う人がいなくなってしまうと、日本政府予算が減ってしまう。つまり、公的サービスが減ってしまう。警官検察裁判官が減ると、治安が悪くなって、インチキ詐欺師蔓延り、経済健全性が失われてしまうかもしれない。そうすれば、日本経済ダメ経済になってしまって大混乱、交換が不活発になってみんなが貧しくなってしまうかもしれない。あるいは、小中高の学校大学運営ができなくなって、将来のビル・ゲイツスティーブ・ジョブスマーク・ザッカーバーグになりかねない若い人達が、ただの非正規雇用ワープアになってしまうかもしれない。これも、日本経済にとって大きな痛手になる。

まり、まず第一には日本経済が元気なことが大事だし、第二には「日本経済は元気だな!」とみんなに思ってもらうことが大事だし、第三には「日本経済は元気ないな」と思われないことが大事だ。国の借金は、こういうことのバランス考慮しながら、考えることが必要なのだと思う。

じゃあ、そのバランスはどうやれば取れるの?ということになるのだが、それが簡単に分かることなら、経済学者の議論なんかは存在しないんだろう。

おわり。

さいごに

わたしが、経済学講義で学んだことは、「アニマルスピリッツ」を持った方が未来は明るい(らしい)ということです。

簡単に言うと、みんなが「やってみりゃいーじゃーん」(楽観的)で「やってやろーじゃーん」(能動的)で「なんか、よくなるかんじじゃねー」(希望的)な方が、雰囲気=景気は明るい。そして、楽観的で能動であるためには「(ダメだったとしても)そのうちなんとかなるだろう!」というやつも必要なのだと。

お金が出回っていることはとても有用なことだからお金を稼ぐことはむしろいいことです。自分にとってだけじゃなく、みんなにとってもいいこと。でも、稼いだお金を貯めこんで使わない守銭奴のような人はお金を回さない人だから悪い人です。自分ばっかり稼ぎすぎて、他の人に稼がせなさ過ぎるのも悪いこと。それはまるで、ヘビー級ボクサーが、モスキート級に混ざってチャンピオンになっても、全然まらないのと同じ。そんな気がしました。

みんなが気持ちよくお金を稼げて、気前よくお金を使えるような経済社会にするにはどうすればいいのかを考えることが、当面のわたしの課題です。

 
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