はてなキーワード: 石黒とは
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ファンでもアンチなんでもないけど、上記のような状態らしいから、ちょっと言ってみよう。
こっちは別に裏で彼がいないとも限らないと最初から思ってるのに
自ら純情アピール工作として『恋愛禁止』をうたい、
自らその掟を破ってるってのが、ちょっとおかしくないですかー?
・・・・と思ったよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090817000118
消滅した兵役の義務の流れで、公への献身の義務という文脈で出現し、左翼にもその労働至上主義的な観点から受け入れられた、という経緯みたい。
発想に徴用みたいなものがあるとしたらいやな感じだな。
そういえば、形骸化しているとはいえ、官憲の別件逮捕の便利ツールとしても悪名高い浮浪罪なんてのもあったな。
9)また、この、衆議院での審議の過程で、第二七条第一項の「勤労の権利」を「勤労の権利及び義務」に改めることも決まった。勤労の義務は第二弾として復活したのである。
この、「勤労の義務」も奇妙なものである。大日本帝国憲法の改正に際しては、第二十条にあった兵役の義務の廃止が問題になった。ポツダム宣言で陸海軍の解体を約束したし、実際に解体が進行して、陸軍省、海軍省も復員省になっているくらいだから、いまさら兵役の義務でもなかろうというところでは、廃止は必然であった。
そして、この義務の廃止と引き換えのように登場してきたのが、国家のために兵役に代わる公務に参加する義務を定めよという議論であった。当時は、公務に貢献する義務とも言われていた。内閣憲法問題調査会案(甲案)は、その第二十条で「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ公益ノ為必要ナル役務ニ服スル義務ヲ有ス」と定めていたが、この考え方が、日本国憲法の審議においても繰り返し復活してくる。
「勤労の義務」は「労働の権利」ととはまったく別のものである。この場合、労働とは、自己及び家族、友人らの健康で文化的な生活を支える自助の努力という意味で個人目的性の強いワークであり、逆に勤労とは、公共のために献身するという目的の役務提供のワークである。こういう勤労を義務付けるというのであれば、市民は、国家に対して、役務提供の憲法上の義務を負うことになる。したがって、この意味での勤労の義務は、労働の権利とは別の条文で、別個に規定されるべき筋合いのものであった。
ところが、憲法草案が審議されていた当時は、社会主義思想の強い影響の下に労働運動が活発に展開され、「働かざる者は食うべからず」で、人間は労働する義務があるのだという左翼的な主張もなされていた。左翼は、もし勤労が国家への役務の強制的な提供であると知っていれば反対したであろうが、そこで巧妙にも官僚たちは「勤労の義務」を「労働の権利」と結合させ、「勤労の権利と義務」にしてしまって左翼の支持も取り付けた。ここに、国家主義的なボランティアリズムと左翼社会主義が合体してしまい、憲法の規定は、右と左で違った色彩に見える意味不明のものとなってしまった。
戦後の憲法学は、左翼的であったから、この条文に含まれている、国家緊急時における、兵役に代わる役務提供義務という本来の意味を無視して、働くことは権利にして義務であるという説明をしている。こうなると、しかし、「義務」の性格はわけが分からなくなる。義務は権利に対応する。市民は、誰に対して勤労する義務があるのか。これがさっぱり理解できない。そこで、憲法の施行後の解説書では、「勤労の義務」というのは趣旨不明な言葉としてあつかわれた。そして、だれかが、この言葉があるので勤労の義務への意欲がない市民に対する国の福祉配慮義務は否定されるという理屈を立てると、それが広まって、またいつまでも影響して、今日までこのように解釈されている。
http://www.citizens-i.org/kenpo/paper/duty2.html
この規定の由来については諸説あるが、一番有力なのは、元農林大臣の石黒忠篤や代議士の竹山祐太郎が、二宮尊徳の「報徳思想」の精神に則って、日本国民が自らの勤労の力で太平洋戦争で荒廃した祖国を再建させてゆこうという発想から提案されたものだと言われている(橋本伝左衛門・日本農業研究所『石黒忠篤伝』(1969年、岩波書店))。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%A4%E5%8A%B4%E3%81%AE%E7%BE%A9%E5%8B%99
詳細を書いてる人がいた。
「・・・貴族院農地調整法委員会で石黒忠篤氏の「国民の兵役義務に代わるものとして平和国家建設のための労働義務を課する意思はないか」との質問に対しては、「国家の為に労役に服することを想像して規定し置くことは必要であるが、その規定の方法は憲法に明確に定めることは困難で、臣民の権利、自由に制限を加へ或ひは義務を課するには法律による必要があると云ふ様に広い意味で謳って置きたい」と[松本国務大臣]は答へたのであつた。」
そういう狭い世界の偏りすぎたアンテナが拾い上げた情報によれば、千葉大に土屋俊先生という人がいて、なんかアメリカのCSLIとかそういうとこに行くような研究とかしているらしかった。他にも慶応の文学部でも面白いことができるらしいとか。
そういえば、15年ほど前、西のほうの某大学の学生のたまり部屋みたいなところで、生まれて初めてインターネットに接続したパソコンというものに触れて、でも全然使い方がわからないなぁ、と思っていたら、そこにつかつかと見知らぬ人がやってきたので「どなたですか?」と尋ねたところ「千葉大学の土屋です」と名乗ったのでびっくり仰天、おいおいそんな大物がなんでこんな田舎大学の学生部屋にいるんだ、と思って固まってしまったところ、自称土屋氏が「そのパソコン、インターネットに繋がっていますか?」と訊くものだから「ええ、でも使い方がわからないんです」と答えると、親切にブラウザの操作方法を教えてくれました。
結局、自称土屋氏が本当に土屋氏かどうか確認できなかったのだが、後で自分とこの大学の教授に話をしたら、「ああ、それは土屋俊だ。間違いない」と言っていたので、たぶん本人だったのでしょう。というわけで私はひそかに土屋先生の弟子だと勝手に思っているのです。