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2022-04-30

いつから赤松健ラブコメ漫画家だと思ってた?バトル漫画家だぞ?

赤松健ファンならばエントリタイトルの時点で色々察して貰えるだろうが、赤松健パンチラ暴力ヒロインが登場するラブコメ漫画家しか認識してない層へ説明しなくてはなるまい

赤松健は確かにデビュー作で「ひと夏のKIDSゲーム(通称ひと夏)」というラブコメを描いては居るものの、ひと夏は赤松健作風から言えば異質で「A・Iが止まらない!(通称AI止ま/アイとま)」の連載終了後に描かれた短編ラブコメ「いつだってMyサンタ!(通称Myサンタ)」と共に赤松健をバトル漫画と解するファンの間では別枠扱いされている

赤松健作品が大好きで追いかけ続ける熱意を常に持ち続けている、というわけではない他の作家を追い掛けている漫画好きからすると「そんなバカ!?赤松健パンチラ暴力ヒロインが大好きなラブコメ漫画家だろ!!!」と思ってしまうのも無理はない。こういう認識週刊少年マガジン編集部がそのように広報した結果だから

しかし、はじめての週刊連載作であるAIとま」の終盤から赤松健はバトル漫画家である本性を示し始めるのだ
いまさらAI止まネタバレもクソもないが一応ボカすとAI止まは終盤でバトルすることになる
「人気が落ちてきてテコ入れのバトルだろ?少年漫画なんだし」と思うだろうが、そうではない

では「AIとま」の連載が終了し、短編「Myサンタ」が掲載された後に新たな連載としてはじまった「ラブひな」を見てみよう
この流れの時点でファンはウンウンと頷いてくれていると信じたいが「ラブひな」は終盤バトルする
いや何なら「ラブひな」は以後の赤松健作品へ強く影響を残す剣術神鳴流」を用いる女性キャラクターが登場したはじめての作品
AIとま」の頃よりもバトル要素が濃くなってる

さて「ラブひな」の連載が終了し、新たにはじまった連載「魔法先生ネギま!(通称ネギま)」を見てみよう
もう完全に我慢できなくなった赤松健は終盤どころか中盤からバトル展開をはじめてしまい、赤松健パンチラ暴力ヒロインが登場するラブコメ漫画家であると誤解していた一部の読者が「ネギまラブコメだったよな?」と困惑させた
何なら当の週刊少年マガジン編集部困惑していた様子が見て取れ「ネギま」は連載終了してしまうのである

赤松健週刊少年マガジンへ対して美少女漫画を持ち込んだ功績を評価され、週刊少年マガジン編集部は「赤松健先生にはメッチャ貢献して貰ったし、もう好きにやらせたら良いんじゃね?」と思ったのか「ネギま」の後に続く新連載が赤松健待望のバトル漫画UQ HOLDER!(通称UQ)」だ

ちなみに原作者としてアニメ陸上防衛隊まおちゃん(通称陸まお)」もやっているが当然これもバトル

「「表現の自由」の闘い方」で掲載された「ヤマークエスト」が赤松健の今までの作風と違うと思ってるなら赤松健作品の読み込みが足りないと正直言わざる得ない
赤松健パンチラ暴力ヒロインが登場するラブコメ漫画家ではなく、パンチラ暴力ヒロインが登場するバトル漫画家だと思って読めば今まで通りの作風だと気付くことが出来る

以上、赤松健ファンによる早口解説でした

2018-04-09

世紀末インターネッツスーパーハカーを夢見たまま隕石で死にたかった

自分時間は今でもあそこで止まっているんだと強く感じる。

あれほどスーパーハカーを夢見ていたのにIT系ブラックさに恐れをなし、気づけばIT系でもない場所Sierまがいの何かを演じている。

この人生は何がしたかったのかと毎日自分に問いかけている。

家に帰ればこの歳になってもゲームアニメ時間を潰す。

人付き合いを嫌いすぎてオンラインゲームを遊ぶことはなく、SNSリプライを飛ばされたらブロックする。

バイブルは「Serial experiments lain」と「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」。

どっちも美化されすぎて一秒だって二度と触れたくない、セピア色のメッキを1ミクロン剥がしたくない。

思い出の中にひたすら生きる。

今を生きていても感覚は今も思い出の中。

ポプテピピックを見ながらぱにぽにだっしゅ!を思い出す。

ガールズアンドパンツァーを見ながら陸上防衛隊まおちゃんを思い出す。

魂は今でも世紀末前後彷徨っている。

モラトリアムジュブナイルも落第したままいつまで経っても心が中二病を抜け出さない。

小学校の段階で既に人間らしく生きることから落ちこぼれていたのだろうか。

字の汚さが幼稚園児並みなのは小学生になる頃には努力の仕方を見失ったからだろう。

自分は真面目に生きてきたと思いこんでいた。

違ったのだ。

自分の真面目さは少なくとも幼稚園で既に失われていた。

あったのは恐怖だけ。

親が怖くてイジメっ子が怖くてテレビ世論や将来の不吉さも怖くてとにかく人間不寛容さが怖かった。

それでも世界がいつか滅びるか、それとも自分他人に頼らず生きていけるようになれると信じられたなら耐えられた。

今はもう、現実を見たくない。

これだけ戦争前夜になっても世界は滅びない。

今更自分が有能な人間になれる気もしない。

あの世紀末で俺はもう死ぬべきだった。

世界が滅びると信じて死ぬべきだった。

自分がいつか羽化すると信じて死ぬべきだった。

生きるべきではなかった。

もう少しすれば何かが大きく変わって奇跡が起きると先延ばしにしすぎた。

そして、目先の欲に流されすぎた。

いつか奇跡が起きるまでの暇つぶし今日まで生きてきたんだ。

それが失敗だった。

 
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