はてなキーワード: 分かち書きとは
冷蔵庫の中を見て、これとこれを使ったなにかができないかしら→クックパッドを検索→思っても見なかった味付けが見つかった
というパターンに今まで何度助けられてきたことか。
なにしろクックパッドはあの掲載レシピ数だから、スーパーで一般的に扱っている食材ならおよそどんな組み合わせでもたいていなにかレシピが出てくる。
それにクックパッドの検索はあいまい検索がよくできてる。「芋」「いも」「イモ」くらいの同一視はgoogleでもやってると思うけどクックパッドは対象が料理関係限定なぶんもう一歩踏み込んでる。うまい例を挙げられないのがつらいが、そこにふれた記事があったはず。
あったこれだ。
料理や素材の検索で利用するデータベースも独自なものが多い。「じゃがいも」と「ポテト」を同義語として扱ったり、「塩」と「レモン」を分かち書きするのではなく「塩レモン」を単一の用語として認識させるような“秘伝の辞書”は、まさに同社のノウハウそのものだという。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1550289.html
こことか見てるとそんなこと抜かしてる奴が多いが、どれだけ英語メディアに幻想持ってるんだって思う。賭けてもいいが、こいつらは継続的に英語メディアから情報を得ようとしたことなんてないだろう。そうでなければ、欧米のやることは何でも正しいと思う白人崇拝主義者、英語マンセー主義者であるかのどちらかだ。
英語メディアの報道、なかんずく日本関連報道がどれだけ客観的かは、この辺知ってからにしてもらいたいね。
これらはどれも、夕刊フジや日刊ゲンダイみたいなタブロイドの記事ではなくNew York TimesやBBCあたりの高級メディアに見られるものだ。要するに、根も葉もないとまでは言わないが、日本に関する「不都合な真実」には尾ひれ胸びれ背びれあたりがつきまくっているのである(念のためカタカナ云々に関して言っておくと、漢語が外来語であることが完全に忘れられているのと、分かち書きのない日本語では文節・単語区切りを文字種の変化によって示す必要があることが見落とされている)。米英豪あたりの人間が「俺たち西洋人はススンドル」ということを自己確認するためのものとしか言いようがないのだ。日本の中国報道なんかにもかなり眉をひそめたくなるものがあるが、それが可愛く見えてくるほどの惨状だ。
というか、「リテラシー」がどうこうとか抜かしているお前らは「また大西か」という言葉を聞いたことがあると思うのだが、こういうときになると忘れてしまうというのが本当に不思議だ。所詮、英語圏だろうと日本語だろうとマスゴミはマスゴミだぜ?だったらまだ、明らかなトンデモは書けない国内報道の方がずっとまともだと思うのだが。例のWaiWai騒動のことをもう忘れてしまったのかね?あれこそ氷山の一角にすぎなくて、英語圏では本当に日本に関してはトンデモ情報がまともな情報を圧しているのだよ。一部の日本マニア(Japanphiles)たちの地道な草の根努力(たとえばJapanProbeをぐぐれ)があってどうにか日本は評判を保っているなんていう悲観的な見方もできるぐらいだということはもっと知られてもよい。
http://anond.hatelabo.jp/20091129184546
これでも納得できない人は、次のあべ・やすしさんの記事(さっきリンクしたのとは別の記事です)、ぜひ参考にしてください。
●読みやすさって、なんだろう - hituziのブログじゃがー
私のブログをいつも読んでくださっている方が、どれほどかな書きに慣れてきたのかは聞いてみないとわかりません。もしかしたら、大きな負担を感じながら読んでくださっているのかもしれず、そうだとしたら心苦しく思います。
私はかな書きで書かれている何人かの人のブログなどをいくつか巡回して読んでおりますけど、漢字が使われていないことへの抵抗は今や全く感じなくなりました。むしろ、漢字の多い文章よりも、かな書きで分かち書きされた文章のほうが、読むときの負担は軽いようにすら感じます。私個人の経験からは、漢字かな混じり文が読めるなら、かな書きの文章にもすぐ慣れることができると思います。
もっとも、その「慣れる」ための手間がわずらわしいという人もいるのでしょうし、私自身「なんで俺のほうがお前に合わせて慣れなきゃいけないんだよ」という意味のことを言われたこともあります。そういう人に言うべき言葉を私は持ち合わせておりませんし、無理に 「慣れてくれ」と求めるつもりもありません。
漢字を使いたい人は漢字を使って文章を書けば良いし、かな書きの文章がかな書きであるという理由だけで読みたくないのであれば、読まなければ良いでしょう。どういう表記で文章を書こうが、あるいはどういう表記で書かれた文章を嫌おうが、その人の自由です*7。
ただ、「日本語はこう書かなければならない」とか 「まともな日本語はこういうものだ」とかくだらない権威(ほんっっっっとにくだらないと思います)を笠に着て、しかもそのことに無自覚なまま、人の言葉や表現に評価を下すのは、やめてほしいと思います。
*1:「話されている」という表現は多少語弊があるかもしれません。当然、日本手話も含めて「日本で話されている様々な言語」といっています。
*2:私は仕事上の付き合いで、日本語の読み書きに困難を抱える人と出会うことが割と頻繁にあります。その人たちの中には、日本語で話したり聞いたりすることはできるけれど、読み書きとなると大きな困難を抱えている人が少なからずいます。無論、漢字だけがハードルになっているわけではありませんが、かなやローマ字など、表音文字で文章を書き表すことがもっと一般的になれば、そのハードルが格段に低くなるのは確かです。
*3:そう考えると、かな書きの文章に対してよくつけられる「みんなよく読めるな」というコメントもなかなか味わい深く思えてきます。
*4:なお、私はかな書きよりもローマ字表記のほうがいくつかの理由で望ましいと考えてはおります。
*5:『あなたの年齢当てます』朝倉久志 訳。なお、引用は山崎浩一『危険な文章講座』(ちくま新書)からの又引きです。
*6:石川准「本を読む権利はみんなにある」(上野千鶴子他編『ケアという思想』岩波書店、2008年)
*7:私は上にリンクした 5.の記事で書いた通り、漢字かな混じり表記を「標準」として押しつける「国語教育」ごと廃止すべきだと主張していますが、一人一人の書き手が漢字を使うことを禁止すべきだとは考えていません。
ネット上で見かける活字の関西弁ってどうしてこうも下品に見えるのか
気持ち悪いのでやめてもらいたい
分かち書きと同じくらい気持ち悪い
いや、純粋なプログラミング能力に限定したつもりはないよ。一般的な技術力の話。レイトレーシングだってFPGAだってコンパイラだって純粋なプログラミング能力とはいえない。だいいちそういうのを連携させるというカリキュラムは実務的とは言わないまでもその辺の給料もらうためだけに書いてるだけのプログラマにはできない芸当をやっていることは確かでしょ(馬鹿にするわけじゃないが)。ギークとまでは呼べないかもしれない。ただそのへんのwebギークにすぐにできる芸当ではない。当たってるかどうか知らないが、私が知っていたadvancedなトピックとしてはフォトンマッピング、HW/SWコデザイン、関数型プログラミング言語とかか。むしろページランクも分かち書きもN-gramも、web系のギークが得意な話題ではないかなとも思う。
話の流れとしてはどうでも良くて、、そういうことさえ経験できない他の大学(宮廷でもままある)の学部卒って使えないよねーという話になって、だからこそ東大IS羨ましーという話になるのです。まああんまり自分を卑下してT大を持ち上げてもしょうがないので私は似たような題材で切磋琢磨しましたが。