はてなキーワード: サッカー熱とは
小学生のとき、日韓ワールドカップでサッカーというスポーツを知る。この頃はサッカーといえば代表戦だった。どこの国が好きか。ブラジルが強豪国のイメージそのままに優勝した。
中学生のとき、ロナウジーニョという特別な選手を知り、バルセロナというクラブチームで毎週のように特別なプレーをしていることを知る。初めてクラブチームというものを意識した瞬間だった。ドイツワールドカップではロナウジーニョのいるブラジルが敗退してしまい、とてもショックだった。
高校生のとき、バルセロナでは確固たる監督哲学と卓越した選手技術の融合した革命的なサッカーが誕生していた。それはどう見ても毎日の練習の中で選手の頭と体に浸透し、育まれたものだった。クラブのサッカーの魅力と、サッカーにおける監督の役割を初めて理解した。ちなみに規律に従うのが苦手なロナウジーニョはクラブから追い出されていた。
代表チーム頂上決戦のワールドカップは四年に一度。それに対し、クラブチーム頂上決戦と言えるチャンピオンズリーグは毎年開催される。初めは毎年開催なんて薄まる感じがして懐疑的だったけど、毎年毎年信じられないくらいの激戦が繰り広げられる。一年でクラブのカラーががらっと変わることもあり、毎年開催の意味もよくわかるようになった。何より、シーズンを通して、もしくは何シーズンかかけて練度を高めていくクラブサッカーの魅力に取り憑かれていくようになった。
それから2010年、2014年、2018年、と3度のワールドカップがあった。日本代表は浮き沈みはありながらも躍進を続け、実力と地位を向上させた。自分含め、国民のサッカー熱は上昇の一途だったのではないか。
一方で、自分の中でサッカーにおける代表チームというものへの熱は次第に下がり、クラブチームについては上昇を続けた。クラブのサッカーは毎日の練習の積み重ねの賜物だ。しかし、代表チームはたまたま同じ国に生まれた者の寄せ集めの場当たり的サッカーでしかない。そんなものに価値はあるのか。いつしか自分の中で、代表チームはサイドコンテンツという認識に変わっていった。
リオネル・メッシは初めて見たときからいつもマラドーナと比較されていた。輝かしいクラブ・個人タイトルを手にしたキャリア晩年の近年もなお、ワールドカップを獲れていないという理由でマラドーナに劣るという声があった。寄せ集め代表サッカーのお祭りよりもクラブでの活躍やタイトルの方が価値があるのに何を言っているのかと思っていたが、それでもなおマラドーナ派には無視できない熱気のようなものを感じていた。
先日終わった2022年ワールドカップ。そのメッシがついにワールドカップを獲得した。エース兼キャプテンとしてアルゼンチンを引っ張り、決勝で感動の3点目をあげ、見たことないほど守備に走ったメッシ。彼は、誰の目から見ても明らかに、ワールドカップを獲るためにあそこに来ていた。
表彰台で優しい目をしながらトロフィーに二度キスをしたメッシ。その表情からは、彼がいかにそれを望んでいたのか、その悠久の時間を想像させた。
メッシだけじゃない。モドリッチもネイマールもロナウドも、誰もが認める偉大な選手達がこぞって本気になり、涙を流す。「代表チームなんて負けても仕方なくない?だって練習してないのだから。」なんて思っている選手は一人もいない。皆が渇望し、それがまたワールドカップの価値を肥大化させていくのを感じた。それは決してサイドコンテンツなどではなかった。ワールドカップはただのお祭り、などと蔑んでいた自分は今大会で打ちのめされることになった。
でも、なぜ特別なのかがわからない。誰かわかる人は教えくれ。国のためだから?四年に一度だから?いつからこんなに特別だったのか。
プラスマイナス岩橋の「やってはいけないことをやってしまうクセ」じゃないんだけど「言ってはいけないことを言いたくなる」ことがある
昔自分はそこそこサッカー熱があった。しかし、贔屓の不甲斐なさを見てモチベーションが下がった。今でも全く見ないわけではないけど距離を置いている感じだろうか
たまにかつての贔屓の動向も見る。たまに頑張ってるけどやっぱり今でも変わらない体たらくだ。そんな時今でもかつての贔屓を応援している友人に負けが混んでいる時に「やっぱりだめみたいだね」とLINEしてしまうことがある
案の定友人からは「そんなことはない、例えば〜が良かった」みたいな返しが来る。それを見てなぜだか少し安堵する。もう熱はとっくに冷めたというのに。
どこか心の深層で「復帰したいけど一度やめた手前」みたいなのがあって結局それがこの天邪鬼みたいな行為になるのかなとも思っている。そうだったら未練がましいよなとも思う。どこかのファンではなく無所属でスポーツを見れるようになれたらいいんだろうけど
はてなーってフェミニズムやジェンダー論にいろいろうるさい割にはちゃんと論文読んだり専門書読んでないんだよな。
だから基礎になる考え方や用語が互いにふんわりしてるから無駄なブクマや論及が続く。セルフバベルの塔してどうすんだって話だよ。
こういうことを書くと「いや俺は学者じゃないし」といわれる。そりゃそうだ。俺も学者じゃない。
ただそれは、アニメ大して見てないのにアニメの一部分の表象を語るようなもんだぞ。
それやられたら、アニメファンはいやでしょう。ほかのどの分野でもそう。サッカーしたり観戦したりしないのにサッカー熱心に語ってたらちょっと格好悪いでしょう?
新書くらいは普段から読んで、雰囲気掴んでからブコメしたほうがよほど生産的だ。
学術研究じゃなく社会運動だというひともいると思う。それにしても運動史ってのがある。
やるなら一歩踏み込んだ方がいい。