2024-01-22

[] 2024-01-22

今日病院へ行きました。お注射です。お注射をしてしばらくは精神があまり安定しないようです。被害妄想を持ったりしてしまます

精神というのは、変動を検出すると不快感を持つような気がします。鬱の時も一定心持ちであればそれなりに安定しますが、いきなり躁になったりすると錯乱するのかもしれません。

そういえば、私はインターネット上に残した自分黒歴史の削除を試みました。

統合失調症自分名前検索すると、誰かが勝手に私のYoutube動画躁状態ときのもの)の音声をテキスト化したものが置いてありましたが、どうやらそのサイト自然言語アノテーションサイトらしく、編集は誰でも行えるようでした。そしてその情報に「著作権侵害です」とラベルをつけて削除してきました。

うそう、あと黒歴史ブログも残っていました。精神錯乱して浮世離れしていた時のブログですが、「フロントカメラ不細工でバックカメライケメンなのは、介入する観察者が異なるからだ!」みたいな意味不明なことを書き、セルフィーまで載せていたのです。

このブログはまだ削除できていません。というのも、Googleアカウントパスワードを紛失したからです。

Twitterにもいくつか精神錯乱時のアカウントが残っているのですが、それらも2段階認証を設定しており、ログインできなくなっているのです。

まあ、黒歴史というのはこのようにして、精神おかしくしている時に生成してしまものだとわかります

ところで、インターネット徘徊していたら、こんな文章を見ました。

まり人生意味を問うても無駄。その代わり人生あなたに問うている」というものです。

もしそれが本当ならば、精神錯乱して残した黒歴史を正常になってから振り返り、「この黒歴史、君自身はどう感じるのか?」と問うていることになります

まったく、人生って本当に性格が悪いですね。私が嫌な思いをしていることがわからないのでしょうか。それともその嫌な経験こそが、哲学的深淵なのでしょうか。

私はその性格上、刺激を欲しがっているのです。SNSをやるのは、誰かから刺激をもらえないかというちょっとした期待に基づいています

でも「いいね応酬」はしっぺ返し戦略的、機械的ものになります。私が誰かにいいねすれば、その分のいいねが返ってくるというわけです。

そんなくだらない刺激のために黒歴史を残すなんていうのは、一体どういうことなんでしょうか。

SNSの繋がりなんて、所詮は浅い繋がりです。オンラインだと、相手リアル存在するものだと忘れてしまう人もいるようなのです。

やはり一期一会というのは、実際にオフラインで対面で会話したことのある相手存在に対する「出会い」に感謝するような言葉であり、私をおもちゃにしようとしているネットトロールとの出会いというのは、そこまで感謝できるようなことではないと思うのです。

インターネット発言すれば、好感を持たれたり、恨まれたり、見下されたりします。しかもその発言が、本来の私の精神状態ではないことだってあります

「私」というものを、他人に誤解されることの恐怖が、SNSにはあります。もはや他人の目を気にして怯える場所です。

から私は、発言する時は匿名性を重視するのです。箴言にも、愚か者言葉数を増やしてしまうことに対する戒めがあるので、実名で語るシーンでは黙っておいた方が賢く見えるのです。

「話すは離す」という言葉もあります。結局、ネットであれカウンセリングであれ、悩みをぶちまけられる場所があれば、精神デトックスになります

そうやってぶちまけた内容というのは、恥ずかしい内容なので、やはり実名と紐づいてしまうと「目」の恐怖を感じます

まあ、浅い繋がりの人たちに「見下すな」と言うのが、そもそも無理なのかもしれません。字下げ増田を「高学歴愚者」などといって嘲笑う人たちがいますが、彼らは人の心を尊重することを軽視し、おもちゃにしています

かに愚者他人から見下されるような行動をしてしまますしかし、それが人間の弱さであり、弱さをお互いに認め合えるようになれば、「お前は愚かだ」などとインテリぶらずに優しい関係になれるのではないでしょうか。

無意味な戦いが世の中には溢れているのかもしれません。私は、愚かな人を守れる存在になりたいです。

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