できれば次回以降デザインにもっと留意して改善してほしいと考え、発言しています。
と言う一方で、実際のデザイン(乃木坂46による広告)が(北村紗衣先生が定義するところの)倫理的理念という基準に反しているようなのに批判しないので、先生の倫理的理念を実際の広告を例にすれば明確になるのでは、と思って質問しています。
日本赤十字の広告を改善してほしいという北村紗衣先生の希望は、不明確な基準のままで改善を要求するのなら、「基準は教えないけど、私がOKを出すまで仕事をやり直して」と指示するパワハラ上司のようです。でも北村紗衣先生はパワハラ上司ではないので、自分の発言でデザインを改善したいと望む限り、発言が示す基準を明確に更新し続けるはずです。この意味で、増田による質問への回答は(質問者の増田だけでなく)北村紗衣先生にもメリットがあります。
元増田さんが書いたように、好感度高い有名人が献血を呼び掛けたときの方が自発性が低くなるのではという疑問があります。それに加えて、実際のデザイン(乃木坂46による広告)では、直接献血をするようはっきりと書いてあり、自発性が低くなるのではという疑問があります。
北村紗衣先生の自発性を理解するために、直接指定・婉曲質問という言葉を定義します。この観点では、乃木坂46による広告の方が自発性が少ないとみなせます。
直接指定 相手の行動をそのまま指定すること。(例 乃木坂46による広告の「あなたが献血に行けば私は嬉しい」、「絶対この機会に献血をした方がいいと思う」)
婉曲質問 相手の今後の行動に関係する質問をすること。(例 「まだ献血未経験なんスか?注射が怖いんスか~?」(献血した方がいいとは言わない))
直接指定の内容が正しければ、相手に選択肢はなく指定された行動を取るしかない、自発性の乏しい状況です。
婉曲質問の内容が正しくても、答えに選択肢の幅があり、関係する行動を取らないこともできます。例では、注射が怖くないと否定すると献血につながりますが、注射が怖いと認めてしまえば、(とことんからかわれる代わりに)献血に促されにくくなります。婉曲質問における自発性は、選択肢を選べるわずかな分、直接指定よりはあります。
乃木坂46による広告は北村紗衣先生が定義する倫理的理念という基準に反しているので、先生が乃木坂46による広告を批判するか、非難しない理由を明確にしないと、先生の倫理的理念に一貫性がないという疑いは妥当です。
元増田はちゃんと「理念に限定ということにしても変わらない」とあらかじめ書いており、そこを見落としたか誤読したとおぼしきブコメへの反論までしているのに、まだ「曲解」と主張する方がいるのだなと
元増田さんとこの増田は別人で、元増田さんの書いたことに頼って書いたので、おかしい理屈があれば、単にこの増田の理解不十分のせいです。すみません。
これも0点。「呼びかける=自発性を阻害する」なんて、氏は一言も言ってない。曲解マジ見苦しいから速やかに止めた方がいい。
その通りです。北村紗衣先生は直接的な呼びかけが望ましくないかどうか発言していません。婉曲的な「注射が怖いんスか~?」は自発性を尊重する倫理的理念に反しているなら、より自発性の低い直接的な呼びかけも倫理的理念に反しているように見えているのか確認しないと、先生の批判に一貫性がないことになってしまいます。
増田は、直接の呼びかけは「不適切な広告なんでしょうか?」と質問しているだけで、自分の理解は何も書いていません。その理解が曲がっているかどうか以前に、増田の理解が見えるとすれば、Ayrtonism さんは超能力者でしょうか?何が見えているのか、教えてください!
流れを見てると、saebou氏はお母上が亡くなられたことでSEALSの女子高生(家でお母さんがご飯作って待っててくれてる)や日赤やついでにキモオタに対して報復(八つ当たり)してるのかな?と穿った目で見てしまう。
安心してください。お元気ですよ。北村紗衣先生の「献血ポスター問題について 」の最初に書いてあります。
曲解して難癖付けてるだけだと、そろそろ気づきなよ。あまりに下らない難癖で返答の価値もないエントリだけど、無視されたら勝利宣言でもするつもり?攻撃したいという欲望だけで動いていて、本当に気持ち悪い…
「不適切な広告なんでしょうか?」と質問しているだけです。書いていない増田の理解が(曲がって)見えるとすれば、sadamasato さんも超能力者でしょうか?何が見えているのか、教えてください!
北村紗衣先生が直接指定の形をとる表現の可否を示さず、ただ改善するべき、と発言を続けるなら、デザインする人や日本赤十字社は基準がわからず、何も広告できなくなるかもしれません。それは誰の勝利でもありません。
全体的には「役に立つ行動だから協力を」という趣旨の呼びかけで、「自発性の阻害」には当たらないだろう。だが、「血液検査の結果の通知」を得られるから「無償協力」に抵触する、という理屈は流石に馬鹿すぎる。
Arturo_Ui さんは、直接「絶対この機会に献血をした方がいいと思う」と勧めるのは献血について自発性を阻害せず、婉曲的な「注射が怖いんスか~?」と勧めるのは献血について自発性を阻害すると考えているのでしょうか?もしそうなら、その理屈を教えてもらえませんか?
北村紗衣先生がだめだと言っている売血は、お金をもらうという意味で自分のためであるだけでなく、血液を提供するという意味で他人のためでもあります。「血液の検査成績を希望すると、健康状態も知れて「自分のため」にもなる。」と乃木坂46が言っているのと、グラデーションが違うけれど大枠では同じです。もちろん、そのグラデーションが大事なので、私は許容範囲だと書きました。東京都赤十字血液センターの検査サービスと似たレベルの検査を受けると2,100円かかる場合があります(料金にばらつきはあるので、参考です)
ここで質問しているのは、「「血液検査の結果の通知」を得られるから「無償協力」に抵触すると北村紗衣先生が考えるかどうかです。どこまで許容するのか、一切認めないのか、まったく不明です。Arturo_Ui さんの主観で馬鹿に見えていても、それは議論の外の話です。
多分、北村先生はあんまり具体的なことは考えてなさげなので、何を投げ掛けても「そんなことは一言も言ってない」以上の答えはたいして帰ってこないと思う
「そんなことは一言も言ってない」のはこの質問の本質ではありません。「できれば次回以降デザインにもっと留意して改善してほしいと考え、発言しています。」と書いて、他者である日本赤十字社に先生の発言を取り入れるよう要求しているからには、先生が今から考えて不明確な発言を補わない限り(北村紗衣先生の考える)改善は他者に不可能でしょう。高い倫理性を他者に求めた北村紗衣先生なら、高い倫理性にもとづいて返答する可能性もあるかもしれません。