はてなキーワード: タブーとは
言いたいことをまとめると
さらに言うと
以下本文(別に読まなくて良い)
こんな増田があった。
つぶやき的な増田だけど、素朴に基礎知識を持っている人の感想というところであろう。
しかし、それに対しての反応に、未だに基礎知識がなく印象論だけで話をしている人が多く居るという事を見かたので、改めて書いてみる。
この他にも、元々東京都が婚活アプリを整備すると言う話 [注5] に対しても微妙な意見があるので整理してみる。
ちなみに前書いた増田
https://anond.hatelabo.jp/20231208002645
子育て支援のほうが合理的、そんな意見があるが、それは間違っている。何故かと言うと、少子化の主因を捉えていないから。
これは繰り返し言われてきたが、少子化の主要因は、非婚化と言われている(注1)
詳しくは注記に文献を上げておくので見てほしいが、簡単に言うと
と言う状況があるためだ。
結婚した夫婦がもうける子どもの数は微減状態にはあるが、そこに合計特殊出生率の変化のグラフと、婚姻率のグラフを重ねてみてほしい。そうすれば、夫婦が設ける子どもの数は横這いで、結果として表れる合計特殊出生率の変化のグラフとは重ならないが、婚姻率のグラフは綺麗に重なることがわかるだろう。一目瞭然で「結婚した夫婦も減ってるじゃ無いか」と言うのは枝葉であり、全くマトを得てない事が分かると思う。
少なくとも「対策の合理性」という観点から検討すると合理的とは言いがたい。
ただ、この点についても重要な視点がある為、あとで少し書いてみる。どちらにしても少子化支援で解決は難しい。
このように、結婚しない人を結婚させるより、3人目を諦める人を支援した方が良いと言う事実はない事も既に研究で明らかになっている。確かに理想の人数の子の数を諦めた理由という調査では、その理由に経済を上げる人が多いが、統計で分析すると
要するに夫婦の子どもの数を増やすには、最も合理的な手段は晩婚化対策であるだと言うことになるが、政治的にタブーでありこの路線はほぼ無理であるとも言える。ただ、やるべきではあるのだが、これは子育て支援の方面ではない。
もちろん、
ただし
子育て支援は少子化対策としては有効ではないと言うことをとにかく認識してほしい。
よく「子育て支援・少子化対策」と並べる人がいるが、この二つは似て非なるものである。少子化対策とは別に考えるべきだ。
と言うことになる。
この施策を真っ向からストレートに捉えると、出会いを作って結婚してもらうと言う事になるだろう。色々な所が取り組んでいる。それを東京都がやるのが東京都が行う管掌のマッチングアプリという事になるだろう。
ここで「合理的か」という観点から見るとき考えなければならないのが、この施策にかかるリソースだが、東京都がこの婚姻支援に入れる予算は、たったの3億円である。(注5)
福祉予算としては圧倒的に低く、はっきりと東京都レベルでは誤差の範囲の予算だ。例えば、都庁のプロジェクションマッピングの半額以下である。
予算が低いことが問題ではない。むしろ「合理性」という観点では低い予算で高い効果が上がる可能性が高いと言うことだ。3億円では都心の100人規模の保育所の運営費にも満たないと思われる。
色々な資料を読んでいると、非婚化・晩婚化による少子化は1990年代から既に言われていることで(注1) この程度の予算でできる事をなぜやってこなかったのか、とどうしても思ってしまうが、過去の事は仕方が無い。
これからでもよいのでやるべきだ。
さて、優先順位の3番目にきている「晩婚化対策」についても触れたいと思う。
晩婚化対策が何故必要かは、既に述べた理由の再掲にはなるのだが、まとめると
また、
さて、晩婚化対策とはなんだろうか?これは2つ考えられ
の二つがある。
政策的にやりやすいのは明らかに後者である。1は大事だが、これは政治的にタブーであるし、現実問題出来るのかという事がついて回る。
一方で後者はやりやすい。と言うのは、いずれの統計でも、いずれの時代にも「結婚したい」と考える独身者の率は年齢が上がるほど延びて、一定を超えると諦めて減ると言うカーブを取るからである。
ただしこれは子育て支援とは切り口が異なる。政策的には子育て支援に含められている場合も多いが「不妊治療の公的扶助の拡充」などがそれにあたる。
子育て支援と異なるのは何かと言うと、保育所の支援、学費の無料化などは「既に生んだ後」の支援である。実はこれが少子化対策には効果が薄く非合理的だと言われる。
直接的に生みたいが生めないと言う人々を支援することが有効なのだが、何故か少子化対策に対してこちらの方が手薄になっている。
少子化対策予算などいくらでも出せるのだから全部やればいいと思うのだが。
おこなわれないのは、属性の人々はあまり政治層に声を上げないし、代弁して声を上げるような社会団体が無いからだと思われる。
再掲するが、せめて
が必要だ。
政治的に
みたいなことを堂々といったら炎上するだけで難しいのはわかる。例えば、子育て支援は所得制限無し無制限が支持される一方で、自治体が頑張って結婚相談所を作っても参加補助どころか無料も無理で、実費請求されるところがほとんどだ。
今回の件も、例えば朝日新聞の報道( 注5) にも「行政がやる事か?」「結婚しろという圧力になる」と言った的外れなコメントが、有識者枠で掲載される有様だ。有識者と言いながら単なる社会活動家のポジショントークに過ぎないのだが、ほぼ例外なく誰もが当事者であるから出てきてしまうのであろう。
これは有権者の支持が得られないというところであろう。
が、もうこれを上手くオブラートに包んで実行していくほかにないのでは無いと思われる。
子育て支援をするなと行っているのでは無い。子育て支援はやるべきだ。しかし、子育て支援は少子化対策にならないのを直視して、少子化対策は別枠でちゃんとやってくれと言う事である。
少なくともこの現実を直視し、正しい基礎知識を持った上で、婚姻支援を合理的ではないなどいった誤った考えを早く正すべきだと考える。また政治活動家がロビー活動をする時も、この論法を使うことは控えてほしい。もっと他に手頃なスケープゴートがあるだろう。
冷静に考えてほしい。東京都だけで2兆円ちかい子育て関連予算に対して、3億円の施策が何だというのか? そして誰も「子育て支援を削って非婚化対策しろ」なんて考えで施策を行ってないのである。
少子化対策は非常に重要な問題で、主要な政治家はみな積極的に取り組んでいる状態だ。子育て支援と婚姻支援がトレードオフの関係にある訳がないから、必要なら両方やれば良いのだ。
正しい知識をもって行動してほしい。
アドレス載せすぎてスパム判定されたので、h抜きにしてあります。
入らなかったので別エントリで
言いたいことをまとめると
さらに言うと
以下本文(別に読まなくて良い)
こんな増田があった。
つぶやき的な増田だけど、素朴に基礎知識を持っている人の感想というところであろう。
しかし、それに対しての反応に、未だに基礎知識がなく印象論だけで話をしている人が多く居るという事を見かたので、改めて書いてみる。
この他にも、元々東京都が婚活アプリを整備すると言う話 [注5] に対しても微妙な意見があるので整理してみる。
ちなみに前書いた増田
https://anond.hatelabo.jp/20231208002645
子育て支援のほうが合理的、そんな意見があるが、それは間違っている。何故かと言うと、少子化の主因を捉えていないから。
これは繰り返し言われてきたが、少子化の主要因は、非婚化と言われている(注1)
詳しくは注記に文献を上げておくので見てほしいが、簡単に言うと
と言う状況があるためだ。
結婚した夫婦がもうける子どもの数は微減状態にはあるが、そこに合計特殊出生率の変化のグラフと、婚姻率のグラフを重ねてみてほしい。そうすれば、夫婦が設ける子どもの数は横這いで、結果として表れる合計特殊出生率の変化のグラフとは重ならないが、婚姻率のグラフは綺麗に重なることがわかるだろう。一目瞭然で「結婚した夫婦も減ってるじゃ無いか」と言うのは枝葉であり、全くマトを得てない事が分かると思う。
少なくとも「対策の合理性」という観点から検討すると合理的とは言いがたい。
ただ、この点についても重要な視点がある為、あとで少し書いてみる。どちらにしても少子化支援で解決は難しい。
このように、結婚しない人を結婚させるより、3人目を諦める人を支援した方が良いと言う事実はない事も既に研究で明らかになっている。確かに理想の人数の子の数を諦めた理由という調査では、その理由に経済を上げる人が多いが、統計で分析すると
要するに夫婦の子どもの数を増やすには、最も合理的な手段は晩婚化対策であるだと言うことになるが、政治的にタブーでありこの路線はほぼ無理であるとも言える。ただ、やるべきではあるのだが、これは子育て支援の方面ではない。
もちろん、
ただし
子育て支援は少子化対策としては有効ではないと言うことをとにかく認識してほしい。
よく「子育て支援・少子化対策」と並べる人がいるが、この二つは似て非なるものである。少子化対策とは別に考えるべきだ。
と言うことになる。
この施策を真っ向からストレートに捉えると、出会いを作って結婚してもらうと言う事になるだろう。色々な所が取り組んでいる。それを東京都がやるのが東京都が行う管掌のマッチングアプリという事になるだろう。
ここで「合理的か」という観点から見るとき考えなければならないのが、この施策にかかるリソースだが、東京都がこの婚姻支援に入れる予算は、たったの3億円である。(注5)
福祉予算としては圧倒的に低く、はっきりと東京都レベルでは誤差の範囲の予算だ。例えば、都庁のプロジェクションマッピングの半額以下である。
予算が低いことが問題ではない。むしろ「合理性」という観点では低い予算で高い効果が上がる可能性が高いと言うことだ。3億円では都心の100人規模の保育所の運営費にも満たないと思われる。
色々な資料を読んでいると、非婚化・晩婚化による少子化は1990年代から既に言われていることで(注1) この程度の予算でできる事をなぜやってこなかったのか、とどうしても思ってしまうが、過去の事は仕方が無い。
これからでもよいのでやるべきだ。
さて、優先順位の3番目にきている「晩婚化対策」についても触れたいと思う。
晩婚化対策が何故必要かは、既に述べた理由の再掲にはなるのだが、まとめると
また、
さて、晩婚化対策とはなんだろうか?これは2つ考えられ
の二つがある。
政策的にやりやすいのは明らかに後者である。1は大事だが、これは政治的にタブーであるし、現実問題出来るのかという事がついて回る。
一方で後者はやりやすい。と言うのは、いずれの統計でも、いずれの時代にも「結婚したい」と考える独身者の率は年齢が上がるほど延びて、一定を超えると諦めて減ると言うカーブを取るからである。
ただしこれは子育て支援とは切り口が異なる。政策的には子育て支援に含められている場合も多いが「不妊治療の公的扶助の拡充」などがそれにあたる。
子育て支援と異なるのは何かと言うと、保育所の支援、学費の無料化などは「既に生んだ後」の支援である。実はこれが少子化対策には効果が薄く非合理的だと言われる。
直接的に生みたいが生めないと言う人々を支援することが有効なのだが、何故か少子化対策に対してこちらの方が手薄になっている。
少子化対策予算などいくらでも出せるのだから全部やればいいと思うのだが。
おこなわれないのは、属性の人々はあまり政治層に声を上げないし、代弁して声を上げるような社会団体が無いからだと思われる。
再掲するが、せめて
が必要だ。
政治的に
みたいなことを堂々といったら炎上するだけで難しいのはわかる。例えば、子育て支援は所得制限無し無制限が支持される一方で、自治体が頑張って結婚相談所を作っても参加補助どころか無料も無理で、実費請求されるところがほとんどだ。
今回の件も、例えば朝日新聞の報道( 注5) にも「行政がやる事か?」「結婚しろという圧力になる」と言った的外れなコメントが、有識者枠で掲載される有様だ。有識者と言いながら単なる社会活動家のポジショントークに過ぎないのだが、ほぼ例外なく誰もが当事者であるから出てきてしまうのであろう。
これは有権者の支持が得られないというところであろう。
が、もうこれを上手くオブラートに包んで実行していくほかにないのでは無いと思われる。
子育て支援をするなと行っているのでは無い。子育て支援はやるべきだ。しかし、子育て支援は少子化対策にならないのを直視して、少子化対策は別枠でちゃんとやってくれと言う事である。
少なくともこの現実を直視し、正しい基礎知識を持った上で、婚姻支援を合理的ではないなどいった誤った考えを早く正すべきだと考える。また政治活動家がロビー活動をする時も、この論法を使うことは控えてほしい。もっと他に手頃なスケープゴートがあるだろう。
冷静に考えてほしい。東京都だけで2兆円ちかい子育て関連予算に対して、3億円の施策が何だというのか? そして誰も「子育て支援を削って非婚化対策しろ」なんて考えで施策を行ってないのである。
少子化対策は非常に重要な問題で、主要な政治家はみな積極的に取り組んでいる状態だ。子育て支援と婚姻支援がトレードオフの関係にある訳がないから、必要なら両方やれば良いのだ。
正しい知識をもって行動してほしい。
アドレス載せすぎてスパム判定されたので、h抜きにしてあります。
今までの話を読んできてもらった人には、完全に誤った議論であることはわかっていただけると思うのだけれど、どうしてもこう言う事を言う人がいる。
ただ、一点だけ「既に金がある奴を支援するべき」はその通りで、そのための施策がマッチングサービス・非婚化対策なのである。
統計で見ると、結婚しない・出来ない理由は、トップが「出会いがない」で次いで「経済的理由」である。
経済的理由と出会いが無いはほぼ同率なので、両方に手当てをする必要がある。
そして未婚男性で最も多いのは年収500万円以上なので、経済だけを協調して、マッチングサービスなど出会いを作る施策を非合理的だとする理由はない。
両方やれば良いし「合理性」で考えるならば、マッチングサービスなどの単純な婚活支援が最初に来るだろう。
参考: ttps://president.jp/articles/-/63789 婚活市場では"高望み"の部類だが…「年収500万円以上の未婚男性」が最も余っている皮肉な理由
引用:
涯未婚率対象年齢である45~54歳男女の未婚人口を年収別にみると、未婚男性でもっとも人口が多いのは500万円以上の年収層になります(2007~2017年の10年推移)。これは2007年も同様で、比率にしてしまうと小さくなるのですが、実数としては「婚活女性が高望みといわれてしまう年収500万円以上の未婚男性」がもっとも余っている
わずかにそう言った傾向はあるかも知れないが、基本的には誤り。根拠としては、結婚する理由に「子どもが欲しいから」と答える人が減っているという事を上げることが多いが、子どもが欲しいからと上げていた Permalink | 記事への反応(0) | 12:26
「女が進学したから少子化が進んだ。女性の進学を禁止すれば少子化は改善する」という意見がミソジニストや保守からでるが
「女性の高学歴化は少子化には一切寄与してないどころかむしろ少子化の改善に寄与している」と証明されているんだわ
「中等教育が一般的になれば少子化になる」ってデータは別に提示されている
「男性が高学歴化、すなわち、中等教育(中学校以上の教育)を受けるようになったから少子化が進んだ」ってことなんだよね
実際戦後日本でも男性に中卒や高卒以上の学歴が増えるにつれて少子化が進んでいることはデータでも示されている
つまり女性は大卒や大学院卒以上の高学歴にして、社会の指導的な地位につけて、男性は進学を禁止して小学校を卒業したら土木作業員や農業、派遣等単純な肉体労働に従事させた方が少子化は改善するんだよね
少子化対策として
この逆(女性の進学を規制して家庭に入れて少子化を改善する)が主張されている
いったいなぜなんだ?
新宿区で生まれ、その後は23区外に引っ越したが、ずっと東京都内から出たことはなかった。
小学校受験をし、私立の小学校を卒業し、そのまま中学受験をして、いわゆる御三家に合格し、中高一貫の女子校を卒業した。
まさかそこでここまで大きなカルチャーショックを受けるとは思っていなかった。
私は自分がいかに世間知らずだったかということを全く知らなかった。
まず、初めに、医学部生同士での「親って医者なの?」という会話に驚いた。
喉元まで出かかって飲み込んだ。
私の周りの医学部志望生は、7〜8割は親が医者であり、親が医者であるかどうかを確認する文化がなかった。また、親が医者でなかろうと、会社の社長だの外交官だのばかりなので、「あ、そうなんだ。」くらいで終わりだったのであるが、ここでは違った。
非常に面食らった。
まず今までの人生で親の所得の話になったことが一切なかったことに気がついた。
なんとなくタブーのような、下品なような、お金の話をするという文化が存在しなかったし、他人を「金持ちだから羨む」という人に初めて出会った。
そして気がついてしまった。私が今まで通ってきた道は、『子供の教育費に月7-8万の学費を払い、かつ年100万近くかかる塾に通わせることのできる所得の親を持つ人間しかいない世界』であったということに。
加えていうと中高一貫の女子校ではバイトが禁止されていた。(している人は一人もいなかった。)
私自身小4〜6まで塾に通い、高2〜浪人1年間もまるまる予備校通いをしている。
かかった学費のことを親は何も言わない。
「医学部に受かってよかった。」
それだけである。
またさらにびっくりしたのが、
どこかに遊びに行こう!となった時に
と言われたことだ。
「お金がない」という理由を遊ぶ時に持ち出すという文化に触れてこなかったように思う。
遊ぶ時にかかるお金は、その思い出に対して支払うものであり、いくらになろうと楽しければ構わないし、やりたいことをしてきたと思う。(というと高級ホテルでランチビュッフェに行きまくっていたかのような印象だがそういう意味ではない。)
遊びたい時に、「何をしたいか」ではなく「予算」が先に来る文化。
そんな文化があることも知らなかった。
というかむしろ、うちの親は常に「うちは開業医でもないし貧乏だから節約しないと」と言っていたので、私はどっちかというと貧乏なんだな。と思って生きてきていたのである。
現にユニクロ大好きだし、特売も大好きだし、ポイントカードもめちゃくちゃ持っていて端からポイントを貯めている。
田舎とはいえ、本気の田舎では多分ないのだろうが、はっきり言って今の暮らしは本当に耐えられない。
友達と遊ぶ時はテレビか雑誌で特集していた店に行き、大きくなってからは食べログの評価が高い店を探し、予備校終わりに疲れたら伊勢丹に寄って化粧品を買ったり、ルミネセールで爆買いしてみたり。
レビューがなさすぎることで、食べログで店を探すことがこんなに困難になるとは知らなかった。
地方都市なんだからデパートくらいあるでしょうというが、私は新宿伊勢丹で先行発売の化粧品を、エムアイカードのポイント10%還元を利用して購入したいのであり、そのついでにフェラガモの靴を物色したり、グッチの新作にケチつけたりしたいのである。
前にトリーバーチの靴(一番スタンダードな、黒の革靴に金のトリーバーチのロゴが大きく付いているやつ)を飲み会に履いて行ったら、「その靴イトーヨーカドーで売ってるみたいだなww」と男子に言われて本当に驚いた記憶がある。
他人の持ち物(しかも靴などという少しこだわっていそうなもの)を平然とけなす神経と、トリーバーチすら知らないということに対する、二重の驚きである。
地元でずっと一番で、県で一番の高校を出て、この医学部に入ってきていた。
小さい頃からずっと「頭いいね!」「すごいね!」と言われ続けて、ピノキオみたいに鼻が伸びて育ってきている子ばかりなのだ。
何か言えば尊敬され、常にリーダー格として君臨してきた人たちばかりなのだ。
でも私は知っている。
たかだか地方の医学部に、賢い人間なんていないのだ。本当に賢い人は、理三だの、ハーバードだの、そういうところにいるのであり、
医者になるとか、ならないとか、そんな次元のところにはいない。
私たちはちょっとだけ努力するのが上手だったか、ちょっとだけ記憶力が良かっただけなのだ。
夜になると一人暮らしの部屋で本当に世界から取り残されたような気持ちになる。
私が今まで「当たり前」だと思ってきたことは、当たり前ではなかったのだと思う。
うちの親が「危ないから、事故った時に死なないように、強度のある車を」と言ってくれたから乗っている車でも、「目立つこと」の方が悪なのだ。
「昨日、コンビニにいたね」
いちゃダメなんだろうか。どこで何してもいいでしょう。万引きしてるわけじゃないんだから。
東京は、何をしてもいい。
何をしても、誰も何も言わない。
近くに住んでいても、知り合いに会うこともない。
早く卒業したい。
早く東京に帰りたい。
生まれ育った土地が自分には一番合っているというだけなのに、田舎と東京の話に置き換えている私はきっと性格が良くないのだと思う。
だからこっそり、ここに書く。
基本的にテレビを見ない人なので、「あのちゃん」というのを今日初めて見た。
まあよくいる「失礼な若い女枠(美人?タイプ)」に過ぎないので、5年もしたら消えているのだろうが、それはさておき。
そういうことを考えていると、ふと、この「失礼な若い女枠(不細工タイプor美人タイプ)」って、基本的に「宮廷道化師」と同じ枠なのでは? という疑問がわいた。
宮廷道化師(jester)とは、イギリスの王家に仕えていた、たびたび小人症などの障害を負った道化師のこと。
ロイヤルシェイクスピアカンパニーによると(Wikipediaからの孫引用)
王家では古くは愚者を雇い、中世には宮廷道化師を召抱えていました。(中略)ペットかマスコットのように扱われ、主人を楽しませるためだけでなく批判をするために仕えていました。
という存在。
つまり、笑いを取るために飼われているアウトサイダーでありながら、それでいて「アウトサイダーだからこそのタブーの無視」が許されていたわけ。
これって、特に不細工タイプの「失礼な若い女枠」そのままじゃないかしら? (ふわちゃん、やす子、その他過去に消えていった似たようなの)
これが美人で性的魅力もあるタイプになると、女が憧れる、少女漫画の主人公みたいな「おもしれー女」枠になるけど、これも結局は似たようなものだよな。
「ファニーなペット」か「キュートなペット」かの違いくらいしかない。
人間以下のものとされてるから、人間の法を犯すことが許されているだけ。
女はまず、女だから(アウトサイダーだから)と許される「おもしれー女」枠に憧れることを恥じるところから始めるべきなんじゃないかな。
宮廷道化師の地位が「好きに物を言える自立した存在」だと思うような勘違いを抜け出さないと、ほんとに女の自立なんかないでしょう。
と思った。
これね、共同通信だけの問題じゃないけど、そういうことだよね。ミスインフォメーション・キャンペーン。
[B! 上川陽子] 【内部文書入手】上川陽子「うまずして」切り取り報道の共同通信「全くひるむ必要は無い」差し替え経緯も判明
共同だけの問題じゃないというのは、共同通信に乗せられたとしても、各社一斉に
「出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」で揃ったこと。いかにも日本的な乗せられ方だ。
これは欧米でミスインフォメーション・キャンペーンと呼ばれるもので、誤報による世論誘導だ。
ミスインフォメーション・キャンペーンとは、世論や有権者の行動に影響を与える目的で、意図的に虚偽の情報や誤解を招くような情報を流すことを指す。こうしたキャンペーンは、民主的プロセスに対する信頼を損ない、地域社会を分極化させる可能性がある。誤情報は、ソーシャルメディア、マスメディア、口コミなど、さまざまなチャネルを通じて拡散される。フェイクニュースを作成したり共有したり、事実を操作したり、問題を誇張したりして、有権者の間に疑念や混乱を生じさせるような戦術がとられる。
その目的は、選挙結果を左右したり、政敵の信用を失墜させたりすることだが、ひいては選挙制度に対する国民の信頼を低下を招くため、このようなキャンペーンは、選挙結果に対する有権者の信頼や民主主義全体の健全性に影響を及ぼす可能性がある。
これがいかにヤバいことかのメディア自身の自覚のなさが、世界報道自由度ランキング70位という結果にも反映しているんだよ。
今回の場合、完全に誤報を流したというより、もともと解釈に幅がある、どちらにとられてもおかしくない表現だったことが特徴だ。
それは、女性たるもの出産すべし、と解釈できる、そういう解釈しか思いつかない人が一定数いる、というのは、この記事がでてもなお、上川発言に非があるとするブコメが少なくないことでわかる。
上川氏が女性の役割に対して固定観念を持っている、という指摘はありうると思う。ただ、最初からそういう指摘をする報道だったら、ここまで炎上しなかったのではないか。
しかし、これが炎上したのは、実際の各社の報道が「出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」だったからだと私はみる。
ジェンダーロールの偏見の指摘と弱者への配慮欠如の指摘は必ずしも同一のこととはいえない。
今回のメディアの場合、不妊で悩む女性を主に念頭に置いたのかしらないが、そういう方々が可哀そうだと、感情的な正義に訴えたわけだ。
上川氏の潜在的な差別意識を指摘するのとちがって、この訴え方は、「出産を願ってもできない人」というデカ主語を据えるものだ。
出産困難者というのは、もやっとしたイメージだ。人それぞれ「出産を願ってもできない人」のイメージが違う。
子育て環境の制度的な脆弱さを思い浮かべるひともいるだろうし、家族親族からのプレッシャーとして理解するひともいるだろう。
女性の出産の役割に自己実現の価値を見出している人もそうでない人も含めて、かなり多くの人が感情的共感の網にかかってしまう。
つまり、上川叩きの味方を増やす効果があって、上川氏からすれば、保守からも批判されうるし、フェミからも批判されうるという状況に置かれてしまったことになる。
今回の誤報キャンペーンでは、感情的共感をより広く、網を張り、特定のターゲット層に的を絞らない戦略が功を奏し、同町圧力の強い傾向のある日本で、あとに続くメディアを一斉に吊り上げ、ばっちりと効いてしまったというわけだ。
「出産を願ってもできない人」への配慮、という形で大衆の感情を煽ったのが今回のミスインフォメーションキャンペーンだったといえるだろう。
問題は、これが選挙に影響を与えかねない、ということを報道機関が自覚しているかどうか。
それに対して「全くひるむ必要は無い」というのが、共同通信のスタンスなのね。確信犯であることがよくわかった。
とはいえ、共同通信だけでなく各社報道機関は、「出産を願ってもできない人」への配慮を犬笛として使いたかったのかもしれないが、その副作用についてはやっぱり少しは考えてもらいたい。
「出産を願ってもできない人」への配慮を訴えたつもりでいても、出産を願ってもできない人々を一つのカテゴリーとして固定化することで、そのグループが常に特別な配慮を必要とする、社会的に弱い立場にあることが強調され、固定観念が強化されることもありうる。
これって女性の弱さ傷つきやすさについての別の意味の偏見が強化されるってことでもある。
社会的に弱い立場であるとの認識が広まれば広まるほど、社会的に敏感なトピックになり(タブー化)、それついて話す際に、他者の感情や意見を過剰に気にすることになる。これにより、人々は自分の発言を自己検閲し、無意識のうちに自らの意見を抑制するようになる。
「兵隊さんご苦労さん」みたいな、何気ない表現が大衆を戦争に巻き込むプロパガンダとして一番効果があるのと似た話で、こんな配慮や遠慮、忖度の積み重ねで、誰かが傷つくのを恐れて何もいえない社会にどんどんなってしまう。
これに対して、いやいやむしろ、偏見解消は積極的にキャンペーンをやるべきだ、女性に対する偏見が解消されて、社会全体としてハラスメントが減るならそれは結構な話じゃないか、といわれるかもしれない。
しかし、実際のところ、偏見というのは、配慮すればなくなるというものでもない。
強さや傷つきやすさの男女差というのは、いってみれば偏見なんだけど、悟りを開けば自分の偏見を解消できるわけでもないし、
言論警察よろしく配慮に欠ける発言をバッシングすれば解消できるわけでもない(公言しないようにすることは可能だとしても)。
近代の黎明期に、イギリスから隣国で起きているフランス革命で、反革命派が断罪されている様をみたエンモンドバークは、
なんでも理性的に判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤバいと考えた。
偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、偏見を生かそうという考えを進めた。
それが保守の出発点なんだけど、世の中が保守一辺倒というのもそれはそれでどうしようもない社会だ。伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとだっている。
さすがに、公平性については、制度が、最低ラインとして補助線というか設計図を引かないと、いつまでも伝統的な価値とか懐古的になっててもしょうがないだろう。
ということでまあ、ジェンダー問題は、極力、制度としての公平性、機会としての公平性という観点に限定して話をするように注意しておくのがいいってことかな。
もちろん、制度機会平等を理性的に討議したとしても偏見がなくなるわけじゃない。
偏見はなくならないけど、制度の普及・概念の進歩に伴い、ひとの意識は変わっていくだろうと期待する。それだけでよく、それ以上のことはあえてしないほうがいい。
ひとはすべて進歩した価値観にもとづいて幸福を追求しなければならない、みたいなのは押しつけがましい左翼の傲慢だからだ。
「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な価値観で自己実現をしたいひとだっているんだよ。
進歩的な価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。
「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」(中島みゆき、世情)というわけだ。
私から言わせると、そういう進歩史観を押し付けようとするところがもっともサヨクのムカつくところなんだよ。
かつて反戦フォークの全盛期、学生運動が最高潮を迎えていた時期、中川五郎の「主婦のブルース」のなかにこんな歌詞がある。
息子は今夜も帰らない 私は心配で眠れない
だけど私は家庭が一番 真面目に生きるのには疲れたわ
おお 人生は悩みよ ちっとも楽しくない 恋なんてしない間にふけちゃった
わびしい夢に はかない楽しみ 思い通りには何もならない
安保世代では親ですら論破すべき守旧派だった。しかし、学生運動は結局、どの社会階層とも連帯できずにスピンアウトしてゆく。1968年に作られたこの歌はそれを暗示しているかのようだ。一方、中島みゆきの「世情(1978)」は、この10年後の70年代の世界がうたわれたもの。ひとつ前の安保世代の情熱が新左翼へと変遷、空回りしてゆくさまを見せつけられたシラケ世代からみると、左翼残党はあたかも守旧派とさして変わらない頑固さでイデオロギー打破を訴えている、という皮肉な構図になる。
今回の場合でも、産みたくても産めない人が可哀そうだなどと感情的正義で持論を補強すると、そうした表現のタブー視が蔓延し、出産に自己実現を見出している人まで遠慮しなければならない、という空気をつくるかもしれないし、他方で、女性の傷つきやすさを過度に強調することで、女性が弱い存在であるという潜在的な差別意識が助長されるおそれだってある、みたいな妙な副作用が現れる。
かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的な正義と感情的な正義を区別し、自分のことでもないくせに感情的な共感によって主語がでかくなるのが感情的な正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのをひさしぶりに思い出した。
たまにはケシカラニズムに陥っていないか自己点検でもするか。フェミニストさんも自分の偏見を認めたほうがいい思うんだよね。
制度的に不幸になっている者は救済する、しかし、偏見ある社会のなかで生きている者の幸せや自己実現は否定しない、という具合のバランスがちょうどいい。
男性社会にあって嫁として母として子供を育ててきた誇りある人生を否定するのがフェミではないと思うし。
そういう意味じゃ、左翼は保守主義のマインドも頭の片隅に入れておく必要があるし、保守派も制度的な公正について左翼の主張に耳を傾ける必要がある、といったところか。
なんていうか思い込みだけで生きてない?
氏ね、逝ってよし
厨房、○○厨
ドキュソ、DQN
クソコテ
電波、デムパ
もっと直接的な悪口でいうと、普通に馬鹿とかカスとかゴミとか消え失せろとか罵倒し合ってた
2chが異常に女に態度悪いように見えるのは
みんな罵倒し合って治安悪い感じでその暴力的コミュニケーションから光るものを見つけるハイコンテクストなフィールドだった
でもリアル性別が女だと「わたし女なのになんでそんなこと言われなきゃいけないんですか!?」っていちいち発狂するんだよね
こっちはお前が女とか知らんし、プロトコルに従ってやり取りしてんのよ
そのプロトコルが令和の今も通用するもんかは置いといて、確実に空気は読めてなかったわけ
頼んでもないのに自分語り、空気読まずにコミュニティに自分の流儀持ち込み、これ別に令和でも誰からも嫌われるやつだとわからんかな〜
でもリアル女をアピールすると令和になってもまだまだいるオチンポ騎士団が平成にもやっぱりいて、そいつら湧いてきて女を肯定し始める
平成はもう既にテレビでは男女差別が酷くて、女は絶対に持ち上げないといけなくて男はどれだけ貶して罵倒して人格否定してもOKって風潮だったよな
てか2chの罵倒し合う特性も割とそのマスコミの風潮から来てるよね
女に罵倒するのは明らかにタブーだったし、タブーすぎるからこそ鬱屈してそれを破ったりとかさ
たち悪いのは女もそれを見越して空気をあえて読まないんだよな〜
そりゃ女出禁になるでしょ
辟易してる女もいたと思うよ、てか俺の知り合いに実際いたし
女を隠してみんな男っぽく振る舞ってたのは男に理解があってコミュ力ある女が望まない姫プを避けるための処世術で、自然発生的に生じたものだし
そもそも今でもまともな女は姫プを避けるためにやってることだろ。知らんのか?
まぁ不本意なやつもいたのかもしれんけど
その不本意な制限ってのはリアル女とAmazon欲しいものリスト晒せばバンバン荷物貢がれるような甘い扱いと表裏一体だし
まあこういうこと言ってもわからなそうだよな
子供の頃の私は親の知り合いや親族の中にいる「独身の、おもしろい、話が通じる、頭の柔らかな大人」がとても好きだった。かなり懐いていたように思うし、その人物たちはほかの子供たちにも大人気だった覚えがある。
私は結婚する予定が現在なく、自分がそのルートに乗っかっていく可能性も一応検討しておいた方が、後々のためにも幸福かもしれないと思い、最近つらつらと考えているのだが、意外とハードルが高いのかもしれないと気づきつつあり、怯えている。
まず、子供のそばに置いてもよいという判断を親からもらえるレベルの社会性や身分の保証が必要である。
次に、友人や親族が続々と結婚や妊娠・出産のラッシュを迎えていても同調圧力や社会規範に屈することなく、あくまで朗らかに緩やかかつしっかりとした関係性を築く。
そして、子供たちの流行やその世代におけるなんとなくの暗黙の了解、社会的なルールやタブーをアップデートし続けることで、頭の固い親とは違った唯一無二のポジションを獲得する。
意外とステップも多い。その上、実は二つ目の、社会規範に流されない、卑屈にならずにちゃんと接しやすく親しみやすい己を整えておくことで好かれるように努力する、という手順。実はこれこそが曲者で、みんな自分ならできるだろうと軽んじているのに、最も難しく、乗り越えがたいハードルなのかもしれない、と薄ら理解し始めてしまった、という話である。
人手不足の時代である。一つ目の、定量化できる身分の保証が一応の定職があるということを指すならば、そこまで実現は難しくない。ちゃんと食い扶持さえ稼いでいて、そこそこやっているように見せられればある程度はよさそうだ。
三つ目の子供たちの暗黙の了解の獲得はとりあえず、ちゃんと相手の話を聞くことと独身ゆえの身軽さを利用して、インターネットなど社会に広く開かれた窓口を往復しておくことが重要だろう。また、自分が若い頃の文化について体系的に話せたら、おそらくそれなりにはおもしろがってもらえるのではないだろうか。よほど話が下手で聞いていられないほどではない限り、親というものは権威があるので、子供と同じ目線に降りて自分の若い頃の情熱や失態を話せないから、親と同世代の自分がきっと楽にかっさらっていけるのだ。
じゃあ、自分のケアをして愉快な接しやすい人格を保っていられるか。ここがどうやら思っていた以上の難関なのだ。
というのも、現在アラサーの私の友人や知り合いの動き方を眺めるにつけ、人間というのはかくも一貫性を保つのが難しいのかと実感するからである。
彼氏を作った友だちに呪詛を吐き、結婚式を唾棄していた女性がいつのまにか結婚する。ポップな女嫌いをつぶやきまくっていた男が唐突に結婚相談所に登録する。恋愛がわからない、自分はひとを好きになれないと悩んでいた友人が、その悩みがどこにいったか、なぜ解決したのかの経緯を説明することなく嬉しそうに同棲中の部屋の写真を見せてくる。こういった流れに対して、なぜか私と同じ身分の者たちがどんどん卑屈になっていき、他者との関わりを絶ってしまうのだ。
私は先述の通り、愉快なおもしろおじさん・おばさんポジションが欲しい。まぁ、実際に得られるかはわからないが可能性はとりあえず残しておきたい。なので、上述した人々はまさに格好の獲物である。「あなたのお母さん、昔は彼氏持ちのひとを心底羨んでてね……」「お父さん、若い頃は結構おもしろい荒れ方してたんだよ!」「好きになることわからないとか言ってたけど幸せそうでなによりと思ってるわ〜」など、密やかな秘密の話としてポップに子供に吹き込む、毒にも薬にもならない存在を目指すのに楽だからだ。当人たちは自分の子供にそのような話は決してしないだろうし。「お父さん/お母さんには内緒ね!」と告げたときの相手のきらきらとした目が見たい。
でも、仲間がどんどん消えていってしまう。なんなら消えている期間に自分もパートナーを見つけて、何事もなかったように戻ってきて、私の次の獲物に変貌するひともいる。それはそれで構わないのだが、帰ってこなかった「おもしろおじさん・おばさん」候補はどこへ消えてしまったのだ。というか、なぜ消えたのか。これではどんどん私がマイノリティになっていってしまうではないか。
と、ここまで至ってなるほど、自分自身のケアをして揺るがない自我を築いていくという作業は思っているよりも難しいのだ、という結論を得た。周囲の「結婚ラッシュ」に焦る気持ち、自分は出来損ないなのではないかという劣等感、現実が見えなくなり狭窄になっていく感覚、なんとなく慢性的に存在する不安感。こういったものに抗うのは、意識的でなければ、人間は全員ちっぽけなので、不可能に近いのだった。
いまの私は、まぁたぶん、まだこのビッグウェーブに呑まれていない。そう信じたい。なので、一応おもしろおじさん・おばさんポジションの候補にはなれていることだろう。未来のことはわからないので、もしかしたら文字通り「闇落ち」を迎え、候補者リストから外れるかもしれないが。それは考えても仕方のないことだ。
最近は休日にひとりでドライブをしたり、写経をやっている。また、ジムにも通い出した。そして、編み物にも手を出している。映画も観るし、若いアイドルたちにもおそらくほかの友人よりは詳しい。こんなことを続けながら、自分自身の心のケアをしておくくらいしか、おもしろおじさん・おばさんルートは開かれないのだとしたら、それはまるでライトな修行僧のようではないか。実際に結婚や妊娠・出産とも縁遠かった結果として開かれるルートではある気がするので思っているよりか近い存在なのかもしれない。
幼少期に懐いていた「独身の、おもしろい、話が通じる、頭の柔らかな大人」にもこんな苦悩があったのかもしれないと思うとなかなかの感慨である。そして、だからこそ、わりと寛容な人格者だけが残り、子供からちやほやされていたのだなぁ、と思う。結果だけを見たらお気楽そうにも見えるが、努力をしたからこそ得られたボーナスポイントで若い世代からの支持を得られるのだろう。
「カラオケ行こ!」のヤクザに可愛げがありすぎることで、現実のヤクザとの関わってはいけなさが軽視されてしまうのではないかという問題(ファンタジーヤクザ問題)に端を発する話。
現代では未成年を性の対象として見ることのタブー度合いが10年前とは比較にならないほど上がっているが、未成年とヤクザが関わる話が大々的に上映されてしまうのはどうなのか。表現の自由の範疇ではあるが、おじさんと少女の恋愛を肯定的に捉えられた時と性質は似ている。
「強いオスによる支配」は野蛮であり、文明的ではないのだが、これを否定的に捉えるのが苦手な人々が存在する。同じ口で「立場の弱いオスが若いメスを搾取する」ことは糾弾しがち。別に弱者男性論とか男女論をやりたいわけではないが、ここはシンプルに矛盾してるように思う。
痴漢というものの凄いところは見ず知らずのJKやJCと触れ合えることだ。
そんなことを街中でやったら大変なことになる。
完全に変質者扱いされるか下手すると逮捕される。
しかし、一度「裏」に入ればそうではない。
痴漢して欲しい。その奔放な性欲を隠そうとしない。
よく例えられる「女はオナニーをしているとは絶対に言わないが、オナニーをしていない女はいない」と同じことだ。
古き良き日本文化が息づく数少ない空間が満員電車、痴漢専用車両だ。
とはいえもちろん「今日は残念だけど、痴漢さんと触れ合う気分ではない」という学生もいることは確かだ。
だが昔と違って現代では女性専用車両というものが存在するため、間違って望んでいない女の子を痴漢してしまう危険がない。
わざわざ満員電車に華奢な身体を滑り込まるのは99パーセント痴漢待ち学生だ。
間違いなど起こるわけもない。
これが先程も少し触れたが「表」と「裏」の関係性だ。
「裏」で行われていることであれば、それは構わない。
自宅でこっそりオナニーしているぶんには存分に快感を味わうだけ。
以前、居酒屋で当時付き合っていた彼女のオナニーについて語ったことがあるが、そのあと彼女の怒り方は半端ではなかった。
おわかりだろうか?
だから満員電車の中で、サラリーマンの背中に未成熟な硬いオッパイを押し当てるのだ。
痴漢など言語道断許されざる犯罪行為!!という建前の世界へと暗転する。
つまり痴漢奉仕に夢中になるあまり周囲にその痴漢奉仕がバレた瞬間。
そうなれば話は180度変わってしまう。
悪いのはテロ組織だろうに民間人虐殺して酷いと思ってたけど、そのテロ組織創設から資金提供してたなら、悪いのは完全にイスラエルなのでは?
https://www.cnn.co.jp/world/35212695.html
https://jp.reuters.com/world/europe/UHVAJG4CLZLG3IS4WS3F5WPYDI-2024-01-19/
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/929c5f7d1cae1a79ebadcf655b1e3eeef5e7b62a
政治宗教野球同様にAIについて語るのもタブーと化している気がする。
現行法ではポルノ(非親告罪)、著作権侵害(こっちは親告罪)以外は法の穴があるので、AI違法化して法律変えられるよう引き続き請願、陳情を頑張っていただきたい。
AI使っているかどうかは判断しづらいので魔女狩りみたいな地獄絵図になることが容易に想像できる。結局このような点から法改正は難しいんじゃないかと考えられる。
少なくともポルノと著作権侵害はもともと違法だからAI問題とは関係ないけどAIのせいでより手軽に法を犯しやすくなったとは言える。
政治宗教野球同様にAIについて語るのもタブーと化している気がする。
現行法ではポルノ(非親告罪)、著作権侵害(こっちは親告罪)以外は法の穴があるので、AI違法化して法律変えられるよう引き続き請願、陳情を頑張っていただきたい。
AI使っているかどうかは判断しづらいので魔女狩りみたいな地獄絵図になることが容易に想像できる。結局このような点から法改正は難しいんじゃないかと考えられる。
少なくともポルノと著作権侵害はもともと違法だからAI問題とは関係ないけどAIのせいでより手軽に法を犯しやすくなったとは言える。