はてなキーワード: 意識的とは
最近の短歌に関する増田の記事とそれへの反応で気がついたのは、多くの人は歌人が共有する短歌に関する暗黙の考え方を知らないということだ。
短歌詠みの間には短歌に関する決まりごとや規範が暗黙のうちに共有されており、それを念頭に置いて歌を詠んだり、鑑賞したりする。私はこれを「短歌のテーゼ」と勝手に呼んでいる。
あらかじめ言っておくと、このテーゼは必ず守らなくてはならないルールではない。むしろ現代短歌はどうやってテーゼに沿わずして魅力のある短歌を生み出すかを試行錯誤している節がある。
だが、どんな流派であっても優れた歌人はこのテーゼを意識し、従うか対抗するかのスタンスを明確にして歌を詠んでいる。そして、そのスタンスがある程度共通している歌人同士が同じ結社の中で作歌や鑑賞をすることで歌風を確立させて行くのである。
であるから、反例となる名歌はいくらでも挙げられるであろうが、反例があることはテーゼが存在しないことを意味しない。
以下、私はこれが短歌のテーゼだと思うものを挙げてみる。これらは私が歌会での経験や短歌関連の書物を通じて知ったことをベースにした持論であり、歌壇において認められた学説などではないということは断っておく。これらが短歌のテーゼを網羅したものとも考えていない。もしこれも短歌のテーゼなのではないかと思うものがあれば、教えてほしい。
また、この記事を書くにあたって各テーゼに従っている歌と、対抗する歌(=アンチ・テーゼ)を例示しようとしたが的確な歌を全部に配置できないので諦めた。こうした歌の事例もぜひ提案してもらえると嬉しい。(この記事が果たして読まれるのか?という疑念はあるのだが……)
ちなみにこれから挙げるテーゼに対して確信犯的にすべて逸脱しているのが穂村弘である。穂村弘は歌人の中でも一般的に知名度が高く、フォロワーも多いのだが、実のところ短歌のテーゼ的には極めて特異な位置付けにある存在だ。ただし、それは戦後の短歌運動の流れを意識的に継承した、れっきとした文学的試みである。
短歌は本来は歌であり、5・7・5・7・7の韻律を守り、音読したときに美しい調べとなるよう詠むことを求める。句割りや句またがりを多用したり、日本語として音読が困難な言葉を入れてはならない。
歌会などで短歌の詠み合いなどをすると、時々「この歌は"作ってる"ね」と評されることがある。短歌の描写にリアリティが無かったり、やけにドラマティックであるなど、現実には起こったことでない内容であると判断された時にこう言われる。このテーゼにおいては、どれだけ平凡ではあっても日常に実際に起こったことの方がドラマティックな虚構よりも価値があるのである。
"作る"という先ほどの言葉の中には、作為的に言葉を操り、上手く作ろうとする気持ちを戒めるニュアンスも含まれている。日々優れた短歌を鑑賞し、心のうちに誦じて日常を過ごす中で、するっと生まれてくるものを精製するのが本来の短歌なのである。こうした体験なしに、ただ物珍しい言葉をいたずらに組み合わせて面白がられる歌を作ろうとする姿勢は望ましくない。
短歌は日常生活に即した芸術である。その生活感覚は、身体から得られるものであって、生活に根ざしていない社会政治的な話題や、テレビで見たことなど身体を伴わない経験を取り上げるのは望ましくない。
短歌は、風景の描写と心情の表現がセットとなるように構成すべきである。風景はただの現実ではなく、それに対峙する詠み手の心情を象徴するものとして描写されなければならない。
ただものごとを説明するだけの短歌はただごとうたであり、本来の短歌ではない。短歌には詠み手の情念が表現されなければならない。
短歌は日本語を支える伝統文化である。王朝時代以来の和歌の歴史を学び、古典の優れた歌に触れながら、そのような伝統に連なることを意識して歌を詠むべきである。和歌や過去の名歌を鑑賞し、日本文化を象徴するような風流な事物を題材として歌を詠め。
追記:
ちなみに私自身は1・4・5・6に賛同し、2・3はややや否定的であり、7は積極的に否定するスタンスである。7とどう決別するかは、戦後短歌の大きな課題でもあったという認識である。
ながい!
例の如くサンキューGemini
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## 独身で子供に慕われる「おもしろおじさん・おばさん」になるための難しさ
子供の頃の私は親の知り合いや親族の中にいる「独身の、おもしろい、話が通じる、頭の柔らかな大人」がとても好きだった。かなり懐いていたように思うし、その人物たちはほかの子供たちにも大人気だった覚えがある。
私は結婚する予定が現在なく、自分がそのルートに乗っかっていく可能性も一応検討しておいた方が、後々のためにも幸福かもしれないと思い、最近つらつらと考えているのだが、意外とハードルが高いのかもしれないと気づきつつあり、怯えている。
まず、子供のそばに置いてもよいという判断を親からもらえるレベルの社会性や身分の保証が必要である。
次に、友人や親族が続々と結婚や妊娠・出産のラッシュを迎えていても同調圧力や社会規範に屈することなく、あくまで朗らかに緩やかかつしっかりとした関係性を築く。
そして、子供たちの流行やその世代におけるなんとなくの暗黙の了解、社会的なルールやタブーをアップデートし続けることで、頭の固い親とは違った唯一無二のポジションを獲得する。
意外とステップも多い。その上、実は二つ目の、社会規範に流されない、卑屈にならずにちゃんと接しやすく親しみやすい己を整えておくことで好かれるように努力する、という手順。実はこれこそが曲者で、みんな自分ならできるだろうと軽んじているのに、最も難しく、乗り越えがたいハードルなのかもしれない、と薄ら理解し始めてしまった、という話である。
人手不足の時代である。一つ目の、定量化できる身分の保証が一応の定職があるということを指すならば、そこまで実現は難しくない。ちゃんと食い扶持さえ稼いでいて、そこそこやっているように見せられればある程度はよさそうだ。
三つ目の子供たちの暗黙の了解の獲得はとりあえず、ちゃんと相手の話を聞くことと独身ゆえの身軽さを利用して、インターネットなど社会に広く開かれた窓口を往復しておくことが重要だろう。また、自分が若い頃の文化について体系的に話せたら、おそらくそれなりにはおもしろがってもらえるのではないだろうか。よほど話が下手で聞いていられないほどではない限り、親というものは権威があるので、子供と同じ目線に降りて自分の若い頃の情熱や失態を話せないから、親と同世代の自分がきっと楽にかっさらっていけるのだ。
じゃあ、自分のケアをして愉快な接しやすい人格を保っていられるか。ここがどうやら思っていた以上の難関なのだ。
というのも、現在アラサーの私の友人や知り合いの動き方を眺めるにつけ、人間というのはかくも一貫性を保つのが難しいのかと実感するからである。
彼氏を作った友だちに呪詛を吐き、結婚式を唾棄していた女性がいつのまにか結婚する。ポップな女嫌いをつぶやきまくっていた男が唐突に結婚相談所に登録する。恋愛がわからない、自分はひとを好きになれないと悩んでいた友人が、その悩みがどこにいったか、なぜ解決したのかの経緯を説明することなく嬉しそうに同棲中の部屋の写真を見せてくる。こういった流れに対して、なぜか私と同じ身分の者たちがどんどん卑屈になっていき、他者との関わりを絶ってしまうのだ。
私は先述の通り、愉快なおもしろおじさん・おばさんポジションが欲しい。まぁ、実際に得られるかはわからないが可能性はとりあえず残しておきたい。なので、上述した人々はまさに格好の獲物である。「あなたのお母さん、昔は彼氏持ちのひとを心底羨んでてね……」「お父さん、若い頃は結構おもしろい荒れ方してたんだよ!」「好きになることわからないとか言ってたけど幸せそうでなによりと思ってるわ〜」など、密やかな秘密の話としてポップに子供に吹き込む、毒にも薬にもならない存在を目指すのに楽だからだ。当人たちは自分の子供にそのような話は決してしないだろうし。「お父さん/お母さんには内緒ね!」と告げたときの相手のきらきらとした目が見たい。
でも、仲間がどんどん消えていってしまう。なんなら消えている期間に自分もパートナーを見つけて、何事もなかったように戻ってきて、私の次の獲物に変貌するひともいる。それはそれで構わないのだが、帰ってこなかった「おもしろおじさん・おばさん」候補はどこへ消えてしまったのだ。というか、なぜ消えたのか。これではどんどん私がマイノリティになっていってしまうではないか。
と、ここまで至ってなるほど、自分自身のケアをして揺るがない自我を築いていくという作業は思っているよりも難しいのだ、という結論を得た。周囲の「結婚ラッシュ」に焦る気持ち、自分は出来損ないなのではないかという劣等感、現実が見えなくなり狭窄になっていく感覚、なんとなく慢性的に存在する不安感。こういったものに抗うのは、意識的でなければ、人間は全員ちっぽけなので、不可能に近いのだった。
いまの私は、まぁたぶん、まだこのビッグウェーブに呑まれていない。そう信じたい。なので、一応おもしろおじさん・おばさんポジションの候補にはなれていることだろう。未来のことはわからないので、もしかしたら文字通り「闇落ち」を迎え、候補者リストから外れるかもしれないが。それは考えても仕方のないことだ。
最近は休日にひとりでドライブをしたり、写経をやっている。また、ジムにも通い出した。そして、編み物にも手を出している。映画も観るし、若いアイドルたちにもおそらくほかの友人よりは詳しい。こんなことを続けながら、自分自身の心のケアをしておくくらいしか、おもしろおじさん・おばさんルートは開かれないのだとしたら、それはまるでライトな修行僧のようではないか。実際に結婚や妊娠・出産とも縁遠かった結果として開かれるルートではある気がするので思っているよりか近い存在なのかもしれない。
幼少期に懐いていた「独身の、おもしろい、話が通じる、頭の柔らかな大人」にもこんな苦悩があったのかもしれないと思うとなかなかの感慨である。そして、だからこそ、わりと寛容な人格者だけが残り、子供からちやほやされていたのだなぁ、と思う。結果だけを見たらお気楽そうにも見えるが、努力をしたからこそ得られたボーナスポイントで若い世代からの支持を得られるのだろう。
カフェ、コワーキングスペース、職場に、存在をアピールしたいのか、うるさい人がたまにいる。「ふつう」に、マナーよく過ごすことができない人たちはいるし、そういう人たちのマナーが改善されることはないし、Boseのノイズキャンセリングイヤホンでも太刀打ちできない人たちがいる。
だいたい男性。存在をアピールしたがったり、周囲への配慮に鈍感だったりする。髪や顔をしきりにいじっていたりすることも多い。
悲しいことに、一人の人間が複数に該当することが多く、本人の美意識が著しく欠如しており、本人には気をつけようがなく、解決が望まれないことが多い。たとえば、先日、あまりにも連日、咳払いの頻繁な人を注意してもらったところ、今度はさらにひどい頻度で鼻をすすり始めた。絶望した。
さらに困惑するのは、こういう発言に対して、ミソフォニアだから医者に行くよう安易に言う人たちまでいること。問題の所在を、不満に重側に一方的に押し付ける行為でしかない。
黒板をひっかくのが嫌な人はみなミソフォニアか。
痰を吐く音が嫌な人はみなミソフォニアか。
そんなわけがない。まるで、音を発する側のマナーには何も問題がなく、聞いて不快に思う側に問題があるように、問題をすり替えようとする恐ろしい人たちがいる。こちらも一度や二度が耐えられないわけではない。一度や二度は問題なくても、それが頻繁に何度も繰り返されて不快に思うことだってある。ノイズキャンセリングヘッドフォンをつけろと言う人もいるが、既につけてる。
あんま表で大きい声では言えねーけどSFって実は古典よりも今のほうが文章的にも展開も格段にアップグレードしてて、とりわけSFのキモであるセンスオブワンダーは昔の作品に比べて明確に意識的に重んじられるようになった。
それにしてもSFの楽しみは「三体」とグレッグイーガンだけ読んでれば全体の満足度の9割くらい摂取できるんだが、しかし入門者に向けて三体を勧めるか・・・・?🤔
10ページくらいで挫折して二度とSFに寄り付かない恐れがある。
そこで「プロジェクト・ヘイル・メアリー」。読みやすいんだ、これが。
登場人物も限られてるから込み入った人間ドラマに脳を焼かれることもないし、ギュギュッと詰まったセンスオブワンダーに惹きつけられること請け合いよ。初心者にオススメ。
タイトルで言いたいことが完結してしまったが分からない人用に補足すると、
・岡田索雲は昨年話題になった「アンチマン」や今バズっている「ある人」の作者。
ネットの物議醸させマンたちが好む題材を見ぬく確かな目を持つ。
社会問題系漫画で最もノイズとなる“作者の気配”を消すのが上手く、SNSでも自我を出さない。
また、スカジャパ作家が陥りがちな「悪役を悪辣に描き、それを正義役が冷笑論破する」という構成を使わないため、ヘイトが表面化しにくい。
おそらく事前に独自メソッドをガチガチに固め、俯瞰を徹底し、意識的に防御力を上げている。
漫画が上手い。
・洋介犬は「反逆コメンテーターエンドウさん」などの自称風刺漫画を大量生産している、心がピュアなネットユーザーに人気の漫画家。
十数年前は純ホラー作家だったが現在はスカジャパ漫画にも手を出し路線変更。
「エンドウさん」では、主人公に作者の主張らしきものをそのまま言わせるという、防御をかなぐり捨てた捨て身のタックルをかます。
本人曰く、自称風刺漫画は賛否の表明ではなく、あくまで問題提起であるらしい。
(追記)正確な本人発言は以下。https://news.yahoo.co.jp/articles/068214a840e4a3544f77cc9511eb4c424570c45d
入眠下手な俺が寄せ集めで作った入眠メソッドが最近いい感じなので、忘れないうちに書き留めておく。
まず、布団に入って仰向けになる。
手は胸やお腹の上ではなく、布団の中で手のひらを上に向けてお尻の左右に置く。
意識して肩の位置をできるだけ下げる。肩を落とすと言うのかな。
肩→手方向にも、胸→背中(つまり、垂直床方向)にも下げる。これが結構重要。
そしたら胸に空気を目一杯吸う。数秒息を止めて、ゆっくり吐く。これを数回くりかえす。
それから深呼吸を繰り返す。ここからは目一杯は吸わない7,8,9割くらいでいい。
ゆっくりたっぷり吸って、吐くときは吸う時よりゆっくり時間をかけて吐き出し、吐く時に体の力が抜けるのを意識する。
まずは目と唇。
目は閉じ、唇目閉じるが、強く閉じず、どちらも触れるかふれないかくらいを意識して力を抜く。
目の周り、頬、頭、喉、首の後ろ、意識する場所を移動しながら、吐く息に合わせて力を抜いていく。
お腹、腹筋、腰、ふとももの内側や外側、裏側、表側、ひざ、ふくらはぎ、脛、足首、足裏.足指。
順に吐く息にに合わせて意識を移動させながら、力が抜けてリラックスするのをイメージする。
これを何周か繰り返す。
最初は丁寧に意識するが、だんだん、全体をざっと流す感じになる。
これだけで寝られそうに無かったら、緊張弛緩法をやる。
息を吸いながら左の拳を固めて、敷布団に強く押し付け左腕に力を入れる。
息を吐きながら力を抜き、左手の力が抜けてリラックスしていくのをイメージする。
この時力は100%はかけない。6,70%でいい。
右腕もする。
息を吸いながら左脚踵を敷布団に押し付けて、ふくらはぎ、太もも、お尻に力を入れる。
息を吐きながら力を緩める、左脚の力が抜けていくのをイメージをする。
右脚もする。
一回でもいいが、気が済むまで二、三回。
また、息を吐きながら全身から順に力を抜いていくやつをやる。
緊張弛緩法の最中にあまりないので、充分に力が抜けてきているときはとばしてもいい。
全身の力が抜けてきたら、深呼吸を続けながら、体とまくら・敷布団が触れている部分を順に意識していく
後頭部、せなか、肩、二の腕、手、腰、尻、もも、ふくらはぎ、かかと。
触れている部分が暖かく、溶け合って、地面に溶けて落ちていくイメージをする。
これをしばらく続ける。
飽きたら、掛け布団に抱きついて横寝の態勢に入る。
寝られず、退屈したら、また仰向けになって、深呼吸しながら体の力を順に抜いていくやつ、触れている部分を意識しながら深呼吸するやつをやるを繰り返す。
途中目の前にみえるもやもやや耳鳴りが起きたらそれに意識を集中させて眠ってしまってもいい。
ストレッチやサウナは、血行が良くなりすぎるからサウナや入浴とは時間を離した方がいいらしい
筋トレはやめた方がいいらしい
風呂2分、サウナ6〜8分、水風呂1分〜1分30秒、休憩・外気浴5,6分、風呂2分、サウナ5,6分、水風呂10秒から20秒(外気浴なし)
時間より脈拍を目安にしたほうがいい
ここぞという時に、たまに入る人は3セットいってもいいのかも
時間をかけすぎると、頭が興奮して逆に眠れなくなるので、アダルトコンテンツの視聴や刺激は適度な時間に留めておく
明らかにポワポワで眠れそうな時はいらないが、身体がこわばっていたりするときはリラックス出来るのでサクッと抜いておこう
全体で30分くらいに収まるのが目安
睡眠の質のためには無音が一番いいらしいが、メインルーティンが退屈になって継続できなさそうなら、アンビエントミュージックやラジオをかけてもいい
聞こえるか聞こえないかくらいの小さい音で
寝つきかけて、大きな音で起きてしまうのはよくない
自分の寝室はカーテンから差し込む街灯や車の光が気になるし、日が出てから寝てることが多いので、アイマスクはマストアイテム
気にならないという人でも、遮断するとリラックス出来る人もいるので、試す価値がある思う
深呼吸と意識誘導をうまくやるために、はある種の集中力が必要だし、コツがある
朝一回5分とか10分でいい
食物繊維を十分に摂る
地面に溶けるパートと意識する場所を順に移動して力を抜いていくパートは適宜、行き来して繰り返していいが、これと深呼吸を続けても、体の力は完全に抜けているのに頭だけ起きていて寝付けない状態が自分にはよく起きる
そのまま、アリス式睡眠法の要領で寝られればいいが、だめなら、飽きたところで一旦横向きになって普通に寝付くのを待つ、だめなら、また仰向けに戻ってまた、元のルーティンに戻る
まずはレシピ通りに試すのがいいかもしれないけど、自分にとっていいものだけ真似すればいい
本か読んだことのある漫画でも読んで、意識的に早めに布団に入ってメインルーティンをやるんだ
こんなのは全部気休め
深刻な病状の前には無力
精神的な疾患や、なかなか解消できない悩み事があったり、強いストレスを感じている時には、小手先のテクニックでは太刀打ちできない。
今は依存しにくく良く効くいい薬もある
毎日晩酌するより、薬で寝た方が脳にも肝臓にも優しく、依存もしづらいという医者もいるくらい
不眠は万病の元なので軽く見ないで
しばらくちゃんと眠れていないなら、色々うまくいかないとしてもそれはあなたの実力ではない
三食きちんと食べて、たくさん眠れる日が続いたら、あなたの本当の力を発揮できる日が必ず来る
高校ん時行った家庭科の強制ボランティアで、人が話してる時には相手の目を見ろって注意された。社会性に関する指摘においては非常に素直なので、それ以来かなり意識的に実践してる。
10年近く経った今でもまだ慣れない。ゲームで水中入った時の酸素ゲージみたいにストレスがキューーーッッッと上昇する。適宜目線を下げてゲージを回復させないと無理。
必ずしも目を見なくとも鼻の辺り見てればいいとかネットで見てそれも実践してみるけど、あんまり変わらんような気もする。
胸元開き目の相手だとあんまり目線を下げてもアレなので、回復度の低い首か顎辺りまでしか行けなくて疲れる。おれは性欲を隠すのがカッコいいと今でも全然思ってるし、チビ(事実)とか陰気(事実)とか言われても別に構わないけれどガッついた人間だと思われるのは嫌だ。
常日頃からしっかり目線合わせてたら気が狂うので面接とかタイマンの面談とかの場でしかやらんけど、常日頃からやらないから慣れないんだろうなと思う。
統合前のVポイントをメインポイントに設定していると思ってたけど、確認したら未設定になってたからTポイントにしておいた。これで自動で変更されるはず?
統合前のVポイントをメインポイントに設定しているお客さまが、引き続きVポイントをメインポイントとして設定するには2024年4月28日(予定)以降にメインポイントを青と黄色のVポイントへ変更いただく必要があります。
Tポイントをメインポイント設定しているお客さまは、自動的に青と黄色のVポイントに切り替わります。Vポイントアッププログラムを利用したい場合は、別途お手続きが必要となります。※1
対象のコンビニ・飲食店のポイントアップだから普段遣いしないならいらないかも?
条件3以外はやってるっぽいので、3が面倒そうならやらない
https://www.smbc-card.com/mem/for_sbi/sbi_vpoint/point.jsp
上記No.10~12のVポイントを獲得するには下記条件をすべて達成する必要があります。
(条件1~3については、2024年4月28日(日)(予定)からSBI証券WEBページにてお手続きできます。)
条件1
Vポイントアッププログラム対象カードをお持ちのうえSMBC IDに登録すること
条件2
条件3
条件4
10万円で0.75%を目指す。
利用期間の集計は2023年10月1日(日)~2024年9月30日(月)。前年度分かと思ってたら固定だった。
(分かりづらいところにあった https://www.smbc-card.com/nyukai/pop/details_gold_nl.jsp#pattern_a)
https://www.smbc-card.com/mem/cardinfo/cardinfo4010785.jsp
深呼吸を意識的にやるようにしたら頭痛が治まったという漫画を読んだけど、
年取って、気づくと呼吸が止まってることが増えた気がするし、
まだ40歳なんだけど、体中の筋肉が弱っていってるのを最近になって強く感じている
30歳超えたときももちろん「あー、筋力弱っていってるなぁ」と思ったけど
やっぱ40超えてもう一段階衰えが加速した
…とは思わないが、(他の多くの言語と同じように)注意して使わなければまったくナンセンスな議論を平気で生み出してしまう言語ではある。
自分が最近特に気になっているのが、修飾部の制限用法と非制限用法の無節操な混同である。
これは英語のtoxic masculinityの訳語なので、当然この「有害な」という修飾は制限用法であり、「無害な男らしさ」の存在も暗に示すものである。
しかし、これを日本語にした言葉自体には、非制限用法の解釈もあり得てしまう。再翻訳すれば、"masculinity, which is toxic"(この有害なる男らしさ、とでも再々翻訳しようか)という解釈が可能だということである。
これが、時には無意識に、時には意識的に、日本語の議論を混乱させているのを昨今切に感じる。
「有害な男らしさ」を語る議論は、「男らしさの肯定か否定か」ということではないはずだ。
「何が有害な男らしさで、何が無害な(または有益な)男らしさか」を弁別することであるはずだ。
「有害な男らしさ」の定義なんてしないまま、前者の極論に持っていきたいことが丸見えのくだらない対立論しかメディアにはない。
(以下略)
飽きた。
ここから、ハリウッド映画の「依頼人」を例に、海外では女にも「有益な男らしさ」が求められること、「有益な男らしさ」がなければ誠実に議論する社会はあり得ないという話をしようと思ったが、そんなことはここまで読んで、わかる奴は既にわかってる話だし、わからない奴は何を言ってもわからないだろう。
非論理的な自然言語だからこそ論理的に使うのだという発想が社会になく、学校で教えてもいないから、良い大学を出ても平気でこの程度の基本的な文法事項も注意しないで使う、それどころかそういう詭弁で煙にまくのを賢いとすら思っている「インテリ(瀬川深)」がいっぱいいるような国では、保守もリベラルもないのである。
そして、こんな根本的にその議論の誠実さを証明するようなトピックをもこそこそと避け、あわよくば自分が何を言ってるかも曖昧なまま、反撃されずに気持ちよく他人を叩ければ良いという国民性こそ、日本のすべての凋落の元凶なわけである。
最初に私自身について述べると、クリエイターとして飯を食っている人間である。
口幅ったいがプロを自称しても差し支えないぐらいの稼ぎと仕事だと自認している。
話題の生成AIについて、今後私達の社会生活のあらゆる場面に普及していくと考えており
私自身いつかは仕事のフローに生成AIにまつわる技術を意識的に組み込む時が来るのだろうと考えている。
その流れは是認しつつ、かといって生成AIを取り巻く現状を良しとするわけでもない。
何らかの法的規制あるいは運用上のガイドラインが必要だという立場にいる。
大別すればAI規制派であるが、スタンスは総論賛成各論反対、ぐらいの温度感で事態を静観していると思って欲しい。
昨今の反AIと呼ばれる先鋭化したアンチ画像生成AIの人々について
一人のクリエイターとして、かなりの危機感をもって眺めている。
重ねて言っておくと、私は決して”反”反AIではないし、規制を望む立場にある。
私自身、作品がAIの学習に使われているし、その漠然とした忌避感や嫌悪感も体験し、理解している。
おそらく反AI、と言った時点でその界隈の人々からは「反AIという蔑称を使うなんて話にならない!勉強不足だ!」と一蹴されてしまうのだが
皮相的な党派性にとらわれて本質的な議論を進めようとしない時点で、その未熟さ・幼稚さを露呈してしまっている。
勿論、所謂推進派と呼ばれる人々、AI使用者の非倫理的で冷笑的な振る舞いについても承知しているし、問題視している。
今現在、互いに互いの粗を探して吊し上げていることは大変残念に思う。
しかし現状、私がより不安視しているのは反AIの人々の振る舞いの方だ。
反AIの言動が過激化すればするほど、現実的な落とし所を決める意思決定の場で
規制を求める人々の声は届かなくなり、立場を危うしてしまうのでは…という懸念を抱かざるを得ない。
生成AIに関する問題意識を持っている人はどうか以下の項目について調べ、自分なりに咀嚼し十分に理解して欲しい。
・現在主流である拡散モデルの学習・生成機序を理解すること。生成物は学習した画像の切り貼りやコラージュではない。何十億という画像データを数GBに圧縮することはできない。
※学習データの画像にほぼ近いものを再現することがある、という海外論文を引用する人もいるが、プロンプトで狙い撃ちにしても再現されるのは天文学的な確率の低さである。
・著作権法・隣接権の概念や文化庁及び政府見解を理解すること。人・AIを問わず学習行為は規制されていない。「無断学習」という概念自体が現状では不当である。
・開発企業や使用者に対する非現実的な要求をしても事態は解決しない。
・成果物の類似性・依拠性(LoRAなど)については肖像権、著作権に関わる現行法で争う余地があり、対処可能である。これは手描きでもAIでも同様である。
・これまでに観測された諸問題は、厳密には使用者自身のモラルの問題であり、より正確に言えばSNSの問題である。
(誹謗中傷やLoRAによる嫌がらせ、ラフをi2iで勝手に清書された、自分の絵柄で性的なコンテンツを生成され誤認される…といった問題は、原理的にはAIがなくとも可能である)
公的に開示されている資料を読めば、概ね同じようなことは書いてある。
現状における事実或いは公的な見解であり、これらを推進派や技術者のレトリックと断じて耳を塞いではいけない。
彼らと同じ前提を共有し、同じ言語で会話しなければ、交渉のテーブルにつくことすらできない。
実際に手を動かすのは法を整備する政府であり、AIに携わる技術者だからだ。
規制を求めるのであれば、彼らの認識を正すのではなく、事実の解釈で争うべきだ。
”お気持ち”で戦える段階はとうに終わっている。
おそらく、私のこうした声もポジショントークとされて届かないのかもしれないが。
夜職が弱男を笑う増田が人気なので再掲する。以下では、女性が夜職で稼ぐことが簡単ではなくても、全ての女性は女性であるだけで男よりはモテるし、そのことによって得られる利益はあるだろうという話をしている。
女が弱男を嗤うとき、「モテるくらいで何だ」と言ったりするけれど、これは意識的にあるいは無意識的に、「モテ」の便益を安く見積もっているか無視していると感じる。
一昔前ならばモテるだけで衣食住のほぼすべてに男から金を出してもらえたわけだし、そのような風潮がなくなった現代においても、生活費も住居のローンも完全に折半して、プレゼントも完全に同額のものを贈りあっています、なんて家庭は少ないだろう。ほとんどの場合は男の金に多少なりとも乗っかっているんじゃないのか。
特に結婚前の、付き合っている段階においては、女にいい顔をしたいから尚更であろう。金銭的な面だけでなくて、女の機嫌が悪くなったら手を変え品を変え男はご機嫌を取ったりするだろう。これが「モテ」の便益ではなくて何なんだ。
加えて言えば、完全に金銭的負担を折半しており、心理的にも互いに支え合うケースがあったとしても、それは個人一人では辿り着けない生活ステージではないのか。分かりやすいところで言えば、二人で金を出し合うことで、個人では住めないマンションに住める、いつでも悩みを打ち明けて相談できる相手がいる、など。
「モテ」のおかげで女であるだけで得られる便益は多岐にわたるわけで、「モテないくらいで」と弱男を嗤う風潮は、理不尽に感じてしまう。こういうことを書くと、私も弱男認定されて嗤われるんだろうが、まあ構やしない。