はてなキーワード: 近代とは
即死魔法云々で近代兵器に対して優位性取れないって話になってたけど
攻撃魔法で近代兵器を超える殺傷能力持ってる魔法ってあんまないな。
範囲攻撃でも爆発物やガス兵器、ミサイル、ロケット、連射系の銃火器に比べて優位性が高いかは疑問符が付く。
まぁ、事前に武器を手にする必要がないという点では、潜入性や手軽さで優位性が高いが。
もろちん、どこからともなく雷や火や氷を現出させるという能力は現代科学では再現できないが
それを使って"相手を打ち倒す"という事象に関しては再現は可能なのではないか。
逆に防御、保護系の魔法や回復魔法なんかは明らかに現代技術を遥かに凌駕してる。
なんかふわっとした全身を覆うバリアやドームを張ることである程度の攻撃を完全無力化する魔法が頻出するが、
これは防弾、防刃スーツやプロテクトアーマーで機動性を捨ててもまだまだ再現できない。
防弾、耐熱ガラスとかである程度の再現は可能だけど、素早い展開、格納は難しい。
回復魔法も同様。あの超スピードで傷を塞いで体力まで回復させるのは現代医療の域を超えてる。
あとは転移魔法やスロウ、スピードアップ系の魔法も現代技術で結果の再現が不可能。
現代人が事前にあらゆる準備をしても対抗できない。
だから現代に魔法が来る系の設定にするんだったら攻撃系は現代武器で守備、回復系を魔法にするのが
バランスがいいのではないだろうか。
前回のブコメでオススメしてくださったゲームは遊んでいるものもあれば、遊んでいないものもありますが、どれも参考にしていますし、いつか遊ぶと思います。
なので、また何かオススメがあれば書いてくださると嬉しいです。
51〜65はこの記事
ダンガンロンパシリーズ完結作で、突然集められた超高校級の才能を持つ面々が殺し合いゲームを強要されるデスゲームものにして、その殺し合いの加害者クロを見つける学級裁判で謎を解くミステリゲーム。
テキストを主体としたゲームとしては3作目とマンネリし始めるナンバリングだが、全くもってそんなことはなく「嘘」をテーマにした幾つかの事件を今まで以上の絶望さで描いている。
特に超高校級の総督王馬小吉にまつわるエピソードは圧巻で、歴代作品を踏まえて「絶望対希望」は「嘘対真実」の言い換えだと無邪気に信じていた気持ちを粉砕させられた。
ダンガンロンパシリーズはこの作品以降はファンディスクのようなものしかリリースされていないが、なるほど確かにこの後に単純な4やV4をリリースするのは難しさがわかるのもシリーズファンには賛否がわかれる内容だった。
このシリーズはアニメ版の「3」で絶望して少し身を引いていたのだが、改めてこのV3を遊んで、やっぱりダンガンロンパは最高だなと思いを改めた。
公称ジャンルは百合要素を含むミステリーで、物静かで落ち着いた女性のサチと、元気で朗らかなタカコのカップルの関係値の変遷を追うノベルゲーム。
日常の動作、食事、自然の豊かさ、季節感などなどの風景や情景の描写に文量が大きく割かれているのが特徴的で、淡々と進む中で彼女たちが何を感じたのかを、咀嚼するように読み解いていく。
そんな平和で楽しい内容が、あるタイミングで突然ガラッと風景を変え、死と向き合うことの難しさ、生き続けることの意味などを問いかける哲学的で幻想的なストーリーに変化していく。
ものすごく大好きで愛してる作品だけど、面白いというよりは、考えさせられるというか、このキャラ達のことをずっと延々に頭の隅で思い続けることになっているような、それぐらい大きな作品だった。
文明が崩壊した世界で何故か稼働中のVRMMORPG「アーキタイプ・アーカディア」を遊ぶ人達の思想がぶつかり合う、火傷しそうな熱意が伝わってくる熱血ノベルゲーム。
ゲームは遊んでおらず食糧も水も希少な世界で必死に暮らしているルストと、その妹でラスモス・ゾティーラ・トゥーラッカという独自の挨拶でゲーム内で仲間を増そうと頑張っている妹のクリスティンの二人で始まった旅がどんどんと広がっていく壮大さが魅力的。
テーマの「ゲームは楽しい」を伝えるために様々なプレイヤーと対決していくのが、まさに楽しいゲームで、ゲームを遊ぶゲームというメタ構造になっている云々と言った小賢しい理屈を跳ね除ける沸る激情が最高に楽しいゲーム。
可愛いヒロインも沢山登場するのでそういう方面でも面白く、特に僕はコロネちゃんがダントツに大好きで、専用ルートのその先を妄想して悦に入ることがある。
1980年代後半近代化が進み発展する街「三咲町」を舞台に、電話すら知らないほど田舎から引っ越してきた静希草十郎が、魔法使いを自称する二人の少女と出会うボーイ・ミーツ・ガールもののノベルゲーム。
まず目を引くのが非常に作り込まれたルックで、立ち絵と背景絵、その上にかぶさるテキストウィンドウという一般的なノベルゲームでありながら、表現の幅がとても広い。
ストーリーも田舎に住んでいた主人公が、街に慣れることを通じて、近代的な社会とそうでなかった時代を浮き彫りにしていき、当たり前に享受している一般的な水道や電気や貨幣すらも、近代化の恩恵であり当たり前ではないエピソードが手を変え品を変え繰り返し語られるのが、情緒的な染みるように楽しい。
この情緒的ながら近代日本では当たり前のストーリーと、新伝奇ものらしい魔術を使った異能バトルのストーリーとが、静希草十郎にとっては同じだけ異質なものなのが、面白かった。
(なお、ちょうどまさに今このとき、スマートフォンで遊べるガチャ形式の運営型ゲームFGOで、彼女たちのアフタストーリーが読めるそうなのだが「ガチャを我慢する」という脳の回路が焼け切れ、貯金や手を付けてはいけないお金をあっさり使い込んでしまった過去があるので、僕は遊べないのがモドカシイ)
怪盗、探偵、警察、盗人、泥棒と正義と悪が入り交じる登場人物たちの中、ハートとため息を盗む怪盗ミスアルテ共に盗みを行っていくクライムサスペンス。
フィクションらしい痛快さに振ったリアリティラインながら、この世界観の中でも丁寧に盗みを行う段取りを立てるパートがあるのが非常に好印象。
自分たちが犯罪者であることを認めながら、法では救えない大切な人のために死力を尽くす怪盗たちの生き様が格好よくて滾る最高に面白い作品。
そんな怪盗たちですら挽回不可能に思えた最後の盗みの仕掛けは、まさにハートとため息を盗まれた爽快さで、思わずコントローラを握る力が強くなりすぎて、スティックを壊してしまうほどだった。
○大好き
陽気なミスカと陰気なスバルの対照的な二人の友人関係が、無垢で人形のようなルウが転校してきたことから大きく変化することになるノベルゲーム。
学校で熟成される閉鎖的な人間関係と、思春期らしい堂々巡りを続ける自己言及を、丁寧な心理描写と情景が伝わってくる幻想的な精神世界の問答で文章を魅せるタイプの作品。
女の子同士の三角関係のように見えて、早々にミスカの好意は豪快に空回っており、スバルはミスカのことを全く好きではないと、二人の視点シーン毎に同じエピソードを描くことでそれがわかる構成が読んでいて辛い。
楽しいとか面白いような前向きな感情で読める作品ではなく、思春期の女子高生の自己問答の末に得られた後ろ向きで退廃的な選択が、三人の関係値を歪めていく悲劇を読ませる作品だった。
父親の実家がある田舎に帰省した羽藤佳が、その田舎にまつわる伝説とそれを取り巻く異能のものたちと交流していく、和風伝奇ジャンルで女の子同士の恋愛を表現するノベルゲーム。
まず伝奇ものとしては、歴史にまつわる蘊蓄や衒学趣向的なやり取りが多いが、それが少しづつ大きな設定の開示に繋がっていくのがワクワクする。
主人公の羽藤佳は異能こそあるものの直接的な戦闘能力はないため、ヒロインたちに頼ることになる恋愛の導入が、アカイイトらしさだ。
バッドエンドの豊富さも面白く、バッドと言いながらメインルートとは異なる選択を魅力的に描いており、最初から最後まで飽きずに楽しめた。
琴を演奏する筝曲部の熱血部活ものパートと、数十年前の女生徒同士の心中事件を追うサスペンスパートが混ざりあったノベルゲーム。
仲間との和を大切にする鈴と、演奏技術に重きを置く有華の二人の女性が対立しながらも関係値を育てていくのだが、こちらのパートは琴の演奏に関するやり取りが多く、甘い恋愛の要素は少なめ。
対して、数十年前の心中事件の方は、終わりが心中だからこそ、はっきりと恋愛の要素があり、そこに至るまでの過程は辛いシーンもあれば、甘いシーンもある。
主人公の保護者であり老齢の尼、十六夜妙蓮さんの大活躍はすごく印象に残り、もう一人の主役といっても過言ではないだろう。
ポケットモンスターの世界観をテキスト主体のアドベンチャーゲームに仕立てるシリーズで、2018年の名探偵ピカチュウから5年ぶりの続編にして、完結作品。
バトル以外の生活の場におけるポケモンの生息が魅力的で、それを映像でなく文章で楽しめるのは唯一無二だ。
これはもう他の作品と違って客観的な評価は完全に捨てるしかなく、ポケモンは実在する、ポケモンと生活したいなどと、ポケモンへの思い入れがあるからこそ楽しめる作品。
肝心のストーリーについては、実写映画版が先取りしていたせいで、サプライズ展開がサプライズになっていないのが気になるし、これほど間が空いてしまうと期待度も相応にあがってしまう、可能なら短編を定期的にリリースしてほしいが、難しいかなあ。
海面上昇が止まらず住む場所を失った人が多くいる近未来の日本の離島を舞台に、超エリート校に通っていたが夢破れて戻って来た斑鳩夏生が、アンドロイドの少女アトリと交流する恋愛ノベルゲーム。
主人公の斑鳩夏生はめちゃくちゃ優秀で頭の良いカシコなのだが、とある事情により左足がなく、精神的にも不安定なので、生きづらい描写が開幕からは続く。
しかし、美少女アンドロイドのアトリによりそこが一変し、彼女が左足を補い、精神的な不安定さも補いとサポートすることで、どんどんと前向きになり、社会基盤が大きく変化した田舎町でその頭脳を活かしていくのがワクワクする展開。
この頭脳で手の届く範囲の人たちを救っていくシーンは非常に前向きかつ地に足がついた展開で、大好きな丁寧さだった。
ダンジョンRPGの老舗エクスペリエンスが送るホラーアドベンチャーのシリーズ第三弾で、怪異の噂を横スクロールのような探索パートで調べてから、RPGのボス戦のような怪異との対決パートに挑む構成で、テキストが主体のアドベンチャーゲームらしくない画面構成になっている。
死印の直接的な続編で、主人公や他の登場人物も共通しており、ストーリー的にもそれを踏まえての悩みや成長が描かれるので、必ずそちらを遊んでから遊びたい。
前々作では怪異に振り回されてばかりの主人公だったが、今作では一転して、怪異と立ち向かうことに強い哲学的な回答を持つことになる。
ホラーの恐ろしさや恐怖を煽る部分に着目しがちだったが、ストーリー的に感動するポイントが多くあり、とてもおもしろかった。
ダンジョンRPGの老舗エクスペリエンスが送るホラーアドベンチャーのシリーズ第二弾で、怪異の噂をDRPGのような探索パートで調べてから、RPGのボス戦のような怪異との対決パートに挑む構成で、テキストが主体のアドベンチャーゲームらしくない画面構成になっている。
前作とは同じ世界ではあるが、登場人物は異なっているので、設定を飲み込めるなら今作から遊んでも問題ない。
アウトローを自称する鬼島空良とその仲間たちが怪異と戦うストーリーだが、単純な腕力では倒せないので、現場を操作し証拠品を集めて、知恵を絞って敵と対峙するシリーズの骨子は共通している。
前作よりもブロマンスな傾向が強調されており、主人公の鬼島空良と、親友にして反社会勢力の天生目聖司との持ちつ持たれつの関係値が面白かった。
キャラのポリゴンが常にステンドグラスが透けて見える、特徴的なルックが目を引く、キャラクタの演技主体のアドベンチャーゲーム。
閉鎖的な隠れキリシタンの村の中で、正道とは大きく変化した異質なキリスト教をテーマにした、宗教にフィーチャーした作品。
前半こそ村人との楽しい交流や名産品に舌鼓を打つ展開などコメディ要素も多いが、中盤からは宗教を信じることの覚悟を問うような重苦しい展開が続く。
タイトルの意味がわかる、とあるキャラの慟哭シーンは、思い出すだけでも気が重たくなる悲しい作品だった。
全国の小学校から落ちこぼれだけを集めたガンバレ組の面々がデスゲームに巻き込まれることから始まる、アクションゲームとテキストを読むパートが融合したアドベンチャーゲーム。
息をつかせぬ展開が魅力で、一転二転、七転八倒、とにかく次から次へと設定の根底をひっくり返すような、サプライズ展開が目白押しで最後まで遊べる。
そんな中でもガンバレ組の絆の深さ、彼らが分かつ事ができない強い関係であることを信じれるようになってからは、痛快なストーリーが続くのも楽しい。
アクションゲームは若干とってつけた感があるとも思うが、ガンバレ組の得意な能力をゲームっぽく表現できているとも言える、かも。
転校生の主人公が複数の美少女たちと恋愛しつつ、100年に一度死から蘇る謎の現象を追う伝奇サスペンスの要素もある、ノベルゲーム。
恋愛部分は正直前フリ感が強く、伝奇パートと関係が薄いヒロインたちのエピソードは薄めで、関係が濃いヒロインは濃いと、濃艶がはっきりしているのは好みが分かれそう。
死から蘇った人間は周りの人間の記憶の整合性を操作しながら生きながらえるため、どうやってその蘇った人間を見つけるのかのフーダニットの段取りが、ミステリしていて面白い。
設定こそ新本格作家のアニメ化もした某作と似通っているが、ゲームならでは仕掛けやミスリードがあり、しっかりとノベルゲームに翻案できている良作。
「啓蒙思想」とは18世紀ヨーロッパで生まれた思想で、従来の封建主義・宗教的権威主義に悟性(理性)で対抗しようとする考えだ。
その思想を取り入れた統治者を「啓蒙専制君主」と呼ぶ。その初期の代表者がプロイセン王フリードリヒ2世だ。
そして、頂き女子りりちゃんとプロイセン王フリードリヒ2世の思想は同じトポロジーを持つ。
第一に、フリードリヒ2世は、「人民の支配のためなら何をしてもいい」というマキャベリ主義を批判し、悟性の使用による支配を肯定した。
りりちゃんは、「おぢの搾取のためなら何をしてもいい」というパパ活主義を批判し、信頼関係の構築による頂きを肯定した。
第二に、フリードリヒ2世の支配は、「君主の方がより悟性が高く、人民は幸せになれる」という理由で肯定された。
りりちゃんの頂きは、「頂き女子の方ががより意味のあるお金の使い方をでき、おぢは幸福になれる」という理由で肯定された。
第三に、フリードリヒ2世は、「良い国家は家族のようである」と述べ、「君主と人民の幸福は共通である」と主張した。
りりちゃんは、「お金を渡したことを後悔させないように力いっぱいの信頼関係構築コミットをしてあげて幸せを与えてあげてwin-winになるようにしましょう」と述べ、「頂き女子とおぢの幸福は共通である」と主張した。
啓蒙専制君主としてのフリードリヒ2世のふるまいは近代への過渡期として重要であったが、「より悟性が高い君主の支配によって、人民は幸せになれる」という考えに基づき、人種差別や植民市主義が横行した。
「虎に翼」はパルワールドやポリコレアフロやディズニーみたいにいくら火付けしても表自が怒らない作品
>昭和10年女子は本当に「ビールを飲んでいた」のか…朝ドラ『虎に翼』の根幹につながる「違和感」
>4/27(土) 9:02配信
>第16話、ヒロイン寅子が大学の本科に進んだのをお祝いして、家で祝杯を挙げていた。
>寅子の母もビールを飲んで少し酔っているようだった。
>はて。
>昭和10年に、男たちと同じように女性が酔うほどビールを飲むだろうか。
>はて。はて。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3f7838613cba09c314c67667d21f40e034684fb2?page=1
>雑誌制作の息抜きにビールを嗜んだ女性解放運動家・平塚らいてう
>彼女らは打ち合わせや仕事のあとに、息抜きとしてしばしばビールや洋酒を楽しんだ。珍しい洋酒を一目見たいという好奇心から、バーやビアホールへ出かけることもあったという。そして、そこで供される黄金色にきらめくビールや、比重の違う5種類の洋酒によってグラスに色とりどりの層をつくる「五色の酒」などに目を輝かせた。こうした色鮮やかな西洋の酒の中に、新時代の空気を感じ取っていたのかもしれない。
https://museum.kirinholdings.com/person/kindai/26.html
女性向けっぽい作品に対しては急に表現の自由は適用されなくなり火付けするなと普段騒いでいる人たちが見て見ぬふりをする
虎に翼もそういう枠に入っちゃってる
カッペが東京に集まってくるから、フツーにガンガン東京文化を壊してるとは思う
地方でも移住者が騒いで、鐘撞きや祭りをやめさせるがあるが、東京でも割とある。あと産業の移り変わりで、家しか無くなる地域や、クリーンになってチェーン店しかない地域もある
あと、ほか増田が散々言っているように、東京はロクに部屋に物が置けないし、
コロナ禍以降は人気の展示とかだと、入場制限あったりで、美術館も予約や待たなきゃ入れねーし、
どこ行くのにも、人人人人で、移動距離は数キロから10キロ程度でも、入場・入店までに、1時間または以上掛かるはザラ
https://ameblo.jp/kamosikaneko/entry-12409589412.html
皆ケ作 遊郭跡
2018-10-04
京急田浦駅の海側に元海軍造兵本部があったので・・さぞかし賑やかだったと思われます。
(写真多数)
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/kanagawa_data/kaigasaku_file.htm
三浦半島の追浜と横須賀の間は平地が少なく入り江の地形のため、国道16号線と京浜急行が並走し、トンネルが連続する。そんな入り江地形の一つ、横須賀の北、長浦港に面する皆ヶ作という町がある。横須賀は近代、軍港として栄えた町であり、3つの遊郭があった。一つは軍港の開設にともなって置かれた「柏木田」、新開地として整備された「安浦」、そして規模は小さいが田浦と追浜の間の皆ヶ作である。
京急田浦駅を降り、国道16号線を100mほど横須賀方面へ歩くと、左手海側に「仲通り商店街」のアーケードが見える。アーケードは今や寂れた商店街だが、そこから左右の路地に入ると住宅街の中にかつて花街時代の建築が残っている。昭和30年では、40件ほどの店を数えたという。
銅板貼りやモルタル吹き付けの看板建築、伝統洋式の建築が細い路地に面してポツポツと建っている。比較的大きい割烹料亭もあった(現在営業しているかは不明)。建物のデザインは、玄関周りや窓周りに人目を引くための独特な意匠が施されているので、注意して見れば単なる住宅建築ではないことは分かる。かつては港に近接し、港近くの飲食店がひしめいていたような場所があったが、港が埋め立てられたため今や必然性のない不思議な場所になっている。
http://sasabarikenta2019.blog.jp/archives/6127575.html
【神奈川県】横須賀市船越「皆ヶ作カフェー街」201203・201808
前回は安浦の旧赤線跡を取り上げたが、横須賀にはその安浦の他にもう一か所同様のカフェー街があった。
それが今回紹介する「皆ヶ作」、現在の地番で横須賀市船越、最寄り駅は京急田浦だ。
「安浦よりちょっと落ちるが、田浦と追浜の間の皆ヶ作にも四十三軒ほどあり」
という。
この「皆ヶ作」の近く長浦港には戦前、海軍工廠造兵部があり、戦後は東芝に変わっていた。
おもしろいのは、割烹や料亭のような建物が残っていたことで、恐らくは芸者もいたのだろうと思われる。
完全に私娼街の安浦とは違い、ここはカフェーや銘酒屋から転じた赤線と、花街の両面を持ちあわせていたのだと思われる。
実は、皆ヶ先には二度訪れている。
ネットの情報などによれば、北側に行くと更に遺構が残っているというのだ。
その確認のため、5年後に再度訪れた。
(略)
写真多数あり
https://bonzin529.exblog.jp/10068182/
古い文献には現在の船越町6丁目方面に花屋敷と呼ばれた花柳界が存在し、戦争や法律変更等で、時代に合わせて業態変更を繰り返していったのだと思います。なんと言っても横須賀市は軍港の町です。現在は船越町1丁目にある仲通り商店街周辺に、昭和の香りを感じられる建物が多く残っています。
そこではインフレし放題といわんばかりに次の章に進めばより強大な敵が!みたいな流れが主流だったわけよ。
でもさ、インフレ展開だって万能じゃない。そのうち読者も気付くわけよ。
これキリがなくね?って。それに次の展開をインフレばかりに任せているとワンパターンになって、強大な敵が現れるものの最終的には主人公が倒すってなる。
延々同じことするなら、続きやる意味ある?
だからバトル漫画における安易なインフレ展開は次第に忌避されるようになって、今では二次的な価値を見出している。
作中で各キャラクターを深堀して設定を緻密にしたり、、群像劇を見せたりなんかしてストーリーをより面白く、見応えのあるものにしているわけだ。
それに対してゲームはどうだ。
もちろん、すべてのゲームに対して言えるわけじゃない。けど、一部のゲームは未だに映像のクオリティを上げて、アクションシーンを派手にすれば受ける!なんて思ってる新作ゲームもあるんだよ。
今は凄い!ってなってもあと数年すればもっとリアルなものが出てはすぐに凌駕され、売りとなっている良さの部分はすべて駄目になってしまう。
だったらそこ以外の、たとえゲームの映像が後に格段に進化しようとも「あのゲーム凄いよね」って言われるような、インフレ化しない面での工夫があるようなゲームを作るべきんなんじゃないのか!!
スラッシュキル 俺はサムライこの先行く手に待ち受けるものはなんだ
空にサンライズ でもマジ暗い
なら俺がぶったぎろう この先を切り裂き
とめどない自殺者 誰もみないや
助けてやろうや それが武士の心だ
俺は勇敢だ 悪に立ち向かう
金と権力その他諸々
お前ら何してンだ それが実力か
まずは一階 軽く蹴散らす
これで終わりかい?
スラッシュキル 俺はサムライこの先行く手に待ち受けるものはなんだ
話を現代に戻す
差別はまだ消えぬ
レイシストマジ消えろ
国も国だ マジなんなんだ
下への格差は埋まってねえ 俺は助けてえ貧民を
恐怖を断ち切る 悪は全てKILL
今俺はここにいる それが全てを物語る
ダッシュダッシュダッシュダッシュダッシュダッシュダッシュダッシュ…