はてなキーワード: 麻痺とは
かつて文学部だったすべての現サラリーマンに聞いてみたい、あなたにとって文学、文学部とは何だったのかを。
高校時代、ハッピーエンドだと分かっているものしか読まない、という友人がいて、そんなの何がおもろいのかと、文学部志望の自称文学好きは心の中で思っていた。
大学入って出会った、知らなかった文学それらの解釈、文学に隣接するさまざまな学問、ほとんどすべての講義は面白く、バイトのない夜は好きな本をかかえて図書館地下で耽溺してた。一冊の課題本囲んだ勉強会とかも、しったかで、はったりで、でも精一杯調べて持論述べて、でも先輩にあっさり論破されて、でもこういうの話せるのってすんごい楽しーなオイと思っていた。
そして大学生活も終盤、研究者になるほど身を捧げて愛する分野もないし、知恵の対価として金を得るほど賢くもないと周りの秀才を見てつくづく悟って、卒論だけはいいもの書こうと思って朝から晩まで頑張って、あんまり対人得意でもないのですごく苦労したがなんとか就活、就職した。
んで、とたんに、自分でもびっくりしたが、急ブレーキかかったみたいに、ギャグ漫画しか読めなくなった。人の生死に比較的近い職場っていうのもあり、あれやこれや多様で恣意的な読みを許されていた(と思っていた)テクスト、とは全然違うのな、現実は、なんだ、もう本当にあっけなく理不尽に不意打ちのように人は日々死ぬし傷つく、せめてフィクションでは人は笑っててほしいし自分も笑っていたい、わざわざ死も暴力も読みたくない、心労を追体験したくもない。それでギャグ漫画ばかり手にしていた。
学生時代は付き合いもほぼ文学部だけでサークルも文芸サー、好きなものだけで殻に閉じこもってた。文学部時代の文学は自分にとって何だったか?憧れだったし、学びだったし、快楽だったし、言いたかないが認めてしまえ、口下手な自分の、仲間とのコミュニケーションのツールでもあったし、どこか現実とは遠いところにある世界だった。
ギャグ漫画読みに漫画喫茶に通う日々を送ってた新人時代、思い至った、ハッピーエンドしか読まないと言った高校の友人は家庭が辛い環境だった、もしかしたら友人も現実に心痛めていてそういうこと言ったのかもしれないと。心で馬鹿にしていた自分をとても、恥じた。
そのギャグ漫画時代を経て今、社会人6年目、痛みに麻痺したのかもう何でも読める、古典も文芸誌も学生時代は読む気もさらさらなかったハウツーものも、並列になってきた。砂噛むみたいな現実、噛んでもじゃりっとするし、でも噛まないと消化できない現実に鈍磨っていうかたちで折り合いつけて、んで通勤時間とかに文庫本開く、その端々に、ふと人生から照射される文があって、はっとする。大人になって分かるという言葉が大人になって分かった。当たり前か。文学部時代の文学の眩しさには及ぶべくもないが(年取ったからか…?とにかくあのとき文学は自分にとって輝いていた)、今は一筋の光明みたいに読むときがある。こう書くと妙に宗教っぽいな。何て言えばいいんだ?現実から照射する読みっていうか。自分が社会に出て接した様々すぎる人やものやこと、心の機微、自分の中に層になって折り重なっていて、琴線に触れるというその琴線の数が増えたみたいな、テクストがふと立ち上がって胸に迫るような。
仕事の上では特に役に立たず、文学部なんてどうせ趣味だろと酔った上司に言われてそうっすねと笑って答えられる程度の文学部プライド、でも好きだったんですよとぼそっと口答えできるくらいの文学部プライド。
大学のOB会報見て社長就任欄は政治経済法ばっかであー文学部いないのなと思ったりするが、出世と文学は別に天秤かける類のもんじゃないかとも思う、大学時代の友人の現勤め人も皆ほそぼそと読んでて、会うといつもその心持ちにちょっと嬉しくなる。
すべての文学部出の勤め人、あなたに聞いてみたい、あなたにとって、文学、文学部とは何であったのかと。自分は今一度文学部を行き直している(生き直している?)気がするよ。人生は文学だというくだらない言い方はすまい、ただ、梯子みたいに、文学が自分を見知らぬ高みにつれてってくれたような気がしていた学生時代から、いま梯子でなくて、よろめいたときの杖みたいな気がする。んー意味不明だな。心の支えっていったらヘボい喩えか。梯子であがったやらかい雲の上の昼寝から転落して、痛い腰さすりながら、社会人成りたてのときはギャグ漫画という急性用の痛み止め飲んで、んで現実っていう美しいも醜いもごっちゃになった地面をよたよたしながら、杖の力借りてやっとこ歩き始めたのだ。
■転載
今日、僕が習つた恐ろしい日本語の表現。「ブスは三日で慣れる」そして「美人は三日で飽きる」。
僕はこれは「ブスには三日で麻痺する」か「三日なら我慢できる」で「美人は三年至つても飽きない」の間違いじゃないかと思う。
僕は三日で美人に飽きたことがない。三日で諦めた事はあるけど(笑)女性も同じでしょ?
いい男に三日で飽きる? 三日で「私じゃ駄目」だと諦めるんでしょ?人は美しい物に弱いんだよ。
奇麗な服、宝石、車、言葉、家、そして人。汚なくても欲しいのはお金だけだよ。どうして? お金はお金でしょ? だから。
金は絶対に裏切らないしね。 でも、「ブスでも女は女」或いは「ブ男でも男は男」と言うわけにはいかないよね。
敗者の合い言葉は「私の中身を見て」だ。ブスだけど心は奇麗?心も駄目な人も沢山いるよ。
勿論、奇麗だけど心は腐つている人もいる。その人の目とわざとらしい笑顔を見れば解るよ。
でもね、女性はね男にどのように扱われるかで奇麗になるよ。だから皆さん自分のガールフレンドを大事にしてください。
「大事に扱われて当たり前」或いは「大事に扱つても性格が変わらない女」はただちに捨てることを薦めします。人生の浪費ですね。
嘘だと思うならトルコ帰りの女を見ればいい。ブスかもしれないけど前より少し奇麗になつているから。
トルコでモテない女(或いは日本女性)はいないから。トルコの男は金さえあれば誰でもOKだから。
でもねトルコやイタリアでモテるからという理由で自分の国の男のことを悪く言うとまたブスに戻るよ。
自分の国ではモテないけど外国に行けばモテると思つている自称インターナショナルな馬鹿女。
「私は私の心の中を見てくれる男性が好きなの」ですか?「私の中身を見て」ですか?
トルコ人、アルバニア人が、ヨーロツパで日本人女性、或いはアメリカ人女性を食い物にしている奴等は彼女達の財布の中身しか見てないよ。
だから気を付けてね。
僕は日本の女性が好きだから言う。彼らが男友達といる時あなたの事を何と言つているか知るまで外国人の男を信じちゃ駄目だ。
これは男にも言えるよね。僕はデートする前に女に言う「僕、金ないよ」。これで相手の考えていることが簡単に分かる。
女性の社会進出とか言うけどいつの時代も同じだね。女が男に求めるものは財政的安心、そして男が女に求めるのはsex。
ただやり方と言葉の表現方法が変わつただけだよ。「I love you」、「you are so beautiful」と言われた。
「日本の男はこう言う事を言つてくれない」だそうです。それは彼女達の外国語能力が低いからだ。
アメリカの男もヨーロツパの男もこれは言わない。「他に言えないの?」と笑われるからだ。冗談だと思われるね。
今時こんなクラシツクな口説きかたは誰もしない。 日本女性が言う「私の彼はよくI love youと私に言うはよ」。
それは彼女達が英語を理解できないからだよ。どんな馬鹿でも「I love you」は知つているからね。
それ以上の気のきいた事を言つても分からないでしょ? まともな女はこれでは落ちない。
ヨーロツパで嫌になるほど言われた。日本の女とsexするなら三つのセリフで十分だ。
I love you (愛しているよ)、you are so beautiful(君はすごく美しい)、そしてyour English is good (あなたは英語が上手いですね)。
「これで落ちないならこの女は本当に英語が理解できると思つていい」と言つていた。
前にも書いたけど日本人は馬鹿にされているんじゃなくて馬鹿にされる事をしているんだよ外国で。
いいかげん分かつてよ。と言うか日本から出ないでください。
成長して文化の違う外国人と競い合う根性のある人だけが外国に行けばいい。教えてあげるよ。国際派の女性は自分がブレナイ。
外国語ができなくてもナメられない。成功している女性をみればわかるよ。面構えが違う。
ヤリたいね、そういう女と(笑)それは女が成功している男に抱かれたいのと同じだ。文句ある?(笑)
僕が書いた事を読んで怒るのも貴方の勝手だよ。甘い嘘だけが読みたいならいくらでもかくからさ。本当に暇ならね。
でも嘘を書いても僕の為にも貴方達の為にもならないね。だから僕が書く記事は読まないでください。
ttp://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/live/1268320587/
3 名前: 名無しさん@十周年 投稿日: 2010/03/12(金) 09:13:03 ID:GKujhzzO0
この村はとにかく酷い
・前村長は日本一年寄りでボケが入ってるのに、周りの利権を貪る連中がやめさせなかった
・財政難のため木を切りまくって売っている
(ハゲ山だらけってドコ地上の楽園だよ…)
・上記の利権のため北秋田市との合併をせず県や周辺市町村からはハブられている
・役場職員は減らせるだけ減らしてはいるが、仕事がおっつかないので実質麻痺状態(そのヘンの市役所のひとつの課より少ない)
・現村長は自然しか取り柄のない場所なのに、放射性廃棄物を埋めてきれいな土地を汚そうとしている。
(人口がたった2千人ちょいの村なのに)
・さらに大卒初任給以下の金で、ボロボロの家に住まわせ、周りのジジババの面倒を24時間体制でさせようとしている。
(光ケーブルが無くADSLも実効速度には到底及ばない場所、おそらく日本人の応募者は0だろうから朝鮮人や中国人が応募するとの見解らしい)
つまり、この村は敵意のある民族を大量導入して、村を乗っ取り、しかも劣化ウラン弾を作る事が可能なのである。
かつて、カルトに乗っ取られそうになった上九一色村や、朝鮮人のすくつとなった山形県戸沢村のように反面教師となるべき事例がたくさんあるにもかかわらず、恣意的にヤバい状況を作ろうとしている。
村民はジジババか情弱しかいないので、この危機的状況を理解していない
しかしながらこの問題はこのDQN村だけの話ではない おまいらの周辺でもおこりうる事態なんだよね
ttp://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-5a39.html
その上でなお、私は現在の日本において徴兵制をとるべきではないと考えています。
陸・海・空とも現在の自衛隊は複雑かつ精密なコンピューターの塊のような装備・システムで運用されており、適切な人員で相当に高い錬度を維持しなければその能力を発揮することは不可能です。
徴兵制ともなれば、玉石混交様々な人が入隊し、その教育訓練だけで機能はたちどころに麻痺してしまいかねない。ドイツのように、懲役忌避者に社会奉仕を義務付ければよいのでしょうが、その実現には想像を絶する困難があるでしょう。フランスの「国防の日」もとても良い制度ですが、この実現にも同様の困難が伴います。この話をすると、「実にいい制度だ、日本も導入すべきだ」と賛意を表してくださる方もおられるのですが、残念ながら国民の中では圧倒的に少数派です。
ttp://blog.livedoor.jp/hitoshione/archives/50807569.html
親殺し、祖父母殺しも続発!
現代よりも遥かに凶悪で不可解な心の闇を抱える、恐るべき子どもたちの犯罪目録!
なぜあの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?
戦前の道徳崩壊の凄まじさがいま明らかにされる!】(帯文より)
え~、戦前のガキはとんでもねえです。
昭和元年~昭和20年くらいまではとんでもねえ少年犯罪が頻発してます。
それこそ酒鬼薔薇や金属バット殺人、女子高生コンクリート殺人クラスの
社会を揺るがす少年少女による凶悪犯罪が毎年毎年発生しています。
人口比を考えても現在の倍以上の頻度で少年少女による殺人事件が起きてます。
「昔は良かった」「昔の子供は素直だった」なんてロクに資料を調べもしない
無知で呑気な老人の戯言です。
ってことを膨大で克明な実証データ(新聞記事、裁判記録、警察資料など)から
論理的にも数字的にも明らかにしている。
20年足らず(しかも戦争時代含む)の間によくぞこんなにも酷い少年少女による犯罪があったもんだと思うが、読み進めていくうちにあまりにも酷すぎて麻痺してくる。当時の新聞記事の文体もちょっと時代がかっていたりするのでフィクションの羅列にも見えてくるがすべて実際にあった事件。
事件の羅列だけではなく、現代の若者や少年少女の社会的風景との照らし合わせも素晴らしく、特に「2・26事件のニート的背景」の項は圧巻。
テレビを捨てることを強く勧めます
ttp://spherecom.blog75.fc2.com/blog-entry-115.html
本エントリで筆者が皆様に申し上げたい、最も重要なことはただひとつ。それを捨てないまでも、せめて とりあえず、どうか一度でいいので、その『テレビ』というメディアから、一旦しばらく距離を置いてみていただきたい ということです。
期間は短くても構いません。せいぜい一ヶ月も離れれば、長らく麻痺させられていたまともな感覚が戻ってくるでしょう。人により、あるいは一週間程度でそれは足りるかもしれません。あなた個人が実際には何に興味を持ち、自身が真に必要としている情報が何であるか、静寂の中で立ち止まり考えてみることは、あなた自身にとって必ず有益です。
そうしてしばらく距離を置けば、日々絶え間なくノイズのような情報を浴びせることで、人々の冷静な判断力を常に麻痺させ続けるこの『テレビ』という装置の異常さ、その気味の悪さをあなたも感じるでしょう。それは正常な感覚です。
全放送局が足並みを揃えて、ものすごく大切な、――時に大衆自身の生死にさえ関わるようなトピックを全力でスルーする一方で、たわいないトピックばかりを恣意的に繰り返し報道している現在の日本のテレビ放送は、客観的な立場から冷静にみれば、朝鮮中央放送と大差ないほどに不気味で異常なものです。これは誇張でも何でもありません。
http://anond.hatelabo.jp/20100223010649
それに比べてあなたは根性があるし、
実行(逃走)するかしないかの瀬戸際にいる人間なら腐るほどいる。
まったくもって問題はないレベルだ。
ここからうざいこと承知で自分語りさせてもらう。
高校までは逃げたことがなかった。
部活もそれなりに厳しかったが辞めなかった。
大学もそこそこいいとこに決まった。
大学に入り、貧乏家庭な俺は寮に入ったんだがそこは軍隊だった。
俺は数週間で退寮(逃げ:1回目)し、そこから悪しき逃げ癖が付いた。
「なにかをやめる」というのは初めての経験であり、
すっきりした気分を味わったのと同時にその味をしめた。
逃げたせいで、時々見かける寮の人間におびえてしまい、
サークルに入ったり授業で仲間を見つけたりといったことが
何故か出来なくなっていた。
その夏にレストランでバイトを始めたが一週間でバックレた(2回目)。
延々と皿を拭くだけのバイトだった。
これをやっていなかったらもっとひどい非コミュになっていたところだ。
3年時に違うサークルもかけもちで始めたがそれは数ヶ月でやめてしまった(3回目)。
最初のサークルも4年時にやめてしまった(4回目)。
ゼミの個人的な共同作業(研究?)も俺が口だけで「そのうちやる」ばっかり言っていて
で途中まで順調だったものが未完成(5回目)のまま卒業となった。
あとこの時点で他人から全く信用されない人間になっている。
体育会系の厳しい上司とウマが合わずに半年で辞めた(6回目)。
その後すぐに単純機械作業的なバイトを始めたがあまりに単調で二日で辞めた(7回目)。
なんとなく近所の派遣会社に行くとよさそうな募集があったので登録した。
これは仕事こそ典型的な泥臭い肉体労働だったが同僚に恵まれて毎日楽しかった。
公務員試験とかどうでもいいやと思えるくらい充実した仕事だったため、
一定期間後正社員になれる者と派遣を継続する者とに分かれて俺は後者だった。
なんだか自信を完全に喪失してしまい、辞めた(9回目)。
それから数ヶ月ほど経った。
仕事を辞めてすぐは心地よい気分で満たされる。
自分は根性なしの非コミュの人間のクズで一生まともな職に就けず
彼女も出来ずある日突然首吊りをするのでは、といった精神異常に陥る。
仕事を辞めてほとんど他人と会話をしていない。
日に日に会話力が落ちているのを実感する。
後輩も俺以上の収入を得ている。
高校・大学の同窓生で俺より根性のない人生を歩んでいる人間はいないという強い確信がある。
次の仕事は辞められない。
辞めるごとに精神が破滅するし、その感覚に伴う苦痛をもう味わいたくないからだ。
このところは毎日だ。
ちなみに仕事を辞める直前ギリギリまで死のイメージが浮かんでは消えるのを繰り返す。
死ぬくらいなら逃げる、という覚悟なので仕事は続かない。
簡単に辞める。
働くしかない。
このような精神状態だとネットで年収関連の話題を見ることが出来ない。
俺は年収100万円程度だ。
逃げ癖が続くと確実に精神がやられる。
自分よりも明らかに劣る人間を探して精神を安定させる作業が延々と続く。
落ちた資格は日商簿記二級で、己の能力を過信して1週間漬けで失敗し、
計画性のないクズだと思っています。
落ちてから死ぬほど勉強してやっと過去問がスラスラ解けるレベルになったので、
どこでもいいので経理職に就きたいと考えています。
年収100万程度で生きていけることは分かりましたから。
ちなみに実家には帰れない。
逃げるごとに何かを失っているというか、
歳だけ食ったような。
たくさんの人間に追い抜かれ、俺はもう死ぬしかないし、
ここまで職を転々としたのでばれない範囲で履歴書を捏造するしかない。
そしてヘタな会社に入るのも難しい。
やはり死ぬしかないし、あなたは辞めない方がいい。
数分に一度自殺することを考えるようになるし、
他人を殺した際のニュース映像を妄想するような日々を送ることになる。
書くことによって安定させている。
外観は社交性があるらしく(中身はクソ非コミュ)、
真顔で嘘を付けるため面接でほとんど落とされないが、
それが毎回見かけ倒しな評価となったり自分自身の甘えとなっているようだ。
早く仕事を見つけないと俺は死ぬか他人を殺して刑務所で人生の安定を図ろうとする存在になる。
早く仕事を見つけないと。
とこのように何も考えずに書いていると論理破綻したクズのような文章になることが分かりますし、
結局精神も安定しません。
俺には彼女もいないし金もないし死にたいし今求人情報誌を読んでいるところです。
とりあえず次はバイトでも派遣でもいいので経理の職に就きたいのですが
なかなかありませんね。
それと最悪のタイミングで前職を辞めたため、
これを逃避と言いますがいつ死ぬか分からないのです。
もう死ぬしかありません。
全て自業自得です。
逃げるとこうなります。
新卒の方は絶対に辞めてはいけません。
死にたくなります。
面接苦手でしたらなおさらです。
面接得意な俺ですらこのようになるのですから。
・はてなブックマーク > 「おまえのことじゃないか!」「税金払え!」 鳩山演説の「労働なき富は大罪」にヤジが殺到 働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww(http://b.hatena.ne.jp/entry/workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-2531.html)
neko190 "なんでこんな自虐ネタ入れたんだよwwww " だよなぁ、原稿書いたの鳩山じゃないもんな。周りから嫌われてるって事だよな。 2010/01/30
笑った。まだそれなりの信用を持っている人がいるんだね。
・鳩山演説「労働なき富」にヤジ、「それはあんただ」(http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100130-OYT1T00191.htm)
インド訪問から帰国した鳩山首相は、松井孝治官房副長官に「自分の政治理念と非常に重なる」と告げ、インド建国の父、マハトマ・ガンジーの言葉を演説に盛り込むよう求めた。
「『労働なき富』というのは、大丈夫ですか?」。閣僚の一人がおそるおそる切り出すと、首相は「自分のことを言われるのはわかっている。だからと言って(ガンジーの言葉が)間違っているんですか?」とむきになった。
直接書いたのは鳩ではないのかも知れないが、入れろといったのは彼自身で、忠告をはねのけてGOを出したのも彼自身なんだよね。しかもその反論も奇妙。「大丈夫ですか?」というのは「ガンジーの言葉は正しいのですか?」ということではなく「正しいガンジーの言葉を出すと、あなたが間違っていることがはっきりバレますよ。ガンジーの言葉を政治理念として実行していないことがバレますよ。大丈夫ですか?」ということなのに。
周りから嫌われてるからこんなことを言わされている、のじゃなく自発的に言ってるというのが凄まじい。誰だ、コイツ信用したの。
・はてなブックマーク > 痛いニュース(ノ∀`):鳩山首相「労働なき富は社会的大罪」(http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1392887.html)
osamu0716 2ch, これはひどい 本番前に原稿のチェックとかしないのかなあ。こういう演説をしたときに、周りがどういう反応するかくらいわかりそうなもんだけれども。/ 失言というか妄言があまりにも多すぎて麻痺気味になっているのが怖い 2010/01/29
してこの結果ですよ、きっと。
mittason これ、原稿書いた人がいる訳じゃん。わざとだろソイツ。 2010/01/29
書いた人はたぶん指示を守ってるだけでしょうね。通した人は、わざとなんだと思います(笑)。
元増田です。
友達の作り方わかります?もうそんな感覚も麻痺して八方塞です。
作った方がいいとは思いますがね、、、もうムリです。私には、、、
今まで積み重ねてきた俺という人物というイメージや、土壌の空気を抜きに
単純に自分自身。過去のイメージを抜きに現在のイメージのみを評価してくれる事の嬉しさ。
これは何に例えられるんだろう。
ここ何年かでも、思い返してみれば何度か経験してきた事はある。
2chで「吹いたら死亡」系に必ずコピペされる文章を書いた時や
mixiを始め、初めて参加したカラオケ系のオフ会でちやほやされた事
大学の新入生歓迎会で、多くの友人を得、一部の女性から好意的な感情を持たれた事等々。
下らない事かもしれないが、それぞれ初対面の私に対し、既存のイメージを抜きにして評価してくれたという共通点がある。
例えばそれが文章としての面白さだったり、歌の上手さだったり、顔や気立ての良さだったりするんだろう。
もちろん、そんないつもうまくいくばかりではない。
例えば2chなんて99%の書き込みがレスアンカーすらつかなかったし(別にレスアンカーを貰う為に書き込んでるわけではないが。)
mixiでとんでもないことをやらかした時にマイミクの人たちに総スカンされた事だってある。
大学では結局コミュニティを広げすぎた事が遠因となり、多くの人達から反感を買う事もあった。
しかし、大学という甘くだらけた生活(…という表現は責任逃れの気がするが)が多くの感覚を麻痺させた事は紛れも無い事実。
既存のコミュニティ一定の地位を得てしまったがための弊害。コミュニティ内での批判抜きのおべっか、諂い。
決してうんざりしてたわけじゃない、むしろ気持ちの良いものだった。自分にとっては
何故かと言えば、そりゃあ書くものや企画するもの全て大同小異あれ、そのコミュニティ内でなら高評価を得続けられるためだ。
井の中の蛙だと笑われるだろうが、一時は自分が高尚な人間なのだと勘違いしてた。と、同時に怯えていた。このコミュニティから外に出た時の評価が怖くなってしまった。
俺はなんと愚かな事か、こんなことに半年も悩んでしまったのだ。
批判は自身を堕落させる負債だと、あろうことか半年も信じきってしまったのだ。
それはこの半年だと答える。「それに気付けたんだから成長じゃない!」なんてバカな。
俺は小学校の頃ですら気づいていた。
よく中傷されてスルーしない人間に対して器が小さいと言われているのを見かけるが、
その度に思うことだが、スルー力と器の大きさは別だよなあ。器が大きいほどスルー力が高まりやすいことは事実だが、スルー力があるからと言って器が大きいとは限らない。
.
というのもスルー力は個別力だから。馬鹿って言われてスルー出来ても、お前の娘ブサイクって言われたらスルー出来なかったりする。個々の不快な事柄に対して慣れてるかの問題。
あと、スルー力はその場での表面的な心の反応の問題に過ぎず、深層心理的にはスルーできずに後になって悔しさ・怒りがこみ上げてくることも多い。
それに加えて、スルー力は単純に麻痺しているだけのこともあり、それは器の大きさを意味しない。
また、スルーせず現実と向き合うのもまた、器の大きさである場合がある。
こうした点から言って、スルーできたからって人間的な器が大きいことには何ら繋がらない。ここでは最後の二点を少し考えてみよう。
.
よく考えれば分かることだが、スルーできることの1つの良くない場合として、侮蔑的な言葉が侮蔑的だと感じる感性が麻痺しているというものがある。
例えば、死ねと言われて傷つかない人間は、他人に平気で死ねと言えてしまうのではないか。よく考えてみてほしい。中傷されて傷つかないということは、
文脈的に傷つくにあたらないとみなしてる可能性もあるが、その言葉を気軽なものとして捉えている可能性もある。死ねという言葉を気軽なものとして捉えているならば、
他人に対して死ねと言うのにも他の人よりもためらいが無いと予想される。実際に言うかは別としてもし言おうとした場合の話だよ。
今のはごく一例だけど、世間ではそういう気軽に残酷な言葉を捉えている人間が、時として強い人間扱いされている。それは違うよなあと思う。
それは強いのではなくて麻痺してるだけ。麻痺してたら物事を深みをもって感じられないから、たとえ見かけは強い影響力を与えているように見えても、
ある意味では物事を動かすのが下手であり、強いとは言えないと思う。だから、麻痺による強さは、欠陥ある見せかけの強さ。
世間で言うスルー力は、麻痺による強さである場合が少なくなく、器に入れずに済ませているわけだから、器の大きさとは別だろう。
.
それから、スルー出来ないから器が小さい面だけでなく、スルーして見てみぬふりするから器が小さい面もある。
ただの中傷はスルーすべきだが、建設的な批判はスルーすべきではない。表面的には中傷に見えても、建設的ととれる可能性もある。そんな場合に、スルーせずに真っ正面から
向き合えるというのもまた、器の大きさなんだよ。それなのに、スルーしろスルーしろと言われるのは、自分が建設的中傷と向き合いたくないからではないか。
別の面からだが全面的に同意する。
ルネサンス当時はパトロンが大金持ちで良かったが、今はそれを一般人が少しずつ担うようになっている。
販売元は、それを分配する。
それで制作者が食える。
ニコ動などで同様の事態は見られるが、制作者によるダンピングは、回り回ってこの「一般人が少しずつ担うパトロン」という役割を麻痺させる。
なるほどプロならぬアマチュアのクリエイターは、お金じゃなくても賞賛をもって十分な報酬とするだろう。
アマチュアしかコンテンツを作れない世界、一般人がプロを支えない世界というのは、つまり、日本の周囲の国でアニメの商業的成功が見られないのと同様の状態であり、文化としての水準を保てなくなることと同義である。
学内Webメールシステムが、もろにCSRF&XSSのよわよわのシステムでした。NEC系のメーカーのASPだったようだけど。
WebメールにXSS&CSRFがあるというのは本当に最悪で、「開いただけでメールボックスやアドレス帳が全部どこかに送信されてしまう」ような攻撃メールが作れてしまうことを意味します。
で、担当部門がどこだかわからないのでメディアネットワークセンターというそれっぽい部署に教えてあげたんだけど、とにかく反応が遅い。対策の第一段階は即日システム停止することですよ、とまで書いてあげたのに。
2ヶ月たって何も修正がされないので、研究室内のゼミで発表してみました。情報系でも、知らない人はCSRFとか全然知らないからね、うちアルゴリズム系なのでみんな「Webってこんな攻撃ができるのか」って感心。教授はあわててどこかに電話。
そしたらすぐに、「どこがそんなにまずいのか」と相談の電話が折り返されてきて、(即時停止レベルだって教えたじゃん)と思いつつも、「このメールを開いた後、自分の送信箱を見てご覧なさい。見覚えのないメールが送信されていませんか?」と攻撃例を教えてあげました。寸止めかんちょー。
これで即時停止だろうと思ったら、結局それから4ヶ月間修正が入らないまま運営が継続、そして「これで直りましたよね」と連絡が来たのでテスト環境版を試してみると、この「修正版」は script タグを無効にするだけで onload とかまったく手を付けないザル修正でした。
それを指摘したらしぶしぶイベントトリガ系も消してくれたけど、CSSXSSとか不完全Shift-JIS文字とかexpressionとか知りもしないんだろうなー。セキュリティのこと知らないなら、HTMLメール扱う機能ごとばっさり削除が唯一の正解です。
本気でかんちょーしようと思えば簡単でした。自己増殖メールを誰かにぽんと送るだけでたぶん3日以内にメールシステムは麻痺して、実質停止に追い込めたはず。あ、それじゃかんちょーどころか直腸裂傷か。でも、それで全員のクオータがあふれてしまえば真に悪意のある攻撃メールを受信する余地なくなるし、セキュリティを保護できたことにならないかな。
で、本当にそれをしなかった理由はひとつだけ、攻撃テストメールを自分に送りまくっていたことがメールログに絶対残っているし、それで犯人とばれて退学とかいやだったから。うちの大学は中退じゃなきゃハクがつかないんです。
恋人ができると身体の形がかわるからすぐにわかると、そう友人に言われたのはほんとうだと、最近になってわかるようになった。
もともとやせていたはずなのにウェストが細くなり、ちょっときつかったはずのレギンスにすこしだけ余裕ができる。ゆびがすこしだけ柔らかくなり、身体の関節がすこしだけやわらくなる。
いつも三日坊主の、思い出したようなヨガをたくさん思い出すようになったわけではないし、朝に走るのを週1回から週2回に増やしたわけでもないし、食事の量がこれといって減ったわけではないのに。
それでもベルトの穴はふたつ内側になる。
やせているやせていると言われつづけて、えっ? わたしそんなにやせてないよ? と締まらないウェストを見て思っていたのだけど、恋人ができたわたしのウェストをみてやはりと思う。やはり、無駄なものがついていたのだねぇ。
恋人とは電話だけの関係で、毎日のようにきっかりと一時間だけ話す。男性恐怖症のわたしをみて、こわがる必要はないよとやさしくいって、どうしたらこわくないだろう、電話なら大丈夫かなと、わたしのキャリアにすんなりと変えた。
それからのわたしの午後八時はバイトや見たいテレビがないときの日課になっていて、彼が職場から帰ってきて、食事をして、トイレに行って、コーヒーを入れて、メールをチェックして、緊急性が高い問題が起こってないことを確認してから、それから電話代の心配がいらない時間までがふたりの時間になる。
まるで講義みたいだというと、彼はむかしの恋人の話をし、恋人というのはちょっとでもゆだんしていると5時間でも6時間でも平気で長電話をするので、それぐらいがちょうどいいし、家賃並みの電話代に怯えるのはけっこうつらいものだよという。なにも話をしないで、もうねた? いまなに読んでるの? とかそんな会話しかしていないのに、電話を切ることができなくなってしまうのだという。
たしかに、午後九時がくるのはわたしにとってあまりうれしいことでないし、できることならずっとつながっていたいのだけど、どのみち無料で電話を掛けることができるのは午後九時までだし、どんなにあまいたべものも、ずっと食べ続けていると麻痺してきてしまうものだと、そう思って我慢することにしている。恋人曰く、実際のところ恋愛でいちばんたいせつな時間は、お互いを想って餓える時間なのだとか、ほんとうかどうかは知らないけれど。
わたしがその餓えを実感したのは、身体の形が変わり始めてからだ。
ずっとなぜだろうと思っていたのだけど、それがセイテキコウフンのせいだと気付いて、まっかになるのが顔だけでなく、それがくびすじを降りて、両腕を通って指先まで紅くなり、胸や背中を走って、細くなったウエストを下って、ももから足の指先まで、はずかしさに染まる気がした。
色気づいているのだって誰かに気付かれるのではないかと思うと、恥ずかしくなる。
はっきりと男性を受け入れるカタチに自分の身体が変わっていくのに愕然とする。
電話で話す恋人に、男を感じているのだと思うと申し訳なくなる。
あなたが好きなのはそんなところじゃないのに。
でも、男であるあなたも好き。
こんなことになってしまったのは、わたしが彼に興味本位で聞いたからだ。
男の人って、結局、女の子と寝たいだけなのでしょって。
彼は困ったようにことばをとぎり、電話の向こうでなにかを悩んでいた。話そうか話すまいか悩んだ末に、前の恋人の話をはじめる。とても正確になにがどうなり、どうなっていくのか、それを正確に話したのは、彼が自分の気持ちをはっきりと伝えたかったからだと思う。彼は伝えたかったのだろうと思う、火遊びをはじめて、お互いがお互いに溺れるようになるとろくな事がないよ、ということを。
まるで失楽園のような恋愛を、わたしとしたいわけではない、ということを。
彼はいまでも、前の恋人を溺れさせてしまったことを悔いていて、わたしとまた同じことになるのを極度にこわがっている。だからわたしが男性恐怖症で、電話しかできないことに、思いのほか満足しているようで、それでも、このまま一生電話のままであることも怖がっていて、その両側を振り子のように揺れつづけている。
それでも、彼の話はわたしにセイテキコウフンがどのようなものかを教えてしまい、ときどき朝目ざめると、ベッドの中でとうとつにそれにおそわれる。
隣に恋人が寝息を立てていて、わたしがおでこをなでるとねぼけまなこでわたしの背中に腕をまわし、ぎゅうと抱きしめられる。そんな妄想にとらわれて、その激しいセイテキコウフンのあらしに一時間も二時間も土日はおそわれる。
彼がとてもいとおしくなって、その腕にぎゅうと包み込まれて、彼の胸の中に沈んでいく。わたしも彼の背中に腕をまわして、彼を包み込む。そうやって心臓をどきどきさせて、あらしに吹き荒らされているうちに身体のカタチが変わっていくことに気付く。
色気づいているんだ、わたし。