はてなキーワード: 麻痺とは
37 : AV女優(鹿児島県) :sage :2010/08/14(土) 16:24:26.20 俺の父ちゃんもクビの骨を折って、最初に担ぎ込まれた病院で、 全身麻痺です、寝たきりになります、車椅子もムリですって言われて 母ちゃん号泣。 その後大きな救急病院に搬送したら腕のいい医者がいて、そこで直して もらって全快だった。 医者でぜんぜん違うな。 628 : グラウンドキーパー(大阪府) :2010/08/14(土) 20:37:40.74 >37 そうそう俺もむかし腹が痛くて痛くて病院に駆け込んだときに、 最初の病院の医者はいきなり悪性って診断しやがってマジ泣いた 次の病院はエコー見てもわからないから痛み止め処方w 次の病院もエコーに4人掛かりでわからず、 最後の医者は持ち込んだレントゲン見て一発で膿瘍と診断、即入院手術で回復 医者でぜんっぜん違うから注意だわ 702 : 柔道整復師(大阪府) :sage :2010/08/14(土) 22:52:22.74 >37 知り合いがバイクで事故って救急車で運ばれたんだけど 医者が「足を切らないと死んでしまう」って それ聞いたそいつのカーチャンが「そんなの絶対駄目」って、急いで違う病院に運んだんだけど 今では普通に歩いたり走ったりしてる 怖すぎ 751 : 爽健美茶(大阪府) :2010/08/15(日) 00:46:05.67 >37 6年ぐらい前に頭がフラフラするし身体に力が入らない、おまけに 野良猫に噛まれて足が腫れて来た。 近所の緊急行ったらベビーカー押した爺さんが出てきて症状を説明しても 「わからんなぁ」で傷だけ消毒されて終わり。 翌日症状が治まらないから別の個人病院行ったら、医者が俺の顔見るなり 緊急手術とか言い出した。 出血性胃潰瘍で失血死寸前、よく一人で医者まで来れたなと言われたお。 貧血で顔真っ青、見た瞬間判ったって言われたよ。 634 : AV女優(東京都) :sage :2010/08/14(土) 20:40:17.23 >628 どういう病院がおすすめ?大きい病院? 637 : 指揮者(大阪府) :sage :2010/08/14(土) 20:45:12.90 大学病院>634 640 : グラウンドキーパー(大阪府) :2010/08/14(土) 20:48:21.16 >634 最後の当たりの病院は国立だけど担当した医者は何年かで移動しちゃうし、 3番目の4人掛かりダメ病院も箱自体は日本赤十字のでかい病院だし 結局いい医者に当たるかどうかは運のような 649 : 指揮者(大阪府) :sage :2010/08/14(土) 20:56:41.16 >645 ああ、確かにコネは重要だよな。 ウチの母ちゃんの場合は俺の勤めてる会社の社長が手を尽くしてくれて 取引先の某大企業の部長さんの紹介で直ぐに見て貰えたからな。 797 : ノブ姉(山形県) :2010/08/15(日) 03:14:59.01 >37 >702 これマジかよw 洒落で済まないぞ 807 : まりもっこり(中部地方) :2010/08/15(日) 03:35:30.29 >797 指チョンパして、「もうくっつきません」って言われた指他に持ってったらひっついたとか けっこうその手の話よく聞くぞ
ずっと嗅いでると麻痺するからね。
ダメージの度合いは、表情とか、距離とかいった反応に現われる。
あからさまに臭そうな態度取られても気付けないのは知的障害だね。
・水が飲みたいと、戸口を叩いていた女は言った。もう随分と何も飲食していないのだという。こちらと人里離れた山小屋住まいだから、人に分け与えるほどの食料など持ち合わせていない。女が水だけを要求してくれてありがたかった。真夜中の真っ暗闇の森のど真ん中で、ごくごくと喉を鳴らした女はにっこり微笑み礼を言うと、そのまま闇の中に溶けていった。夏虫が鳴いている。べったりと背筋に汗をかいてしまっていた。
・犬を殺してしまったんだそうだ。泣きじゃくる歳の離れた弟は、どれだけあやそうとも泣き止む気配を見せなかった。埒が明かない。疲れてきたので背伸びをした。一体何があったんだ。何度も答えが返ってこなかった問いをもう一度口にしていた。眦を二三度拭ってから、しゃっくりと一度、それからようやく弟はもごもごと何かを言い始めた。溜息が出る。面倒くさいと空を見上げたら快晴だった。
・生え育った手のひらの上で、少女は胡坐をかいていた。しばらく経つと親指と人差し指の間から足を投げ出してぷらぷらさせ、またしばらく経つと今度はやわらかく曲がった中指に背を預けて瞼を閉じた。荒涼とした周囲には、乾いた風鳴りばかりが響いている。手羽のように尖った枝先を細々と伸ばす枯れ木が、もぞもぞと幹を揺らしていた。少女は本を読んでいる。ハードカバーの、分厚い本だった。背表紙には解読不明な文字が並んでいる。無論、それは中身にしても同じで、少女は意味のわからない記号の羅列を熱心に、ときには嬉々として読み続けていた。やがてひとつの章を読み終えた。重たい本を閉じ、胸の上に置く。再び目を閉じた。てのひらがぐしゃりと少女を潰した。
・その日、少年は無闇に声が大きかった。話している相手が顔をしかめてしまうほど大音量で、叫ぶようにして会話をしていた。また、少年はどうやらこちらの言葉が理解できていないようでもあった。どれだけ文章を変えてどうなったのかと訊ねてみても、ずっと同じ事ばかりを、昨日変な夢を見たんだ、としか口にしなかった。やがて、ある医者が少年に適切な診断を下した。いわく、今少年の耳には大量の音食い虫が潜んでいて、そのせいで耳が聞こえなくなってしまっているのだと。ためしに小型カメラで少年の耳の穴をのぞいてみれば、モニタリングしているテレビに黒光りする無数の蠢きを確認することができた。音食い虫を殺すためには、完全なる静寂を用意しなければならない。医者に言われると、少年を気の毒に思っていた人々は一様に口をつぐんだ。物音ひとつ立てないように、彫像のように固まった。車も動かさない。電気を使うものは全て電源を落としてしまった。少年は石の世界でひとりぼっちになった。
・タバコが好きで好きでたまらなくて、とうとう調理して食べるようになった。目玉焼きに降りかけてみたり、炊きたてのご飯に混ぜ込んでみた。どれもこれもそれなりにうまかったのだが、一番気に入ったのが煮出しタバコであった。お茶のように、珈琲のように、タバコの葉に熱湯を注いで飲むのである。これがなかなかに効いた。苦味で舌は麻痺し、喉は痺れ、胃は爛れていくかのようだった。鼻腔に強烈なにおいが通り抜け、あやうく気を失いかけた。最高に気持ちが良かった。よく臨死体験をしたなどという者がいるが、そう言った人たちもこの快楽を味わっていたのではないだろうかと思った。そしてそうなのだとすれば、彼らはあまりにも意地汚い人間であるように思えた。このような快楽を経験しておきながら、それをわが身ひとつだけの実体験に留めておこうなどという考えが理解できない。どうして周囲に広めようとしないのだろうか。共有してこその財ではないか。憤然とした気持ちでタバコをばらし、粉末を茶漉しにあけた。熱湯を注ぐ。芳醇な香りをいっぱいに吸い込んでから、一息に飲み込んだ。
・割れたコップに男が映った。散り散りになった破片のひとつひとつに、そいつはにやにや顔で写りこんでいた。君も変なヤツだね。そいつが話しかけてくる。わざわざガラスのコップを七つも割ってさ。一体何がしたかったんだい。思いっきり叩きつける訳でもなく、あくまで自然に割れたように見せかけるのには随分と苦労したんじゃないのかい。そのとおりだ。全てのガラスを同じ場所で、誰が見ても不自然と映らないように割り続けてきたのだ。投げつける訳でもなく、高いところから落とすのでもなく、持ち寄ったガラスをことごとくその場で割り続けたのだった。わからないね。君はいったい何がしたかったんだい。そうにやにや顔が言うので、お前には関係ないと答えてやった。だからさっさと消えやがれ。魂が消えるように、ぽつりぽつりとにやにや顔は消えていった。ガラスの破片の中に溶けていった。本当に君も変なヤツだね。そう言って最後までにやにやしていたそいつは消滅した。逆剥けた大地に囲まれて、素足のまま歩き出す。
・びっくりした。そしたら、右目と舌べらが落っこちてしまった。とんでもない痛みを感じながら、真っ赤に染まっていく地面に晒された右目と舌ベラを見下ろす。さっきまで、右手で押さえている窪みにはまっていたはずの球体はぼんやりと視線を上げてきていて、指の間から、そしてぽかんと開けた口から鮮血を滴らせているわたしを観察しているようだった。観察。そうだ、わたしは観察をしていたのだった。その最中に悲しくなって、怒りっぽくなって、しばらく気分が落ち込んで、最後にびっくりしてしまった。びっくりしてしまったから、右目と舌ベラを落っことしてしまった。参った。全部わたしの問題だ。とにかくいまは右目を拾ってはめよう。そして舌も口に含んでいよう。思い左手を伸ばそうとしたらばしゃんと音がした。左手も落ちてしまった。肩からどんちゃんと。ぶしゅうっと壮大な音を立てて血が噴き出し始める。どうにかしなくちゃ。あせればあせるほど頭は混乱していく。もうあたりは一面に血の海だった。血の池地獄って、一体誰の血の中を泳いでいるんだろう。白血球とか赤血球とか、そういったものにとっては毎日が血の池地獄なんじゃないだろうか。考えていたら、膝から下が潰れてしまった。血に倒れこむ。頬を強打して顔をしかめてから、右目が私を観察していることに気がついた。
半分くらいは惚けてますよ。
誠意のつもりは無いです。返しが下手なだけです。
誠意を返す時は、人の見ていないところで、
自分の良いところと相手の良いところだけを考えて考えて結び付けて渡す感じです。
相手が正直に接してくれてないと難しいところもありますが…。
今は色々と麻痺しています。
酒はおそろしい毒。ドラッグ。犯罪と事故を呼び起こす社会の癌。
年末年始や歓送迎会ではオーバードーズ、いわゆる急性アルコール中毒で毎年3万人が死亡している。
飲み会などにおける上の立場からのパワハラ・アルハラ・飲酒強要での健康被害、死亡事故も問題視されている。
酒を飲むとまず咽頭・食道がやられる。食道静脈瘤や咽頭がんなど。
「酒焼け」とよくいうだろう、あれが出たらもう赤信号。
そして次に当然ながら胃が多大なダメージを受ける。
その先の小腸や大腸も以下同文、消化器系は漏れなく壊滅。
アルコールが運ばれる循環器系はもちろんやられる、血管バキバキで脳血栓できまくりで脳卒中の最大要因。
「休肝日」という言葉があるくらい皆さんご存知の通り、アルコール分解の主役である肝臓はもうボッコボコになる。
最終的な分解を受け持つ筋肉もやられ、深刻な場合は慢性的な震えや痙攣・運動障害をひき起こす。
そしてアルコールで最も甚大な影響を受けるのが、酒の麻痺効果のターゲットである脳・神経系。
飲酒常習者は脳が萎縮し、非飲酒者に比べ痴呆が10年速く進行する。
慢性アル中患者は脳血流やグルコース代謝が低下し判断力などの高次機能が破壊され、反社会的行動を起こしやすくなる。
さらに膵臓のランゲルハンス島もやられて糖尿病になる。膵炎の半数はアルコール性。
もちろん腎臓もやられるし、アルコール性心筋症は心筋梗塞の最大要因。
それだけじゃない、免疫力が著しく低下するためエイズや肝炎などあらゆる感染症にかかりやすくなり、
酒による肥満はありとあらゆる成人病を加速させ、さまざまな合併症をひき起こす。
さらに言えば、酒の上の暴行や傷害や殺人や強姦など、様々な犯罪の間接要因でもあり、
昨今ようやく少し認識が改まりつつある飲酒運転被害ももちろん酒の害のひとつ。
まさに百害あって一利なし。
万病の素。
あらゆる悪の根源。
経済的にも社会的にも、恐ろしく多大な損失を生む、まさに悪魔のドラッグ。
それが酒。
今日もリアルで尊敬のかけらも受けてないだろう増田のようなアルハラ中高年が
ここ四半世紀、
激しく叩かれてるよね。
もう当り前になりすぎてて神経が麻痺して気付かないことも多いと思うけど
例をいちいち探すのも面倒だから
っていうのを30代ぐらいの夫婦が聞いてて、
妻「すごい、○○円も浮くのね!今晩はちょっと外食しちゃおうかしら」
夫「いいねえ!パーっと行こうよお」
妻「何言ってるの、あなたは家で見積もりやるのよ」
夫「えーーーっ!?」
っていうオチ。
これなんで夫婦で仲良くニコニコ外食行って「よかったね」じゃダメなのかさっぱり分からない。
夫がなんか悪いことしたわけでもないし虐められる理由も描かれてない。
オチになってないし全然面白くも愉快でもないと思うんだけど
こういう描写がもう何の疑問もなく流通する程度には男叩きがデフォだよ。
「叩き」っていうとちょっと違うなら、粗末に扱っていいとするのがデフォっていうか。
男を粗末に扱って「笑い」みたいにしてよいという了解と言うか。
今日取り上げられてる「格下婚」だって、あれ男女逆だったら絶対出版も出来ない。
男が「強者」だった男女不平等の時代、
もしくは男が女にペコペコするのが当り前だったバブルの時代、
を最後にジワジワと男はこういうのに本気で怒ったり不快感を催すようになったんだと思う。
「顔面をパンチ」が想像で済むうちはまだいい。俺はもう親父の顔を何度も殴った。
先日も夕食中に親父が俺に「女の腐った奴」だと言うからブチ切れた。親父だって会社潰して一億借金自己破産。法的返済義務が消えた途端安心し、再就職の努力もせず今まで来た。自己破産しても親類への返済は道義的に続けるもの。なのに「真剣に」返済する態度がなく陰口を叩かれてるのが親父の姿だ。年金受給をいい事に「就職しなくても年金の範囲内の返済でいい」と軽く考えている。引きこもりの俺と再就職を怖がる親父と、どこが違うか?俺は親父のコピーとして育っただけ。そもそも親父自身が新世界に出る意欲欠如。俺だけ「女の・・」呼ばわりされる覚えは無い。
俺は「自分の借金も返さない奴はメシなんか食うな!」と親父を怒鳴りつけた。取っ組み合いで俺は親父の顔を殴り倒した。そもそも俺は親父への堪忍袋の緒が何年も前から切れている。親父に対しては「この人は信じちゃいけない。ついて行っちゃいけない」という結論に達した。俺は普段から「ケンカでは必ず親父の顔を狙う」と心に決めている。しかし、これは決して皆に暴力を奨励しているわけではない。暴力なしで解決できるのが一番いい事は明らかだ。俺は親父の顔を殴る事にだんだん抵抗感が麻痺していく自分が怖いし、皆には「俺みたいになるな」としっかり伝えておく。
親父は耳から血を流して自室に逃げ込み、中からドアを閉めたが、俺は収まらない。しがみつく母を引きずったまま親父の部屋の前まで追いかけていき、あらゆる悪態を叫びながら、ドアに向かってドンブリは投げる、温度計は投げる、花瓶は投げる・・その後5分くらい暴れまくった。
俺たちは借家住まいなんで家に傷をつけたらマズいんだが、もちろんそんな事は怒りの最中は忘れている。「キレる」って状態はそもそも「借家だから我慢」なんて理性的判断が出来ない状態を言う。
親父はたまらず隙を見て自室からも逃げ出し、「病院に行く!」と言って車で慌ててどこかに逃げていった。「病院に」というのはもちろん嘘で、日曜の夜だったから開いている病院などあるわけがないのだ。夜間救急病院に行くにしても、借金一億の我が家には、その1回の治療費を払う余裕すらない。実際には親父は、どこかで車中で一泊し、俺の怒りが収まった頃を見計らって翌日の朝7時頃にまた戻ってきた逃げる時にすら「病院に」などと体裁を繕おうとした親父にはヘドが出る。素直に「怖いから逃げる」と本心を白状する強さはないのか?その方がよっぽど「可愛げ」がある。
俺に向けて「女の・・」と言った親父がそれでは男らしいかというと、全くそんな事はない。実際親父は一晩の非難から戻ってきた後に俺と同室でメシが食えなくなった。俺が食堂に入ると、親父は自分の分のメシやオカズをお盆に載せて自室に引きこもり、1人でビクビク食うようになった。引きこもりの親として、子供から尊敬や信頼を失う最悪の対応パターンである。俺を「女の・・」呼ばわりした以上は、親父は自分の強さにたいそう自信があるんだろうから、俺から殴られようが何だろうが堂々と俺と一緒にメシを食えばいいのだ。それが出来ないというのは「俺(=親父)は弱い」という事を態度では認めたも同然だ。それはいい・・親父に限らず誰にも弱さはある。悪いのは、弱さが態度に現れていながら、口では「俺は弱くない」などと虚勢を張る事だ。言行(げんこう)は必ず一致していなければならない。
彼女が体を売ってみたのは一昨日のことです。
「勉強する気がわかない」
「塾いきたくない」
「セックスしたい」
「遊ぶ金ほしい」
「なにもやる気しない」
昨晩、居酒屋の次に誘われたホテルでこの辺りのことを聞きました。
はじめ拒否していた性交を自分から求められ、迷いつつもそうしました。
すべてが終わった後、彼女は度重なるデジャヴに頭を抱えていました。
抱くか抱かぬか、どちらが彼女のためだったか今でもよく分かりません。
ただ、できるだけ丁寧に、愛をこめて抱きしめていました。
髪も染めない、ごく普通の子なんです。
周りから天然と言われるけれど本当はいろいろ分かってる子です。
感情の触れ幅が大きいけれど、その分そばにいて飽きないです。
ですが、自己評価が両極端で、ひどいと天才か死にたいしかない時もあって不安でした。
死にたいとブログに書いたら親バレして逆上されてじゃあ死ねと言われた、そういってました。
それ以来、母親のことは信用していないそうです。
部屋が病的に片付けられず、そのためいつも揉めてると聞きます。
同じ家ながら、兄弟との会話はないらしいです。
こんな風に書くと病的っぽく見えそうですが、そんなことはありません。
おおらかでかわいくて、突拍子もつかない万華鏡のような子なんです。
「こんな状態でもおいしいものはおいしいんだね」
ラブホ前に寄った居酒屋で、好物の軟骨揚げをついばみながら言っていました。
それから、部活の後輩にもらった寄せ書きを僕に見せてくれました。
「『先輩がやさしくておもしろかったから部活続けられました、ありがとうございます』だって!いいこと書いてあるねw」
元気になるために持ってきたそうです。
笑顔でそれを眺める彼女を見て、どんなブラックユーモアだよと涙が出そうになりました。
そんな顔しないでよ、って。どんな顔ができるんだよ。
こういうとき、どんな気持ちになるのが正解なんだよ。
悲しむことも怒ることもできず、放心状態でした。
今でもそんな感じです。
こういうことをする、という話は散々聞いていました。
彼女には虚言癖のようなからかい癖があって、よく「他の男と寝た」といって惑わせては「うそだよ><」と謝っていました。
はじめの頃は毎回騙されて胸を痛めていましたが、だんだん麻痺してきました。
というより、胸を痛めないように考えすぎないようにし始めたんだと思います。
思えば意図せずに「そういうことがあっても胸を痛めない訓練」をしてしまっていたんだと思います。
今日一日そばにいて、なんだかんだで気持ちは持ち直したみたいです。
ですが、これからのために何かを考えなきゃなと思います。
なのに未だに何を思えばいいのかよく分かりません。
ただ、取り返しの付かない状態にしてしまった、何か出来たはずなのに、と後悔ばかりです。
死んで悔やみたい気分です。
何かを相談したいんですが、何を尋ねればいいかもよく分かりません。
先に、ちょっと吐き出したいんです。
http://www.asahi.com/national/update/0507/SEB201005060055.html
このような記事を見て、素朴な疑問だけど、一般人はショックを受けるのに同じ人間である医者や検察官などはどうしてショックを受けてトラウマにならないのだろうかと思った。
そりゃあ、やはり「慣れ」と言うものなんだろう。徐々に感覚を麻痺させていくんだ、たぶん。人体の解剖、破壊のありさまなんて普通はグロイから。
結論として、医者だとか殺人事件を扱う役人だとかはある種の感性の鈍磨とひきかえにその種の仕事の遂行能力を得ているという側面において、僕ら一般人とはかなり異質な世界に生きているんだということに思い至った。
ここしばらくのところ、開かれた人間と閉じられた人間、ということを考えてきた。
それを考えるに至った理由は、高校時代には良いことだと思ってきた好奇心が、
大学に入って、なんだか悪いことのように思えてきたからだ。僕自身、周りの影響を受けて遠慮するようになってきたのだ。
それが大人になることなのかもしれない。だけど全く楽しくなかったし、読んできた無数の本の内容が
全て否定されるような気がした。それに否定してくる人たちはみんな退屈だったんだ。
退屈は悪いことだ。新しいものを生み出すことをしない。
退屈の空気に慣れると、変化を嫌がるようになる。
だけど変化を否定した組織や共同体は、死んでいるんだ。変わるとしても、腐敗するだけなんだ。
僕の周りでは、どうやって変えるかについて議論をする奴はいなかった。
開かれた人間は閉じた人間には興味がなくて、自分たちでやっていけばいい、と言うんだ。
そうなのかもしれない。変わりたくないって言ってるやつを無理に変えることはない。
でも、変わりたいけど変わり方がわからないやつに対して、何ができるかを考えることには意味がある。
それともう一つ。この文章をここまで読んでいるだけでも、完全に閉じてはいないことを分かってほしい。
僕の周囲を見渡してみると、好奇心を肯定する人間と、否定する人間、そういう基準で人間を二つに分けられることに気付いた。
ここで書かれている「好奇心」は、質問を歓迎するか、ということで言い変えてみてもいい。
好奇心を肯定する人間は吸収し続けている。これを開いている人間と呼ぶことにしよう。
好奇心を否定する人間は、ルールを学習した後は、それを変えることを好まない。
これを、閉じている人間と呼ぶことにしよう。
一般的に学校の先生は殆ど閉じている。学校という組織が開くことを否定するものだからだ。
彼らは、質問はありませんか、と言う。
だけど、僕らの疑問に興味を持ってはくれないんだ。
予習が足りないとか、授業をちゃんと聞けとか、そんなことを言うんだ。
開かれた人間は大体が、閉じられちゃったら仕方ないよね、と考えている。
諦めてしまっているんだ。ただ開かれている人間を見つけたら、一気に仲良くなる。
で、僕が考えるのは、なんとか人間をこじ開けることができないかということだ。
それを小説でやろうと考えていたんだが、小説を動かすエンジンになる「思想」
が明確化されていないのに小説の結論を出すのは難しい。
だからエッセイを使ってみることにしたんだ。
http://blog.livedoor.jp/simoom634/archives/50189369.html
というエッセイで言及していたことだ。
つまり、頭の中で考えるんじゃなくて、文章にして考えてみるんだ。
グレアムの流儀に従ってみることにしよう。
エッセイは質問から始まる。
閉じた人ってどんな人?開かれた人ってどんな人?って具合に。
で、僕にはあらかじめ考えがあったわけじゃないんだ。どこにたどり着くかもわかってないんだ。
ここで2つ目の質問を出そう。これは大事なテーマだ。
「閉じた人はどうやったら、開いた人になれるの?」
これは最初に書いた定義に従えば、どうすれば好奇心を取り戻せるかってことだ。
それは閉じた組織にいるときには難しいことだ。閉じた組織は疑問を持つことを否定するんだ。
じゃあどうする?反抗するのがいいのか?従って、だけど頭では違うことを考えているのがいいのか?
これはどちらも間違っている。
反抗したところで、閉じた思考の持ち主は、とりわけあなたの上司は、閉じることに関してはあなたよりも一枚上手だ。
なにしろ彼はあなたよりも長い間、どうやったら疑問を抑えられるかを学んできたのだから。
もし従ったならば、あなたの思考は多かれ少なかれ、それに適応してしまう。
開かれた人間はコースアウトするんだ。面白そうなところに向かおうとするんだ。
そして自分のルールを見つけて、楽しく生きるために必要な原則を見つけるんだ。
開くために必要な手段は、素朴な疑問を持って、それを潰さないようにすることだ。
それと、楽しんで生きることができる例をもっと沢山知ることだ。仕事は義務で、趣味に生きるっていうのではなくてね。
開かれている人の集まる場所を考えてみよう。一人になることだって、麻痺させないためには悪くないんだけど、
それは寂しいし、慣れないだろう。
だから開かれた人のいる場所を考えてみることにしよう。
彼らは大体が一人でいるか、小さな組織にいる。
もしくは、大きな組織の中でも、独立性の高い小さな組織にいる。
大きな組織と開かれた人は相性が良くないんだ。
彼らが彼ら自身のルールに従うから。。
子供の頃はみんな開いている。みんな素朴な疑問や、旺盛な好奇心を持っている。
それが「正しい」ものかは別にしてね。
それが大人になるにつれて、規律とか、常識とか、空気とかを理解するようになっていく。
親や学校や社会の教育で、そういうものに従うのが正しいものだと思うようになっていく。
閉じた人間はこう答える。でもこれは伝統だから。歴史には理由があるんだよ。
もっと閉じた人間はこう答える。これはルールだから。ちゃんと守らないと。
それはトートロジー(Q女とは?A人間のうち男でない方みたいな説明のこと)じゃない?って疑問には、沈黙を持って答える。
どちらでもない人間は迷う。おかしいなあ、と思う。
それを開いてやろう、とぼくは思うわけだ。
音楽や小説や映画やエッセイや美しい学問は、人を開く役に立つ。
必要なのは、相互に矛盾するような性質のものを両方受容することだ。
こんな具合に。
だけど、どちらでもない人間は、少ししか空いてないわけだ。
だから一度に沢山の物を入れることはできない。
それに強烈なメッセージには拒否反応を示すかもしれない。
始めは、変わってしまうのは怖いことだから。
「教え」が入り込んでくるのは、自分が自分でなくなるような気がするからだ。
だけど、「考え」だって、「教え」の総和にすぎないわけだ。
素敵な大人達が厳選したものではあるけどね。
それに対抗するには、沢山の教えを学んで、シャッフルすることだ。
沢山の教えの中には、閉じたものも、開いたものもある。
だけど歴史に残るものには、開いた人の作るものが圧倒的に多い。
彼らが何かを変えてきたからだ。
だからそういうものを受け入れることによって、開いた人になることができる。
だけど、閉じた大人たちだって、本を読めとは言うんだ。
どの本を読めとは言わないけどね。
それは彼らがどの本が良いかを理解できないからだ。
そういう訓練を(つまり沢山の本を読むことだ)してこなかったからだ。
別に本に限らないんだ。音楽でも、映画でも、漫画でもいいんだけど。
とにかく自分の中に規制を設けないことだ。読みもしないのに、聞きもしないのに批判をしないことだ。
そしてとりあえずちょっとずつ試してみることだ。
何か気に入ったものがあれば、その作者の他の作品や、その作者が好きだったものや、薦めているものや、
amazonで薦められているものを調べたりしてみることだ。
一つ注意点。昔の小説は、昔の作品は、長い前置きがあるんだ。
忙しい現代人の為には作られていないんだ。
それを耐えるためには、読みやすい文章のものを選ぶこと。そしてそういう事実を理解することだ。
だけどそうやって開いたところで、社会の押し付けはしつこく続く。
これに対抗する方法は、戦うことじゃない。さっさと逃げることなんだ。
素晴らしい場所を見つけるんだ。技術や知識を磨きながらね。
なんなら素晴らしい場所を作ったっていい。
素晴らしい場所を作るっていうのは、尊敬できる友人と起業するってことだ。
そうすれば素晴らしい人生を送れるはずだ。少なくとも閉じた人間よりは、沢山のことを見ることができるし、
沢山の感情を感じることができるんだ。
インターネット言説に巻き込まれないほうがインターネットは楽しい
こんどは話をひっくりかえして、そのような個人を含む共同体の中で言説をコントロールしていこうという話になれば、このような事例集から「肯定でも否定でも関係なく、とにかく読者から反応を引き出すことで、さらなる読者の再反応を誘発して、それによって言説の生み出した重力・運動圏に、より多くの読者を巻き込んでいく」というデザインこそが上等だ、という方法論が導き出せる。ようするに、プレイヤ側のルールは「くだらないものに反応したら負け」で、ゲームマスター側のルールは「なんでもいいから反応させれば勝ち」。インターネットのややこしいところは、このプレイヤとマスターの役割は参加者全員が兼任していて、瞬間瞬間でロールが入れ替わったりするあたりなんだが、まあ以下略。
だから、ダメな扇動手法として「これが正解だから、それに従って前進すべき」みたいなロードマップを掲げて、正しさの共有、理想へ向けた連帯で何らかの目標を達成する、みたいな方法を挙げることができる。考え方として清潔でいいかんじなんだけど、説明・理解の双方向に高いコストがかかるので、必然的に伝播範囲が限られる。インターネットには向かない。そうではなく「接触自体を拒絶しないと、自分でもコントロールできないうちに、自動的にそうなってしまう」のが理想。
http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20100327#p1より。
上記記事を読んで。
では、上記記事を引用した時点で、私は負けだし、別に負けでも良いな、と思いつつ。
なんとなく、ドイツのマルティン・ニーメラー牧師の詩を思い出した。
――ドイツでナチスが共産主義者を殺しはじめたとき、私は共産主義者ではなかったので、何も言わなかった。
――続いて、ナチスはユダヤ人を殺したが、私はユダヤ人ではなかったので、何も言わなかった。
――後に、ナチスは労働組合員を殺したが、私は労働組合員ではなかったので、何も言わなかった。
――そのあと、ナチスはカトリック教徒を殺したが、私はカトリック教徒ではなかったので、何も言わなかった。
――最後に、ナチスは私のところにやってきたが、もう誰も私のために声を上げてくれる人はいなかった。
つまり、「反応しなくても負け」というパターンだ。
上の「政治」のような例に限らず、例えばiPodでもスマートフォンでも何でも良いが、自分が何も反応しないうちに世の中の流れが取り返しのつかない方向に進む場合もある。「接触」自体を拒んでも、世の中がそうなってしまった以上、「接触」せざる得ない、というパターン。あるいは、例えば、相手が言説的にピンチになったら、「反応したら負け」の事例に話題を誘導してくる、こちらは沈黙せざるを得なくなる、という典型的な負けパターンの構築ということも考えられるし、今までのインターネットの議論でもそういったパターンの相当数の例はある。
「否定しても負け」「肯定しても負け」「反応しなくても負け」。
ではどうするか。
一つは、「”ほとんど自明の理”的な論理的な支柱を提供して、多人数で一斉攻撃し、相手の反応機能を麻痺させる(=炎上)」事に成功できれば、その相手は、その後、その「否定しても負け」「肯定しても負け」「反応しなくても負け」的言説をあまり持ち出してこなくなるだろうと思う。
要するに、一度コテンパンに叩きのめす(もちろん、自分に叩きのめす力がないとそれは出来ないが)という行為をしないと、どうにもならない面はあるかも知れないな、と思う。それでも「出る杭」ならば、本物なのだろうし、それはそれでよいような気もする。