今まで積み重ねてきた俺という人物というイメージや、土壌の空気を抜きに
単純に自分自身。過去のイメージを抜きに現在のイメージのみを評価してくれる事の嬉しさ。
これは何に例えられるんだろう。
ここ何年かでも、思い返してみれば何度か経験してきた事はある。
2chで「吹いたら死亡」系に必ずコピペされる文章を書いた時や
mixiを始め、初めて参加したカラオケ系のオフ会でちやほやされた事
大学の新入生歓迎会で、多くの友人を得、一部の女性から好意的な感情を持たれた事等々。
下らない事かもしれないが、それぞれ初対面の私に対し、既存のイメージを抜きにして評価してくれたという共通点がある。
例えばそれが文章としての面白さだったり、歌の上手さだったり、顔や気立ての良さだったりするんだろう。
もちろん、そんないつもうまくいくばかりではない。
例えば2chなんて99%の書き込みがレスアンカーすらつかなかったし(別にレスアンカーを貰う為に書き込んでるわけではないが。)
mixiでとんでもないことをやらかした時にマイミクの人たちに総スカンされた事だってある。
大学では結局コミュニティを広げすぎた事が遠因となり、多くの人達から反感を買う事もあった。
しかし、大学という甘くだらけた生活(…という表現は責任逃れの気がするが)が多くの感覚を麻痺させた事は紛れも無い事実。
既存のコミュニティ一定の地位を得てしまったがための弊害。コミュニティ内での批判抜きのおべっか、諂い。
決してうんざりしてたわけじゃない、むしろ気持ちの良いものだった。自分にとっては
何故かと言えば、そりゃあ書くものや企画するもの全て大同小異あれ、そのコミュニティ内でなら高評価を得続けられるためだ。
井の中の蛙だと笑われるだろうが、一時は自分が高尚な人間なのだと勘違いしてた。と、同時に怯えていた。このコミュニティから外に出た時の評価が怖くなってしまった。
俺はなんと愚かな事か、こんなことに半年も悩んでしまったのだ。
批判は自身を堕落させる負債だと、あろうことか半年も信じきってしまったのだ。
それはこの半年だと答える。「それに気付けたんだから成長じゃない!」なんてバカな。
俺は小学校の頃ですら気づいていた。
今判明したんだが なんということか この半年を無駄にしてきたせいで 今俺はこうして嫉妬に狂いそうになっている訳だ。 やけ酒。
周りから「無能」って言われる人は 意外と愛されてるんじゃないかな って思う時がある。