はてなキーワード: 家庭科とは
http://anond.hatelabo.jp/20100913002509
小学生の頃、中休みや昼休みに遊びの輪に入れず図書室に逃げ込んでいた。
そこで読んだ「十五少年漂流記」や「ロビンソン・クルーソー」辺りが出発点だろう。大丈夫、俺もそうだ。
そして大方の場合、小学校~高校までははっきり言ってクソだっただろう。
グレたか孤独だったかの二択しかない。家庭科の授業と体育は大嫌いだ。大丈夫、俺もそうだ。
そんなわけで、自分の才能はどこにあるか小学生の俺は考えた。運動、論外だ。絵、話にならない。勉強、出来なくはないが一番には到底なれそうもない。そんな時、読書感想文コンテストが市の優良賞に選ばれた。そうか、俺の才能文章じゃね?
そもそも「書きたいもの」がそんなにない。ファンタジーもSFもラブロマンスも特に好みではない。
なんとなく「文学」に憧れはあるが、そもそも文学ってなんだ。これは本を読まねばなるまい。
とりあえず「金閣寺」と「人間失格」を買ってみた。どっちも意味がわからなかった。ただ、人間失格を読んだとき「要するにゴミ野郎だよね」と思った記憶はある。これのどこがいいのだろうか、と真剣に思った。金閣寺は途中で放り投げた。
仕方が無いので、遊び人のおじさん(36歳、ヒモ)に相談した。面白い文学ってない?おじさんは「これを読め」と安部公房の「壁」を貸してくれた。世界がひっくり返った気がした。あの衝撃は未だに忘れられない。「S・カルマ氏の犯罪」「バベルの塔の狸」。まさに「衝撃」と呼ぶのにふさわしかったと思う。ようするに、文学とは衝撃なのだとそのとき俺は思った。「作者は何を言いたかったでしょうか?」という国語教育の呪縛から解き放たれた瞬間だったと思う。
おじさん、面白かったよ。とおじさんに本を返すと、次におじさんが貸してくれたのは
中島らもの「バンド・オブ・ザ・ナイト」と三島の「不道徳教育講座」だった。今思うと、中一に貸していい本では決して無いのだが。これらの本は「衝撃」という点では安部と全く比較にならないが、とにかく面白かった。中島らものラリった文章と三島と毒たっぷりのユーモア。おかげで、俺は加速度的に人生を踏み外していった。その後、叔父さんは叔母さんと離婚しどこかへ消えていってしまった。どこかで野垂れ死んでいるかもしれないが、元気ならいいな、と思う。
もともと、安部公房からスタートした読書遍歴だったのでとにかく「実存主義」というやつに俺は興味があった。
言うまでも無い、カミュである。「論ずるに値する議題は一つしかない、自殺である」(ちょううろおぼえ)のシジュポスの神話、なにより「異邦人」は安部以来の衝撃を俺に与えた。また、この頃俺の心を捉えたのはもう一つ、いわゆるビート文学である。ケルアック、ギンズバーグ、そしてバロウズ(これは中島らもの影響も強い)、そしてもう一つ。読書暦の長い人は次に何が来るか容易に予想が出来るだろうが、ドストエフスキーが直撃した。「カラマーゾフの兄弟」や「罪と罰」は当然として、俺の心をえぐったのは「貧しき人々」だった。あの主人公の愛すべきクズっぷり!誰も悪人はいないのに、誰もが加速度的に人生の谷底へ落下していく感覚。学校をさぼっては喫茶店でひたすら本を読んだ十代だった。しかし、サルトルに関してはさほどピンと来ていなかった。「嘔吐」が面白いとは全然思えなかったのだ。根っこをみたらゲロが出る、それで?といった感じだった。
この年齢になると読書に対する耐性もかなり固まっていたので、バルザックやゾラも読んだ、カフカも読んだ。ラテンアメリカ文学にも手を出し始めた。ボルヘスやマルケスも悪くはなかったが、なんといっても「ペドロ・パラモ」のファン・ルルフォが心を捉えた。セリーヌ、ジット、ベケット、クノー、ロブ・グリエといったフランス文学の一連の流れも好きだった。とにかく読みまくっていたことだけは覚えている。おかげで、センター試験の数学は4/200点だった。
そして高校を卒業した。この時期には熱心に小説を書いていたような記憶がある。だが、今読み返しても全く面白くもなんともない。無駄に重苦しい下手糞な文体、意味不明なストーリー展開、自意識過剰さだけがひたすら鼻につくクソみたいな小説だった。大学入試は願書を出すのを忘れた。家にもいられなくなり、家を出た。その後はなんか二年くらい働いた気がする。ある日ふと、立ち寄った本屋でテリー・イーグルトンの「文学とは何か」を読んだ。そうか、よし、文学理論をやろう!そう思って大学を受けた。北海道の片田舎で二年も働いただけあって貯金はそこそこあった。なんとなく某私大を受けたら受かった。奨学金を借りて、三畳間に住んで暮らした。死ぬほど楽しかったことだけは覚えている。図書館の充実っぷりと来たらすさまじいものがあった。幸せだった。いつまでもこうしていたかった。
大学の間は一生懸命研究をやったとしか覚えていない。卒業する頃、現実的に大学院はムリだと悟り就職した。その間に小さい文学賞や論文の賞を幾つか取ったけれど、デビューには全くつながらなかった。今はとある金融機関の出納担当をしながら小説を書いている。明日も早いから寝なきゃならない。何が言いたいのかさっぱりわからなくなったけど、とにかく小説っていいものですよね。人生って辛いですよね。そういうわけで、リンク先の増田にイーグルトン読めとお勧めしたいだけなんですよ。面白いよ。
http://anond.hatelabo.jp/20100604013330
父が「俺の腹具合を察して食事の支度をしろ」と言うことで、父が指図して作らせる、もしくは、自分で作るのなら自分の腹具合を自分で探ればいいのだけれど、妻だろうと娘だろうと、何の情報もなく、そこを察知するのは不可能なんです。
母は元々家庭科の先生で料理上手で、今でも出汁を取るのに前日から昆布を水に浸すような家事を行っていました。でも、母がどんなにレベルの高い食事を出そうとも、父のプライドを傷つける流れになったら全否定されちゃうわけです。
父はご飯を食べられることに対しては感謝の念など持っていません。それだけのことをしてきたのだから当然の報酬。回りが気を遣うのが当たり前だという考えです。特別扱いされることが長かったので、普通の扱いをされるとないがしろにしたと怒鳴りはじめる人です。
私はいつご飯を食べられなくなるか(経済的な理由で)戦々恐々の状態で、1食150円で抑えている状態です。現在は実家とは別生計なので、現在、私自身は父にご飯を食べさせてもらってるわけではありません。
私は子どもを育てるのは恩送りだと思っているので、子どもにご飯を食べさせるのに、いちいち「私が食わせてやってる」なんて言いません。父は自分の自信を妻子を虐げることによって支えているのだと思ってます。
ご飯を食べるって、こんな風に嫌な目に合わなければならないことでしょうか?
http://anond.hatelabo.jp/20100528224745
「ブラック」だとこっちは思ってるんだけど、私の親戚はみーんな「当然でしょ」って言うもんでストレスたまったんだよねー。
息子には「たくさん、お金稼いで、家事育児丸投げされても大丈夫な専業主婦してくれる人探しなよ」と言ってある。息子は家事能力無いから。冷蔵庫の中の物を取ってこれたためしがない。高校の家庭科の授業で塩と砂糖を間違えて「マンガの中の話だと思ってたのに、本当にやる人がいるんだね」と伝説になった大馬鹿もん。部屋を片づけると、今すぐ使う物まで押し入れにしまい込んで、全部出さないと使えないから、結局、部屋の中は物が散乱する。20歳越えて身に付かなかったんだから、たぶん、一生家事は出来ない。幸い、金は稼げるようになりそうだから頑張れと応援しているが。
娘は家でのんびりしているのがいいんだそうだけど、家事は苦手だわ、子供産む気ないわ、で、就職するしか道はない。「そこそこ稼げればいい」んだったら、なんとかなりそうなんだそうだ。
家庭ってのが、夫婦で力を合わせて、難局を乗り切るもんだ、なんて考えは、2人とも身につかなかったろうなーと思う。
しゃーないね。そういう家庭で育ったんだから。
でも、不思議なことに父親大好きだよ。2人とも。「子供との付き合い方を知らなかったんだろ」って「本人が子供なんだから、しゃーないじゃん」だそうだ。子供ってのは、親に甘いなー。
基本、人生負け通していたブサイクの俺がこないだついに同窓会に行ってきた。
高校まではクラスの隅でカビみたいに過ごし、家庭科の授業や体育が怖くて仕方なかった俺が
ついに同窓会に行った。
結果として、超気持ちよかった。
何故なら、俺は今年就職を決めたから。それも、かなり良いところに。
同窓生の半分くらいは高卒だったし、俺のレベルのところに就職を決めたヤツなど一人もいなかった。
しかも、いつの間にやら自分に自信が出たせいかペラペラと喋れて
大変居心地の良い思いをしてきた。あとモテた、23にもなると女がそれなりに打算的になるのな。
学生生活を満喫してた奴らが腐ってるのを見ると心底チューハイが旨い。
サッカー部だった連中も野球部だった連中も、ここまで来ればただの無職や零細勤務。
最早、二度と俺と同じ目線で会話など出来まい。
http://alfalfalfa.com/archives/381348.html#
他県のこととかはわからないですが、実感として学校現場に30代は少ないです。
僕は第二次ベビーブーム世代。
一回り上の世代はうじゃうじゃいて、それはそれで管理職になりたくてなれない人もたくさん出てくるだろうなと思います。
いったい同年代の人はどこに行ったんだろう?という感じです。
小学校は女性の比率も高いから男女比もアンバランス。2対8ぐらいかな、実感は。
で、このうじゃうじゃいる人たちが、例えば低学年しか担当できない、とか生徒指導主任とか無理、とかいろいろ難題を提示してくれまして、結局うじゃうじゃいる世代の一部の教諭か、数が少ない30代教諭に仕事や役割が回ってきます。
今小学校では担任以外に算数などで習熟度別クラス編成にしますが、その際に担任以外に少人数担当教諭という先生がいます。それから音楽、理科、家庭科など専門性が必要な教科は専科の先生がいて、担任以外が教えます。
こういう専科の先生にはうじゃうじゃいる人たちがつくわけですが・・・もちろんすごく頑張っていて、すごい授業をする先生もいますが、今まであった専科の先生は???の先生が多かった。それから「楽そう」という理由で特別支援学級の担当になる先生もいる。
そんなに仕事しないならやめたらいいじゃん、と思います。
このうじゃうじゃいる人たちに僕らのお手本となって引っ張ってほしいのですが、長いものには巻かれてみようと生きてきた人たちだから、何も教えてくれない。聞いても応えてくれない。自分で勉強するしかない。まあこれはこれでよかったんだと思いますが。
なんでもかんでも世代のせいにするのはよくないですが、よくないです。ただ今の30代はなんか損だなあ、とは思います。
ほんとにネットでちゃんと調べた? 半年ほど前ペッパーランチの事件があったときに、はてブでもホッテントリ入りした記事があったじゃない。
「食中毒菌は肉の表面にいるから、一枚肉は表面さえ焼けばOK。成型肉は中まで火を通さないとだめ。それを知らなかったのがあの事件の原因」っていうエントリが。
ちなみに牛か豚かというのはあんまり問題じゃなくて、代表的な寄生虫疾患で豚を中間宿主とするものってありません。一枚肉なら牛でも豚でも同程度に安全。戦前に米国で一例だけ報告された寄生虫感染事例のせいで家庭科的には豚は火を通すものになってるけど、寄生虫学的にはレアでOK。
教育の目的が社会的ニーズに合わせた個人の形成にあるならば、小中学校で歴史、理科、国語を教える意味はまったくないだろうね。
まず歴史。アホの一つ覚えみたいに旧石器時代からネチネチとどうでもいい知識を詰め込んでいく。しかも小、中、高と重複も多い。近代史だけで十分だろ。そもそも現在の日本のあり方語る上で、聖徳太子とか小野妹子とかもう、どうでもいい(聖徳太子は最近教科書には載っていないらしいけど)。明治から現代までの歴史を、くだらない年号とか一切抜きにして、さっと流せば十分。半年もあれば浚える。それだったら大学の教養課程でやりゃーいい。
国語はいらん。ここ参照。http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090214/1234584728
理科がいらないっていうのはわけがある。それは後で書く。
んで、空いた時間で何をするかっていうと、算数(数学)をばっちりと教え込む。課程の全時間をそれに当てる。あー、体育、音楽はあってもいい。家庭科はいらん。あんな包丁の持ち方とかお裁縫とかは家で教えろ。そもそもミシンの使い方なんぞ大部分の人間にとって必要ない。総合学習は即刻廃止。うちの学校では「一輪車の乗り方」を教わったわけだけども、人生においてまったく何の役にも立っていない。習字もいらない。もう毛筆なんぞ日常的に使う人間はいない。ユーキャンのペン習字でもやらせておけ。コンピュータは数学の実習という形で触れさせる。フィルタリングなんぞ必要ない。
高校入学後は、これに加えて経済、理科(生物学中心)を英語で教え込む。現代の経済学、科学はほとんど西洋で作られたから、わざわざどこぞの教授が自分の研究室の大学院生に編集させたり、ろくな知識もない学歴だけ無駄に高い高校教師が作ったような教科書を読む必要性はない。教える内容も、基礎中の基礎で十分。日経新聞や、日系サイエンスを読んで、とりあえず8割くらいわかる、という程度でOK。
大学では最低1年、望ましいのは2年間ほど教養教育に当てる。ここで初めて各人の選択で、古文やりたいやつは古文やったり、旧石器時代を習いたいやつは習えばいい。哲学やろうが、地政学やろうが自由。それを通過して初めて専門課程に進ませればいい。
今の日本で高校進学率の高さは異常。中学校までの義務教育で、「とりあえず社会で労働者として生きていくのに必要な知識」を与えておいて、そこからはもっと人数を絞り込んでやっていけばいい。明治時代のエリート教育みたいに。たとえば東大の数学科だとしたら、定員は10人もいれば十分。それでも多いくらい。その10人に対して3倍の数の教員が質の高い教育を提供すればいい。大学での教養課程も、「やりたくなければやんなくていいよー。ただし国際社会で恥かくのは君だからねー」でいいじゃん。無理やり必要もない人間に「人間の安全保障」とか教えても意味がない。自己責任でやっていけばいい。
小学校の教員も、最低博士課程を出た人間じゃないとなれないようにする。進級をアメリカの大学並みに厳しくする。必要な知識を身につけていない子供は容赦なく留年させる。勿論能力によって厳密にクラス分け。子供が「数学なんてやっても意味ねー」と言い出したら、「そうだね。君の人生にとっては意味がないよね。義務教育終えたらそこらへんの工場で労働者として頑張ってね!」でいい。
関係ないけど、修士課程も廃止。日本の修士課程は世界の中でもかなり独特で無意味な制度。博士課程4年、の一本でいい(MBAは例外)。
反発が予想されるのは、「楽そうだから」「若い女の子と触れ合えるから」って理由で教職に就いた、理科、社会科、国語科(古文、漢文)、保健体育の教員からだけども、かれらも頑張って労働者として働いていただけばいい。本当に熱意があれば、大学の教養課程で、エリート対象に教えればいい。
こう思ったのは、昔塾で勉強を教えていたときに、あまりに無駄が多いと感じたから。小学生が花崗岩を見分ける能力、名称を覚えることがまったく無意味だ、とは言わないけれども、もっと他に大事なことはいくらでもあるはず。種子島鉄砲伝来と、キリスト教伝来、どっちが先だったか覚えるのは、もうまったく無意味。何の流れも関連性もないだろ。センター試験を見てみても、本当に無意味な問題が多い。
まあ凡人には理解できないかもね。
個人的にその後の人生で使った科目。
国語は別にいらなかったなあ。個人的に本を読むのが好きだから学ぶまでもなかったような。
なんか専門の人は必要なんだろうけど、日常生活とか仕事で数学使う場面がない。
理科とかも同様。
家庭科は不要。ぜんぜん実用的な内容じゃないから。
実際に1人暮らしとか始めたら家庭科の知識とか使わないので。でも栄養学は必要かも。
体育はチームスポーツじゃなくて、いかに自分の健康を維持するかって方法を教えてほしい。
逆に卒業してからわかったことは現代社会の知識が不足すぎること。
現代社会は1年間すべての授業をそれに使うくらい集中してやってもいいんじゃないか。
経済の知識なしに進路決めるとか絶対ありえないから。
訴訟とか法律系の知識も足りないな。労働法とか学生時代に全員勉強しとくべきだろ。
http://anond.hatelabo.jp/20090326132240
共学って、青春できていいよなぁ~
僕の出身の群馬の場合、いわゆる進学校に分類される県立高校は、一部の例外を除いて男女別学になっている。
僕の通っていた高校も、県内有数の進学校だったのだけど、例に漏れず男子校。
一部の部活動では、近所の女子高と一緒に練習する機会があったりするらしいのだけど、あまりそこでカップルが誕生したという話は、意外なほど聞かなかったなぁ。
(そもそも、女子高の女の子はブs・・・以下自粛)
文化祭のイベントで女子高生と一緒にフォークダンスというだけで、異様に盛り上がってたたし。
ほとんど唯一の女性教師で、赴任してきた当初は、みんな用も無いのに職員室を覗きに行った思い出が(笑)
まぁ、校内に「恋愛カースト」が存在しなかった分、ある意味、のびのびと育つことができたのだけど、大学へ入ってからが大変だった。
僕の観察によると、男子校出身者が大学へ入って男女ともにいる環境に曝された場合、その環境変化への対応は、大きく分けて2つのグループに分けることが出来る。
これまでの不遇な環境を埋めるべく、やたらめったとくっつきまくる。元々、恋愛というよりエロへの強烈な欲望を持っていたにもかかわらず、不遇な高校時代に欲望を極度に抑圧してきた事への代償と思われる。変態ちっくな方向へ走る者も多い。
そもそも、女子という存在自体に無視を決め込むタイプ。まったく未知の生物である女子にどう接していいのかわからず、心の平静を保つため、初めから存在しないものとみなして行動する。主に、学部自体に女子学生の少ない理系で多く見られる。
料理できる人にはこの「分からなさ」がピンとこないだろうが、
「醤油:適量(or適当、など)」と書いてあった場合、超初心者は
「適量ってどのくらい?適当でいいの?でも醤油1リットルもいれたらさすがにダメなわけだよね?でも、じゃあ、どのくらいまでなら入れていいんだ?200cc?100cc?大さじ1?それとも小さじ?それとも一滴???全然わからん!!!」となるんだよwマジな話。
だから相場くらい超初心者本には書いておいてやったほうがいいと思う、「大体このくらいでいいだろ」という感覚が分かるようになるまではさ。
「醤油:適量【(薄味)小さじ1<――>大さじ1(濃味)】」
みたいな感じで。だったら初心者も小さじ1をとりあえずいれて、あとは徐々にいれて調節、みたいなことができる。
料理できない奴ってのは本当に出来ないからな。俺もそうだったが。湯をわかすことすら出来ないやつとかいるんだよ。家庭科の時間はどうしてたのか、ってよく言うが、家庭科なんて所詮グループ調理だから、大抵グループの中で料理がそもそも趣味で得意な子とかが一人さっさかやっちゃうもんなんだよな。料理できない生徒は、そのリーダー格の子の言う通り、なんか洗ったり、ちょっとじゃがいもの皮むいたり、とかそういうことしかやらない。
小学校高学年だが、口だけは一丁前のくせに勉強もスポーツも苦手。
趣味は特にない模様で、友達とゲームしたりして遊んでる普通の子。
特に障害らしいものも無い。
が、大問題があって、
しかし、私の小学校時代から見ても、お世辞にも「できる子」とは言えない。
むしろ分数の四則計算や割合の文章題がとんでもなく苦手で、
国語の文章をとおして読むのが苦手。拾い読みばかりする。
教え始めたころは小数の割り算が出来ないくらいだった。
「どうしてここまで放置したんですか?」と親に聞いたくらい。
しかし、それでも某有名学習塾に突っ込んでたらしい。
ついていけなくてドロップアウトしたとのこと。
なんだかんだと世話を焼き、ようやっと普通に算国は取り組めるようになってきた。
このまましっかり勉強すれば(本当に人の何倍も努力しなければならないが)
医者になることも不可能でないように思える。
しかし、私には「絶対に無理だ」と言える根拠がある。
それが親だ。
私のような若造が何を言っても無駄だと思って、雇われ講師をしているだけだが、
圧倒的にその子の今の状況を招いたのは親の問題である。
母親は週の半分以上、日中家にいない。帰ってくるのは夜。
それだけならいいが、
母親が有名校であることや医者の家庭であることに過度に敏感になっていて、子どもの資質、本質、気持ちを全く理解できていない。
全く褒めることをせず、テストで80点でも「1番でなければ意味は無い」と子どもに言うような母親だ。
また、主要教科以外は全く評価せず、図工や家庭科の「よくできました」には見向きもしない。
子どもが私に家庭の話をしてくる際にほとんど母親の愚痴で占められるのはどういうことか。
母親にしてもその子が医者になるのは無理だと悟っているところもあり、
現在は比較的よくできる下の子の世話にやっきになっている。
何事にもなげやりがちで、「どうせ〓じゃん!」などというのが口癖のようになっている。
このままでは学校の友人関係にも障りが出かねないようなまでの根性の曲がり方をしてきつつあるのだ。
この仕事をやってきて思うのは普通、「出来る奴には出来ない奴のことがわからない」ということだ。
親にしてみれば自分らが出来ることが子に出来ないのが理解できないのだろう。
だから「なんで頑張らないの!」と必死になる。
自分が出来るから、出来ない側が頑張る方法を知らないので、
とにかく「頑張れ」と言う。
それでは溝は深まるだけだ。
出来ない側の「そっちは出来るからわかるんだろ!」という論理を許すことになる。
出来ない子が何故出来ないのか、何が出来るのかをしっかりコミュニケートして理解し、道を指し示すのが親であるべきなのではないだろうか。
問題にしているのは、真面目に授業に出席している大半の学生に、理系の素養を学ぶ機会が少ない(だから国会議員ですら元増田の記事みたいな詐欺に乗せられる)という事じゃないのか?
理系の素養なら義務教育でも高校でも大学の一般教養でもやってるだろうに、それでも少ないなら全員理系の進路に進むしかないのでは?それに他の教科だって教える機会が少ないと思ってるであろうと推測できるはず。国会議員は理系の素養はなくても憲法や法律のやマクロ経済や金融をしっかり理解してると思ってるのかもしれないが現実はそうじゃない。
義務教育に手を入れるなら、元増田の記事みたいな詐欺を「最低限知っておくべき事」と位置づけ、それに合わせて教科書の具体的な内容を見直すという流れになるだろう。
詐欺の手口はいろいろあるから全部教えきれないだけでクーリングオフとか悪徳商法の種類とかは義務教育の家庭科でもすでにやってるよ。