はてなキーワード: 家庭科とは
いや、それは同人誌にも言えることじゃん?
ほとんどの人が、作品に対して愛情があるはずなのに、絵も漫画もイマイチでしょ?安っぽい装丁だし、中身も安っぽいし。
絵がめちゃくちゃうまい人、売れる人なんて一部だけ。
そういう「上手さ」と「愛情度」は別でしょ。なんであれ。好きだったら上手いわけじゃないし。
あと、レイヤーと一口に言っても、買うタイプと作るタイプといるからね。
で、買うタイプでも、数万するようなちゃんとした奴を買う人は少ない。
自作する人もまた、本格的に洋裁の知識を持ってやる人と、家庭科でちょっと縫い物したレベルの人がやったりと、レベル差が激しい。これは漫画の上手い下手と同じようなもので。
で、レイヤーのほとんどは、10代後半の女子(多分)。
彼女らは当然お金をそんなに持ってないので、高価な布も(拘り出すと結構いくんよ!)出来あいのも買えない。といって大抵スキルもない。ゆえに安っぽくなる。でもまあその辺の子は同時に、そんなにコスプレに拘りがないのであんまり気にしてない。友達とワイワイやるツールの一つくらいの感覚であることが多い。テニスの王子様のジャージを羽織って、何故かマスカラバリバリにつけて女の子ポーズで写真撮る、とか、そういう感じのコスプレ。余談だけど、この辺の子は、他人が使用したカラコンをオークションで落としたりとかするので、ちょっと怖い。
20代以上のレイヤーだと、拘り出す人が多い。けど腐女子も大学入学を機にオタをやめたりする人がいるのと同じで、コスプレも20くらいになるともういいや的に(というかそれ以前に一、二度やって終わりくらいの人もかなりいる。別に悪いとかじゃなく)やめていくので数は少なくなる。だから拘りのある人が全体からすれば少なく見える。
その辺になると布屋へいって真剣に布を吟味したりしている。
でもね、テカテカっていうけど、そもそも漫画・アニメの服を忠実に再現するとそうなるってのもあるんだよ。
ああいった破天荒な服を実在化させると、どうしても安っぽく見えがち。
そもそもテカテカしてる布で作られてるっぽかったりするし。
忠実に再現してペラペラなのを選ぶか、敢えて忠実さに目を瞑り、キレイな仕上がりにするか、それは好みだけど。
案外忠実にしてるから安っぽいって場合もあるんだよ。
漫画・アニメの服なんて、実際の服のようなことを考えてないからね。「これどうなってんの?どう脱ぎ着してんの?」って服はよくある。現実の服に似れば似るほど、安っぽくはならないだろうけど、逆にそういうコスプレは「しがい」がないからねー。「よつばと!」の風香のコスプレなんて、安っぽくなくできそうではあるけど、しても分かり辛そうだし(いたけど)。
やっぱり「これは再現難しいだろ」ってのほどやりたい。私の場合だけど。
でもそうするとどうしてもいかにもアニメアニメしていて普通の服より安っぽくはあるよ。
とまあ色々あるんですよ。でもそれも込みで楽しいよ。
俺の言った「話下手な女子」は、話の構成力とかが低いという意味じゃなくて、単に長時間しゃべり続けることが苦手な女子のこと。
話の構成力が低いことを自認しているひとはたいてい長時間しゃべり続けることは苦手だと思うが。
そして最初の
話すのが苦手な女子のことも考えてあげてください><
というのはそれをさしており、さらに
となると義務的にその苦痛な時間を45分なり50分なりすごさなければならないということになり、地獄以外の何ものでもない。
あくまでこれは「男が女にモテるようになるための訓練」であって、そのためにとにかく(意味不明でも)女子の話を聞き続ける訓練をしよう、って話。
これでメリットがあるのは男だけで、相手のメリットのためだけに苦痛な時間をすごさなければならない正当性は理解できません。苦痛を感じるのは少数派であったとしても、女にはメリットがまったくない。つまり、こういう提案は「性欲処理のために国は男に女を配給すべき」という言説となんら変わらない、一方的でかつ相手を道具としてしかみなしていない一例だと思うのです。
中学生の頃、「技術」って科目があったよね。技術家庭科ってやつ。
自分で入れ物の設計をして、ノコギリでギコギコやったり、はんだ付けとかしてちょっとした照明器具作ったりさ。
あんまり上手くないのに、やけに凝ったことをしようとするから一人時間がかかって学校終わったあとも居残ってたりしてたけど、でもなんか、好きだったなあ。ああいうの。
高校に入ったら、なくなっちゃって、あれ以来ああいうことをしていないけど、
大学はいってから妙にあの時の事を思い出して、あぁ、なんか作りたい、なんかわからんけど、とにかく作りたい……はんだ付けとか無償にしたいぜ……って気分が高揚してる。
でもなにをどうしよう。第一歩がまずさっぱりわからん。
ほかを考え出すときりがないね。。。。
だよね。
理想の学習指導要領が出来上がるはず
とかいったんだけど、ここでもよく紛糾するし、きりがないし、実際の学習指導要領作ってる人たちはよくやるよ、とか思う。ま、それが仕事なんだしやってもらわなきゃ困るんだけど。
ついでに脱線。
色のことや形のこと、切り方貼り方とかの加工方法、動植物といった食材と焼く煮るなどでの変化、砂糖や塩やその他栄養素の役割、体の構造や力など。
理科ってそういうところと結びつくから。
とはいえ、実際は明確な区切りなんてないから、そもそも分割にこだわる必要はないと思う。算数と理科や財務、語学と自国・他国の歴史や文化、文化と音楽や美術、そしてそれらの成り立ちは歴史、と相互に絡み合う方が自然だと思う。
わかった。
まずは小学校卒業までにある程度までは、みにつけておいてほしいことからやろうか。
ほかを考え出すときりがないね。。。。
父が両利き(元は左利きだったそうだ)、母が右利き。
生まれてきた私は左利きだった。
母方の祖母が「左利きなんてみっともない、
せめて箸と鉛筆だけでも右で持たせなさい」と言い、
友達にからかわれ登園拒否(結局卒園まで通ったのだが)。
箸も鉛筆も右で持つようになったが、箸はいわゆる交差箸だし
鉛筆も中指の変な部分にタコができている。
箸と鉛筆は右で、と言った祖母はもちろんその持ち方について
決していい顔はしていなかったが、
「左で持つよりは……」と自分を納得させているようだった。
(そして別に嫌われたり疎まれたりすることはなく、
他の孫と同様にしっかり可愛がられた)
字も汚くて、ペン習字に通ったが、
やっぱり綺麗な字は書けないまま現在に至る。
ボールを投げたり蹴ったりという動作や、
中年の家庭科の先生(女性)には包丁や針を右で持つように指導されて
全然できなかったため、5段階評価で1をつけられてしまった。
(多分今なら問題になるだろうが、10数年前の閉鎖的な田舎の中学はこんなもの)
そしてやはり社会に出ると、あちこちに食事に出かけたりすることが多く
箸の持ち方が前より気になることが多くなった。
と断っても、言い訳にしか聞こえないんだろうなあと思った。
正しい箸の持ち方について書かれたサイトを見たり
矯正用の箸を買って練習したが、力の加減がおかしいのか
どうしてもうまく握れない。
そして昨夜の食事中、唐突に思いついた。
左手で持ってみたらどうなんだろう?
すると、きちんと持てた。
何度右手でやっても加減ができなかった中指が
ちゃんと箸に添えられている!
慣れない動きのせいで指がつりそうになりながら動かしてみると、
きちんと挟むことができるではないか。
今は亡い祖母の顔を思い出しながら、ご飯を食べた。
英文和訳=日本語で文章を書く練習
英作文=教えてくれる教師がいない、ただし理系はできないと将来死ぬ
現代文=センターでは消去法でやる、一般ピーポーは古文漢文をやった後にやる、勉強しても点数自体での実りは少ないが・・・
古文=年寄りのオナニー、ただしセンターでは現代文より安定して点がとれる
漢文=年寄りのオナニー、ただしセンターでは現代文より安定して点がとれる
数学=問題はボールペンで解く、間違ったところは二重線で消す。
大学の試験で必要になるのは短時間で正確に解答を作る能力、書いた文字を消しゴムで綺麗に消す能力はいらない
世界史=結局やったもんがち、目的が手段を正当化する、ロールモデル
ノートのとり方=うっすらとある横線は無視する、あれは日本語を書くためのデザインではない
電子辞書で単語は覚えられない。あれで覚えられる奴は極一部の天才だけ
紙の辞書を使って、引いたところはマーカーをつけておく→単語を引いたときに前にも調べていたことが発覚→ショック→単語を引いたときに・・・→ショック→・・・この繰り返しが一番定着する。あとで見返したときに勉強した自信にもなる
職員室に気軽に入れるようにする
変なプライドは捨てて教師の前では教えを乞うものを演じる
大学受験の願書を書くのはかなり面倒
何かと不器用なことで悩んでいる。
まず、体育。球技がだめ。ボールをうまく扱えない。サッカーも小3で始めたが1年もたなかった。気がついたら感じる劣等感。
バレーでボールが飛んできてもうまく返せない。なぜかボールがまっすぐ上がらない。なぜかサーブが入らない。
サッカーで飛んできたボールをうまくトラップできない。見当違いな方に蹴ったボールが行く。シュートなんてもってのほか。
バスケなんて論外。あんな小さい輪っかに入るわけないっつうの。だいたいドリブルができない。ボールがついてこない。
当然他の種目もダメ。短距離走だけは平均ぐらいあったから何とかなったけど、長距離走なんか下から3番目から5番目くらい。
器械体操系はちょっとできたけど、別にめざましい活躍をするわけでもなく。
あと、カナヅチだった。中二のときは「生物は進化し陸に上がったのになぜわざわざ退化する必要があろうか」などと言っていたなあ。
図工、あるいは美術。
どうやったら絵が描けるのか分からなかった。大してやっていることは変わらないだろうになんであんな作品の質が変わってしまうのだろうか。
裁縫、ミシンなどは必ず残らされていた。終わるの後ろから3番目か5番目くらい。出来も下から3番目から5番目くらい。
先生の注意を反芻してしっかりやろうという意思はあるはずなのに、できない。
思うように手が動かず微妙にずれる、もしくは何かしら注意点とかやり方を忘れてやってしまう。
さらに、気がついたら作業が遅れている。友達と一緒にやっているように見えて、気がついたら二倍くらいの差がつく。
遅い上に雑でしかも回りにやり方聞いて迷惑をかけるという最悪な奴だ。
調理実習は野菜をとってくる、プリントを引っ張り出す、フライパンを洗う、箸を洗う、皿を洗う、そういうことしかしなかった。いや、できなかった。
音楽。これはもうちょっとましだった。小2からピアノを始めていたからだ。1年でやめてしまったが。
しかし、ましだというだけで、別に何もなく。
リコーダーは、指が回らなかったか音がちゃんと出なかった。まあ、それだけならみんなそうだから別に平均くらいなのだが、なぜか「音を聴いたらそれが音階上のどの音か分かる能力」を持っていたためにプライドは高く、ちょっとできないだけでずいぶんな劣等感を感じた。
そして、音痴だった。音を外す。歌っていると気がついたら音が外れている。「音を聴いたらそれが音階上のどの音か分かる能力」は歌には効果を発揮してくれなかった。リコーダーとか音がはずれるとそれを敏感に感じられたが、歌だと何も感じなかった。
中学に入って吹奏楽部に入って楽器を始め、結構頑張って楽器に関するコンプレックスはできずにすんだが、歌うことにおける音痴は直らなかった。カラオケなんかとんでもない。
授業だけでない。他の場面でもそうだった。
休み時間にするあやとり、折り紙。全然出来ない。あやとりなんかさっぱりだし、折り紙も、まず紙を半分にしっかりできない。裏側の白いのがはみ出る。どうやったらそうならずに折れるのか皆目分からない。
スキー、スケート。家族みんなができるのに自分はできない。中学のときに、4つ下の弟は思う存分滑っているのに自分は全然できなかったという記憶が残っている。
あと、自転車が乗れない。気がついたら乗れないままだ。
プログラミング。中学時代、周りにオタクが多かったんだが、彼らのうち何人かがプログラミングを始めた。自分も始めたが挫折。なぜかエラーが頻出する。周りはそういうこともなく形になっていった。
ゲームも苦手だ。対戦ゲームは最初っからへただし上達も遅い。後から始めた人の方がすぐうまくなるからやる気をなくす。ボードゲーム、カードゲーム、テレビゲーム問わず。
文化祭の準備で木材を切ったり、塗ったりするのも自分はできなかった。あまりに遅いし、あまりにできあがるものの質が悪いからだ。
とりあえず娯楽という娯楽、作業という作業において人より遅く、質が悪かった。
勉強だけはそこまでひどくなかった。
だが、これらのコンプレックスは消えない。何をやっても他人に劣る。
他人(いわゆるステレオタイプとしての一般人)よりできることは、まあ楽器がちょっとできるというだけだろうか。
でも、プレゼンテーションとか演説とかは得意。初対面となかよくなるのは得意。
しかし、人と比べると、当然のようにできることが出来ない上にしゃべることしか能がないのは本当にどうしようもない人間。さらに、病弱だとか家庭環境が悪いだとかのハンディキャップがあるわけではない。
悲しくなってくる。
このような悩みを共有できる人はいないのかねえ。
とりあえず聞いてほしくて増田に書いてみた。
何が悪くてこうなっちゃったんだろう。幼少時にずっと図鑑読んでて絵本も読まず折り紙とかそういうことを全くしなかったからか?
それとも、何事も続かない性格だったからか?
またやってしまった。
いつもこうだ。後先考えずに行動して勝手に放り出す。
作っては放置、作っては放置って何百回目だ。自分でも把握しきれない。
どうやら自分は「褒められると伸びる」んじゃなくて「ちょっと褒められると満足して飽きる」タイプらしい。
メルマガはひっそり流してたら頼んじゃないのによそで紹介されて読者数がいつのまに数百単位になってて反応が面倒で放置。自然に廃刊。
ブログはいつのまにかアンテナが100超えてた。そこらへんで飽きてそのまま放置。
イラストサイトは徐々にweb拍手を頂けるようになった。でも描きたいものを一通り描いたら飽きて放置。
仕事も。せっかく勉強して試験突破していまの職業に就いたのはいいけど。あk
最近はニコニコで小ネタをちまちまUPして「またお前かwww」とコメントもらうたびにニヤニヤしてる。でもそれも最近飽きてきた。
よく考えたら昔から熱しやすく冷めやすかったなあ。
美術や工作や家庭科の授業は大好きだったけど片付けが適当すぎるとよく窘められてた。
恋愛も片思いの間は好きで好きで仕方なくて周りに呆れられるくらい痛いのに、いざ付き合いだすとすぐ冷める。
服の好みが変わるのも早い。季節ごとに読むファッション誌が変わってる。1年前に一目惚れして買った服も好みじゃなくなってる。
きちんと終わりたいなあと思えば思うほど終わらせ方で行き詰まって、時間がみるみる過ぎていく。
「なあ、ゆき。バレンタインのチョコの作り方を教えてくれないか?」
平静通りに言えたと思ったが、実際の所、どうだったかはわからない。心の中ではそれどころではなかったから。
なぜかあたしはチョコを貰う機会が多かった。女なのに、だ。確かに悪い気はしなかった。元々甘い物が好きではなかったので食べるのは苦労したが、好意を向けられて悪い気はしない。でも、ほとんどは好意の、友情や親愛としてのチョコだったけど、中には本気であたしに愛情を持ってくれた子もいた。けど、あたしには恋だの愛だのって桃色なことはよくわからなかったし、彼女たちにそれを持てそうもなかったから、断った。彼女たちは取り乱すことはなかったけど、そうですよね………でも…ありがとうございました…!と、涙を目に浮かべながらも、精一杯の笑顔を作って返事されたときはさすがに心が痛んだ…
そういったわけで、あたしにとってのバレンタインとはそのようなもので、誰かにあげたり、ましてや告白するものではなかった。でも、今年はあげる立場になりそうだ…率直に言えば、好きだって伝えたい人ができた。
彼女たちには悪いが、あたしに告白して泣く少女たちを見て、泣くのならば告白しなければいいのに、と思ってしまったことも少なからずあった。でも、いきなり告白されて、いきなり泣かれたあたしの立場にもなってほしい。あたしが悪いのか?と思ってしまうこともあるだろう。でも、今なら彼女たちの気持ちがわかる。好きだって伝えたい…伝えなければ胸がはりさけてしまいそう…あたしがこんなこと言うだなんて知ったらみんなに笑われてしまいそうだけど、好きだって気持ちを知った今は心の底からそう思えるんだ…
でも、料理一つ作れないあたしがチョコレートなんて作れるとは思えない。自分一人でやろうとも思ったけど、家庭科の時間に小麦粉と卵と砂糖で毒物を作りあげてしまったあたしには到底できるとは思えない。クラスや部活のやつにもこんなこと恥ずかしくて頼めない。だから、あたしは、いろいろと恥ずかしい気持ちを我慢して(一週間前から言おうと思ってたけど一度も言えなかったし風呂やベッドの中でシミュレーションしてもいつも顔が真っ赤になって最後まで言えなかった)、幼馴染みのゆきに、清水の舞台どころかランドマークタワーから飛び降りる思いで、頼んだ。ゆきは料理が上手だし、それにゆきならあたしがチョコを作ると言っても、驚きこそすれ馬鹿にしたりなんて絶対にしないからだ。絶対に。ゆきはそういうやつだから。