はてなキーワード: あげまんとは
生涯の伴侶というなら3がいいと思うけど。
しかし、2もいろいろ考えることができる。
水木しげるの作品に、「影女」というのがあってな。
姿かたちは見えないし、言葉を交わすこともできないのだけど、確かにそこにいる、という女の話でな。
山田みたいなやつが、京都の古びた下宿に住むんだけど、そこには、何かわからないけど、確かに「いる」んだそうな。
ある晩、同宿の男が、それに触れたので、それを捕まえて縛り上げるんだ。
確かに触れるし、心臓のような音も聞こえる。
何かが「いた」わけだ。
その日以降、同宿の男たちはおそれてしまい、すぐに引っ越して誰もいなくなるのだが、山田はそれの石膏型をとってみる。
すると、それの姿かたちは無色透明で全く見えないのだけど、型から絶世の美女だとわかった。
調べてみると「影女」というらしい。
山田はかわいそうになり、縄をほどいてやる。
すると、山田に感謝しているのか、家事等の世話をしてくれるようになってな。
姿も見えないし、言葉も交わせないけど、食事も用意されているし、洗濯もしてくれるようになった。
影女あげまんだったようだ。
そして栄転、本社勤務を命じられて引っ越すんだけど、引っ越し先にも影女はついてきたようで、
変わらず身の回りの世話しくれている、という。
こういう話なんだけどさ。
姿かたちは見えないし、言葉をかわすことも体を交えることもできないのだけど、確かに山田と影女は
心が通じ合っていたんだよな。
こういうのを考えると、生活をともにして、お互いを大切に思える実体がある、というのは、それだけで
愛するに値するものだと思うし、言葉が交わせないからといってコミュニケーションをとれない、と
いうものでもないような気がする。
元増田は、2番の選択肢を性と家事という、わりと性差別的な女性性の役割だけを抽出した意図で設定した
のだと思うけど、ひとつ決定的に他の2つと差があるのは、「意思をもって行動できる」という点だと思う。
それはやっぱり、大きい点だと思う。
家事は性差別的な役割かもしれないけど、逆に女性から表現できる大きな愛情でもあると思うんだよな。
だから、なんだ。
2番の体の動きが、ルンバのように意思を持たない機械的なものならもちろん話になりません。
しかし、言葉は発せなくても、犬よりもっと意思を感じるようなものであれば、2番もかなり愛せると思う。
声だけ、というのも、その人格を愛しく思えるし大事だと思える。
生涯のパートナーという意味で、一生支えになってくれるのは3番なのかもしれない。
2番、案外悪くないんじゃないかなあ。