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はてなキーワード: 貴族とは

2008-05-21

国家機構の中のお公家となるには、戦前は三つの登竜門があった。東京大学陸軍士官学校海軍兵学校である。戦争に負けた結果、陸海のエリート士官)養成学校は廃止されたので、戦後60年、唯一の登竜門として君臨してきたのが、泣く子も黙る東京大学法学部である。

それとは別に、氏(うじ)はさまざまながら、きわめて自然にお公家さんに成っていくグループもある。政界とか大手企業の三代目がそれにあたる。

三代目の特徴は、いろいろあるが、「売り家と唐様で書く三代目」と江戸川柳にもあるように、まず経営能力(戦闘能力)が欠けていることを挙げることができる。企業でいえば、一代目が築き二代目が拡大した事業を、三代目でぶち壊す、というのが江戸期からの伝統的な有り様(ありよう)である。

彼ら三代目は極めて「ジコ中」であり、他人は自分に奉仕するために存在していると思っているようで、特に弱者へ配慮する心と言うのは、まったく育っていない。注意されても、その意味さえ理解できないように見受けられる。

また、「ボクちゃん、凄いんダゾ」症候群に冒されているのも多くに共通する特徴である。何しろ大物であった初代や先代の話を、子供の時から何かにつけて聞かされてきたものだから、そのイメージが頭の中に定着してしまっている。そのため、自分の力量を勘案せず、ついつい背伸びして、「ぼくちゃんだっておじいちゃんのようにすごいんだぞ!」と力みかえる癖が見に染み付いてしまっている。なにか目立つことをやりたくてたまらなくなる。たとえば、戦後60年、誰も手をつけられなかった憲法9条を「ぼくちゃんが改訂してやる」なんてリキミもその一つの現れである。

ともあれ、科挙試験東大法学部入試)を通ってきたお公家と、この生まれながらの金持ち貴族自然体で変身したお公家さんは、出てきたところが違うとはいえ、同じお公家として共通項をたくさん持ってるから、互いに連合して、やりたい放題やることになる。政官財、三位一体である。

2008-05-08

http://anond.hatelabo.jp/20080508131314

六本木ヒルズに住むならともかく、都内の練馬区江東区なんかの4LDKなら5000万円もあればそれなりのが買えるよ。例えば東大島新築4LDKが3190万円(モナーク東大島ファーストコート)。ここらへんは通勤30分圏内。

ただ、それならマンションなんかじゃなくて土地付き1戸建てをちょい上乗せして買った方がいいかもしれないね、家族で住むなら。

5000万を10年で返すには家族4人だと年収2000は必須

東大島子供を育てるには柄が悪すぎる

そのおおざっぱさが貴族様なんだよ

子供が個室を欲しがって家にいる期間はせいぜい10年

そのためにマンション買うのはバカだから買わないんだよ

2008-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20080504122757

そのメカニズム

貴族階級セックス以外の娯楽があるからというのが有力だけれども、身体能力が衰えているというのもあると思う。

http://anond.hatelabo.jp/20080504102047

アダム・スミスが、有閑階級の婦人は一人の子を産むことすら困難な例は珍しくないが、労働者階級では10人以上の子を持つ例も珍しくない、みたいなことを書いてたっけなあ。そのメカニズムはとりあえず不問にするとしても、結果として、個々の人間の豊かさと生物として殖えることはバーターになってるんだろう。

出来たらこれのソース希望

古代ローマでも知識階級少子化がひどく問題になってた

http://anond.hatelabo.jp/20080504105429

概ねその通り。生む控えるなんてのはアダム・スミス時代の貧乏貴族みたいなもんだから、もっと貧しくならないと効果ない。生命の危機的な状況に置くと殖えるらしいよ。

http://anond.hatelabo.jp/20080504094325

自分も本能ではないと思う。

でも、よその地域と比較してある程度文化が成熟しちゃった地域では少子化が進行しやすいんだよね。

価値観が多様化して、子供作らなくても世間的に許されやすい状況になることもひとつの要因だし、

若いうちは子供作るよりも勉強したり仕事の基礎作ったり遊んだりしないとっていう風潮もあるし。

古代ローマでも知識階級少子化がひどく問題になってたっていうよ。

アメリカ人口が増えてる理由はヒスパニック移民問題が絡んでるから少し意味合いが違う。

単純に日本人口増やしたいなら移民OKにすればいいんだけどいろいろ問題多そうだからねえ。

日本少子化にいちばん効く薬は、一度日本経済世界のソレに比べてどん底くらいにまで落ちることだと思う。

なんだかんだ言って、日本に住む大方の人間は、飢えることもなく余暇暇つぶしに追われる貴族みたいな生活してるわけだしね。

2008-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20080421140844

非モテの話が出るたびに気になってしまうことなんだが、モテるために努力をしなくてはいけなくなったのは、比較的最近のことなのではないのかということ。


いやいや、皆婚だったのなんて(誰でも適当に相手をあてがわれたなんて)長い目で見れば明治以降のごく限られた時代だったんじゃないのかね?

江戸時代なんて、独身のまま死ぬ男がどれだけいたか。なんせ男女の割合にえらく差があったわけだし。

平安時代とかも貴族は歌の才能とか顔とかそういうのでモテるモテないが決まってたんじゃなかったっけ?

2008-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20080421141701

やっと言いたいことがわかったのでまともに話ができるかもしれん。

俺はその反論1の質にしか興味がない、というか、その例1を引き出すための挑発として最初の質問を仕掛けてる、という側面があるんだよね。で、案の定真っ先に例1で応じてんだから世話がない。

だったら釣られた俺が馬鹿だったし、あんたも相手を間違えた。それだけのことだな。

あと、興味はないとはいえ一応指摘しておくと、その例1例2例3といくつも用意するやり方においては、例1と例2と例3が矛盾対立するようなものであってはならないはずだろう。でなければ、ためにする議論になってしまう。話者に一貫したスタンスというものがなくなってしまうからね。

言いたいことはわかる。ただし、俺のスタンスはいわばメタなもので、「この前提は絶対に正しいからまず認めろ」というのがまず嫌なんだよ。むしろ、「あんたが絶対と信奉している価値観は別に万人が無条件に認めるような絶対的なものではない。あんたと相対立する価値観にもそれなりの合理性があるはずだ、例1、例2、例3など。さて、どこを議論の出発点にしようか?」ということを誰に対してもまずやる。逆に言うと、俺が信奉している価値観を正しいと押し切る根拠なんてどこにもないと思っているから、価値判断の源泉については「見せろ」と言われなければ見せない。宗教論争になるのがいやだからね。

ちなみに、こんな話もある。細部は違ったかもしれん。

釈迦が人に「神はいるのか」と問われて、「いない」と答えた。ところが、次に人が来てまた同じことを問うたとき、「いる」と答えた。これを見ていた弟子が「どうして矛盾する答えをするのか」と問うと、釈迦は「あの二人が『神』という言葉のもとに思い描いていたものは違うではないか」と答えた。

別に自分を釈迦と並べているんじゃなくて、「神」の定義が違う人間が二人で言い争うのは嫌だということね。相手の土俵を推定して、相手の土俵でものを言わないといかんだろうと。

ディベート戦術としてでも、なんでよりにもよってこんな反論選ぶんだ、と俺は思ってしまうわけだ。

あんたに納得してもらいやすい話を選んだつもりが裏目に出たというだけだよ。正直、あんたのことを当初の言動から「学校勉強なんか役に立たん、英語コミュニケーション能力だけがあればよいのだ!」的な反知性主義者だと想定したもんでね。さすがにそれが釣りだとは想像できなかったが。

うーん? それ英語言語としての性能とは関係のない議論だよなあ。

俺が言いたいのは、あなたのように公平性を重んじる価値観からは、英語採用する理由は全く出てこないだろうということ。言語の性能(性能というより習得の容易さだな)はその中の例示の一つにすぎない。

別に俺は古典教育の廃止を唱えているわけではないんだよね。何度か言ったけど。

廃止と言わぬまでも、量を減らせとは言っただろう?なし崩し的にゼロになってしまう論法だから反対したわけだ。正直、「上を下に合わせさせる」というのは暴力的だと思う。

どこかの象牙の塔の一室ではそれで通用するのかもしれんが、企業社会ではちょっとダメだそれ。

情報工学」全般の話をしているのに企業社会だけを想定する必要などなかろう。大雑把な言い方をすれば、大規模情報システムだけがITの全てではないということだ。

だいたい、Cやアセンブラが使える人間JavaやらC++を覚えて標準的な書法で書くことは、好き嫌いはともかく本質的には難しいことではないわけで。道具の使い方を覚えるということに対して「必要があればやるけれど、必要がなければやらない」というのは非常に当たり前の立場だと思うがね。

で、どのC++クラスライブラリが重いというのか、とか、C++FORTRANについての議論については、君は全面撤退ってことでいいのかな? 具体的に質問に答えなくなっちゃったからなあ。

どっちでもいいよ。だいいち、数値解析の専門家C++で書いたコード普通の数値実験屋がCで書いたコードの性能の比較なんて問題は非常に枝葉末節じゃないか?そもそも、「普通の数値実験屋」がどういう奴かという範囲の取り方でいくらでも恣意的な結論が出てくる話だから、議論して実になるとも思えない。

そもそもそんなことを言えば、FizzBuzzすら書けない奴がCで書いたコードより速いコードPerlなんかで書くことさえできてしまうかもしれないが、そんなの別に自慢にもならないし、(たとえば)数値計算Perlを使っていい理由になんてならんだろ。俺も論旨を混乱させた責任はあるが、そもそも話がずれすぎている。俺が言っているのは、「速いコードを書くことが理論的に可能かどうか」ではなく、「速いコードを書くために本人が持っているべき素養」の話をしているわけで。

そしてそもそもこの話自体「素養」というものが必要か否かという点から分岐したものだから、その意味でもこの話は必要なかろう。


以下蛇足。

あと、ギリシャ民主主義については明確に誤解。ギリシャ伝統を引いてくるのは反王権主義者が持ち出した大義名分的なものであって、明治維新で倒幕派が天皇を担ぎ出したのと同じこと。

それ相当偏った歴史観じゃね? ためにする反論なのか、それとも本気なのか、どっち?

俺はむしろ君の方が相当偏ってると思うけどね。だって古代ギリシャ民主政が途絶えてから一体何年経ってたわけ?それに、市民革命の基盤になったのはむしろ封建議会の方なわけで(これもいちゃもんはつけられるけど)、これはむしろゲルマン文化のはずだよ。それをどうギリシャ文化の伝統と理解するのかかなり不思議明治維新だって王政復古を唱えていたが、どう考えてもあの政体は西洋からの輸入品でしょ。同じことだよ。あんな政体が歴史日本存在したことはなかった。なんで戦前、あんなに後醍醐天皇があんなに高く評価されたと思う?

いや、貴族階級は言いすぎだろ。市民階級でいいと思うんだが、そこは。元々民主制って始まりはそういうもんだろ。惣とか寄合から近代民主主義を導けるというならやってみてくれよとしか。

ちょっと調べてみたが、貴族階級は余り適切でなかったようだ。そこは撤回

導けるわけがないから聞いてるんだよ。ただし、始まりはそういうもんに決まっているが、それが本当に現代と連続性があるのか、と俺は聞いているわけなんだが。

そもそも、都市が自治を行うのはギリシャポリスじゃなくても歴史的に普遍的な話なわけで(英語Wikipediaを引いたら戦国時代の堺が挙げられていてびっくりした。さすがに思いつかなかった)、誤解してるかも知れないけど日本江戸時代でさえ町役人って町人階級だからね。つまり、民主主義にとってはギリシャ思想が必要不可欠なものであるという根拠はますます疑わしいと思うんだ。だいたい、それを言い出したらアメリカはなんなの?あれこそ、草の根民主主義たる植民地自治政府の発展じゃない?

http://anond.hatelabo.jp/20080419131442

あと書き忘れ補足

あと、ギリシャ民主主義については明確に誤解。ギリシャ伝統を引いてくるのは反王権主義者が持ち出した大義名分的なものであって、明治維新で倒幕派が天皇を担ぎ出したのと同じこと。

それ相当偏った歴史観じゃね? ためにする反論なのか、それとも本気なのか、どっち?

ギリシャ民主政というのは市民階級貴族階級と言おうか)だけのものであって、そんなことを言えば日本の惣とか寄合の方がよほど民主的かもしれない。

いや、貴族階級は言いすぎだろ。市民階級でいいと思うんだが、そこは。元々民主制って始まりはそういうもんだろ。

惣とか寄合から近代民主主義を導けるというならやってみてくれよとしか。

2008-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20080418015808

未熟なハンターは迷惑なだけじゃなくて危険なんだよな。人を間違って撃つおそれがあるから。

ネット見てると疑似科学叩きとか歴史修正主義叩きとかやってる人がいるけど、後者はともかく前者についてはそういう意味で俺はかなり苦々しい思いがあるんだよね。なぜなら、疑似科学ハンターやってる人間自身が科学的思考法をろくすっぽ理解してなかったりして、これもまた科学哲学をろくに理解してない「科学主義者叩き」の温床になってたりする。で、そういう奴らが科学であろうと歴史学であろうとあるいは科学哲学であろうとそういう分野への偏見を増殖してるんだから、専門家にとっては迷惑この上ない話だよ。

それで、君は何が目的なのかな?ウヨあぶり出しとか言ってたけど、わかっててわからんふりをしてるのか、本当にわかってないのかどちらなのか。

俺が言っているのはあくまで「君の意見には反論がいくつも考えられて、たとえば例1、例2、例3・・・」という話だ。君はその中で、俺が「例1」まで言ったところでそこに延々と噛み付いて、それを元に反動主義者だとかウヨ認定だとかしてくれてるわけだよね、俺に。正直、確かに「例1」は粗雑な議論なんだが、自己啓発厨やネトウヨみたいな反知性主義者なら一番簡単に料理できる論法なんだよ。ところが君は反知性主義者じゃなくて素朴近代主義者だったわけで、その意味ではかえって逆効果だったかもしれん。ただそこを見誤ったというのはディベート戦術としての問題ではあっても、勝ち負けで議論しているわけではない俺としては別になにも痛くないわけだ。

これがわからんのだったら、正直本気で頭が悪いと思うぞ。君はswitch文で最初のcaseに引っかからなかったらswitch文を抜けると思ってるのかね?

で、いつまで撤回した仮定を引きずるわけ?w

つまり、君が絡まなくなるまでだ。

何かひとつ共通言語がないとITなんてやってられん、というのは厳然たる事実だろ。

別にITに限ったことではない。だが、英語である必然性はないと言っているんだ。むしろ、近代科学の初期の頃にラテン語が用いられたことに比べてこの点では退歩している。英語という言語は公平ではないし、習得が容易なわけでもないんだから。

ナショナリズムの浸透によって各国で自国語が用いられるようになり、第二次大戦の時にヨーロッパの有力な科学者がこぞってアメリカ亡命したことが結果的に英語一極支配を作ったというだけのことだ。つまり、英語支配というのはアメリカナショナリズムの勝利ということなのだ。

で、それを「韓信の股くぐり」で受けいれるというのなら俺は反対しない。しかし、文化資本英語文化資本あるいはそれと類似の構造の産物だぞ?)による階層格差を否定する君が、「英語帝国主義で構わん」というのだから、これは明らかなダブスタだろう。それを俺はおかしいと言っているんだ。

教育ってのは、特に公教育ってのは、底上げのためにやるもんであって。

底上げをすることと、古典をやめるなどして内容を減らすことは全然関係がないだろう。それからもう一つ、俺は「普通東大生数百人のレベルをギリギリにチューンする」なんて話は一度もしていない。

それは、特にアセンブラが必要でもないケースでか? ちょっと勘弁して欲しいなw まあ仕事としてうまくやれてるならそれでもいいけどさ、特殊ケースだろ?

特殊ケースじゃない。大多数の人にとって計算機プログラミング言語というのは単なる道具だからだ。字を書いてる人間はいくらでもいるが、みんなが書道を習っているわけではないというのと同じこと。計算機自体が目的ではないのだから、不便を感じなければ勉強しない、他にすることはいくらでもあるという人は多い。だから、それ以上の領域は趣味と考えるべき。その意味で、明らかに筋の悪い無駄コードを書かないようにするための感覚だけが身に付いていればそれでよしと考えるのは割と普通のこと。

以下は枝葉末節

具体的に挙げてくれる? 君の議論の最大の弱点って多分具体性がないことだから。

いや、君の「役に立つ」の基準がわからんと、また筋違いな方向から噛み付かれるだろうからうんざりしてるんだよ。君は何をもって「役に立つ」としているのか、それを挙げてみてくれ。率直に言えば、普遍的な観点から「役に立つ」なんて断言できるものはほとんどないと思うが(洋の東西を問わず)、絞ってくれれば答えもできよう。

そりゃ「影響」はしてるだろうがな。別にキリスト教の神である必然性などない。/いや、親鸞の書いたものは当然古語で書かれてるでしょ?

一神教文化圏で「神」といえば論理的に当然限定されるわけだが。まして、冠詞がある欧米語では"the God"のようにそのことは明示される。で、日本古典というのは君にとって親鸞以外読む価値がないのか?ちなみに親鸞というのはむしろ江戸時代以前の過小評価反動明治以降に過大評価されているんだが。正確に言うと過大評価というより、君のような近代主義者が、日本プロテスタンティズムの代替物を無理に求めた結果親鸞を再発見したということだ。

いや君がニュートンを引き合いに出したんでしょうに。民主主義に関してはギリシャにまで遡って意義深い書籍を見つけることは出来るだろうなあ。

さすがにニュートンより古いものを引用する奴はいないからなあ(ガリレイとかならあるかも)。あと、ギリシャ民主主義については明確に誤解。ギリシャ伝統を引いてくるのは反王権主義者が持ち出した大義名分的なものであって、明治維新で倒幕派が天皇を担ぎ出したのと同じこと。ギリシャ民主政というのは市民階級貴族階級と言おうか)だけのものであって、そんなことを言えば日本の惣とか寄合の方がよほど民主的かもしれない。

2008-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20080328100837

別にそれで全然問題無いと思う。

あれこれブラウザを試すのは余裕のある人だけでいい。

標準でついているものをわざわざ変える必要は無いし、

IEなら、WindowsUpdate適当保守もしてくれる。

どこかの国の貴族が自分達のステータスシンボルとして銀の食器を使って、礼儀正しく食事をしたように、

FirefoxSafariを使うのも一種のステータスシンボルとしては、あり得るとは思ってるけどね。

2008-03-12

http://anond.hatelabo.jp/20080312004624

それが、過度の東京一極集中を問題視する必要がないという事にはならない。

過度かどうかは思い込みでしかないと思う。一極集中なんて昔からずっと騒がれてたんだしちょっとやそっと減ったところで問題視する人はずっといるでしょ。だからといってその問題意識を共有する義務はないわけで。いやなら東京に行かなければいいだけなのに東京に行きたがるのが悪いかのように言うのは居住移転の自由の侵害じゃなかろうか。若者は何で田舎にのこらず東京に行くのかも考えずに搾取だ格差だとか言うけど、待遇の悪いDQN会社に社員が優良企業転職したがると似たような問題。賃金低く職場環境悪いところからそうでないところに移るのは前者後者搾取してるんだろうか?逃げ出されるような会社が逃げ出した社員から搾取してたのでは?

昔からそうだったから世の中そういうものなのだというのは、ただの思考停止では。

かといって何でも昔と違うほうがいいと思うのも思考停止

江戸時代から高度経済成長期にかけての時代と現代では状況が全然違うわけで。現代のように高齢化問題など無かったのだから。

少子化子供が少なく、老後の親の面倒を見る人間が他にいないから実家から離れるわけにはいかない。

老人は引越しできないとでも?自分の祖父母は田舎から都会にいる子供のところとかに引っ越してるから介護問題があるから移住できないってのは思考停止に見えてしまう。介護がいるからこそ医療施設や交通インフラの整ってる都会のほうがいいと思うだけど。移住するかどうかは自由だけど、移住したくないから都会に行ったやつは田舎に金よこせというのは勘弁してほしい。

若い人も所得が少ないから満足に家だって持てない。奥さんと共働きしないと生活が維持できないから

定年を迎えた自分たちの親に自分たちの子供の面倒を見てもらってやっと上手く生活が回ってるという家も少なくないのです。

そんな地方の人間東京に出る余裕があると思いますか?

都会は東京だけでもないし、引っ越すほうが負担ならしなければいい。引っ越せとか命令してるわけじゃないよ。引越しは特別なことではないといってるだけ。

直接的にではないにしても、利己主義に走りすぎた王侯貴族は大多数の貧民によってギロチンで首を切り飛ばされる日が来るでしょう。いえ、来るべきだと思います。

貴族から金奪いたい貧民だって利己主義では?利己主義が悪いというなら自分が不利益なことでも気にしないべきってことになるはずだが、他人を利己主義とののしる人ほど自分の欲望は無自覚に肯定しちゃうダブルスタンダードなんだよなあ。

2008-01-26

教委主催講演会に行ったら、講師が「つくる会」だった件。

 

前書き

ほぼ記事タイトル通りの出来事があったので思わず匿名ダイアリー

(厳密には、八木氏はかつてはつくる会会長だったが、今はつくる会とは無関係

 

書くの初めてなので、読み難ければ申し訳ない。

 

先に書いておきますと、私は公立校勤務です。

で、私が勤務する地域では、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書を採択しています。

 

この教育講演会教職員一斉研修会)は、教委が主催したもので、基本的に地区内の全職員(学校事務職員も含む)が参加しました。

 

講師は八木秀次氏(日本教育再生機構理事長)。

 

恥ずかしながら、誰だか知らなかったんですが。

 

忍び寄る何か

開会前、もらったレジュメを読んでいると、最初に出てきたトピック

“「不当な支配」の主体の転換”

という内容。

 

教育基本法の、

教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである(旧第十条)」

という規定が、

教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない(改正第十六条)」

と改められたことによって、服してはならない「不当な支配」の主体が、

 

before:政府の圧力

after:日教組などの職員団体

 

と変化しており、政府首脳部からもそのような見解に立った発言が相次いでいる……という鋭い指摘。

 

私としては、

「なるほどそうか……。これは大変だな」

と思ったわけなのですが、その先を読んだら

「……なんか違う?」

 

なにしろ、いざ講演が始まったら、この

政府=正当な支配」

「職員組合=不当な支配」

という立場を全面的に賞賛する論調でして。

 

日教組に参加してる職員が1%切ってる本地区でそんなこと言われてもな……。

(うちの地元には、「教職協議会」という、日教組とは別の組織があり、これが97%の組織率を誇っています。

方針としては、行政との対話路線。

私もそっちに入っています。

まあ、日教組の勧誘姿勢もアレだし。

新採の時、勧誘パンフが送られてきて。

ガリ版刷りの楽しげなパンフレットだったんですが、封筒に

「教え子を戦場に送るな!」

って書いてある。

言いたいことはわかるがちょっと引いた。)

 

内容は、なんというか、ツッコミどころ満載だったんですが、まず特に違和感を感じた点。

 

滅びこそ我が喜び。死にゆく者こそ美しい。 byゾーマ(DQ3)

講演の中で、エルトゥルル号の遭難とか、有名な“美談”がいくつも紹介されるわけですが、その中に真岡郵便電信局事件の話も出てきました。

 

第二次大戦末期、樺太ソ連軍が攻め寄せてきた時、最後まで電話交換所に残った女性達が、青酸カリを飲んで自決した事件です。

事件名とか知らなくても、

「みなさん、これが最後です。さようなら……さようなら……」

とかいう台詞は聞いたことある人は多いのでは。

 

で、八木氏は、自決した9人の女性電話交換手のことを、

日本人公共心の高さ、責任に殉じる態度が現れたもの」

とか褒め称えるわけです。

 

……ところで、これは教育講演会なんですが。

このエピソードを教育にどう生かせと?

 

彼女たちの行動こそ、日本人の鑑、責任に殉じる素晴らしい態度である。

お前達も、もし同じような状況に置かれたら……」

 

置かれたら?

 

自分の子どもになんと教えて欲しいかは、人によるかも知れませんが。

 

私としては、子どもたちには

「なんとしても生き残れ。命を大事にしろ」

……って、教えるべきなんじゃないかと思ったり。

 

ちなみに、八木氏は全然触れなかったことですけど、その時当直だった女性交換手は、全部で12人いたんです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%B2%A1%E9%83%B5%E4%BE%BF%E9%9B%BB%E4%BF%A1%E5%B1%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

で、死ななかった3人は、最初は押し入れとかに隠れててですね。

そのままソ連統治下で職員として再雇用され、日本にも無事に帰ってくるんですけど。

 

彼女ら3人は、「責任に殉じ」て死ななかった駄目な日本人なんでしょうかね?

 

少なくとも、八木氏の言う

ソ連軍は、刑務所から出てきたゴロツキみたいなのを最前線の兵士として送り込むわけですよ。だから、女性は陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです」

……というのは、この場合は事実に即してないと思います。

 

……まあ、ソ連軍がひどかったのはわりとかなり事実だと思うんですけど。

 

また、沖縄集団自決の件について、八木氏は、

沖縄というのは、長らく琉球王国という日本とは違う国で、その後は島津の統治下になり、近代化されたのが他の地域よりも遅れた土地なんです。

だからこそ、日本人的であろう、という責任感が逆に強くなって、それでああいう事件が起きたのではないかと思います」

 

という、目の覚めるような主張を展開します。

 

なんで目が覚めるかというと、すごいアクロバットだから。論理の。

危険なのでよい子はまねしないでください。

 

もし沖縄県民があの場にいたらかなり血圧が上がったんじゃないか、と思うんですが、あれはたぶん、戦わずして論敵を脳溢血で葬ろうという高度な戦術なんだと思います。

危険なのでよい子はまねしないでください。

 

ていうか、「集団自決」と「責任感」がどうつながるのかそもそも良くわからんのですが。

なんか、とにかく死ね責任感がある、みたいな話で、日本文化の奥深さを感じました。

 

「命どぅ宝」のお婆さんは、やっぱり駄目な日本人なんじゃろうかね。

近代化が遅れた地域だからな。

 

あとまあ全般に言いたいことは山ほどあるんですが、重箱の隅つつきは後回しにします。

 

本当の戦いはこれからだ!(打ち切り

とにかく、こういう歴史観のリビジョン促すような講演会に、公務として参加させられるのが、本地区の実態なわけですね。

開会が14:00でしたから、どの学校も特別日課で対応したと思います。

本校でも、当日は授業を午前中で切り上げて参加したわけですよ。

 

もちろん、講演聞いてる間にも給料が出てます。勤務時間内ですから。

なんという教育予算の有効活用

 

内容に疑問を感じたのは何も私だけではなくて、翌日の職員室では批判大会

 

「○○中学校社会先生も、あれはひどいと言っていた」

「○○小の先生に聞いたら、あれは有名な右翼だと」

「終わった後、あの先生と偉い人達とで飲み会があったらしいから、八木先生は急いでいたわけじゃないらしい。なのに質疑応答の時間を設けなかったのは、意図的なものに違いない」

 

……ええーっとですね。

つまり、「つくる会」の教科書採用した地域の学校だからといって、教員が唯々諾々と「つくる会史観に染まるわけではない、ということですよ。

 

このことは、左右どちらの論者にも覚えておいて欲しい、と思います。

我々はロボットではない。

 

いや、染めることを目的にした講演会だったんでしょうけどね。

 

本地区では、教育長はじめ偉い人が「つくる会」の支持者です。

その一存で採択が決まったようなもので。

 

しかし、「つくる会教科書を採択した、というだけで、かなり外部からの批判にもさらされてるし、学校現場にも不満があるのが実態です。

なので、教育委員会の方針に疑問を持っている教員を「啓蒙」しよう、というのが、この講演会趣旨だったんだと思います。

 

しかし、今どき、中学生ならネットくらい使いますよ?

真岡郵便局には女性交換手が12人いた」

くらいのこと、10分もかけずにわかっちゃうわけですよ。

 

授業で、“公共心ある日本人”の美談を得々と語って聞かせたら、生徒から史実に基づいたツッコミが入る可能性くらい容易に予想されるじゃないですか?

そういう意味では、都合のいいことだけ書いた教科書というのは、発行する側は気分がいいかもしれないけど、現場人間にとっては迷惑そのものなわけですよ。

 

……ああ、そうか、授業で質問の時間を設けなきゃいいわけですね。

さすが日本教育再生機構理事長

率先垂範を地で行っておられる。

 

で、その他、「作る会」教科書を使ってると高校受験に対応できないとかいう現場の苦悩をよそに、首長とか教育長とか、講演会場の最前列に座っていてですね。

で、講演会が終わった時なんか、立ち上がって喝采してるわけです。

 

スタンディングオベーションかよ偉い人。

 

とりあえず絶望した。

現場がなんとかしないとならん。

 

重箱の隅つつき。

以下、こまごまとしたこと。

 

*紀元は2600年。

八木氏は、聴衆に「日本の建国はいつか?」と問うて、「それは西暦600から700年前後である」とします。

 

なぜなら、「日本」という国号が成立し、「公」の意識誕生したのがその時代だからだ、というのです。

ちなみに、ここで言う「公の意識」とは、天皇を中心とした中央集権体制の確立のことを指します。

天皇独裁者ではなく、「国家の公的統治を究極において体現すべき地位」だというのですね。

 

……飛鳥時代象徴天皇制だったのか。

 

八木氏は、「皇室ニッチ産業」だ、という、寛仁親王言葉引用します。

政府行政の足りないところを補う。それが、皇室の果たす役割なんです」

 

確かに、障害者スキーへの支援とか、結構なことですね。

 

「このような皇室の在り方は、古代からずっとそうだったわけです」

いや……そうなの?

 

革命史観

八木氏は、他の教科書にある

平安時代貴族は贅沢な生活をしていた一方、庶民は貧しく、奴婢は売買の対象だった」

……とかいう記述を「闘争的だ」と評します。

 

これらが、マルクス階級闘争史観子どもたちを導くものだ、というのです。

 

君の教科書もまっ赤っか! これはレッドベアーの陰謀だ! 愛國戦隊を呼べ!

 

……別に教科書記述は、富裕層の打倒とかを呼びかけるものじゃないし、そもそも平安朝だって、階級闘争によって打倒されたわけじゃないんですが。

なんでマルクス

明治維新を含めて、日本には「階級闘争」とか「市民革命」とかいうものはないんじゃないですかね。古い見解でしょうか?

 

明治維新は、公のために働くことを自己の使命と考えていた武士たちによって実現した改革だった」(「新しい歴史教科書」。レジュメの孫引き)

うわ新しい見解だ。色んな意味で。

 

そんなに昔から日本人の自覚とか公共の意識とかがあったなら、もう少し早く戦国時代が終わりそうなものですが。

武田信玄「こうして同じ日本人同士が争っていても仕方がないじゃないか!」

上杉謙信「そうだとも! 天皇陛下の元にはせ参じ、一つの国を作ろう!」

……みたいに。

 

八木氏によると、現在学校教育では、歴史教育で闘争的姿勢を学び、公民教育で具体的な闘争目標を与えられている、というのです。

 

その闘争目標とは、電通経団連の打倒……ではなく。

「公民教科書には、夫婦別姓など、まだ法的に定められてもいないトピックが取り上げられている」

とかいうのが「闘争目標の提示」だと。

 

……ずいぶんせこいマルクス主義ですね。

 

歴史に学べ。歴史は繰り返す。

仮に、八木氏の言うとおり、飛鳥時代平安時代がそんなに素晴らしい時代だったとしたら、逆に言って、日本社会は1400年の長きにわたって大して進歩していないことになるんですが、それでいいんでしょうか。

 

奴婢の話とかって、私は

「私たちの社会は、昔より良くなっているのです」

って趣旨の話だと理解していたんですが。

人類歴史進歩と改良の歴史なのです。私たちも、もっともっと素晴らしい世の中を作っていきましょう。明日が今日より良い日であるように」

的な。

 

八木氏に言わせるとこれも「闘争的」なのかも知れませんが。

 

私としては、貴族平民に大きな差があったとか、事実なんだから仕方ないんじゃないか、と思うんですがどうでしょう。

八木氏も、それが「事実ではない」とは言わなかったし)

 

都合の悪い歴史事実は教えない、という態度の方が、むしろ我が国を危機に追いやる気がします。

それこそ、遺伝学におけるソビエトルイセンコ学説みたいに、学問イデオロギーに従わせようとした挙げ句、研究開発で西側に後れを取るような。

 

まあ、「歴史科学ではない」が、「つくる会」の立場なんだそうですが。

 

でも、望ましい思想を注入するために、歴史事実の方を改変する、っていうのは、それこそ共産国十八番なんじゃ。

ソ連生まれのくせに白頭山で生まれたと称する誰かさんとか。

 

日本の伝統を尊重しよう。祖先精神を大切にしよう。

基本的に「公共の意識」だけで日本の歴史・文化を語ろう、というのは、無理だと思うんです。

「恥の意識」とか「武士道」とかと同様、一言で語りきれるほど、日本人精神というのは浅薄なものじゃないんじゃないでしょうか。

 

そもそも、「公共の意識」が飛鳥時代から日本にあった、という主張自体いかがなものか。

確かに「公」という漢字自体は大昔からありますが、古文に出てくる、「公家」とかいうときの「公」と、「public」の訳語としての「公」を同一視するのは誤りだと思うんですが。

八木氏は、「公共」の意識が近代になって成立した、というのは誤りで、日本人日本人としての自覚はずっと以前から存在した、と言うんですが、それは逆に言って、国民国家建設のために尽力した明治の人々を愚弄するものではないでしょうか。

 

ちなみに八木氏は、中教審が、縄文時代記述を重視するよう議論しているのに不満を表明しています。

縄文時代は公共の意識が発生していない」=「日本ではない」

から、というわけですが、これは循環論法ではないですかね。

 

日本あけぼの」って言えば、普通縄文時代を指しますし。

逆に、明治憲法現行憲法の発布、あるいは江戸幕府なり鎌倉幕府なりを「日本」の成立、と見なす立場だってあり得るわけで。

 

縄文人だって一生懸命に生きていたのだし、彼らが苦労して稲作技術を会得していったからこそ、現代の日本があるわけで。

縄文人は日本人じゃない」という言いぐさは、縄文人に失礼だと思いますが。

 

八木氏は、チェスタトンの「伝統とは選挙権時間的拡大」「死者には墓石投票してもらわねばならない」なんかを引用して、伝統の大切さ、先祖の意思を尊ぶべきことを訴えるわけですが、縄文人は先祖じゃないらしいです。

……天孫降臨

 

ちなみに、八木氏が引用した中には、相田みつをの「自分の番 いのちバトン」とかまで含まれるんですが、相田さんってそういう主義の人だったのか。

走者がバトン渡す前に死んだらリレーにならなくね?

 

ところで、八木氏は「死者の民主主義」(チェスタトン)がお気に入りのようですが、私はむしろ、「地球は子孫からの預かり物」(ケニアのことわざ)の方が好きです。

死んだ世代の意思よりも、次の世代の幸せの方が重要だ、と、私は信じます(これでも学校関係者のはしくれですから)。

 

……ケニアのことわざの割に「地球」とか、かなり超訳の気配ですが。

 

*美しい日本語を守ろう。

八木氏、「屋久島の灯台守り」という、これまた美談を紹介してくれたんですが。

 

「顔は土気色」を「どきいろ」ってあんた。

一瞬、弥生式か縄文式か悩んじゃったじゃないですか。

 

自分で持ち込んだ資料が正しく読めないって、早稲田大学法学部卒が泣くぞ。

 

日本の文化がどうとか言う前に、八木氏はまず日本語くらいちゃんと読めるようにすべきだと思います。

 

返信欄

なんかあれこれコメントをもらってるようなのでここへ部分的に返信。

 

教育委員会主催講演会とかに行って何かを得たことがあるの?

ありますよ。

まあ、教育関係者の講演、というのは、聞いてすぐに教室で使える内容が多い一方、似たような話も多い……というか、教育界の通念を上手にまとめただけの、刺激に乏しい講演も多い、とは思います。

……ちょっと今回は刺激的すぎましたが。

 

>その場でぶつけてくれたら面白かったのに。

まあ、チキンなので。

 

偉い人が「つくる会」支持者で、しかも同席してるわけですから。

そこでこれだけのことを言ってしまうと、後々どんな処遇を受けることか。

 

それはもう、陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです。(流言)

 

それに、ここに書いた内容は、これでも推敲した内容です。

これをとっさに思いつける程度には賢くありたいのですが。

 

っていうか、偉そうなことを書いておいて恥ずかしいのですが、「女性交換手が12人いた」ということもその時は知らず、家に帰って調べてわかった次第。

 

でも、何か質問はしてやろう、とは思っていて、講演の間中必死で考えていたのも事実

古代以来、皇室ニッチ産業としての役割を果たしてきた、とのお話でしたが、私、不勉強でそういったことを存じませんでした。

そこで、例えば平安時代朝廷が、そういった役割を果たしていた、という実例を2・3ご教示願えるとありがたいのですが……」

くらいのことを聞いてみよう、と思っていたのですが、本文で書いたとおり、質疑応答の時間がなかったので不発に終わりました。

 

>自分のはてなダイアリーで書いたら?

少しでも匿名性の高いところで、と思ったのです。

何か使い方として問題がありましたら申し訳ない。

(ていうか、そもそもこの内容自体トラックバックで返すべきなのかも知れませんが、匿名ダイアリーに慣れてないので、返信があちこちにばらけるのが落ち着かないのです。なんでコメント欄がないんだろう)

 

こんなにブックマークをもらうとは思ってなかったのでちょっと動揺しています。

偉い人にばれたらどうしよう。

 

>「教職協議会」つーのは要するに「全日http://www.ntfj.net/tanidantai/」系団体だよね。共産党系の。

右寄りではないかも知れませんが共産党系とも思ってなかったのですが。「美しい日本人」がどうとかこうとか。どうなんでしょうか。

会員でありながら組織背後関係とかは知らないのです、申し訳ないです。(でもたぶんみんなそう)

 

>教師という連中が本当に馬鹿ばっかりでイデオロギーの固まりだということが良くわかった。

ククク、その通り。だが、気付くのが遅すぎたようダな……(ロシア訛り)

今や日本教育は、我がレッドベアーの(不当な)支配下にあル!

あと10年もすれば、この国はコミンテルンの軍門に降るだろウ……!(遅すぎる)

 

馬鹿冗談はさておき。

大学になるまで歴史教えるのやめちゃえば?自分で判断して学ぶまで教師の馬鹿どもから余計なノイズを入れないで欲しい

難しいところですね。

 

おっしゃるとおり、批判精神の薄い子どもに、イデオロギー教育をするのは禁忌だと思います。

 

その一方で、基本的な歴史知識は、全国民が持っているべき教養だとも思うのです。

そして、大学専門教育の場であるべきで、そういうことに時間を費やすべきではないと考えます。

だから、結局は義務教育に基礎的な歴史教育を盛り込まざるを得ないのではないかと。

 

その内容としては、重要歴史事実を教えるにとどめ、それをどう解釈するか、という思想的側面は、個々人に任されるべきだと思います。

 

……もっとも、「歴史事実」というのは現実にはほとんど無限存在するわけで、その中から何を「重要」として採り上げるかに、思想的問題が絡んで来ざるを得ないのも事実ですが。

エルトゥールル号を採り上げて奴婢は省くのか、その逆をやるのか。

 

でも、できる限り中立であろうとする姿勢は必要だと思います。

2008-01-05

http://anond.hatelabo.jp/20080105030311

いわば、貴族の振る舞いだよな。

ノブレスなんちゃらとかいうやつ。

  

そんな貴族には俺もなりたくないが。

 

かしこれが実際にゲーム化される事になったら、何巡か目に俺の会社に話が来そうだ。

2008-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20080103173348

暗黙で世襲にしても「国家公務員法で人選したら

たまたま世襲になっただけで、法律上の貴族

にはあたらない」と跳ね返されるのがオチ

http://anond.hatelabo.jp/20080103171514

官僚を駆逐するいい方法がある。

まず官僚をほとんど世襲にする。これで貴族の出来上がりだ。

そして憲法では貴族は禁止されている。そうしたら官僚裁判を以て駆逐して特権等も法律を以て剥奪するようにすればよい。

http://anond.hatelabo.jp/20080103162522

平安貴族たちもそんな考えだったんだろうなと思うこの頃

だとしたら官僚は現代の貴族だ!

2007-12-24

てーか

何にせよフツーの市民全員が服にそこまで金かけたり拘ってるのって日本くらいなもんだよな

アメリカとか、セレブ(笑)はオシャレだけども下層から中層くらいの人って全然オシャレじゃないっていうか、全身ユニクロとかもっとダサいのも普通に有るじゃん。

もっとやっすいの着てるし。まあ、奴らはスタイルがいいからそれでも映えるんだけどさ。

てか下手すると金持ってるやつでもユニクロレベルだし。

逆にヨーロッパの方は服の質とか中年になるとうるさそうだけど、でもそれも貴族レベルの話で労働階級はそんなこともなさそうだし

日本だけじゃねーか?こんな若い頃から高い奴買ったりオシャレに滅茶苦茶拘ったりしてるのは

別にそういう人がいるのはいいが、全身ユニクロでも別にそれはそれでいいよね、的寛容さが欲しいよな。

服に「作業服」以上の興味を持てない奴だっているんだからさー。一着五桁使っちゃうようなファッションオタの価値観を基準にしないで欲しいのが正直な所。

2007-12-09

anond:20071209211740

例外も多いだろうけど、頭良い、将来性のある男には整った、一貫性のある顔立ちの人が多い気がする。

頭脳派集団の集合体であるはずの大学教授などを見ても、個性こそ様々で平安貴族みたいな顔の人とか、ぽっちゃり気味の人とかいるにしても、それはそれで整った顔立ちをしているといった人が殆どで、歪んでる系の顔は滅多に見ない気がする。

そうかぁ???

大学教授の顔って、「子供のまま大人になってしまいました」系が多くて、別に整っているとは思ったことないぞ。

anond:20071209204049

例外も多いだろうけど、頭良い、将来性のある男には整った、一貫性のある顔立ちの人が多い気がする。

頭脳派集団の集合体であるはずの大学教授などを見ても、個性こそ様々で平安貴族みたいな顔の人とか、ぽっちゃり気味の人とかいるにしても、それはそれで整った顔立ちをしているといった人が殆どで、歪んでる系の顔は滅多に見ない気がする。

顔の左右は誰でも微妙に違うものだけれども、各大学学生(十分な人数を得るため学生が良いように思う)毎に左右の類似度平均を調査したら、何らかの傾向を得ることは出来るかな……?

髪型データは除去して何とかするにしても、表情の問題があるから難しいだろうか。

就職ランキング(Yomiuri Weekly 2005.7.10)

就職ランキング(Yomiuri Weekly 2005.7.10)

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/archive/05_7_10yw_moku.htm

|★就職貴族階級|★就職上位校 |★就職中位校 |★就職下位校

|              |             |             |             |

|-1位 一橋     |11位 九州    |21位 東京理科|31位 中央   |

|-2位 慶応     |12位 東京外語|22位 横浜国立|32位 西南学院|

|-3位 東京工業 |13位 電気通信|23位 御茶ノ水 |33位 法政    |

|-4位 東京     |14位 同志社  |24位 大阪市立|34位 明治学院|

|-5位 京都     |15位 立教    |25位 首都    |35位 広島    |

|-6位 上智     |16位 筑波    |26位 青山学院|36位 関西    |

|-7位 ICU     |17位 関西学院|27位 立命館  |37位 横浜市立|

|-8位 早稲田   |18位 津田塾  |28位 明治    |38位 埼玉    |

|-9位 学習院   |19位 成蹊    |29位 南山    |39位 甲南    |

|10位 名古屋   |20位 北海道  |30位 成城    |40位 武蔵   

2007-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20071208220639

視野狭窄だと思う。平安時代貴族みたいだと思った。

それにしても、その考え方だと、勝ち組がえらく少ない社会だな。負け組の不満が爆発して、革命でもおきるんじゃないか。

あと最後の一行の意味が分からない。

ポイントは最初の人格者資格を与えられる局面だな

人格者道徳人格者と一致する必要はない。

定義を生む人格者は、社会的な人格者であればよく

プロセスを経て生まれた資格者である。

ここら辺が非常に分かりづらいが。

プロセスを経て生まれた資格者」と言うが、1人目を決めるところでは、どうしても無根拠かつアクロバティックに誰かを選出せざるをえない。

その人を何という名前で呼ぼうが、この1人目を選出する際に社会的なプロセスを介入させてしまっては、現在日本社会と大差なくなる。

社会的なプロセス」の意味がくい違っているかも知れないが、それが国家試験のようなものを意味するならそれは官僚制と呼ぶべきものだし、

選挙によるなら民主主義社会となって、現在日本社会とそう大差ないものになる。少なくとも人格者論の意義は消えてしまう。

「生まれ」による貴族政というものあるが、これにはプロセスが介在していない。

人格者の1人目、あるいは人格者の最初の1群をどうやって決めるかについて、一つ考えられるのは武力行使を伴う革命だが、

増田のいう「人格者」に「道徳的」の含意がなかったとしても、「人格」というものは常に人と人との関係において判断される基準であるし、

しかも、2人目以降の育成・選出は社会の自己生成的プロセスに拠らなくてはならないから、

1人目を選ぶときに社会そのものを大きく変質させたり、壊してしまうことは許されない。

それとも、最初の人格者がすべてを壊し、イチから社会スタートさせようという話なのか。

だとすれば、それは人格者ではなく、むしろ本当の意味での独裁者、あるいは創造者と言っていいのではないか。

もう一つ、人格者論の対立軸として参照されるべきは民主主義官僚制でなくて、三権分立だろう。

現在は、立法機関を選挙で、行政・司法機関を国家試験で選出しているわけだけど、人格者論が成功するためには、

(それぞれの選出方法をどう改革するにせよ)最低でも全ての機関を「人格者」なる者たちで占めなくてはならないだろう。

全ての機関が、同様の思考を持つ人格者たちによって占められてしまえば、例え機関が3つに分かれていようが、三権分立意味はなくなる。

人格者同士の間における考えのくい違いがあるのかないのか、その辺はよく分からないが、違ってよいのだとする場合、

そこには手続き上のルールが必要となるだろう。

異なる思考の人格者同士がよりよい自己生成を繰り返していける、というのは、可能性でしかない。

可能性でよい、というなら、それはけっこうだが、そうした同様の可能性は、官僚制や民主主義も確かに持っている。

さらに言えば、一度間違ったときの修復可能性は、民主主義三権分立の方が圧倒的に高いだろう。

結論としては、

・最初に無根拠に「人格者」を選ぶというのはどういうことなのか

・実際に人格者論を今の日本社会に適用するならどうするか(現実的に可/不可という問題ではなく)

をまず考えるべきなのではないですか。

2007-12-04

海外旅行口コミサイトをみてたら、イライラしてきた。

1つ星とかの十分なホテルを「汚い狭い」だの「スタッフの対応が悪い」だの、文句ばっかりだ。貴族か!

「あそこの地区は、大丈夫でしょうか…?」とか。アホか!!都市なんだからどこだってキケンに決まってんだろ。だからこそ行きたくなるんだよ。このような人々はきっと何回旅行しても都市の面白さなど一生わからないんだろう。「都市を知ろう。都市を生きよう。」(太田浩史)逆にいえば、ぼくはどこでもやっていける気がする。

今後情報収集はオリジナルサイトにしよう。読めないから。

(本当の貴族は、文句などいわない。)

2007-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20071202060438

うはwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

東大は現代の貴族。これは間違いない。

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