はてなキーワード: 祖先とは
いや、名付けって、そもそも権威が行なうものだったわけでしょう。多くの場合は宗教的権威が。たとえば、親(祖先)の権威によって親が子に名を付ける。王や天皇が武士に氏や姓を与える。将軍とか執権が大名に偏諱する。権威が「お前は○○だ」って定めることが、名付けです。
近代以前の国家はほとんどが宗教的権威の集約ですから、国家は関係大ありですよね。国家までいかなくても、たとえば部族でもいいですが、そうした共同体の大きな単位そのものが、名付けを規定していくわけです。
で、名付けが束になって家なり何なりの単位が形成されて、そこから財としての人が出たり入ったりするのが結婚ですよね。婚姻の仕組みはところによって異なりますが、婚姻を交わす共同体の中では同一です。そうしないと、出たり入ったりが制度として続いていかないから。つまり、部族なら部族、国家なら国家という、共同体の大きな単位が、結婚の方法も規定するわけです。こうした仕組みは、権威に命じられた慣例として堅持されてきましたし、近代に入ってからは国家が制度化しました。国が国民の氏名を管理する理由は、(もちろん税収など、統治の効率を高めることもありますが、)共同体の存続を目的とした、結婚の存続です。
ただし、これは近代以前の価値観を引きずった、古い考え方かも知れません。だから左翼の方々は、いまさら別姓とか言ってないで、姓や結婚そのものを否定して、家を解体して、個人を縛りつける権威を革命的に滅ぼして、その上で共同体が存続できるような仕組みを本気で考えたら良いんじゃないですかね。左翼っぽくて。
しかし、事実婚の法的な扱いを拡張するんじゃ駄目なんですかねえ。別姓で結婚したい、それ結婚じゃないと思うんですが、それを結婚と呼びたいって願望の人が多いってことなんでしょうねえ。
イスタリとかマイアとかいう単語を知らなくてもぴんとくるレベル=映画内でわかる範囲で言い換えてみるテスト。
ゴクリ、もといゴラムが元々指輪を拾った何者か(原作ではホビットの祖先にあたる種族って説明されています)が指輪に惹かれるあまりにモンスターな姿に変貌しちゃったものだ、ってのは映画でもわかりますよね。
エルフのガラドリエル様が「指輪やる!」って言われてなんかもの凄く威圧感あふれるお姿に変貌するシーンがありましたよね。結局は「試練に耐えた」つって指輪突っ返すんですが。
同じように、ガンダルフですら指輪を持ったらいつまで耐えられるかはわかりません。素のじいさんフォームですら世界屈指の魔法使いであるガンダルフが、指輪の誘惑に負けて悪に落ちたらどうなるか。サルマンとタイマンで勝てるくらいのパワーアップを遂げる可能性もありますが、その後サルマン以上に世界の脅威、『魔王』に成り果てるかもしれません。それでは本末転倒なので、「自分が悪に落ちたことにより更に世界が危機にさらされる」リスクを避けたと考えるべきでしょう。
幸い、ホビットはそんなに短期間では指輪への誘惑に負けなさそうだし、よしんば誘惑に負けたとしてもせいぜいゴラムがあんな姿になっちゃった程度の影響で済みます。
あの頃、僕たちは若さゆえに持て余した膨大な時間とエネルギーと空っぽの頭で、クラブでムネオハウスに合わせて見ず知らずの人たちと笑顔で「委員長!委員長!」と叫んでいた。
正直、あの頃の自分は鈴木宗男は「陽気で胡散臭いオッサン」としか思ってなかったし、辻本清美も「無邪気で胡散臭いオバハン」としか思ってなかった。
もちろん所属政党なんて知らなかったし興味もなかったし、知ったところでその党がどんな党かを判断する知識もなかった。
ただ、有り余る膨大な時間とパワーで、無駄な創作をして無駄なラジオをして無駄なミラーリングをして、無駄なDJに合わせて無駄に笑顔で大声をあげて踊って、それが本当に幸せだった。
今でもあの時にチケット代と引き換えに貰ったムネオハウスのCD-Rは持っている。
ジャケットからレーベルまで完璧に印刷してキャラメル梱包されていて、これを前日に何百も手作りしている人達の無駄さ加減を思うと、愛おしくてしょうがないから捨てられなかった。
でも最近は、そんな若さゆえに無邪気で時間とパワーを弄ぶ若者たちをたぶらかして、自分たちの手駒にする最低な大人たちがいるらしい。
秋葉原でデモが起きたんだってさ。ネットで知った若者がたくさん駆け付けたんだってさ。
mixiで検索して何人か参加した人たちの日記を読んだけど、みんな無邪気で、まるでロックフェス帰りのような高揚感を伴う、本当に無邪気な日記だった。
「来るまで緊張して怖かったけど、組織の人たちに日の丸を渡されて一声勇気づけてもらうと日本人としての自覚がわいてきた」
「出発前でみんなでシュプレヒコールをした。こんなに大きな声を出したのは久しぶりで、全身に勇気と誇りが立ち上るのを感じた」
「みんなと一緒に歩くと沿道の人たちが温かく声をかけてくれた。こうやって人と繋がれるんだという喜びを感じた」
「排外主義だとケチをつけてきたらしいシナか朝鮮人或いはサヨクが居ると聞いて、私も駆け寄って二発殴ってやった。私の一撃はクリーンヒットだったようだ。祖先の恨みまではらせた気分になれた」
そのままロッキンオンに送ってやりたい文章たちばっかりだった。彼らは多分、本当に無邪気なんだと思う。無邪気で、そのパワーの使い方を覚える前にこんなのにたぶらかされちゃった類なんだと感じた。
もしかしたら自分も10年遅く生まれていたら、彼らと同じ列の中に入っていたかもしれない。
だから正直なところ、いわゆるネトウヨと呼ばれる彼らよりも、そんな彼らを丁度良い手駒として扇動している、良い年して色々判っていて、それでこういう事をしている首謀者たちが本当に恨めしく思う。
何回でも言ってやるよ。お前達は最低だ。右翼左翼以前に、どこの国の人間以前に、無邪気ゆえに頭の足りない若者をこんな使い方をして、そこに良心の呵責を感じていないなら、それは本当に人として最低だ。
「皆さんは神を意識したことがありますか?」の増田ですどうも。
私も神というのが統一的な概念に繋がると考えたことは無いですね。
というかアニミズム的には突詰めると人間も含めた自然全部=この世そのものが神の根源ってなっちゃいますが、私とあなたが別人のように神々もまた別々だという認識ですか。
ま、神話的神々は親兄弟的だったり、死んだ人はすべて祖先と一括りだったりするんですが。
というか、ヌルイ信仰だからか知らないけれど、日本で言う「神」というのは人智は及ばないのに全然絶対的ではない人と肩を並べえる存在なんですよね。そういうお気楽感が良いのかもしれません。
というか、信じる信じないと居る居ないが別かも。なんにせよ、自然の身近でありながら理解しきれない事柄を写した理解しきれない存在が神々なんで、よくわからない存在だから気にしないというのもあるかも。
http://anond.hatelabo.jp/20090817170303
非処女嫌悪なんてのは相手が自分とつきあう前にまで嫉妬するという点で、たしかに自然な感情ではあるが、それだけに醜い独占欲に過ぎない。
セックスによって女性に何か不連続な変化が起きるというのは、あえて侮辱的にこの言葉を使うなら、もっとも典型的な『童貞の妄想』だ。
(すなわち、紙たる女性に男は自分の影響・支配を書き込む、だから白紙がよい、という権力妄想)
非処女の汚れなるモノは女性側にあるのではない、汚れを感じてしまう側の心が汚れているのだ。
というか、セックスによって女性が何らかの意味で汚れるというのは、まさしくイデオロギーそのもので、なんら客観的根拠を有しない。
という、もう100年か最低でも50年くらいまえの議論に何で戻らなければいけないんだ、情けない。
ちなみに日本に処女性の尊重が、純潔という観念的ロマンチシズムとともに輸入されたのは透谷による。明治20年代だ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000157/files/45241_19756.html
天地愛好すべき者多し、而(しか)して尤も愛好すべきは処女の純潔なるかな。もし黄金、瑠璃(るり)、真珠を尊としとせば、処女の純潔(チヤスチチイ)は人界に於ける黄金、瑠璃、真珠なり。もし人生を汚濁穢染(をぢよくゑせん)の土(ど)とせば、処女の純潔は燈明の暗牢に向ふが如しと言はむ、もし世路を荊棘(けいきよく)の埋むところとせば、処女の純潔は無害無痍(むい)にして荊中に点ずる百合花とや言はむ、われ語を極めて我が愛好するものを嘉賞せんとすれども、人間の言語恐らくは此至宝を形容し尽くすこと能はざるべし。噫(あゝ)人生を厭悪するも厭悪せざるも、誰か処女の純潔に遭(あ)ふて欣楽せざるものあらむ。
然(さ)れども我はわが文学の為に苦しむこと久し。悲しくも我が文学の祖先は、処女の純潔を尊とむことを知らず。徳川氏時代の戯作家は言へば更なり、古への歌人も、また彼(か)の霊妙なる厭世思想家等(など)も、遂に処女の純潔を尊むに至らず、千載の孤客をして批評の筆硯に対して先づ血涙一滴たらしむ、嗚呼(あゝ)、処女の純潔に対して端然として襟(えり)を正(たゞし)うする作家、遂に我が文界に望むべからざるか。
夫(そ)れ高尚なる恋愛は、其源を無染無汚の純潔に置くなり。純潔(チヤスチチイ)より恋愛に進む時に至道に叶(かな)へる順序あり、然(しか)れども始めより純潔なきの恋愛は、飄漾(へうやう)として浪に浮かるゝ肉愛なり、何の価直(かち)なく、何の美観なし。
安吾曰く
貞操は一人の男のためではないので、自分のためのものだ。自分の純潔のためのものだ。より良くより高い生活のためなら、二夫にでも三夫五夫にでも見(まみ)えてよろしく、それによってむしろ魂の純潔は高められるであろう。愛する男にすら許さぬという処女の純潔も、より高い生き方のために何人もの男に許すという純潔も、純潔に変りはない。貞操は処女を失うとか二人に許すという問題でなく、わが魂の問題だ。
女房の貞操にはもう魂がなく、亭主への義務だけだから、義務などはたよりない代用品で、小平が述べたごとく、処女は抵抗する故に殺され、あまたの人妻は抵抗せぬために放免された由、女房の貞操は惨たるものである。もっとも貞操ぐらい何でもない。
「体に良いとうたうゲルマニウム使用のブレスレット(商品テスト結果)_国民生活センター」のブックマーク
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.kokusen.go.jp/test/data/s_test/n-20090625_1.html
で、id:guldeenさんが「ニセ科学が止まらない理由の一つに「儲かってるんだからいいじゃん」というのがある。たしかに規制を厳しくしすぎると、正月の神社仏閣での「護符」の販売に支障をきたすので、サジ加減は難しい。だがこれは…。」と書かれていて、ブクマで自分も書こうとしたのですが、長くなりそうなのでこの場をお借りします。よしこです。
他にも護符に言及されている方がいましたが、おそらくこのブレスレットを批判されている方のほとんどは、護符については規制すべきではない、と思っておられるでしょう。わたしも直観的にはそう感じます。
しかし、そもそも「ゲルマニウムブレスレットはダメだけれど、護符なら良い」という線はどこから来るのでしょう。
「ゲルマニウムブレスレット(あるいはマイナスイオンでも何でもいい)は『科学的根拠』を謳っているから、その虚偽性が問題である」というのも一つの答えでしょう。
しかし、たとえばどこかのカルト宗教が「ありがたい壺」を売りつけているとしたら、おそらく彼らは「科学」は持ち出さず「祖先の呪い」とかそういうお話をしていることでしょう。これについても、ゲルマニウム批判者の多くは憤りを覚えると思います。わたしもそうです。
ゲルマニウム問題と壺問題は、別問題なのでしょうか。つまり「ニセ科学」と「カルト宗教」という、別々のお話で、絡めるべきではないのでしょうか。そうかもしれません。
それでも、これらの中で、護符だけが免罪符をもらっているのは、不思議な気がします(護符が免罪符って一体・・)。
護符を信じているがゆえの宗教的バイアス? いや、まったくそうではないでしょう。本気で信じている人も世の中には沢山いらっしゃいますが、ゲルマニウム批判者でかつ護符擁護者の多くは、護符の効果を本気で信じたりはまずしていないでしょう。
だとしたら、護符には十分な歴史があり、既に文化・伝統の一部となっているからでしょうか。これは比較的妥当な説明に見えますが、何かお茶を濁しているような印象がある。大体、「文化の一部」って何でしょう。第一にどこまで行ったら「文化の一部」なのかよくわからないし、第二に「文化」だとなぜ良いのか、第三にそもそも「文化」って何やねん、とイカガワシイポイントが沢山あります。
とりあえず、現状として、ゲルマニウム問題を批判できる程度には「合理的精神」を植え付けられた人々の多くは、「護符はインチキだ! 規制すべきだ!」と言われていたら「何を言ってるねんアホか」とツッコめる。これは非常に微妙な判断のはずで、もしかするとこの判断は正しく見えて単なるバイアスかもしれないのですが、そこは問われることがない。もし護符を売っているのがカルト宗教だったら、同じように養護はしないでしょう。いや、これも微妙ですね。もしカルト宗教が300円くらいで護符を売っていたら、そんなに怒らないかもしれない。少なくともわたしはそんなに怒らない。値段の問題なのでしょうか(笑)。
早急に結論を出そう、というつもりもないし、世の中というより自分自身の感じ方について好奇心を持っているのですが、ざっと見ただけでも、
①「科学」を称することの問題(科学とは何か、という科学哲学的問題は一旦保留します)
②営業手法の問題
③値段の付け方の問題
が混ざっているように見えます。他にもあるでしょう。
神社が500円で護符を売っても成り立つのは、十分な既得権益を受けているからです。それがズルとは即断できず、彼らが「楽な商売」をできるのは、多くの人が彼らに「楽な商売」をして欲しかったからでしょう。少なくともある時代、「神社仏閣に商店と同じ基準を課すのはちょっと変じゃないか」と思う人たちがそれなりの数いたから、そういう仕掛けができているわけです。
どこまで行ったら詐欺なのか、というのは微妙な問題で、どこまでもグレーゾーンが残ります。詐欺すれすれの営業でも営業技術のうち、とも言えるわけです。「ズルい」と思う人もいるでしょうが、ばかしあいで勝つのも世の中で生きる技術の一つです。
個人的には、グレーゾーンはあってよろしい、と思っています。ゲルマニウムすら、値段が安かったら別に怒りません。「それで治ると思っている人がいるならいいじゃない」とすら思います。プラシーボか何かで本当に治る人もいるかもしれない。というか、値段が高いと高いだけで何か効果ある気がしてくるし、そういうパワーも馬鹿にならないと思う。一慨に叩けばいいってものじゃない。
ゲルマニウムやマイナスイオンを批判する人がいなくなってしまうのは、もちろん問題です。ただ、別に喧嘩や議論をしたくはないのですが、ニセ科学批判をしている人の一部に、何だかカルト宗教と五十歩百歩の凝り固まった精神が感じられる時があるのは、わたしだけではないでしょう。
個人的には、ゲルマニウムに関する今回の報告のようなものは、多いに周知されるべきだと考えます。一方で、それを根拠に法的規制をかけるべきかというと、躊躇します。「すべての人に情報リテラシーがあるわけではない」と周知だけを批判する向きもあるでしょうが、そこまで面倒みるべきなのか、法の元に回収すべきなのか、微妙なラインだと思います。
世の中には怪しげな仕事で生計を立てている人がそれなりな数いて、というか「まっとう」に見える仕事だって、一枚皮の下は「なんだかなー」というのが沢山あるでしょう。自分の業務範囲は白くても、辿って行ったら黒いことも沢山あります。むしろそんなケースでは、自ら手を汚している方が潔いようにすら感じます。
一方で、怪しげなものを信じて生きている人もそれなりにいて、そもそもわたしたちの多くが信じているものも、怪しげといえば怪しげです。信じているから怪しいと思わないだけです。「だまされた!」と怒る人がいるのは、怪しいからというより、騙し方がマダマダだったというだけです。カルト宗教は、一生信じきれるくらい、壺パワーを増強しなければならない(笑)。
ポルノ業界は少し「怪しげ」だけれど、詐欺をしているとは誰も思わない。でももっと根本に帰れば、女の裸の何がいいんだ、と言われたらよくわからないでしょう。いやまぁ、わたしは買わない側にいるからそう思うだけかもしれませんけれど。「遺伝子に組み込まれているんだ!」というのはウソに決まっていて、まぁいろいろなパワーがないまぜになった結果、若い特定の形をした女の裸には特別な価値があることになっていて、おばあちゃんのヌードが売られていたら「なんちゅう商売や!」と思う人も、グラビアには文句を言わないのでしょう。これは怪しくないというのではなく、怪しさが極まって、もう誰も怪しいと思わなくなっただけかもしれません。
結局「やり過ぎるな」というオチになってしまいそうで、なんだかショボいお話ですいません。別に何か結論を言いたいわけではなく、「なぜ護符ならまぁいいかと思えるのか」という、自分の感じ方への素朴な疑問から書きはじめたことです。
ただ、ゲルマニウムにしてもマイナスイオンにしても、あんまり熱くなって批判するのはどうなのかな、とは思っています。笑える余裕を失って批判している人の話は、わたしなら聞きません。「なぜそう判断するのか」というのも、また面白い問題ですけれど。
そこで切り分けることに意味がない。政策は在日韓国朝鮮人達に対してこの国が、という枠で出来てるんだから。
祖先の中にはわが国がつらい目にあわせた人もいた
で、その切り分けの責任はどっちにあるかというと、こりゃまあ国にあるわな。
彼らに証を立てろと要求する筋合いじゃない。
なに興奮してんだよ。少し落ち着け。俺は何もそのことについて言ってない。大前提として植民地支配が悪であることは認めるよ。
日本が半島に対してしたことと韓国朝鮮人の各々についてしたことはイコールじゃない。個々の韓国朝鮮人が得た辛さは全面的に大日本帝国のせいであったかもしれないしそうじゃないかもしれない。中には併合をきっかけに大もうけした連中もいたかもな。
個別的事情を無視して大雑把にマスで語れば「過去わが国が彼らの祖先をつらい目に『あわせた』」という表記になるんだろう。でも俺はそこに与しない。祖先の中にはわが国がつらい目にあわせた人もいた、なら問題ないんだが。特定の神話を受け入れないと自動的に敵認定する奴はどうかしてると思うよ。
横だけど。「過去つらい目にあった」という表現がものすごく欺瞞的だよなあ。
昨日は大変な目にあったわ、と思ってみて、そもそも昨日がどんな日だったのか忘れていることに気がつきました。どうもこの頃もの忘れが激しいようで、夕方になると今日の朝のことまで忘れている始末で、例えば洗濯機に入れていた洗濯物のことを忘れて生乾きの服を夜に家の中に吊り下げて乾かさなくてはならなくなったり、昼にカレーライスを社員食堂で食べてくるから、とお父さんが言っていたのを忘れてハヤシライスを作ってしまったり、同じ週刊誌を発売日に買って、違う日に「あ、これ買ったかしら。面白そう」ともう一度買ってしまったり。そういうことがよくあるのです。お前はボケてきたんじゃないか、とお父さんは言い出すのですが、反論できないのが悲しいです。自分自身、やっぱりとぼけた人間なんだなあと、今日買ってしまった三冊目の月刊誌の最新号を見ながら、つらつらと思ってしまうのです。
ところで、初春を迎えたからかどうか、ともかく暦通りに世界ではなべてこともなく時間が過ぎているようで、二月になったこのあたりでは既に河川敷や土手にたんぽぽや菜の花が咲いているのが目立つようになってきました。時折雪が舞い散ることがあるのですが、雪に半ば埋もれて凍ってしまったたんぽぽというのもなかなか趣深いものがあります。そう言えば昔、推理小説で夏なのに島に雪が降るという出来事の起きる作品を読んだことがありました。あれは何だったかしら……向日葵畑に降る雪のことを想像すると、なんだかとても素敵な風景に思われてきて、わたしは思わず自分の膝の上に乗せた美代子に万歳をさせて、雪が降ったらお前はやっぱり炬燵の中で丸くなるのかにゃ? と話しかけてみました。美代子は軽く欠伸をして、わたしの体から離れようとするので首根っこをがっちり掴んでやりました。ネコの分際で人間に逆らうとはふてえ奴。
あ、あらわたしったら。すみません。
ともあれ、美代子とわたしはそうして縁側に座って外の光景を眺めています。そうすると空から何かが降ってきたので、また雪が降ってきたのかなあ、お前はなんでそんなに寒いのが嫌なんだいねえ、と美代子に話しかけていると、それが雪ではないことに気がついたのです。それは家の裏山に生えているダイオウスギの花粉でした。ダイオウスギといってもわたしの家の裏山にしか生えていない突然変異種のスギですから皆さんは御存知ないかとは思います。ダイオウスギの花粉というのは普通の花粉よりもずっと大きいのです。
なにしろダイオウスギ自体が普通のスギよりもずっと大きいのです。空に突き刺さるかと思うほど太くて鋭くて大きくて、わたしが五人いてやっと樹の幹を囲えるかどうかというくらいの樹です。近所の人からはダイオウスギが他のスギや木々の栄養を奪い取っているんじゃないかと何度も伐採されそうになりましたが、わたしが必死に思いを敢えて何も言わないという形で伝えるべく無言電話を町長の家に500回ほどかけたところ、やっとおとなしくなってくれました。そのことをそもそもダイオウスギを植えた死んだ祖先のことを考えると、誇らしくなります。美代子の体に生えている毛を毟り取りながらそんなことを思います。美代子はすっかりぐったりしてしまったようですが、毛を毟られるとびくん、と痙攣しギャン、と大きな声をあげます。可愛い子です。
スギから放たれる花粉が少しずつ積ってきます。そう言えば花粉症に悩まされる人がこの時期は多いとか。国民の一割の人が花粉症に悩まされていると聴くのですが、ダイオウスギの花粉はそれこそ手で摘めるほど大きい粒なのでそれが鼻の穴に入ることはあまりありません。あったとしてもマスクをして歩けばそれだけで十分防御できます。わたしは花粉症のニュースを見るにつけて、我が家の先祖が植えた突然変異体のダイオウスギを世界中に植えれば花粉症は壊滅するのではないかと思います。もっとも花粉そのものを全身に被ってしまったことでアレルギー症状を起こして毎年死者が出ることもあるし、宙を舞う花粉が眼に入ってよく学校帰りの子供たちが自転車で転んで川に落ちたりしています。帯に短したすきに長し、というものなのでしょう。
こう思っていると何故か、とても裏山に行きたくなりました。子供の頃のようにダイオウスギの根元に行って、空から降ってくる花粉を浴びたいと思いました。わたしは別にダイオウスギの花粉でアレルギーを起こすことはありません。もみ殻と同じで、ちょっと体が痒くなるくらいです。わたしは美代子の首根っこを掴んだまま、サンダルを履いて外に出ました。
外に出ると広場で何か火の手が上がっています。騒ぎになっています。火事? でも広場だから燃えるようなものなんかないと思うのですけど、一体なんなんでしょう。わたしは行ってみました。すると、広場で中学生たちが花粉が降りしきる中、暴れていました。中央に燃えるものがあって、それが子供たちに囲まれているという状態です。何かしら?
それはリムジンでした。中学生たちはリムジンを真ん中において、シートかどこかから火をつけて、そのリムジンの燃える中を囲んで踊っているのです。ブランキー・ジェット・シティの歌そのままの光景です。あらあら、足元にいくつか瓶がありますわ。火炎瓶もあるのでしょうけれど、男の子たちが飲んだテキーラの瓶も幾つか見られます。テキーラの瓶の中にはトカゲが入っています。あの子たちったら、酒屋に強盗に入って上物の酒を奪い取った後、リムジンを盗んで広場で火をつけて遊んでいるのですね。若いというのは羨ましいものです。すっかりおばさんになってしまったわたしにはそのやんちゃさがとても好ましいもののように思います。
あの子たちったら若いわ。素敵。好き、大好き!
わたしはさっそくその広場に行って、おばさんも混ぜて頂戴、と彼らのひとりが持っているテキーラを手に取ろうとしました。すると男の子のひとりが、クソババアは縁側で玄米茶でも飲んでろ、と言ってテキーラをわたしから遠ざけました。なんて素敵な罵りの言葉なんでしょう。こうした言葉が吐けるのも若さならでは。だったらわたしは大人としてこの子たちを調教、いや矯正してあげなくてはなりません。
大人を舐めるんじゃねえぞこのションベンタレが! とわたしは絶叫して、広場の隅っこにあった金属バットを(その広場は子供たちがよく野球場として使っていたので、そうしたバットがたまたま置いてあったのです)降り回し彼らの脳天をジャストミートさせました。ひとりだけ逃げようとするヘタレな野郎がいたからそいつには特別に手足の四本の骨が折れる音がするまで痛めつけてやったぜ、けっ、大人を舐めるなこの糞ガキが。
あ、わたしったらやだ。すみません。
いったい何の話をしていたのでしょう。すっかり忘れてしまいました。私は手に持っていた美代子を火の中に放り投げると、悲鳴を背後に夕食のピザトーストを作るべくまた家に戻りました。振り向くと花粉は倒れた中学生たちの身を包み、そして覆い隠してしまいました。日に触れた花粉が燃えて火の粉となって舞い散る光景が素敵です。お父さんのトーストに睡眠薬を仕込んでくたばったあとにまた来てゆっくり眺めようと思って、私は家路につくのです。明日はどんな日になるのでしょうか。そうです忘れてしまった昨日ではなく明日のことを考えましょう。私のおじいちゃんの口癖でもありました。明日が楽しみである。
原文(読売より)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20081107-5171446/news/20090121-OYT1T00080.htm
毎日訳(以下M)
http://mainichi.jp/select/world/obama/speech/news/20090121k0000m030175000c.html
朝日訳(以下A)
http://www.asahi.com/international/update/0121/TKY200901210035.html
読売訳(以下Y)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090121-OYT1T00132.htm?from=navr
(M)市民の皆さん
(A)市民のみなさん。
(Y)市民の皆さん。
(M)私は今日、厳粛な思いで任務を前にし、皆さんの信頼に感謝し、我々の祖先が払った犠牲を心にとめて、この場に立っている。
(A)きょう私は、私たちの前にある職務に謙虚な心を持ち、あなた方から与えられた信頼に感謝し、先祖が払ってきた犠牲に心を留めながら、ここに立っている。
(Y)私は今日、我々の前にある職務に対して厳粛な気持ちを抱き、あなた方から与えられた信頼に感謝し、我々の祖先が支払った犠牲を心に留めながら、ここに立っている。
(M)ブッシュ大統領が我が国に果たした貢献と、政権移行期間に示してくれた寛容さと協力に感謝する。
(A)ブッシュ大統領の我が国に対する貢献と、政権移行期に見せた寛大さと協力に感謝したい。
(Y)ブッシュ大統領の我が国への奉仕、並びに大統領がこの政権移行期間に示した寛容さと協力に感謝する。
(M)これまで、44人の米国人が大統領としての宣誓を行った。
(A)これで(私を含め)44人の米国人が大統領の宣誓をしたことになる。
(M)その言葉は、繁栄の波と平和の安定の時期に語られることもあった
(A)宣誓は、繁栄の高まりや平和な時にも行われてきた。
(Y)宣誓は、繁栄の高まりのときや、平和で静かなときに行われたこともあった。
(M)が、暗雲がたれ込め、嵐が吹きすさぶただ中で行われた宣誓もあった。
(A)だが、多くは、雲が集まり、嵐が吹き荒れる中で行われた。
(Y)しかし、しばしば、宣誓は、暗雲が垂れこめるときや荒れ狂う嵐のときに行われた。
(M)こうした試練の時に米国が前進を続けられたのは、政府高官の技量と展望だけでなく、「我ら(合衆国の)人民」が、先達の理想と、建国の文書に忠実でありつづけたためでもある。
(A) そのような時に米国がやってこれたのは、指導者の技量や洞察力だけによってではなく、「我ら合衆国の人民」が先人の理想に誠実で、(独立宣言など)建国の文書に忠実だったからだ。
(Y)こうした時、米国は、指導者たちの技量や理念だけに頼ることなく、我々人民が祖先の理想に忠実で、建国の文言に正直であることによって、乗り切ってきた。
(M)それが我々の伝統だった。
(A)これまではそうだった。
(Y)ずっとそうやってきた。
(M)我々の世代にとっても、そうありつづける。
(A)そして、この世代の米国人もそうあらねばならない。
(Y)この世代の米国人も同様にしなければならない。
http://news.google.co.jp/nwshp?hl=ja&tab=wn&ncl=1268942087&topic=h
http://mainichi.jp/select/world/news/20090121ddm001030119000c.html
市民の皆さん
私は今日、厳粛な思いで任務を前にし、皆さんの信頼に感謝し、我々の祖先が払った犠牲を心にとめて、この場に立っている。ブッシュ大統領が我が国に果たした貢献と、政権移行期間に示してくれた寛容さと協力に感謝する。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090121-OYT1T00132.htm?from=navr
◆危機への決意◆
市民の皆さん。私は今日、我々の前にある職務に対して厳粛な気持ちを抱き、あなた方から与えられた信頼に感謝し、我々の祖先が支払った犠牲を心に留めながら、ここに立っている。私は、ブッシュ大統領の我が国への奉仕、並びに大統領がこの政権移行期間に示した寛容さと協力に感謝する。
http://www.asahi.com/international/update/0121/TKY200901210035.html
市民のみなさん。
きょう私は、私たちの前にある職務に謙虚な心を持ち、あなた方から与えられた信頼に感謝し、先祖が払ってきた犠牲に心を留めながら、ここに立っている。ブッシュ大統領の我が国に対する貢献と、政権移行期に見せた寛大さと協力に感謝したい。
http://sankei.jp.msn.com/world/america/090121/amr0901210254003-n1.htm
「われわれは危機のさなかにある。米国は、暴力と憎悪の根深いネットワークに対する戦争を遂行中だ。また、一部の者の欲望と無責任さの結果であると同時に、われわれ全体が厳しい決断を下し、国家を新たな時代に備えることに失敗したことにより、経済は激しく弱化している。さらには、米国も衰退は不可避であり、次の世代は視点を下げねばならないという、自信喪失もみられる。
http://www.nikkei.co.jp/senkyo/us2008/news/20090120e3k2001720.html
私は今、直面する使命を謙虚に受け止める。あなたがたにもらった信頼に感謝する。先祖が払った犠牲を忘れない。ブッシュ大統領の国への奉仕と、政権移行期に示してくれた寛大で協力的な姿勢に感謝する。
http://www.nikkei.co.jp/senkyo/us2008/news/20090121u0c1l000_21.html
My fellow citizens:
I stand here today humbled by the task before us, grateful for the trust you have bestowed, mindful of the sacrifices borne by our ancestors. I thank President Bush for his service to our nation, as well as the generosity and cooperation he has shown throughout this transition.
http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2009012001000970_Detail.html
一、44人の米国人が大統領就任の誓いを立ててきた。その誓いは繁栄の高波や平和の静かななぎのときに語られることもあったが、多くは暗雲と嵐の中で行われてきた。米国は、高位の者たちの技量によってではなく、祖先の理想と建国の文書に忠実だったから存続してきたのだ。
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp1-20090121-452130.html
一、44人の米国人が大統領就任の誓いを立ててきた。その誓いは繁栄の高波や平和の静かな水面に語られることもあったが、多くは暗雲と嵐の中で行われてきた。米国は、政府高官たちの技量によってではなく、祖先の理想と建国の文書に忠実だったから存続してきたのだ。
祖母が二人の子を抱えて夫と死別したのがまだ30歳になる前のこと。
数枚残っている写真を見れば、ずいぶん美しい人だったことが分かる。洋風の顔立ちでどう見ても白人の血が混じっている。祖先には白人はいないはずだが、どこかで血が混じったのかもしれない。
子を抱えた祖母は生きるために、子を育てるために働きに出た。これという産業もない田舎町。幾つかの会社を経営する地元の金持ちの家に、通いで家政婦として勤めた。
やがてその家の主人の子を宿した。どうも強姦まがいのことがあったらしい。
それで生まれたのが僕の父。
私生児に人権などなかった時代だった。はらませるだけはらませておいて、責任をとるつもりもなかった主人は、何もしなかった。
祖母は亡き夫の兄夫婦に頼んで、その夫婦の戸籍に僕の父を彼らの実子としたうえで、養子縁組をして僕の父をひきとった。
父が5、6歳になる頃まではそれなりの生活費も与えられて、わりあい裕福な暮らしをしていたようだが、狭い町ゆえにやがて主人の妻にその存在がばれて、以後は極貧の生活を強いられた。
その中で祖母も亡くなり、父は異父兄姉に育てられた。
当時としてはとても珍しいことで、どういう事情があったかしらないが、僕の血縁上の祖父には妻との間に娘がひとりいたが、この娘は生涯独身を通した。
彼女はやがて両親を失い、天涯孤独になった後に、自分に異母弟がいることを知り、既に成人していた僕の父に何度も面会を試みたらしいが、父は頑として会わなかった。
父が病で死にかけている時、その「姉」と言う人が人づてに僕を通して、父に会いたいむねを言ってきた。どうするかと父に聞いたところ、父は首を振っただけだった。
父は温厚な人だった。温厚でなければ生きてゆくことが出来なかった。子には人を恨むなと言っていた。
しかし彼にしてどうしても許せないことがあったのだと思うと、むしろほっとする。
その主人の家はやがて没落し、その父の姉という人もずいぶん苦労したらしい。彼女に何の罪があるわけでもない。
それでも父は、父の父にまつわる人たちを完全に遠ざけた。
父の死後、今度は「甥」である僕に会いたいむねをその人は伝えてきたが、恨みはないにしても父の息子である僕が会えるはずもなかった。
その人も先日、孤独のうちに死んだという。
だからこれは終わってしまったお話だ。
父は苦学して地位を得て、それなりに裕福になった後に結婚をして子をもうけた。だから親子といえども、育った環境は僕と父では全然違う。生きてきた時代も違う。
それでも、仮に親子でなかったとしても、父の父が、僕の父が子供だった時にした仕打ちを聞けば、酷い話だと思うし、はらわたが煮えくり返る思いがする。
それと裏返しになるように、父の父の娘が孤独のうちに死んだと聞けば、小さなカタルシスを感じる。
その人が悪いわけでは決してない。彼女はかわいそうな女性だった。それでもそう感じる。
父はもちろん一般論として息子がそのような醜い感情を抱くことを欲しはしなかっただろう。しかしこれは一般論ではない。
このようなささやかな、歴史の中に埋没してゆく個人の悲しみや痛みさえ当事者やその家族は捨て去ることが出来ない。
許すという言葉は簡単だが、それをしてしまえば、怒りを糧にして生きてきた人たちは何を頼りに生きていけばいいのだろう。
それは生きる意味を否定してしまうことにはならないか。
僕が今、自分のことではないからと言って許してしまえば、それは父の人生を否定することにはならないか。
こうして自分のことに引き寄せて考えれば、世の多くの悲劇が、そうそう簡単に決着するはずもないのだと嘆息する。
とりあえず自分は生きてるわけですよ。
こうやってキーボード打ってるわけですから、まぁそれは誰も否定しないでしょ。
幽霊ではないのですよってことね。
我文章打つ、ゆえに我ありって感じで、とりあえず一応存在してるわけです。
すいませんね。ほんと。
まぁ人生色々つらいことありますけどね。
んで、自分がいるってことは、親がいるわけですよね。
これは確実ですよ。
父と母がちょめちょめして、精子と卵子が結合して、自分が生まれたわけですよね。
まぁ生まれてよかったかどうかなんてわかんないけど、気にしないでおきますね。
んで母親にも親がいるわけですよね。祖父、祖母。
んで祖母にも親がいるわけですよね。
要するにこれが繰返されるわけですよね。
どんどん祖先をさかのぼっていくと、進化論的にいうと、ダーウィンさんでしたっけか、哺乳類抜けて、は虫類的なものまでさかのぼるわけですよね。
んで、は虫類ぬけると魚類とか菌類ってなるのかな。中学レベルの知識だからまぁ細かいことはいいんです。
とりあえず続いてるってってことですよね。
我文章打つ、ゆえに我ありってことで、とりあえず我あるからには続いてきた結果が自分で今文章打ってるんですよね。
自分は今の自分の認知できるすごい狭い範囲しかわからないけど、とりあえず自分個人じゃなく、生命としての連続の過去があるわけですよね。
認知できないものなんて存在しないのと同じと割り切ればそうなんでしょうけど、ここはね、認知してると思って思考してみますよ。
A(自分)→B(両親)→C(祖父母)→→→→→誰か?誰っていうのは人間を指すから何かの生命か?
とりあえず自分がいるってことは繋がりの連鎖の結果とりあえずいるわけです。
人類の誕生は旧約聖書だとアダムの肋骨、コーランだと精子だっけか?
まぁここは進化論を信じますけど。とりあえず今自分がいるってことは、とりあえず数万、数十万?
地球が46億年ということであれば、40億年に生命が生まれたとしてね。
40億でだいたい1世代が10年として、平均ね、4億か!すごいな。
なんで40億とか10年で計算?とかは聞かないでね。
うん。あるある。小さいことは気にしないほうがいいっておばあちゃんがいってたもん。
個人として考えるんじゃなくて生命、種として自分の今のいる原因をふと思ってみると、俺の知的な考察の結果10億世代の結果自分がいるわけ。
いるってこと現在の結果の前には、結果にいたる原因があるわけで、その原因っていう結果の先にはさらに原因があるわけで、それが
10億回くらいつづくわけ、
人間って弱いもんでね。
仕事で嫌なことあって、酒あおってるわけですけどね。
ウイスキーラッパ飲みですよ。
要するに酔っぱらってるわけですけどね。
こんな酔っぱらってる自分でちょっとなんで俺苦しんでるんだろとか思ったわけです。
苦しんでる原因は何?
上司?顧客?仕様?いやいや生まれたから苦しんでるだろって思って考えてたわけですよ。
んじゃ生きてる意味考えてみようと思ったの。
酔っぱらってるけど、酔っぱらって誰にも迷惑かけてないから許してね。
とりあえずここまで考えて酒がうまいよ。
生きてる意味とか、この今の自分がいるっていう現時点での最終結果の意味があるかわかんないけど、なんとなくなく、
そこはかとなくがんばるかって思ったのよね。
酒うまいし、いい気分だし、それでいいか、ごめんね祖先の諸君。
とりあえず自分は生きてるわけですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090103230639
両親とも九州の出で鎖国中も外国と交流のあった長崎に近いから、私の髪の毛の色が「染めてるの?」とツッコまれるほど薄く、ときどき金髪が生えてくるのは、祖先のどなたかが白人だったからじゃないかなあと子どもの頃から思っている。中国大陸のほうからはたくさん人が来ているから、先祖をすべて調べてみれば外国人の1人や2人誰でも居るもんだと思ってる。
友だちの顔だちは白人風で「どこかの血が混じってるの?」と訊かれるそうなんだけど「ええ、クォーターなんですよ。母が子どものころロシアに住んでたんです」と言うと100パーセント信じるそうだ。クォーターはウソだが、母親がロシア育ちなのはホント。でも、わからないだけで先祖のどこかに白人が居るんじゃないかなーと思う。そのくらい洋風。
ハーフだと自分の血がどこから来ているのかはっきりしてていいなあと思ってた。同じ国に生まれた男女よりドラマチックな出会い方しそうな感じがするし。はっきり言って日本人同士だと惰性で結婚することもありそうだけど、外国人同士だと「一緒にいたい」という強い意志がないと結婚できない気がするんだよね。そこらへんはどう? 「へえ〓、ご両親、熱烈恋愛したんだ?」とか訊かれるのは嫌?