はてなキーワード: 大義名分とは
え?はしごたん叩いてる人たちは「義憤」を気取っちゃってるの?公を背負った気になっちゃってるの?
それは半端じゃなく危ないと思うんだが。誰に公を背負わされたんだよw
他人のためって大義名分があればいいのか?単に自分がその発言をおかしいと思った、それだけだろ?
理詰めで意見を批判してもいいしそれを感情と自覚した上なら不快な感情を露わにするのも問題ない。
ただ、「あいつは間違っているから攻撃が過激になってもいいんだ」ってのは違うだろ、そんなんただの殴り合いだろ。
言い争っているお互いはお互い自分を正しいと思ってるよ。その上で自分の正しいと思った意見を言う。それだけだろ?
制裁者気取りでもなけりゃ「間違ってるから過激な攻撃していい」なんて発想にはならんと思うけど。
あと俺は俺のトラバ先の人が
という発言をしたからそれに突っ込んだんだよ。
鶴瓶に若い頃に戻りたいか?と問われた整形外科医の西川史子女史がこう言いました。
「いや戻りたくないですよ。1年前にさえ戻りたくない。芸能人がこんなぼろい商売だとは思わなかった。」
なんとも意味ある発言です。
西川史子が専門とする整形外科医は、なり手が少なく問題になっている小児科、産婦人科はもとより、内科や外科といった他の多くの専門医よりも儲かる分野です。
小児科や産婦人科のように深夜2,3時に分娩などで夜通しの当直をする必要もなければ、通常は健康な人が訪れるため、治療(?)に命が関わることもほとんどありません。医者にとって何よりの負担は患者さんの命を一手に引き受けるという精神的負担です。それが無いのは大きなことです。
その整形外科医、しかも人気のカリスマ医で年収も相当なものだったはずの西川史子が
「芸能人はぼろい」
一体この膨大な金はどこから来たのか。
言うまでもなく、それは広告料であり、広告できるのは電波が使えるからです。
そしてその電波に対して、テレビ局はほとんど使用料を払っていない。
特集を組んで四の五の格差社会の是正を取り上げるなら、まず自分たちを取り上げるべきと言えます。携帯会社のように(携帯会社も諸外国に較べればそう多くはありませんが)相応の使用料を払い、少しでも社会福祉の財源なり、国債の返済なりにあてればよいのです。
彼らは他の業界はいくらでも叩きますが、絶対に自分たちのことは取り上げません。自分たちの美味しすぎる給料が減るわけですから当然です。この問題を取り上げるのはネットや出版しかありません。テレビはもちろん、新聞やラジオも系列であるため期待はできません。ネットから声を上げ、与党でも野党でも政党を動かし制度を変えていく必要があるのです。
私は医者ではありませんが、日々命を預かり、日夜訴訟と隣り合わせの仕事をこなす医者は年収1000万でも安いぐらいだと思います。昔の医者は儲かったかもしれませんが、現代の医者は悲惨すぎます。もっと待遇を良くしても良いと思います。
かたや医者を凌駕する年収をもらうテレビ局員はどうか。世間を騒がせ、事によっては人の人生を左右するような捏造を行っても、逮捕どころか「下請けが悪い」の一点張りで減給処分にすらならないテレビ局員。電波独占の大義名分はコンテンツ産業の育成と、文化の発信ですが、通信販売や、占い番組がそれにあたるのでしょうか。
そんなこと他人から言われなくても被害者が一番思ってるんだけど、被害にあった後にわざわざ外から言われるってことは、最初の被害についても「分かってないから被害にあったんだろ!自業自得」と思われてるように見える罠。
ていうか、これ以上あなたに被害にあって欲しくない、と真摯に願ってる身内が言うアドバイスと、単に野次馬が一言言ってやりたいだけで言う「アドバイス」は意味が全然違うし、言われてる方にもその違いは分かっているだろう。
一言言って被害者を貶めたいだけのやつが、再発防止のためになんて大義名分を掲げるから醜悪なのだ。(増田がそうだと言ってるわけじゃないよ)
http://anond.hatelabo.jp/20071015104110
それらの番組は見てないけど、平和イイ戦争ハンタイみんな武器を捨てて!みたいな小学生のホームルームチックなエントリーに違和感を覚えたので。
ほとんどの戦争は自衛を目的に、少なくとも自衛とか平和の回復を大義名分として行われます。
戦争したいなんて最前線の兵隊さんはいない。民主主義体制の政治家で戦争の方が平和より好き、なんてヤツも多分あんまりいない。
誰かを殺すのが好きなんてやつもごく一部を除けば居るはずない。
じゃ、なんで戦争すんの?
アンタの言うとおり殺すのも殺されるのもイヤなんです。大切な人が殺されるなんて耐えがたいんです。どちらかを選べといわれたら、殺す>殺される だから戦争になるんです。飼い猫を殺され家や土地を奪われ、家族が皆殺しにあう、そんな事態がイヤだから自衛するんです。
みんなで核兵器をなくして!武器を捨てて!平和がイチバン! みたいな事を言ってても、いつまでもホントの平和はこないから、いろいろ考えて白熱した論議になっちゃうんです。
こんなアホみたいに簡単なこと判らないの?
テレビ局は地上波衛星関わらず自主規制の規定を設けてるわけだが、このレーティングをもっと明確にしなければいけない。
何故かと言えば、ラベリング差別で表現の自由を脅かす連中から保護するため。そもそも社会倫理を守る以外にこいつらから文句言われないために自主規制してんだから。
面倒事を避けるためには(そんな目的で自主規制してるんじゃないだろうが)曖昧な規定じゃ意味がないし、何より今より強い大義名分が出来る。
Nice boat.だって元々レーティングしていれば起きなかったはずだ。もし同じことが起きてたならレーティングの意味が無い。
アメリカはテレビに機械を組み込んでゾーニングできるようにしてるが、日本だってデジタル放送で実装したし、その移行まで4年もないわけだ。せっかくそんな機能があるのに適当な使い方をするのは勿体無さすぎるだろう。
そこらへんちゃんとすれば、あとは親の監督責任にすることができる。テレビに暗証番号かけりゃいいだけなんだから。
現実的にテレビのゾーニングを考えるとするならば、第三者機関が必要になる。
そこで起きるのが大人の事情やら行き過ぎた規制なわけだが、前者は議論するとして後者は多少レーティングが厳しくなった所で特に問題は無いはずだ。
AVとかで必要以上(ていうか元々いらねえ)にモザイクが大きくなるのは問題だが、微妙な位置にいるVシネがR15になろうとR18になろうと大した問題じゃない。分類だけなら意外と大丈夫なんだ。
例え予想だにしない新たな問題が生まれたとしても、なあなあで済ませて今回みたいなわけのわからない事故が起きるよりよっぽどマシなんじゃないか。
ていうか武士道で殺し合いするシグルイがR15で、人間の体を線路でゴリゴリすりおろすバッカーノが全年齢とかおかしくないか。スクイズとか屁に見えてくるわ。
フットワークの軽い有料局と色々と面倒な地上波民放を比べるのはさすがに酷かもしれんが、日本の自主規制文化はアホすぎる。
いつまで経ってもこういう話が出てこないのは、自分の首を絞めるとでも思っているからか。逆だろ逆。
某大手メーカーの会社に働きにいってる下請けプログラマーの愚痴。
ここ最近、偽装派遣だか偽装請負だかの対策がバンバン打ち出されている。まーデカい会社は縛りもデカいのはしょーがないんだけどさ。
つい先日、協力会社間の直接やり取り禁止のお触れがやってきた。同じプロジェクトの人間同士でも、会社が違えば元請の作業指示者立会いの元でないと打ち合わせしちゃダメなんだってさ。
さらに、ウチらのよーな木っ端プログラマーは元請の担当者だけでなく請負側の作業責任者も通さないとダメ。そーしないと作業指示の系統が崩れちゃうもんね。ホントーにちょっとしたこと聞きたい場合、少なくとも、請負側の作業責任者と元請の作業指示する人と別会社の作業責任者を通って質問したい人、とゆー経路をとおんなきゃいけないワケだ。
オタクの会社、QA 部門も協力会社に頼んでるじゃんかよ。テスターはプログラマーに直接質問できないし、プログラマーもテスターに直接コミュニケーション取れなくなるんですよねー。
別にいいんだけどさ、伝言ゲーム多くなればそんだけ開発効率落ちるから。でもさー、そのおかげで生産性とやらが落ちたら「アノ協力会社も品質落ちたな」とか言われて、協力会社の雇用配置見直しとかの大義名分になるんだろうなー。やだなー。
http://anond.hatelabo.jp/20070919215943
消費者保護を大義名分に行われた、小泉チルドレン主導の上限金利規制の一本化で何が起こったか?
所謂サブプライム層へのクレジットクランチと、中小金融業者の破綻
モバイルビジネス研究会が前に言ってた通りにしたらどうなるか?
ケータイ売上の激減(価格が+4万円になってもあなたはケータイ買い換えますか?)
日本メーカーケータイ端末事業からの撤退(1機種数万台しか売れない端末にいくら開発費かけられますか?)
ケータイ小売事業者の破綻(売上がいきなり前年比30%減40%減になって生き残れる業者がどれだけいますか?)
ケータイコンテンツ事業者の漸減(利用者が増えないコンテンツで利益が上がりますか?)
こうなることは明らかじゃね?
(マワシモノfrom KDDI)
http://anond.hatelabo.jp/20070818135658
http://anond.hatelabo.jp/20070818141853
旧来型の貧乏
・自分が住んでいる地域とか、血縁とか、性別なんかで貧乏かどうかが決まっちゃう貧乏。
生まれたときから親兄弟親戚近所一同皆負けてます、みたいなもの。
部落とか、母子家庭とか、田舎に住んでいるかとか。生来的なもので決まっちゃう。
あとインフラ格差の解消とか。下水道ありません、とか、電車通ってません、近所に病院ありません、とか。
その解決の道具がお金(土木系公共事業・ばら撒き行政)と教育。
田舎や貧乏人の子供は家の手伝いで小学校までしか行かせてもらえなかった分、就ける職業も限られてた。そのために夜間中学なんてあったし。女が学問するなんて!って驚かれた時代。
でも、昔は学歴小学校卒非モテニートでも親の家業や農業を継げばよかったし、自分の家のクラスや住んでいる地域に合わせて勝手に決められた見合いで結婚できた。後天的なコミュニケーション能力不足なんて関係ない。とにかく家の面子を守ることと嫁という労働者が欲しいということ。離婚なんてタブー。嫁が子供が産めないという理由で離縁されることはあった。そこに職業選択の自由と結婚の自由はないけど。
それと長男は親との同居が当たり前。女は姑と同居が当たり前。介護に嫌気が差して座敷老人なんて問題もあった。
『ALWAYS三丁目の夕日』みたいな貧乏があっても皆幸せだったのは、『皆いっしょ』に貧乏で皆一緒に豊かになろうとがんばっていたから。
新しい貧乏
・『中流家庭』に育ったはずなのに、ある日突然貧乏。またはいつのまにか貧乏。
生まれたときは一応中流(中の上、中の中、中の下)だったけど、いつの間にか自分ひとり負けてましたもう這い上がれません、みたいなもの。
雇用の流動化、核家族化、少子高齢化、消費社会化による行き過ぎた個人主義、グローバリゼーションと自己責任。
ばら撒きしようにも、今の家族の単位が小さくなりすぎた結果(中年独身男女も含む)、ばら撒く家族が増えてしまったことと、独居老人が多すぎることで、ばら撒けるお金に限界が見えた。
だから、国に頼る前にもっと皆繋がってください、支えあってください、自分の人生自己責任でということになる。
繋がれないと、老人孤独死。中年はへたすりゃ自殺。自殺率最悪。職のコネがないローン抱えた中年の親父が自殺。息子勉強して大学行ってサラリーマンになっても、同じサラリーマンの親自殺。自分の職業、労働単価の安い海外に外注で自分の職がなくなっちゃうかも。自分の職がいつ職業ごとなくなるかわからない。学問よりもコミュ能力。英語だのファシリテーションだのコーチングだの。
ニートの親はサラリーマン。自分が継げる先代から脈々と続く家業なんてない。地域社会の商店は大型ショッピングモールが出来てからボロボロ。工場は単価の安い中国に出ちゃった。農業は、海外から輸入作物の価格に影響されて、国内農作物の価格が安くなりすぎるもんで、補助金に頼らないと生活できない。でも国は地方にばら撒ける金もうないよ。
それと、昔は正社員の職しかなかったけど、今は契約社員とか、派遣とか、バイトとか、いつ首切られて孤立するかわからない立場の職ばっか。フリータになりやすい。雇用が流動化して職場すぐ変るから人間関係も不安定。山谷とか釜が崎とかに集っていた日雇い労働者も高齢化。若い日雇い労働者はネカフェの個室に一人きり。
こういうときに必要なのは、お金ばら撒きや職業教育よりも、人とのゆるい繋がり(コネ)と根拠なき自信。一旦繋がりが切れると対人関係の自信もなくなって二度と繋がれない。皆問題抱えためんどくさい他人と付き合いたくない。昔は地縁や血縁で面倒くさくても嫌々人と繋がってたけど。それで、格差っていうのは世間にある幸せコミュニティには自分は二度と入れないんだっていう絶望みたいなもの。ちがう?うーん、どうなろう?
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/06/h0628-1a.html
で、家族っていうのは相互扶助社会の最小単位。昔は伝統や世間体を理由にして嫌でも家族と付き合う、っていう前提があった(その代わり家族の中でどんなドロドロが起こっているかわからない。嫁姑問題とか親から子への体罰とか当たり前。貧乏な家の子供は小さな大人であり労働力なので、ひっぱたいてでも働かせる。中流以上の家庭の子供は、親の面子そのものであり大事な家を支える跡取りだから、親の敷いたレールからちょっとでも外れたら親とドロドロの喧嘩)。
そういう前提が日本が消費社会化するにつれて変った。まず、日本の住宅に団地というものが登場して、核家族が爆発的に増えた。核家族っていうのは1970年代のアメリカンホームドラマを模倣したもの。家電製品に囲まれた消費社会的な家族の始まり。そこから消費社会的な自由が進行して、お父さん仕事とオタク趣味、お母さんも仕事と女友達とお買い物、子供はモバゲーで皆バラバラな家族の出来上がり。一人に一台携帯電話持ってるから話したい人と話せる一方で、話したくない人とは絶対に話さないということも出来る。最近の家族はLDKの持ち家やマンションに一人一室の個室を割り振られて住んでるし。昔ながらの障子や襖で仕切られているだけのプライバシーの無い部屋なんてありえない。だから皆付き合いたくない人とは絶対に付き合わない。付き合っても嫌なものは見ない。というか無関心。でも、おばあちゃん、おじいちゃんはどこ行った?親に事情のある子供だって、昔は親戚に養子に出されたのに今は施設直行。
そんな人付き合いの伝統や義務が無くなって人間関係が流動化した時代に、一旦自信の無さの塊になって、人付き合いに自信がなくなるとあっという間に孤立。行政はお金が無く、制度は家族の相互扶助の前提を崩そうとしないのに、「家族が嫌いでも、それでもやっぱり家族なのだから支えあうのは当たり前」という大義名分を主張することが、消費社会的な自由を阻害しているということを皆直感的にわかっているから中々主張できない。そして地縁、血縁、義理や情などで、面倒くさいんだけど義務的に構ってくれる人はどんどん少なくなり、他人の無関心に囲まれて消えるように自殺する。
これから日本人は、縁に縛られて毎日同じ他人といがみ合う苦しみと、生まれたときから将来が見えてしまっている不条理と共に生きることを選ぶのか。それとも、縁から自由になりすぎて高速で自分の前を通り過ぎる周りに無関心になるむなしさと、不安定な将来への漠然とした不安と共に生きることを選ぶのか。今の時代はそれらの選択の分岐点なのか、それとも折衷の機会なのか。国が行うシスティマティックなばら撒き福祉が大事なのは当たり前。けれどもそれだけじゃなくて、自分が嫌いな人や嫌いな世代に対しても、関心を持って扶助しあうような相互扶助社会も必要なはずなのにね。皆自分のことだけを大事にして生きてきたわけでは必ずしもなく、お互いに面倒くさいことを求めない、嫌なことはしなくていい、貴方は自由に生きていい、という優しさと気遣いを持って生きてきただけなのに。
だから格差社会っていうのは、世代間や地縁血縁の相互扶助と承認が機能しなくなった、今の核家族・孤立家族といった家族社会の拡大版だと思う。
・憲法は権力の暴走を止めるためにできた(中世イギリス)。作らせたのは議会(という名の業界圧力団体。女子供と貧乏人は入れない)
・民主主義は、愚民どもが王様の資産を食いつぶす制度だとしてずっと忌み嫌われていた(ちょっと前のアカと名まえは反対だが実質同じ扱い)
・民主主義には直接制と間接制がある
・民主主義がプラスイメージに変わったのはアメリカがフロンティア開拓で「経済的に成功」して、国を大義名分でうごかしてから。議会(という名の商工会みたいなヤツ)にはやはり女子供はいない。経済団体。
・直接民主主義は昔のギリシャ、スイス、新しいところではEUの加盟投票、アメリカ大統領選挙(票のごまかし多発)。あまりうまく機能していないのは間接制とどっちこっちいわん程度。アメリカのも、イラン戦争からこっち軍国主義の兆し(石油系圧力団体がやらせた)、結局古代ギリシャと今まで、数が力なのは同じことか
・名まえと大義名分はどうあれ、戦争や暴力は経済システムに打撃を与える。戦争が技術を発展させるってのは、核ができるまでの話。戦争でレアメタルを絞られたらコンピューターの1つさえ作れないんじゃね。日本今BIOSつくってないし。
・中国支配したいならフツーに有り金で中国株買えばいいじゃん。株主だから経営に口出しさせろ、ちっとはマシな企業人、国際人になれっていってやれ。
もちろんそれはもっともだし、禁止されている理由(大義名分)なんだけど、
ブロードバンド空白地帯をなくす政府の動きと矛盾してるのは変だよ。
同じ理由では政見放送やってる時間にTV見る事が出来ない人も多いよね。
地デジのみでアナログ停波したらかなりの世帯で政見放送見れなくなるぜ。
(壊れもしないのにテレビなんて買い換えるかよ)
きちんと政見放送を見た人はどっちが多いかなー?
その辺の不公平感を無くすものとして、時間帯に縛られない告知方法を認めるべきだと思うんだ。
例えばNHKのサイトでオンデマンドにしておくとかだけでも進歩だと思う。
そもそもポスター張るのだって、本人や支持者が張るんじゃなくて、
その自治体の選挙管理委員会が張らないと、人手=金がかかるから不公平。
(外山くんのポスター見たかったけど、近所じゃ見かけなかったから見れなかったぞ。どうしてくれるんだ)
htt://d.hatena.ne.jp/fuku33/20070112/1168601308
へー。地産地消ってのはロマンティシズムなのか。ローカリズム(?)というのがあるのかどうか考えてみよー。
fuku33さんは、売り物に対するレッテルの貼り方みたいなものをみているのかなぁ?
そこからなにがしかを読み取ろうとする体系を作ろうという感じなのだろうか。
いや、なんつーか、立場を把握しないと正確なところ(なにを読み取るべきか)がわからんかなぁーって(ひとり言)
fuku33 幻想商品 地産地消という現象はいろんな文脈で語れると言うことです。どの文脈も排除しませんが、僕は「商品を感情充足の手段として見る」ということです。ローカリズムがその大義名分になることもあります。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20070112215710
マーケティングとゆったり、プロモーションとゆったりするものの一種なんだろうか。それをすることによって何を導けるのだろうか。
なんじゃろホイ。革命じゃないけど革命的な進歩が必要なんじゃないか説?
歴史を紐解いてみてもフランス革命然り、ソ連の誕生から崩壊までの過程然り、成功しないのです。ただ成功しないだけならともかく、その失敗という歴史的事実の裏側には無数の無辜の民が蹂躙され、死んでいったという重く苦い経験があるのです。このような経験をしてもなお、急進的な主張をし、その主張を支える理念や倫理観を素朴に唱えている人達に対して私は激しい嫌悪感を感じます。
この論を唱えている方は、いったいどんなトラウマがあるのだろうか?歴史の悲劇は「理念を押し通すことを進歩」と解釈したことに端を発する「理念を押し通すことで進歩する」と信じて行動した結果、革命は失敗しちゃった→なので「理念を前に出してもダメじゃん」と思っているように感じる。
みうらじゅんが言うところのDTというものであり、妄想力が生命力の源となっているというのもあながちいい話。
現代における妄想は「お金持ちになる。」程度のものなのだろう。そのお金持ちになるという妄想は現世はすべからく経済によって回っていて(正確には経済的な認識のみが人類の共通言語)、その上でしかダンスを踊れないというふうに勝手に枠を作ってしまっているんだろうな。
理念というか、いわゆる正義感がなければ行動へと移行するだけのパワーは得られないと思うのだけれどなぁ。要するに、現在話題の「閉塞感」の打破のためには(過去に習えば)革命的妄想が必要なのではないか(と思ったり思わなかったり)
http://anond.hatelabo.jp/20070113024605
生活必需品以外なんて、これをもってる私カッコイイ!と、これを買ってあげてる私カッコイイ!の、どっちかでしか買わない。
たぶんfuku33さんは、キュウリやコークを買う際にもその「カッコイイ!」という感情のようなものを当てはめたとしたらそこにはどういう感情が入るのだろうか?って考えているんだと思います。さらにもっと踏む込むと、それらの感情を整理・カテゴライズすると経済や人の動きをこれまでと違った目線で見れるのではないか?新しいマーカーを社会に設けることが出来るのではないか?と考えているのではないでしょうか。新しいマーカーで社会を追うと新しい説が生まれるのでしょう、きっと。
>マッチポンプだろうが抑圧者の大義名分に使われようが構わない、むしろ望む所なんじゃないですか。
確かにまさしくその通りなんだけど、そこまで自覚してパフォーマンスしてる人がどれくらいいるのかなあ、と思ったわけ。「この抑圧を解決するために理由付けするんだ!」と本気で考えてる人がいたら、それは自縄自縛っつーか自分から泥沼に突き進んでるなあ、と思ったのでした。
> 必ずしも有効な手段になり得るとは限らないと思う。
そもそも無理な理由付けをするのはいじめられるとかモテないとか貧乏だとかを解決するためじゃないと思うけど。
むしろそれら自体の解決は諦めて、安心や納得を得る為にしてるんだから
マッチポンプだろうが抑圧者の大義名分に使われようが構わない、むしろ望む所なんじゃないですか。
だって相手が「お前は○○だから駄目なんだー」って言ってきて、
「ギャー、俺は○○だから仕方ないー」ってやられるのなら、そこには安心や納得がある。
相手の「○○だから駄目なんだー」に対して「いや、俺が駄目なのは××だからなんだけななにをするきさまらー」じゃあ
攻撃はされるわ納得できないわで最悪。
無理な理由付けじゃなく論理的な理由付けに走るんじゃないのー。
等々、何事につけ人は理由付けを求める。本当の理由があろうと無かろうと、理由付けを求めずにはいられない生き物なのだと思う。「自分がいじめられるのは男だからだ/女だからだ」「自分がモテないのはオタクだからだ」「自分が貧乏なのは文系だからだ/理系だからだ」etc. etc.。
人の欲望は色々あるけれど、三大欲求(性欲・食欲・睡眠欲)の次に来るものがあるとしたら、人から好かれたがる/関心を持たれたがる欲望か、好奇心に基づく欲望か、さもなくば理由付けされたがる/理由付けしたがる欲望ではないかと思う。だから宗教にしろ占いにしろ変らぬ人気を集めるのだし、ワイドショーは犯行の理由をでっちあげるのだし、はてなダイアリーでは今日も怪しげな因果関係がマコトシヤカに論じられるのだろう。
問題は、被抑圧者側の「理由付け」が抑圧者側の「大義名分」との共犯関係・マッチポンプを形成してしまう、ということだ。「自分は――だから……なのだ」と理由付けした瞬間、その因果関係は抑圧者側に掠め取られ、「――が……なのは仕方ないじゃん!」と言われてしまうのである。だから、安易な「理由付け」が、必ずしも有効な手段になり得るとは限らないと思う。