2007-01-12

htt://d.hatena.ne.jp/fuku33/20070112/1168601308

へー。地産地消ってのはロマンティシズムなのか。ローカリズム(?)というのがあるのかどうか考えてみよー。

見てるものがちゃうかってん

fuku33さんは、売り物に対するレッテルの貼り方みたいなものをみているのかなぁ?

そこからなにがしかを読み取ろうとする体系を作ろうという感じなのだろうか。

いや、なんつーか、立場を把握しないと正確なところ(なにを読み取るべきか)がわからんかなぁーって(ひとり言)

ありゃ、ご丁寧にどうもです。

fuku33 幻想商品 地産地消という現象はいろんな文脈で語れると言うことです。どの文脈も排除しませんが、僕は「商品を感情充足の手段として見る」ということです。ローカリズムがその大義名分になることもあります。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20070112215710

マーケティングとゆったり、プロモーションとゆったりするものの一種なんだろうか。それをすることによって何を導けるのだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20070113003540

なんじゃろホイ。革命じゃないけど革命的な進歩が必要なんじゃないか説?

嗚呼、革命妄想ええじゃないか

歴史を紐解いてみてもフランス革命然り、ソ連誕生から崩壊までの過程然り、成功しないのです。ただ成功しないだけならともかく、その失敗という歴史事実の裏側には無数の無辜の民が蹂躙され、死んでいったという重く苦い経験があるのです。このような経験をしてもなお、急進的な主張をし、その主張を支える理念や倫理観を素朴に唱えている人達に対して私は激しい嫌悪感を感じます。

この論を唱えている方は、いったいどんなトラウマがあるのだろうか?歴史の悲劇は「理念を押し通すことを進歩」と解釈したことに端を発する「理念を押し通すことで進歩する」と信じて行動した結果、革命は失敗しちゃった→なので「理念を前に出してもダメじゃん」と思っているように感じる。

みうらじゅんが言うところのDTというものであり、妄想力が生命力の源となっているというのもあながちいい話。

現代における妄想は「お金持ちになる。」程度のものなのだろう。そのお金持ちになるという妄想は現世はすべからく経済によって回っていて(正確には経済的な認識のみが人類の共通言語)、その上でしかダンスを踊れないというふうに勝手に枠を作ってしまっているんだろうな。

理念というか、いわゆる正義感がなければ行動へと移行するだけのパワーは得られないと思うのだけれどなぁ。要するに、現在話題の「閉塞感」の打破のためには(過去に習えば)革命妄想が必要なのではないか(と思ったり思わなかったり)

豊かになりすぎた消費社会であるがゆえにおこなえる新しい考察

http://anond.hatelabo.jp/20070113024605

そんなんブランドとかみんなそうなんでは?

生活必需品以外なんて、これをもってる私カッコイイ!と、これを買ってあげてる私カッコイイ!の、どっちかでしか買わない。

たぶんfuku33さんは、キュウリコークを買う際にもその「カッコイイ!」という感情のようなものを当てはめたとしたらそこにはどういう感情が入るのだろうか?って考えているんだと思います。さらにもっと踏む込むと、それらの感情を整理・カテゴライズすると経済や人の動きをこれまでと違った目線で見れるのではないか?新しいマーカーを社会に設けることが出来るのではないか?と考えているのではないでしょうか。新しいマーカーで社会を追うと新しい説が生まれるのでしょう、きっと。

なんて勝手妄想してみたのだが大外れだろうか。

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