はてなキーワード: ライトノベルとは
生あずまん見てきたよ。
講義にもぐった理由
・ネット☆スター見て興味を持ったから
・著作読んだら、えらく面白かったから
読んだ本
『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』
ホントは先週行こうと思ってたんだけど、腰が引けてた。
んで、行かないで家でぼやーっといつもどおりネットしてたら、はてなでなんかもめてた。
↓こんな感じで
東浩紀問題、または歴史修正主義問題について(開かれた学問・知識について:前編)
http://d.hatena.ne.jp/amamako/20081213/1229172460
ああ、こりゃ早めに行っとかないとモグリ禁止もありうるなということで今日行ってきた。
講義に出ていろいろと思ったこと・感じたこと
1.
教室が小さい
講義に出る前は、てっきり大教室でやってるもんだと思ってた。
テレビに出てるくらいだし、そこそこ名前が売れてる批評家なので。
ところがどっこい、かなり小さい(と言ってしまうと失礼に当たるのかもしれませんが)教室です。
ふいんき(ryも、講義する人と学生の間に「関係」があるのを感じさせるアットホームな感じです。
簡単に言ってしまえば、人数多めのゼミみたいな感じ。
なので
次は、トラメガを持って東工大に行きます。
こんなこと書かれたら非常に迷惑だし、普通は怒るだろうなと。
確かに大学は開かれている「べき」だけど、mustではない。
時と場合によるし、あの「規模」だと開かれていなくてもしょうがないかなと。
歴史云々について
授業の前半30分くらい使って説明してた。
別に難しいことは言ってない。(以下はワタクシの解釈)
自分が体験したわけではない「歴史」というものは、物語でしかない。
その物語の「強度」によって人は「真実」であるとか「捏造」であるとか判断する。
常に更新可能であるし、閲覧した時点での記述が閲覧者にとっての「真実」となる。
また、「ソースがwikipedia(笑)」って感覚は「ソースが歴史学者(笑)」に通じるべきだ。
少なくともポストモダンな人は。
ってあずまんは考えてるんじゃないかな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA
南京大虐殺論争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E8%AB%96%E4%BA%89
id:toledって人は、wikipediaで言うところの「ノート」で議論して、
らちがあかないから「みんなで編集合戦しようぜwwww」って言った様なものなのかな。
以下は生あずまんを見た後の、著作その他にかんする感想。
2.
http://watashinim.exblog.jp/8879908/
大塚 その話を聞いてしまったら、ポストモダンっていうのは、何もかもから距離を取れて、すごく楽な思想だっていう話になっちゃうよね。
東 楽と言えば楽ですが、楽じゃないと言えば楽じゃない……(苦笑)。
あずまんはポストモダンの「判断の不可能性」についてわりと謙虚な立場。
それは『波状言論S改』にもよく現れている。
ただ、それは「批評家」としてはどうなのかなーってのは確かに思う。
まぁ、「ずるい」と言われてしまってもしょうがないかなと。
(ただ、「ずるい」と言ってしまえる人ばかりだとまずいので「逆張り」している可能性もある)
宮台氏とか大塚氏は「イエネェっつっても世の中良くするためには何か言わなきゃ」な人たち。
東氏は「なぜか」そこには触れたがらない人。
(『ゲーム的リアリズムの誕生―動物化するポストモダン2』の序章で「生と実存の問題には触れていない」とはっきり書いてある。触れろよ!)
東 この議論は続けても仕方ないんじゃないかな。今、大塚さんはぼくの人格を批判しているので、
それはやめたほうがよろしいんじゃないかと……。
大塚「なんで自分の人格(判断)を晒さないの?馬鹿なの?死ぬの?」
あずまん「それは人格攻撃じゃ・・・」
んー、たぶん、「政治学」が好きじゃない?から言わないのかなぁと。
3.
あずまんって、『リアルのゆくえ―おたく/オタクはどう生きるか』で明言している通り、
「政治学」に興味ないから(「僕は政治がわからない」発言より)あんまり「政治学上の定義」とかにこだわってない。
だからたまーに何言いたいのかわからなくなる。
「政治」っつっても、ウェーバーの「政治」とアリストテレスの「政治」とぜんぜん違う。
ロバート・ダール
の『現代政治分析』(岩波書店, 1999年)第1章「政治とは何か」とか読んでみればいいのにーって思う。
あずまんが言うところの「共感」とか「正義」って、ダールの言うところの「規範」かな。
デモクラシーって経験主義的に「正義(善)」とされてるから、そこは政治学では脱構築?しなくていいんだよね。
そこさえ乗り越えちゃえば、宮台氏みたいな「行動」をすることができるんじゃないかなぁ。
コントロール(支配力)control,影響力influence,権力power,権威authorityをかなりな程度含む人間関係の持続的なパターン
4.
さいごに
あずまんは笑顔がかわいい人でした。
男に好かれるのは判る気がする。
戦うボーイ・ミーツ・ガール―フルメタル・パニック! (富士見ファンタジア文庫) (文庫)
ライトノベルの基本中の基本とも言われているので、読んでみた。
設定もわかりやすく、面白くて一気に読めた。
ここはこう来てくれるよね!いやそうじゃなきゃダメだよ!!というところしっかり外さずに押さえてくれる。
主人公だけでなく、その他の個性の強いキャラも自分が出る場所をわきまえている勧善懲悪のストーリーだ。
ヒロインを守りたいという主人公の純粋な心に、不覚にも目頭が潤んだ。
で、二度目読み直してみたのだが、よく考えるとやはり「戦争」とか「戦い」という事がテーマの場合、人が死ぬんだなとぼんやりと感じた。
ヒロインが「私をひどい目にあわせたくなかったら戦って敵を打ち破りなさい!」的な事を言う。
ヒロインが「山火事を起こして逃げ延びましょう!」的な事を言う。
読み返すと、なんとなく、引っかかった。
女子高校生がクラスメイトに、「私のために殺して」「私のために燃やして」と言っている。
当たり前だけど、そういう部分があることを理解して評価しないといけない。
手放しに賞賛していると、転校してきたばかりの宗介のように浮いてしまうTPOがあるだろう。
最近、あちこちで、「正反対」という意味で「真逆」という言葉を目にする。仕事柄かもしれないが、主にライトノベル周りで、よく目にする気がする。
手元の辞書を引く限り「真逆」は、「まさか」と読み、「まさか、そんなことはないだろう」などの、否定的な推測を意味する。
どこから正反対の意味が出てきたのかと用法を追ってゆくと、どうやら「月姫」のネロ教授のセリフに由来するようだ。抜粋するとこう。
ここでは、多分、作者は「正反対」の意味では使っていない。「まさか」と読んでも十分に意味は通じる。
ただし、「まさか」という読みを知らなければ、文脈的、あと字の意味から「その正反対だ」という意味にも取れる。「月姫」では、独特の造語が多く用いられるので、読者が「真逆」を、そうした造語と取り、今に至った可能性がある。
新しい言葉が生まれるのは、世の常なので、「真逆」の広がりについては、面白いなぁと思っています。
それはそれとして──「真逆」を使う皆さん、なんて読んでます?
「しんぎゃく」?「まぎゃく」?「まさか」?
根がオタクだったりオタク趣味に興味津々だったりするのにそういうのにツンツンした態度取っちゃう人っているよね。例えば俺の友人の場合、突然こんなことを言い出す。
いつもこんな調子。さらに続けて
「大体何なんだ?あの美少女イラスト表紙のオンパレードは!?」
終いには
「昨日もいかーにもなオタクがライトノベルコーナーで立ち読みしながらニヤニヤしてたんだよ。マジキメェ……。本屋であそこだけ異空間を形成してるんだよ!!」
ときた。まあ、いつものことだが、コイツのオタ嫌悪はドコからくるんだ?
……ふふふ、だが俺は知っているぞ。お前、小説コーナーで立ち読みをするフリをしながら、隣のラノベコーナーをチラチラ見まくっていただろ?書棚の影から俺にヲチされてるとも知らずにな。そのうち、我慢できなくなったのか何度も何度もラノベコーナーの前を往復しだしたところで盛大に吹いちまったwwwお前は通りすがりにこっそりチラ見してるつもりなんだろうが、平積みされたラノベの「美少女イラスト表紙」に釘付けなのは誰の眼にも明らかなんだよwww流石にここまでくると滑稽というよりむしろ萌えてしまったんだが。なんか庭先に餌をまいて家の中から小動物の観察しているかのような気分になった。
後日、奴からこんなことを聞かれた。
……俺は答えに窮した。まさか
「それはお前のことだよ」
とは言えないよなぁ……。
漫画やライトノベルがアニメ化されたり、ドラマ化されたりすると、原作に忠実であってほしいという人が一定数いるけどなんでだろう?しかも原作に忠実でないと多数の者からみなされると、『原作レイプ』などと批判される。しかし原作に『忠実』であることは可能なのだろうか?作品に対する解釈って言うのは一人一人違うものじゃないのだろうか?よく受験国語に対しては「作者の気持ちなんてわかるわけがない」や「いろいろな解釈ができるのに、一つの答えを押し付けるのはおかしい」といった批判がある。そうした批判を漫画やライトノベルに適用すれば、漫画やライトノベルの解釈は一人一人異なっていてもよいことになる。もう一歩考えると解釈が異なる以上、ある人にとって原作に忠実にアニメ化したりドラマ化したりしたとしても、他の人にとっては原作に忠実でないということが起こりうる。二人や三人だったらみんな解釈が一致するかもしれない。しかしそれが1000人、10000人になったらどうだろう?みんなが原作に忠実であると判断できる可能性はほとんどないのではないのか?いわゆる「原作厨」はみんなが原作に忠実であると納得できる作品が作れると思っているのだろうか?
留年もしてるし、本当の終わりが近づいてきたんだと感じる。
積極性がない・ネガティブ・・・な人間なんだそうだ。だから、会社には入れない。どの企業も判で押したように同じ答えが返ってくる。
今までまっとうに生きてきたつもりだった。他人に大きな迷惑をかけてきたわけでもない。だけれども、これから人間らしい生き方は出来ない。
社会人として認められない自分に絶望した。知的能力では劣っていなくても、人間性の部分で不適格だから、俺は、職に、就くことが出来ない。
唐突だけどライトノベルが書いてみたいと思った。日常の中に不意に訪れるファンタジー、なんて。ヒーローは俺じゃなくてもいい。
でも、ライトノベルも漫画も古本屋にとうの昔に売ったよな。大人になればこんなの読まないと思ってたから。
これからどうしよう。最低限のライフラインとして介護労働者の道が残されているのか。まだ覚悟は出来てない。
実家には帰りたくない。両親とは折り合いが悪く、一人暮らしが何よりの楽しみであり希望だった。
あの監獄へ連れ戻され、悲哀と落胆のこもった眼差しを向けられ生きていくなど嫌だ。自己憐憫に囚われ、身を委ねることなど出来ようか。
けれど、遣る瀬無いくらい絶望してる。他に吐き出すところがなかった。
恋人に求める条件みたいなものってけっこう考えたりする。
実際恋愛をしたら条件なんてどうでもよくなるのはわかってるけど、こんな子いないかなーと妄想。
でも自分のブログに書いたりはしない。条件に合わない人をはねるだけになるし。
男。30歳。イラストレーター。年収は200万前後。持ち家なので一応やっていけるが将来は不安。
結婚願望はそれなりにある。子どもは欲しいが実子でなくてもよい。
稼ぎがないのもあるけど、共働きが当然だとおもっているので。年収は高ければもちろん嬉しい。
・好みの職種
医療、福祉、教育、保育、風俗などが好き。同業やライター、デザイナーでも。
金曜の夜や土日に遊びに行くとかアホらしすぎるので。
・長女
自分が末っ子なのと、今まで付き合った女性が全員長女なので。末っ子と聞くとそれだけで微妙に引く。
・オタ
ライトノベル、ハードボイルド、エロマンガ読み、TRPGなど。
マンガとアニメはジャンルが細分化していて難しいが、好みが重なった方がいい。
その他つらつら思いつくのは、
・酒が飲める
・食べることが好き
・嫌煙者ではない
・非処女
・セックスが嫌いではない
・性に関する話題をタブー視しない
・馬鹿じゃない
・宗教を持っていない
・巨乳
・子どもが好き
僕はたぶん非モテで非コミュで、それでいて、たぶんとか関係無しに間違いなく童貞である。
だが、生まれてから一度も彼女がいなかったわけではない。相思相愛という関係を体験した事がある点では、彼女いない歴=年齢ではない。つまり中途半端。
その彼女というやつが、一般的に恋人関係として使われる言葉の彼女であったかどうかは怪しい。僕にとってその女の子の事を彼女と認識したことはないし、きっと向こうも僕のことを彼氏と認識しては……いや、向こうのことはわからない。女の子は早熟であるし、恋愛というものに憧れるかもしれないので、その子の中では彼氏という言葉を感じていたかもしない。
まず年齢。ガキのお遊びであったとも言いがたいが、思春期という言葉を使うには早すぎるし、当時僕は勃起なんかした事なかったし、性についてはおぼろげにしかしらなかった。そんな年齢だった。
狭い世界で僕らはお互い好きだった。好きという気持ちも、どんな好きだったかはわからない。吊り橋効果に近い、密室効果があっただけなのかもしれない。そんな言葉あんの?でもなんとなくわかるだろ、そんな感じだ。
デートみたいな事はしたかもしれない。プレゼント交換なんてのはした。バレンタインは貰ってない。あとなんかあったっけ?なにもしてない。キスなんて想像も、きっとあの頃の僕にはなかった。あの子にはあったかもしれないけど。もしそうだとしたら、ごめんね。
だから僕はその子のことが、一般的に恋人関係として使われる言葉の彼女ってやつであったかどうかはわからない。でも、実際には相思相愛だったわけだから。うーん、わからない。うん、多分何もわからない。これはあれか、シュレーディンガーの彼女か。そういうタイトルのライトノベルとか、あってもおかしくはないかもしれない。つかっていいよ。
1年ほどでその子との関係は自然消滅した。その頃から、全部、全部わかんなくなった。性欲も良くわかんないし、好きとかも良くわかんないし、彼女が欲しい気持ちも生まれたことはなかった。ただそれでも僕は単なるヘテロだし、その辺の大多数の人間と変わりないよ。まーそんなわけで10で神童だった僕は、こんなんが理由ってわけでもないけど、よくわからんうちにただのニートに成り下がった。頭はずっとあの頃のまま変わらなかった。
その自然消滅とやらから15年ぐらい経ち、こんな僕にも、生まれて初めてリアルで本気で好きな女の子が出来た。寝ても冷めてもその子のことしか考えられない。すげぇ、こんな世界があるんだなって思って泣いたりオナニーしたり苦しんだり温かい気持ちになった。非コミュなりに、俺の命!とか思って無理して色々頑張った。就職もした。それだけのパワーが、この恋ってやつにはあった。
でもその子、心が男の子だった。そっか、そうなんだ。彼女がいるらしい。なんかね運命らしいよ。そっかー。んで、良かったね、そういう人がいて。って言ったら、うんっていってた。かわいいなぁ。でも男なのか。そうかー。
僕はその子の幸せを祈る事にした。運命を引き裂くなんてとんでもない。それに、僕は男で、その子は実は男で、僕は女の子が好きで、その子は女の子が好きで、つまり何も噛み合わない。だからどうなんだ、とも思う。もちろん誰が悪いなんてこともない。そして多分これ以上何もないのだ。あの時の彼女のように、何もないのだ。これでいいんだ。このままで。
ただ未来が少しだけ、自分にとって明るいもののような気がしているのは、その恋によって磨かれた自分が、ここにいるからなのだ。思い込みかもしれないけど、そう思い込めるようになっただけでも……いいのかな。
古橋はその背景世界のとっぴさとは裏腹にかなり大人のキャラ書くので、そういう意味ではお勧めなのかもしれない?
あ、スレイマンは圧倒的な悪漢の魅力だね。それぐらい?
男女間の係わり合い方ならかなりいい線をいってるとは思うけど。
ブラッドジャケットの少年少女逃避行とか、魔女と吸血鬼の絶妙なやり取りとか。
わりとアダルトな関係性が多く、ジャンルを離れても魅力的ではないかと思える関係性が多い。
ブライトライツ・ホーリーランドの坊主と尼さんの掛け合いや、インポの旦那と奥方の仲睦まじさなんかは、あれは普通、ライトノベルのジャンルでは見かけない。
ファンタジー読みとしての素養があれば、ブライトライツ・ホーリーランドあたりはかなり面白く読めると思うのだけれども、でも安易にお勧めするのはやはりはばかられる。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/magazin/1225438660/l50
でそういった意向を添えて書くと割と良い反応ある気がします。「ライトノベル以外で」などという指定なども可能です。たまに「貴様レジンキャストミルクみたいな地雷勧めやがってふざけんな!」のように被害者も出たりすることもありますけど。自分で聞かんでも過去ログから探すのも良いです。
たらいまわしだけじゃつまらないので私からのオススメをいくつか。
子供の頃ロードス(おそらくロードス島戦記だと思います)を楽しく読んでいたということなので、ロードス島伝説などいかがでしょうか。戦記より過去の話で、若かりしベルドやニースなどが描かれておりスケールもロードス島戦記より大きくなかなかの歯応え。
もう一つ同じようなところからはクリスタニア。こちらはロードス島戦記よりずっと未来、別の場所のお話。キャラはほとんどかぶりませんが。個人的には水野良作品中で一番好きです。
# 読み返すとなんか意外とボリュームがあったので以下チラ裏ということで。オタクに質問するとこうなるの例。
あと最近男主人公が微妙ということ女主人公でフィギュアスケートで熱血スポ根ラノベなどとも言われる銀盤カレイドスコープをオススメ。なんか黒歴史と化したアニメがあるとかないとかいう話を耳にしたことありますが、原作小説はスポーツ物ラノベとして屈指の名作だと思います。
一冊完結物になりますが、あなたが中二病的な思い出を持っている人なら田中ロミオの「AURA 魔竜院光牙最後の闘い」はとてもおすすめです。読み終えたあとは苦笑いどこか熱い思いが残る、かもしれません。中学生とかはノートに変な設定とか書き連ねるべきだ!
最後に何も考えず単に自分がすごく好きな作品、榊涼介のガンパレードマーチを挙げておきます。少年少女で戦争です。学生ノリのどたばたから伝説級に、そして神話へ。ゲームのノベライズとして始められた作品なのですが、もはやとっくに原作ゲームの枠を超えてます。(無名世界観とかの話を考えるとまああれだけどむにゃむにゃ) そんなわけで刊行順が作中の時期が一致してない部分があります。刊行は
以下略という順序なのですが、作中の時期で並べると
以下は刊行順と同じ、となります。刊行順で読んでも良いのですけど、episode ONE, TWOから読む方が少しわかりやすいかもしれません。「5121小隊の日常」は「ガンパレって何?」という人にはあんまし親切じゃないかもしれないので。
2chでオススメのラノベ、なんてスレッドがたまにあるけど、知ってるだけでも、ただのキャラ物でストーリーや文章力は皆無、なんて本がオススメされていたりするから、あんまり信用ならないです。
キャラクタがカワイイってのは、それだけで楽しいし、ラノベにとって重要なのは分るけどね。
それに、最近の男性向けラノベの男主人公は、私から見て魅力のあるキャラだとは思えないことも多いので、男性が多いようなスレッドでお勧めされているリストを見ても、あんまり信頼して買ってみようって気にはなれないです。
きっと私があんまり知らないだけで、それなりのクオリティで、女性でも楽しめるライトノベルはあるはずだと思う。
子供の頃、ロードス島やフォーチュンクエストや、吸血鬼ハンターD、ジョーカーシリーズなんかを楽しく読んでいた記憶があります。
オススメ本があったら教えて欲しい。本当に。
ライトノベルが特異な発想をしたモノ勝ちなのって、日常の人間関係や恋愛とかに乏しいから
特異な設定を取っ払うと、みんな似たような話しか書けなくて、それを誤魔化すために
ヘンチクリンな世界のルールがあったり、大騒動があるようにしか思えない。
文学だって、この世の中で珍しいくらいの不遇を抱えているマイノリティな社会的弱者や
ありえないくらい、けだるげに思弁的な登場人物ばっかりなのって、そうしないと話が面白くできないからでしょ?
あいつらって、普通と違う発想でしか、普通と違う話が書けないから、普通の人に見向きされないようなニッチな話しかかけないんでしょ。
きっと、作家先生を祭りたてる読者も作家先生と同様に人生経験が薄っぺらなヤツか、分厚い人生経験をもってるやつがああ、人生経験無いわりに頑張ってるなーってニヤニヤ読んでるくらいなんでしょなの?
人生経験がマジックワードになってるなの? はぁ、バカなの? 死ぬなの?
じゃあ、学園異能って何よなの? 具体的な社会的弱者ってなによなによなの?
そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってるオタクどもってバカなの? 死ぬなの?
ああ、薄っぺらな作品ばっかりなの。
でも事実を薄っぺらに表現するからこそ、有名な古典文学にしろ、すぐれたライトノベルにしろ、現代文学であっても、僕らは現実を間接的に直視する事ができるのだけれどもにょ。
それで、あたかも全部の世界や社会が語ろうとする。経験不可能なことを可能したつもりになってる批評家の方が人生経験が無いよねのなの。
でも、作家が言語化できなかったこと稀に言語化するからナイスじゃん、と思う時はあるなの。
結局、何かをひとつのジャンルで語ろうとする事は愚考でしかない。ひとつのジャンルによって世界を敷衍することはできるけどなの。
金型が社会にとってどういう関わりを見せているか、とかソレと同じ程度には、でも世界は金型では出来ていないのだなの。
まあ、経験の薄い作家先生のうすっぺらい人間の言葉にも飽き飽きしたし、それをわざわざ拡大解釈して言語化するフォロワーのうすっぺらい感性にも飽き飽きしたよなの。
http://anond.hatelabo.jp/20081026030356 全部間違ってるね。あのね、文学は特異な発想で現実とは違う世界をつくり出していること自体に意味があるの。
そうすることで、現実を違った角度から見られるようになるんだよ。
あなたは「普通と違う発想」も「分厚い経験」も持ってないからそんな文句言うんでしょ?
文句言うことでしか自己表現できない。
以下引用と批判。
「そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってるオタクどもってバカなの?」
→作家にも色々いるの。「そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってる」あなたってバカなの?死ぬなの?
「でも事実を薄っぺらに表現するからこそ、有名な古典文学にしろ、すぐれたライトノベルにしろ、現代文学であっても、僕らは現実を間接的に直視する事ができるのだけれども。」
→ほめてるじゃん。否定したいの?肯定したいの?
「でも、作家が言語化できなかったこと稀に言語化するからナイスじゃん、と思う時はある。」
→またほめてる。だから否定したいの?肯定したいの?
「結局、何かをひとつのジャンルで語ろうとする事は愚考でしかない。ひとつのジャンルによって世界を敷衍することはできるけど。
金型が社会にとってどういう関わりを見せているか、とかソレと同じ程度には、でも世界は金型では出来ていないのだ。」
→そんなこと高校生でも知ってます。
文学は、複雑な世界を把握するひとつの手段であり、それだけで十分役割を果たしてるんだよ。
こういうどっちつかずの意見を展開している時点で、あなたが「普通と違う発想」も「分厚い経験」も持っていない
コンプレックスの塊であることを証明しています。
もっと素直になろうよ。
http://anond.hatelabo.jp/20081026030356
まずタイトルから
正しいコピペは「馬鹿なの?死ぬの?」なので、君はコピペもまともにできない人間なのだと読者に思われてしまう。
ただし、有名なコピペをわざと間違えて使ってみせてからネタの伏線として利用するという手法もなくはないので、まだ読者もこの時点では判断を保留して読み進めてくれるはず。
ライトノベルが特異な発想をしたモノ勝ちなのって、日常の人間関係や恋愛とかに乏しいから
特異な設定を取っ払うと、みんな似たような話しか書けなくて、それを誤魔化すために
煽り文として、かなり好調な書き出し。
ラノベを貶めるときの常套句を冒頭に配置することで、タイトルとの相乗効果で読者をうまく煽ることに成功している。
「日常の人間関係や恋愛とかに乏しい」の主語がわからないけど、これはタイトルから「作家」だと推測してなんとか読み進めることが出来る。
文学だって、この世の中で珍しいくらいの不遇を抱えているマイノリティな社会的弱者や
ありえないくらい、けだるげに思弁的な登場人物ばっかりなのって、そうしないと話が面白くできないからでしょ?
これも素晴らしい。
ラノベに限定した話だと思って読み進めていた、ラノベは読まないけど文学作品は読むというような読者に奇襲をかけることに成功している。
あいつらって、普通と違う発想でしか、普通と違う話が書けないから、普通の人に見向きされないようなニッチな話しかかけないんでしょ。
順調に読み進めていた読者の大部分がここでつまづく。
「普通と違う発想でしか、普通と違う話が書けない」って当然だよね?「普通の発想」で書けないから「普通と違う話」なわけだし。
ただ、「普通の人に見向きされないような」というくだりで、なんとなく「普通の人が見向きするような、それでいて面白い話」を君が理想としているのだということは推測できる。
「普通の人に見向きされる」っていう評価軸の導入が唐突過ぎるので、これについてはもう少し前置きが必要。
きっと、作家先生を祭りたてる読者も作家先生と同様に人生経験が薄っぺらなヤツか、分厚い人生経験をもってるやつがああ、人生経験無いわりに頑張ってるなーってニヤニヤ読んでるくらいなんでしょ?
ここはいい煽り文だ。
「作家先生」をバカにされて頭に来ていた「作家先生を祭りたてる読者」たちの怒りが一気に吹き上がることうけあい。
ただ、「ああ、人生経験無いわりに」のくだりはカギ括弧で括らないと「分厚い人生経験をもってるやつがああ」って若本規夫のモノマネみたいに見えてしまうので注意しよう。
予想される反論を的確に撃墜している。素晴らしい。
ただ、ここでタイトルのコピペの誤用がネタではなく素でやっていたことなのだと確定してしまっている。
本論に入る直前でのミスはかなり手痛い。
大部分の読者はもう後の文章を読まないし、読む人がいても君をバカにする目的で斜め読みするだけだ。
いちど斜め読みモードに入った読者の関心をもう一度取り戻すのはとても難しい。
そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってるオタクどもってバカなの? 死ぬなの?
ああ、薄っぺらな作品ばっかり。
悲惨の一語につきる。
作者と読者のどちらをバカにしているのかもよくわからないし、「そんなひとくくり出来ないような概念」として並置された「学園異能」と「具体的な社会的弱者」の共通項も、それを通して君が明らかにしようとしているものもよくわからない。
「ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってる」についても説明不足。
でも事実を薄っぺらに表現するからこそ、有名な古典文学にしろ、すぐれたライトノベルにしろ、現代文学であっても、僕らは現実を間接的に直視する事ができるのだけれども。
「間接的に直視」という表現がそもそも語義矛盾を起こしているし、「事実を薄っぺらに表現するからこそ」「現実を間接的に直視する事ができる」という理屈もよくわからない。
それで、あたかも全部の世界や社会が語ろうとする。経験不可能なことを可能したつもりになってる批評家の方が人生経験が無いよね。
「批評家」という新しくでてきたキーワードがプロの批評家のことなのか、作品について語りたがる読者一般のことなのか不明。
でも、作家が言語化できなかったこと稀に言語化するからナイスじゃん、と思う時はある。
「何かをひとつのジャンルで語ろうとする事」が何を指しているのか不明。
「金型」というのがキーワードみたいだけど、これも前置きが必要。何が言いたいのかぼんやりとしかわからない。
まあ、経験の薄い作家先生のうすっぺらい人間の言葉にも飽き飽きしたし、それをわざわざ拡大解釈して言語化するフォロワーのうすっぺらい感性にも飽き飽きしたよ。
話の流れを唐突に遮っているので普通に考えれば悪文。
ただ、中間を飛ばしてここから読み出した読者が君の考えを三行で把握する役には立つ。
突然ブックマーカーに語りかけてもしょうがないだろう。
「次のステージ」というのが何を指しているのか不明。
http://anond.hatelabo.jp/20081020231740
>シェイクスピア、ヘッセ、トルストイ、ヘミングウェイ、ホメロス ドストエフスキー
この中だとヘッセ以外ならだいたい読んだよ。
神様につく枕詞がいちいちかっこいい。物語自体の意味なんてわからなかったけど、ホメロス読んでると現代文学がおもしろくなる。ジョイスだったり。
たしかに自分のまわりにもほとんどいないな。文系だけど。
でも、もし語れたとしても語る内容が重くなるから気軽にはなせないんだよね。
それだけじゃなくて、少々わかりにくいし意味だってどうとでも取れるから、適当なことを言ったらバカにされそうだし、背伸びしてこむずかしいこと言ったら相手が「うーん」とか言って黙り込むし。たまに原典厨がいて(帰国子女や外国語が得意な人に多い)、日本語訳しか読んでないくせに偉そうに語るなと陰で言われることもある。ある意味間違いではないけど、そういうこと言い始めたらなにも始まらない。
本当はドストエフスキーは笑えるほどおもしろいらしいね、大学の先生が言ってた。それなのに、私小説あがりの陰気な日本文学史の態度で読むのが(インテリの)マナーみたいになってるからみんな難しい顔して読まないといけないようになってしまってると僕は思う。たとえばアメリカのビートあたりはもっと楽しく読めるけど、そういう明るいのは正当に評価されないし。実験的作品でも笑えない言葉遊びだけが文学的に評価されて笑える言葉遊びは評価されてないと思う。
それから、読んだことの見栄や既得権意識が邪魔してる。今でも憶えてるけど、僕が高校生の頃ライ麦畑でつかまえてを学校図書館で借りたら「おっ、ライ麦か、ふーん」と読書家の友達からちょっと上から目線でコメントされたことがある。
似たような感じだとドストエフスキーだったら3作読むだけでも大仕事なのに、「地下室読んでないの?あれは基本だろ!」とか「死の家の記録は彼の転換点なんだから、読んでないなら彼を語るな」とか「ニーチェも読んだ?バフチンは?読まないとダメだよ」なんていくらでも言われる。読んでることが既得利益になってる、情報ならなんでもそうだけど。そうやって見栄を張るための道具になってて、さらにはプロの批評家同士が勉強不足をなじることで議論に打ち勝って原稿料をせしめるというシステムすらあるから、なかなか声に出しずらいんじゃないかと思っている。別にアホな感想でもいいから気軽に楽しく読んで話せたらいいのにと思うけれど、そういうつっこみが怖くて誰も語らないからどこに行っても話題にならない。
結局読書は自己完結なんだから良いのかもしれないけど、読書は上からありがたく拝見させていただくだけ、という図式になってるのが問題なのかなと思う。この形式は読書感想文なんて最たるものかもしれない。一人で静かに書いて先生にみてもらう。そして先生が採点する。そういうのより、みんなで3冊ほど読んで、昼ご飯食べながら2時間くらいしゃべったりしたほうが、活字離れはなくなるはず。逆にマンガみたいなのは下からの支持があって成立するからみんながわんさか話し合って業界全体が盛り上がれる。ただし、みんなにみてもらわないと成立しないというのは弊害もあって、萌えなんかの要素に頼ったり、似通った感動パターンの作品を量産してしまう欠点はある。そういうのがあって深みがないだとか他の分野から言われることもあると思う。ライトノベルと携帯小説の強みは楽に読めて楽に人に勧められる点にあるのかもしれない。
殴り書きしてみたけど、こんな感じかな。
もしかしたら、こういう風にきまじめな分析をしてみたがること自体が気楽に話せなくなる理由の一つかもしれないけれど。
とりあえず、ここで気楽に話してみたらどうよ?
漫画では死神に忍者、ライトノベルでは異能バトルが物語のセオリーになりつつありますが、
これが行き過ぎた時に個人的になんとも言えない気持ち悪さを生むことがあります。
それを一般的に総じて中二病というわけですが、個人的には漫画はきついなぁと感じるもののライトノベルは大丈夫なんですよね。
もやもやとしかわからないのだけれど、この違いはなんなのかと深夜に屍姫を見ていてふと感じたので書いてみます。
理由の一部でしかないような気がしますが、
僕の中の言葉を寄せ集めてみると中二的な要素に陳腐だったり、地に足がついていない空想だと感じているからではないかと思います。
これが若さ溢れると感じる要因なのではないかと。
大人になるにつれて整合性を求めるというか、このふわふわとした感覚が許容できなくなるんですよね。
そう思うとライトノベルは辛うじて物語の体裁を保っていて、溢れんばかりの中二要素をうまくまとめてストーリーの主軸へと誘導しているのが特徴なのかなと思います。
話の整合性を保っていることで、思う存分中二的な妄想を展開することができて恥辱の泥沼に浸ることができる……これがライトノベルで中二的な要素を許容できる大きな特徴でしょう。
一方、漫画のほうは中二的な能力や設定に焦点がいきがちなのと、それをイラストで視覚化してしまうことで気恥ずかしさを感じてしまうのです。
あぁ、なんという羞恥プレイ。ボクの妄想が晒されているぅううううううう>< びくびくんっ!!
みたいな感じ。
読みながら脳内で繰り広げられる妄想が、目の前の紙面に投影されていることで辱められているような気になってきます。
そして、こんなことを考えながら読んでいる自分をさらに俯瞰することで死にたくなってくるという無限ループ。
あぁ、もうどうにでもしてぇえええええ!!!
さらに、設定ばかりが強調されていることでストーリーの地に足のつかなさが気恥ずかしさに拍車をかける。
……これが、漫画とライトノベルにおける決定的な違いなのではないかと。
まぁ要するに「中二は大好きなんだけど、おっさんには中二漫画はしんどい」
これに尽きるのかも。
もやもやと同じようなことを感じている人は結構多いんじゃないかな?
んー、高校のときはいろんなジャンルの本読んでいた気がするな。ということで思い出して書いてみよう。
【読んだもの】
漫画:ブラックジャック、三国志、水滸伝などなど、あるの全部読んだ。
小説:『黄泉がえり』(何となく手にとって読んだ)だけ。ライトノベルは手にとれなかった。ハリーポッターも無理。
それ以外:パズル系の本10冊以上、数学オリンピック(予選問題だけ)、大学への数学(理解できん)、ペンギンの本、家庭の医学、ブルーバックス、睡眠に関する本、折り紙、色、タバコ、歯、絵本20冊以上、護身術、宇宙(の絵がメイン)、心理学(病例とか? 頭がいい人は目が大きい人が多いとか)、その他いろいろ。。
あと、化学や物理の分厚い辞書開いたことあったけど誰も使わないだろうなって思ったかな。文学とか歴史とかは読まなかったけど、本を身近に触れる環境があるだけでだいぶ違うと思う。ライトノベルなんて絵がダメで手に取らなかったし(5ページぐらい読めたら読んでたと思うけど)。
ああ、中学生が投稿したのか。中学の頃なんて昼休みしか開いてなかったし、ろくに選択できなかったような。
・ゲームクリエーターになるには、ゲーム業界に就職したいあなたへ、五体不満足、FFの画集、広辞苑、、、
高校の頃は教室に居辛くて昼休みに図書室に行ってただけ。そしてパズルに興味を持ってたからそれを関連に読んで、読み尽くしたら興味のある本を読んだ。当然、放課後にはろくに図書室に行ってない。部活行ってたし。頭(学校の成績)も悪い方で、今も偏差値50以下の大学。。まあ、こんな普通(以下)の人でも機会があったから本を読んでいたんだし。それに図書館の本を1割も読めないんだから、そういう本があってもいいでしょ。
とにかく、恣意的に「いらない本」って決めてしまったら触れる機会がなくなってしまう。題名だけでも触れる機会があることが重要。そもそも図書室(図書館)に行く人自体少数だし、視野が広がる程度に本はあったほうがいいと思う。