はてなキーワード: ブルーバックスとは
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062575744
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50990818.html
「hospital」は「ハスペロウ」。
「How are you?」は「ハオユ」。
「You are welcome」は「ユオウエウクム」。
そんな感じの本です。
法則1:「最後のLはウ」 例:beautiful:ビューレフォウ
法則2:「Aはエア」 例:animal:エアネモウ
法則3:「IONはシュン」 例:station:ステイシュン
法則4:「最後のTはッ」 例:difficult:デフェカウッ
法則5:「Oはア」 例:coffee:カーフィ
法則7:「Tはラ行」 例:capital:ケアペロウ
法則10:「最後のアーはオ」 例:paper:ペイポ
法則11:「NTのTは消える」 例:twenty:トゥウェニ
法則13:「痰(タン)は鼻づまり」 例:important:エンポーッン
http://allabout.co.jp/children/kidsenglish/closeup/CU20020620a/
続き http://anond.hatelabo.jp/20100716134521
(複数の横増田がいるよ、という前置きを置いた上で、)
まぁ確かに、ポンポン落とせるかよ!って気持ちが分からないでもない。
自分も今はサイトライセンスを買ってる機関に所属してるから、ポンポン落としてるけど、
そうじゃない機関にいたこともあるし、サイトライセンスもやたら高いことも知ってるし。
そうはいっても、アブストとページ数と論文名・雑誌名で、ある程度の精度で
自分に必要な論文かのジャッジはできるだろうし、よっぽど最新の情報でも
なければwebのどっかやブルーバックスで同等(以上)の情報は得られたりする。
学会運営に関しても、海外は評価がキビシイので、それ相応にスリムな運営をしているし、
日本でも学会事務局代行サービスってのをやってる会社があって、たいていの学会は
最近はたいていそういうところに委託しているから、ムダ組織ばかりってわけじゃぁない。
・きちんとした情報の入手には、きちんとした対価を支払う。という、情報量の概念。
・まっとうな学会・審査なんだから、まっとうな対価を求めることが正当。という、共通理解。
そして、最近はあんまりやらなくなったけど、
・学者同士の交流なら、直接著者に別刷を請求すればいいじゃない。
という考え方もある。
論文誌に投稿する際の引用文献にリストアップしたい場合みたいに、
DENPA!!!行って来ました。
ここ5,6年で一番いいpartyでした。
掛け値なしに楽しい!!!
昼間っからやってるのも健康的(←こう書いて「おっさんに優しくて」と読む)で◎。
内容、客層、ロケーション、料金すべてに満足できる、レベルの高いイベント。
ここまで"熱い"のは昨今ではかなり珍しい。マジおすすめ。ちょっとでも興味のある人は、一刻も早く行くべき。
とまぁ、ここまで書いて小休止。
自分は↓これ書いた人。
http://anond.hatelabo.jp/20081223011009
自分語り(補)
http://anond.hatelabo.jp/20081223215937
自分語り(転)
「良いイベントだなー。こんな良いイベント久しぶりだー」と強く思ったのですが、
どうも悶々とするものがあり、それをこの2日間考えてました。
んで、marquee ( vol.70「次世代ファンタジー特集」に電刃の特集あり) とかユリイカ増刊号『初音ミク』とか買って
まだわからなくて悶々としてたんですが、主催者の"点と線"さんのブログを見つけてちょっとわかった気になったのでコメントします。
以下はアリバイとして書き残したい文章。もしかしたら読む人によっては不快に感じるかもしれません。
でも、申し訳ないけど気分を害すような文章をアップします。
(なので過去の『自分語り』で不快に思った人は読まないで下さい。)
冒頭の佐々木渉氏へのインタビュー『生みの親が語る初音ミクとアングラカルチャー』が抜群に面白い。
これだけで1,200円出す価値があります。今現在、初音ミク関連の資料として最も価値のあるものじゃないでしょうか)
きちんと書いてる暇がないので。
では先に進みましょう。
//////memo//////
[前提]
自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説
http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html
慟哭 (3)
http://web.soshisha.com/archives/otaku/2006_1019.php
栃内新,左巻健男 編『新しい高校生物の教科書』講談社ブルーバックス,71頁より
[目次]
1.「慟哭 (3)」を読んで
3.人類知に帰ろう
4.あなたはどう思ってるの?
6.参照元
------
1.「慟哭 (3)」を読んで
慟哭 (3)
「あー、デュシャンか。理解理解納得納得」って感じです。
こう言ったら失礼(ネタバレ)かもしれないけど、電刃はデュシャン - ウォーホール - 村上隆のラインの音楽・ファッションverなのねと。
この流れだとたしかに「○○論」は確かに意味を成さないっす。「意味を成さないように働く機構」という罠・舞台装置だから。
(便器語ってもしょうがないし。まぁ、人類史上もっとも「すごい」便器なんだけどw)
次のエポックメイキングな事象はアキバのホコテン復活の時かもーとか妄想しちゃいました。
(補)
レディ・メイド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%89
「泉」に関する個人的な解釈は、「心のヒダへの"effect"を芸術とするなら、
便器にサインして展示会に出しても芸術作品として"アリ"なんじゃね?」と提案している作品。
デュシャンは「美術を"effect"とするなら、『美しい』でも『怒り』でも『恐怖』でも何でもいいじゃん」と
「美術(芸術)」を「拡大解釈」できる素地を作っためっちゃ偉大な人。
(それまでは「真善美」を追求するファインアートが主流だった)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88
ウォーホールは「キャンベル缶も芸術作品じゃね?」と言った人。
(余談ですけど、村上隆は美術史的「文脈」をきちんと押さえてるから海外で評価が高い。
美術史をちゃんと踏まえ、理論として一貫しており、装置として実際に働くから「海外の美術界」では評価されています)
ガイジン「あー、そうかもそうかも!!」
(電刃は村上隆と違って商売っ気が今のところなさそうに見えるから、反発(というか"やっかみ")も少ないかもしれないですね。)
(ニコニコではちょっとあるみたいだけど)
(補の補)
電刃は「オタク等々を拡大解釈させる"装置"である」と言いたいだけ。
電刃を「芸術作品だ」とは言ってない。「芸術作品」という評価は「解釈が拡大する運動性」において無意味。
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より
はてな民に対しては「気持ち悪い」かもしれませんが、
ホントは「パラレルワールドで幸せそう?に学校に行くシンジ(を描いた庵野監督)」が正解じゃないですか?
(「気持ち悪い」は悪い意味ではない。↓参照)
映画エヴァンゲリオンの最後、「気持ち悪い」ってどういう意味?
http://news4vip.livedoor.biz/archives/50801624.html
俺は電刃行って目の前ですんげぇかわいい長門がぴょこぴょこジャンプしながら踊ってて、
それ見ながらガン踊りできる幸せに絶頂を迎えそうになったけどなー。
「現実」を住みやすくする手立ては、陳腐な言葉(≠「仲良く」)の中にすでにあるのになぁと。
「アメリカヲチしようぜ!!」でいいような気がする。オバマ的な意味で。
(別にEUヲチでも構わない。もちろん)
3.人類知に帰ろう
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より
正直なところ、その違いって、テクノウチ君の考察のように参加者が共通してポジティブかどうかじゃないかなとw
それで終わりじゃ駄目なの?むしろw。
(中略)
僕や参加者がそうだと言ってるんだからそれでいいじゃないと思うんだけども、
それでも解釈(知的経験の枠)の媒介を人は要求する社会学の囚人なので、
僕なりにそれ用の答を探求してみたんですが、もとよりそんなつもりはないので嘘はつけないなあというどうしようもない始末。
庵野監督が『気持ち悪い』でEVAを終わらせた心境から遠くはないです。
(関係ないけど社会学部だった僕の卒論は「社会学は永遠に社会そのものを追い越せない」というものでした)
(中略)
これは大変ありがたいことですが、DENPAはアカデミックな言説に幽閉されるよりも、ただ好きなものを好きという幼児的で野蛮で原始的な本能に基づいているのも事実です。それもコンプレックスをいだかず堂々と。
僕らは学論の探求ではなくエンターテインメントの探求をしている。
不恰好でも感動はほんものだ。
そのシンプルな行為がこんなにもやりにくく、珍しがられる時代になってしまったんだなあ
と感慨深くなりました。
marquee(vol.70)「次世代ファンタジー特集」より
文字打ちが大変なので割愛。
「アート(引用者注:「学問」という意味も多分に含まれてる)はどこに行き着くために問い続けてるかわからない」というインタビュアーの質問に対し
点と線さんが社会学のフレームで世の中をすっきり見れるように、
若い子にもその手段をゲットできるような仕組みを作ってあげたいなーと思ってみたり。
年下の子に「学問楽しいよー。いや、むしろキモチイイとすら言える!!」としか俺はまだ言えてないけど。
(カウンターカルチャーであるはずの「学問」が、「幽閉」する機構として働く日本の異常性がアレなんだよなぁ)
学生運動とか創価学会とかオウムとかプロザックとかと変わんない気がします。
最近は「死なない程度の失敗ならおk(死なない程度に納めよう)」という考えの人多し)
鶴見済ですら
http://tsurumitext.seesaa.net/category/3920016-1.html
と言ってるのだから、たとえ手詰まりでも「ポジティブであればいい」とは言わない方がいいんじゃないかなーと思ってみたり。
まぁ、アメリカとかEUは全然手詰まりに見えないので、「手詰まり」こそが共同幻想な気がしますが。
(個人的にはバンクシーみたいな手法が好き。愛しつつコケにする系。音楽だとBUBBLE-Bさんとか)
バンクシー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC
BUBBLE-B / アムロケット
4.あなたはどう思ってるの?
オタクって何?
オシャレって何?
疑問に疑問でお返しします。
----------------------------
「面白い」とか「なかなかのもの」とか言ってくれた人ありがとう。
全レスすると「キモイ」とか言われちゃうので、指摘してくれたコメにのみ応答。
clonicle 言っていることはまっとうだが、「ジャンクフード」(=人によっては取るに足らない虚像)だと発言することでテクノウチを決断主義者に仕立て上げるのは悪質
「決断主義」って言葉の意味を調べましたが、よくわからなかったです。
fuldagap「「ジャンクな物でも『おいしい』と感じる人が大半になったよ』って書いてあるだけだよ?」が微妙に誤読な気も。「化学調味料うめえ」じゃないかなーとか。総じて現役/引退オタクの自己正当化合戦に見える
そうです。たしかに「化学調味料うめえ」なのですが、
化調まで抽象化しちゃうとかえって伝わりにくいかなーと思い「ジャンクブート」にしました。
(「化調」に対応するのが「ビート」だけになっちゃうので。音楽的広がりが欲しかったので「ジャンクフード」と表現しました)
fuldagap 「全員「アツイ」から、濃淡は金・環境・時間の差でしかなかった」ってのは「アツ」くない人が見えにくかった時代がゆえの偽史だと思うなあ
「『おたく』とアイデンティファイされるようなファナティックな人々」が母集団ですから。
y_arim ぼくの知る限り、昔だってヌルいひとはいた。だけど時間の経過とともに彼らは「卒業」し、一貫して熱かったひとのみが生き残った。すると「昔は誰もが熱かった」という言説が生まれる。「元ヌルオタ」をどう語るか?
(『タイム・マシン』のエロイ的な意味で)幸せで「語り」に対してモチベがない人々に無理に語らせなくていいのでは?
ジャンプの発行部数見れば、「いた」ことはわかりますから。
mkd5 オタク 「おたく」のうち岡田氏の守備範囲が「オタク」となったってことかなあ/「(淡から濃に行かない奴は、そもそも「おたく」と呼ばれていない)」これがヌルオタなのでは
「ヌルおた」は言語矛盾を引き起こしますが、「ヌルオタ」は新語なので好きに定義しちゃってください。
『竹熊健太郎氏との対話(1)』での解説が一番しっくり来るのかなぁ。
「おたく全般」にまで広げちゃっていいのかどうかはまだ自分として決めてないです。
6.参照元
は文字数制限を避けるために↓こっちに移動。
http://anond.hatelabo.jp/20090115000935
おまけ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1756156
フック
(追記)
ああ、そうかそうか。書きたいこと書き殴ってたらレポ忘れてた。
"DENPA!!!"に行ってきたよ。
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20090113/p1
お三方とそう変わらない印象。
3Fではアニソン流してカラオケノリでオイオイって感じ。2Fと3Fの交流はぼちぼち。曲や3Fの込み具合次第かな。
ロンドンナイトは行ったことないけど、普通のライブとか新宿で昔やってたグルービー・ロックキャラバンとかと相似。
僕は2Fで「普通に」踊って楽しんでました。
テクノウチさんの時間は、3Fのお客さんが大挙していらっしゃいましてまったく踊れなかったので、僕的には一番…w
NHKの方(ETVのカメラマンさん)は「アンディー」かなーっとちょびっとヲチしてました。
(こっそり追記)
metamix きちんとオーガナイズされてる良イベントだっていうのは分かったけど、
その先があるのかどうかをもっと知りたい/クラブピーポーには文化考証なんてどうでもいいんですよ。
要はその現場があるかどうかだから。
「その先」「現場」ってのがどんなものをイメージしてるかにもよるなぁ。
「Dir en grey」なのか「RYUKYUDISKO」なのか「初音ミク/ニコニコ」なのか「third summer of love」なのか。
「超ライトオタク」や「越境」云々は主催者も意図してない(?)「バズワードでのプロレス」(@inumashさん)なんで、
どの層がたくさん「ひっかかる/ひっかかってる」かにもよるかと。
(まぁ、お客がみんな「かっこいい/かわいい」と書かれているってことは、
ちょっとキモ目の"いわゆる"「おたく/オタク」はあまりいないってことでもあるような気がするのはきっと気のせい。)
(昔に比べて非寛容な人が減っただけのような気がするのもきっと気のせい。)
【佐々木渉】 三年くらいしたら「初音ミク?そんなのもあったね」で良いんですよ。(中略)
まあウチも営利団体なのでもしかしたらヴァージョン・アップ版とか出すかもしれませんけど(笑)。
ただ、引くタイミングは考えないといけませんね。初音ミクにまで泥を塗って、
グダグダと退いていくようなやり方は、やっぱり不味いので。
ユーザーさんからも「『ぷよぷよ』を作った会社(株式会社コンパイル)が辿った末路を、よく調べておいて下さい」という
(独り言)
んー、高校のときはいろんなジャンルの本読んでいた気がするな。ということで思い出して書いてみよう。
【読んだもの】
漫画:ブラックジャック、三国志、水滸伝などなど、あるの全部読んだ。
小説:『黄泉がえり』(何となく手にとって読んだ)だけ。ライトノベルは手にとれなかった。ハリーポッターも無理。
それ以外:パズル系の本10冊以上、数学オリンピック(予選問題だけ)、大学への数学(理解できん)、ペンギンの本、家庭の医学、ブルーバックス、睡眠に関する本、折り紙、色、タバコ、歯、絵本20冊以上、護身術、宇宙(の絵がメイン)、心理学(病例とか? 頭がいい人は目が大きい人が多いとか)、その他いろいろ。。
あと、化学や物理の分厚い辞書開いたことあったけど誰も使わないだろうなって思ったかな。文学とか歴史とかは読まなかったけど、本を身近に触れる環境があるだけでだいぶ違うと思う。ライトノベルなんて絵がダメで手に取らなかったし(5ページぐらい読めたら読んでたと思うけど)。
ああ、中学生が投稿したのか。中学の頃なんて昼休みしか開いてなかったし、ろくに選択できなかったような。
・ゲームクリエーターになるには、ゲーム業界に就職したいあなたへ、五体不満足、FFの画集、広辞苑、、、
高校の頃は教室に居辛くて昼休みに図書室に行ってただけ。そしてパズルに興味を持ってたからそれを関連に読んで、読み尽くしたら興味のある本を読んだ。当然、放課後にはろくに図書室に行ってない。部活行ってたし。頭(学校の成績)も悪い方で、今も偏差値50以下の大学。。まあ、こんな普通(以下)の人でも機会があったから本を読んでいたんだし。それに図書館の本を1割も読めないんだから、そういう本があってもいいでしょ。
とにかく、恣意的に「いらない本」って決めてしまったら触れる機会がなくなってしまう。題名だけでも触れる機会があることが重要。そもそも図書室(図書館)に行く人自体少数だし、視野が広がる程度に本はあったほうがいいと思う。
この世界にあふれる情報には、分かりやすさという名のバイアスがかかっていて、分かりやすい情報を優先的に人間は選択しがちだから、
したがって、人々は繰り返し誤った理解や行動選択をしてしまいがちである。
例えば、スイーツ(笑)は、分かりやすい情報(キャッチーな情報、釣り情報)に翻弄されやすい人種であるが、スイーツ(笑)だけがその被害者ではないのである。
全ての人間は分かりやすさという名のバイアスにさらされているのである。
そもそも、分かりやすさと正確さはほとんど関係がないどころか相反するものである。
第一に、分かりやすい情報は正確な情報であるとは限らない。本当に正確な情報となると、分かりやすさが損なわれる傾向が強い。
なぜなら、本当に正確に説明・描写しようとすると、複雑さ・難解さが避けられないことが多いからである。
そして、その複雑さ・難解さが大多数の人間にとって理解しがたいレベルであることも少なくない。
例えば、医学的に高度でこみいった知識が無いと、病気について一定以上に正確に理解することは出来ない。
第二に、分かりやすい情報を書くには、一定の努力が必要であるが、人は何らかの動機・見返りが無いと一定の努力をすることが少ない。
具体例で言えば、営利目的で分かりやすい情報を書くのはたやすいが、非営利目的で分かりやすい情報を書くのは精神的努力が要ることになろう。
だから、分かりやすい情報の多くは何らかの営利目的で書かれたものだったりするので歪んだ情報であることが多かったりする。
たとえば、テレビの情報は分かりやすいが、放送業という営業の性質上、スポンサーを悪く言うような情報は流せない。
上記の二点、すなわち、「正確な情報ほど分かりやすさが損なわれやすい」と「分かりやすい情報の多くは営利バイアスのかかった不正確なものである」
という二点から、情報の分かりやすさと正確さがいかに相容れないものかということが改めて分かるのではないだろうか?
分かりやすさが悪だと言いたいのではない。分かりやすさは素早く概要把握するには便利であるから、時として有用である。
例えば、科学知識を得るのにブルーバックスの本を読むのは、正確さに欠くものの、有用である。
脇道にそれるが、ここで「正確さ」とは、必ずしも誤っていないという事だけを言っているのではなく、偏りがないということも含んでいることに注意する必要がある。
世の中には、嘘は言っていないが本当のことも言っていないというケースがあるもので、情報送信者は意図的に偏った情報を提供することで
また、モレがないということも正確であるために必要なことである。偏りがなくともモレがあるような例として、高校生物の教科書が挙げられる。
確かに教科書だけに偏りなく書かれているが、医学の専門家から見ればモレがたくさんあると言わざるを得ない。
だが、高校生にそこまでの知識を要求するのは酷なので大幅にカットしているのである。
以上、正確さには、誤りがない以外に、偏りがなくモレがないことも必要であるという脇道話だった。
さて、分かりやすさは時として有用であるが、世間ではその有用な面だけが過剰にもてはやされているところがある。
会社でもインパクトがあり分かりやすい企画プレゼンが採用され、本当に会社に利益をもたらす企画が採用されにくいというバイアスがある。
また、消費者は分かりやすい商品を優先的に選択し購買行動を起こす。
こうした背景には忙しい現代人にはゆっくり価値を吟味したり理解を形成する時間が無いということもあるだろうが、
先ほども触れたように分かりやすさと正確さは相容れないものなので、分かりやすさを優先的に選択している限りは、
一定以上の正確さのある情報を獲得することは出来ず、かえって問題解決が遅れてしまうことが少なくないのである。
これは単に、分かりやすさも大事だけどその情報が正確か気をつけたほうが良いよという情報リテラシーで良く言われることを言っているのでは無いことに注意する必要がある。
そうではなく、かなりそうしたことに気をつけている人でも分かりやすさという名のバイアスに支配されていることを自覚したほうがいいかもしれないということを言っている。
なぜ自覚したほうがいいかもしれないかというと、そうしたバイアスのせいで、本人がいくら努力しようとも、一定以上の認識の正確さに至れず、
従って、正確な行動選択が出来ず、繰り返し失敗し、もがき苦しみながら「あきらめの境地」に至る例が非常にありふれているからだ。
そうした人生の苦しみ・失敗の原因が一体どこにあるか自覚していない人が多いが、私が思うに、これは分かりやすさという名のバイアスに無意識レベルで支配されているからなのだ。
これはちょっとやそっとでは抜け出せないバイアスである。
誰もが(スイーツ(笑)でも無い限り)分かりやすい情報をもとに行動して失敗すれば、少し正確さを意識して情報ソースにあたるようになるだろう。
確かに、そうした意識的努力により、分かりやすさという名のバイアスに支配されにくくはなる。
だが、いくら意識していても、多かれ少なかれ分かりやすさという名のバイアスには支配されていることには変わりないのだ。
だから、どうしようもないという話なのではなく、自分がいかに正確さに非忠実かということをシビアに自覚していき、
より分かりやすさにとらわれない認識形成を行っていくように努力することが場合によっては必要だという話である。
もちろん、何も苦しんでない人はそういったことを考える必要がないが、失敗を繰り返している人はそういうところに原因があるかもしれないよという話である。
追記
ブクマコメにやる夫で学ぶで分かった気になってる人が挙げられていた。確かにそれも危ういと思う。
苦しみの原因が分かりやすさという名のバイアスにあるということを自覚するまでは、そういう簡易な理解に安住しつづけるのだろう。
たとえ、正確な情報ソースにあたったとしても、そういう人は過度に単純化して読んでしまうものだし、その結果誤読してしまうことも非常に多い。
何か文章読むにつけ「当たり前のこと言ってるだけじゃん」と思いやすい人は、単純化して読んでいる危険性が濃厚である。
そういえば、5年前に保健の授業で「マイナスイオン」を調べた。テレビでマイナスイオンと頻繁に使われていたし、何らかの効果はあるんだと思っていた。だけど、盲目的に信じるわけにはいかず、その根拠を探そうと思った。ブルーバックスや化学の教科書なんかを開いても、そんな説明はどこにもない。当時は論文を調べるなんて思いもつかなかったし、どうやって探せばいいかもわからなかった。そこで頼ったのが宣伝しているホームページだった。後から考えてみれば、マイナスイオンを宣伝しているホームページしか書かれてなかったんだから自作自演だと考えられる。でも、当時はそれを疑うことは出来なかった。目の前にある情報がすべてだったから。
噴水のように水が地面に落下したときにマイナスイオンが発生する。そんな感じだった気がする。その論理で行けば風呂には大量のマイナスイオンがあるはずだし、朝早く散歩に出かければ霧も出ているからマイナスイオンが大量にあるはずだと考えた。反対にプラスイオンが発生するのはテレビや冷蔵庫、電子機器ならどこでも発生するという説明だった気がする。とりあえずそんなことを授業で発表し、「マイナスイオンを発生させる高価な機器を購入するよりも散歩に出かけた方が効果がある。」と結論付けた。
何バカなことを発表しようとしていたんだと思うかもしれないけど、当時は「マイナスイオン」に何か魅力を感じていた。調べられることは調べたつもりだし、図書室の先生にも文献を聞いてみた。近くの図書館にだって行って来た。だけどめぼしい情報はなかった。インターネットの情報を鵜呑みにしてはいけないと聞いていたが、どこか有名そうな研究室でこんな結果が出ていますよ! とまで書かれていたら、当時高校生だった自分に疑えという方が難しい。
得られた情報からでしか真偽を確かめることは出来ない。今でこそマイナスイオンは似非科学だと言われているけど当時の状況で適切な判断を下せる人はいたんだろうか。少なくともあのときの適切な行動は、マイナスイオンに興味を示さないことだと思う。そうすれば、不定期に後悔することもなかったのに。たまに思い出しては恥ずかしさがこみ上げてくる…。
via : http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の物理オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない物理の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、物理のことを紹介するために
見せるべき10人を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に物理を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うマニアックな人物は避けたい。
できれば伝記が出てる人物、少なくともブルーバックスレベルにとどめたい。
あと、いくら物理的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
物理好きが『ケプラー』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
物理知識はいわゆる「ブルーバックス」的なものを除けば、中学校程度の物理は知ってる
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりかよとも思うけれど、「アインシュタイン以前」を濃縮しきっていて、「アインシュタイン以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。知名度もあるし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
情報過多なアインシュタインの業績の数々について、特にリーマン空間上の時空の幾何学という数学的側面が強い一般相対論について、
どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな物理学者(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「物理オタとしてはニュートン力学と万有引力の法則は“常識”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSF物理オタが持ってる時空制御やタイムトラベルへの憧憬と、一方で時間順序保護仮説を唱えるオタ的な理論物理へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもSFオタ的な
の二つをはじめとして、オタ好きのする理論を世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「モーツァルトだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
これほどの変態的天才がその後続いていないこと、これがアメリカでは軍事への貢献で大人気になったこと、
数学から経済学までのあらゆる分野に影響を残した天才ぶりはアメリカなら実写テレビドラマになって、
それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういう天才が生まれないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり物理は目に見える自然現象を説明するためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「アンリ・ナビエ」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、電磁気学にかけるマクスウェルの思いが好きだから。
(以下思いつかねえ)
今の若年層でオイラーを目指す人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
量子力学よりも前の段階で、力学現象を解析的に取り扱う哲学や位相空間の技法は彼で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの物理学者が数学者の片手間でこの時代に生まれていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく物理好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるニュートン力学でしか物理を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
(還元論的)物理の「本質」あるいは「原理」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「あらゆる基本的な物理量は保存する」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ理論物理学の最も基本的な量はハミルトニアン以外ではあり得なかったとも思う。
「複雑系を取り扱う新しい物理」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はハミルトニアン(時間並進対称性に起因する保存量)にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に対称性と保存量の美しい関係を楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう純粋数学チックな物理を元文系の天才物理学者が推進していて、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9人まではあっさり決まったんだけど10人目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にファインマンを選んだ。
アインシュタインから始まってファインマンで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、場の量子論以降の
素粒子物理時代の先駆けとなった人物でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい人物がいそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10人目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
10人は疲れるなこれ…。穴だらけだわ。そういう意味では元増田すげえな…。
答えた後、それでその人は目的地へと行くのかと思いきや、なぜか去らず、その人は「こういう本好きなんですか」「理系の大学生?」みたいな話をし始めた。
へっ?会話?会話スタート?とキョドりながら、「はぁ、まぁ」とか煮え切らない返事をしつつ「まだ高校です」とか言いつつ。
いつ目的地へ行くんだう?と私が思う中、大学生の話は微妙に続く。
「こういう本読むなんて珍しいね」「はぁ」「ていうか高校生でこういうの読むなんてすごいね」「いや、凄くないですよ、好きだってだけで、あんまり理解はしてないですよたぶん」とか、そんな話が続く。
「やっぱり高校では理系なの?」「ええまぁ」「どういうジャンルっていうか、どういう本が好きなの?」「結構なんでも興味ありますけど最近は恐竜本とか……数学本とかも好きですし」とか何故か私の趣味語りと化す本屋の一コーナー。ブルーバックスとかも好きですみたいな話まで何故かする私。男子と話すってことがほとんどないから相当キョドっている。話し方が我ながらキモいよ……なんか早口だよ……
で、この会話の終着点ってどこなんだ?と思いつつ、ところどころ沈黙と気まずさもはさみつつ、なんとなく続く会話……
そのうちなぜか、唐突に、「彼氏とかいるの?」という質問。
「いや…いませんけど」
「いたことある?」
「いや別に……」
何!?何!?なんか……やめろよそういうの!正直話しかけられたときから微妙に心の底で期待してたものが出てくるじゃんか!喪女スレとか読めよ!喪女にそんなことすると期待しちまうんだ系スレ読めよ!とか叫びながら、「ちょ……これメアドとか聞かれるんじゃね?聞かれたらどうすんべ?」といらん心配までしだす自分……
ところがそこでまた話は切れ、沈黙と気まずさが漂う。
……。
気まずすぎる……
かといって相手が去る様子もない。この状態って何なんだろう……不思議だ……
相手が振る話題が無いのならば私がなんとか緩和せねば!とよくわからない使命感に燃え、私は
「さっきからね、足音がすると、ドキっとするんですよ、実は母と一緒に来てるので」
と言った(これはマジだったのだが)。実際さっきから足音がするたび「こんなとこ母に見られたらなんか恥ずかしいお…」と微妙にチラチラ気になっていたので、その様子を「何こいつなんかめっちゃチラチラしてる落ち着き無い」とか勘違いされたら嫌だと思いそれへの弁明も兼ねていたのだが(つくづく自意識過剰だ)、それを言った後その大学生は
「えっ!そうなんだ……あ、ごめん。なんか、ひきとめちゃって」
「え。いや、いえ……」
「あっ、じゃあ、あの、ありがとう。道……その、いきなり聞いて、ごめん」
え?何この切り上げっぷり!?と唐突な終着駅に驚きつつ、その「なんかじゃあこれで終わりってことで」モードに押され私は別コーナーへ移動した。な……なんだったんだ……。もしかして「母が」とかいったのを遠回しな「あのーもう話やめたいんですけど」に取られたんだろーか!!なんか、微妙にガッカリした。こういう本について語れる人いなかったしメル友(人生で初めて使ったよこの言葉)くらいになれたら……とかちょっとホワワーンと想像していたのに……まあこんなものか。現実。
それよりも自分の微妙な浮かれっぷりにちょびっと情けなくなった。なんかこんな事くらいでちょっとニヤニヤな自分が情けないよ。こんなん多分東京の女子とかは相当され慣れてて、慣れすぎるがゆえに、話しかけてくる前に既にバリケード張って話させないくらいのレベルなんだろうなぁーと思うと自分の小物ぶり、というか喪女ぶりに泣けた。これじゃ何か簡単にホストにハマりそう。あんなんハマるわけないよーとか笑ってたけど、いや、多分、私のようなタイプは危ないんだろうな。ホストっぽい出で立ちの人がキャバ嬢勧誘みたいなのしてくるのも必死こいて早歩きしてるし。街の女子のようにさわやかに颯爽と歩いて無視とか出来てないし。いっぱいいっぱいの無視だし。心の中では気をつけてるつもりでもちょいと優しい(?)言葉をかけられるとこれだよ。やっぱり男子慣れしてないからかなぁ。あー本当気をつけよう。気をつけよう。化粧品の勧誘とか、大学生になって引っかからないように。ほんと気をつけよう。
ありがとう!なんか、初めて増田に書いて良かったなあ、と思ったよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070225143758
・一人目のあるけみすとさんへ
応用化学は数学に近い感じなんだね。で、マッドサイエンティストが夢なんだ。ちょっと面白くて笑ってしまったよ。
私設らぼ、作れるといいね。私に10兆円くらいお金があれば、私立学園作ってそこにあなたの私設らぼを作ってあげたいよ。
・二人目のあるけみすとさんへ
ベンゼン環という言葉だけは高校で習った気がするけど、その奥深さなんて想像もつかないまま卒業してしまったよ。
いちから勉強するなら、やっぱりブルーバックスとか読むのが良いのかな。あと、多分自分だけでは一生訪れることが無かっただろう面白いサイトを紹介してくれてありがとう!
とりあえず、あるけみすとさん達も寂しくないのだということが分かって今日は満足だよ。これでゆっくり寝られるよ。
おやすみなさい。。。。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070204k0000m010116000c.html
のジニ係数の図がひろみちゅの言う捏造(棒)グラフhttp://takagi-hiromitsu.jp/diary/20070128.html#p01
になっている件について。
0.070が0.079になるのがものすごく大きく見えるが、この値は0-1の範囲を動く。
ちなみにこの種の捏造グラフの件はブルーバックスの名著「統計で嘘をつく方法」でも書かれていることなんだけど、だれかそのことは指摘したのだろうか。
そもそもこの話は我々人間の認知の特性として、我々の目はものの大きさを、絶対値ではなくて比として捉えるということを利用したトリックなのです。私がこのことをはじめて読んだのはGregory Batesonでだったけど、認知心理学では知られた話でしょう。
だからたとえば今回のジニ係数だったら、グラフの一番下から0.070までと、グラフの一番下から0.079までとで長さが2倍あるから、まるで2年で倍増したかのように見えるというわけ。
でもさ、科学者としてはこういうこと言うけど、ほんとうはどうでもいいと思うんだよな。はてなは大学生多いからこういうこと気にする人多いのかもしれないけど、あるあるだって、水伝だって、細木だって、江原だって、楽しんでる君らのお母さんとかを啓蒙しなくてもいいし、そういうのを仮想敵にする必要なんかないと思うけどね。とか言って非コミュ問題とかにしてみたりして。