2008-08-30

分かりやすさという名のバイアス

この世界にあふれる情報には、分かりやすさという名のバイアスがかかっていて、分かりやすい情報を優先的に人間は選択しがちだから、

したがって、人々は繰り返し誤った理解や行動選択をしてしまいがちである。

例えば、スイーツ(笑)は、分かりやすい情報(キャッチー情報釣り情報)に翻弄されやすい人種であるが、スイーツ(笑)だけがその被害者ではないのである。

全ての人間は分かりやすさという名のバイアスにさらされているのである。

そもそも、分かりやすさと正確さはほとんど関係がないどころか相反するものである。

第一に、分かりやすい情報は正確な情報であるとは限らない。本当に正確な情報となると、分かりやすさが損なわれる傾向が強い。

なぜなら、本当に正確に説明・描写しようとすると、複雑さ・難解さが避けられないことが多いからである。

そして、その複雑さ・難解さが大多数の人間にとって理解しがたいレベルであることも少なくない。

例えば、医学的に高度でこみいった知識が無いと、病気について一定以上に正確に理解することは出来ない。

第二に、分かりやすい情報を書くには、一定の努力が必要であるが、人は何らかの動機・見返りが無いと一定の努力をすることが少ない。

具体例で言えば、営利目的で分かりやすい情報を書くのはたやすいが、非営利目的で分かりやすい情報を書くのは精神努力が要ることになろう。

だから、分かりやすい情報の多くは何らかの営利目的で書かれたものだったりするので歪んだ情報であることが多かったりする。

たとえば、テレビ情報は分かりやすいが、放送業という営業の性質上、スポンサーを悪く言うような情報は流せない。

上記の二点、すなわち、「正確な情報ほど分かりやすさが損なわれやすい」と「分かりやすい情報の多くは営利バイアスのかかった不正確なものである」

という二点から、情報の分かりやすさと正確さがいかに相容れないものかということが改めて分かるのではないだろうか?

分かりやすさが悪だと言いたいのではない。分かりやすさは素早く概要把握するには便利であるから、時として有用である。

例えば、科学知識を得るのにブルーバックスの本を読むのは、正確さに欠くものの、有用である。

脇道にそれるが、ここで「正確さ」とは、必ずしも誤っていないという事だけを言っているのではなく、偏りがないということも含んでいることに注意する必要がある。

世の中には、嘘は言っていないが本当のことも言っていないというケースがあるもので、情報信者意図的に偏った情報を提供することで

受け手不正確な理解を形成させることが出来るものだ。

また、モレがないということも正確であるために必要なことである。偏りがなくともモレがあるような例として、高校生物の教科書が挙げられる。

確かに教科書だけに偏りなく書かれているが、医学専門家から見ればモレがたくさんあると言わざるを得ない。

だが、高校生にそこまでの知識を要求するのは酷なので大幅にカットしているのである。

以上、正確さには、誤りがない以外に、偏りがなくモレがないことも必要であるという脇道話だった。

さて、分かりやすさは時として有用であるが、世間ではその有用な面だけが過剰にもてはやされているところがある。

会社でもインパクトがあり分かりやすい企画プレゼン採用され、本当に会社利益をもたらす企画採用されにくいというバイアスがある。

また、消費者は分かりやすい商品を優先的に選択し購買行動を起こす。

こうした背景には忙しい現代人にはゆっくり価値吟味したり理解を形成する時間が無いということもあるだろうが、

先ほども触れたように分かりやすさと正確さは相容れないものなので、分かりやすさを優先的に選択している限りは、

一定以上の正確さのある情報を獲得することは出来ず、かえって問題解決が遅れてしまうことが少なくないのである。

これは単に、分かりやすさも大事だけどその情報が正確か気をつけたほうが良いよという情報リテラシーで良く言われることを言っているのでは無いことに注意する必要がある。

そうではなく、かなりそうしたことに気をつけている人でも分かりやすさという名のバイアスに支配されていることを自覚したほうがいいかもしれないということを言っている。

なぜ自覚したほうがいいかもしれないかというと、そうしたバイアスのせいで、本人がいくら努力しようとも、一定以上の認識の正確さに至れず、

従って、正確な行動選択が出来ず、繰り返し失敗し、もがき苦しみながら「あきらめの境地」に至る例が非常にありふれているからだ。

そうした人生の苦しみ・失敗の原因が一体どこにあるか自覚していない人が多いが、私が思うに、これは分かりやすさという名のバイアス無意識レベルで支配されているからなのだ。

これはちょっとやそっとでは抜け出せないバイアスである。

誰もが(スイーツ(笑)でも無い限り)分かりやすい情報をもとに行動して失敗すれば、少し正確さを意識して情報ソースにあたるようになるだろう。

確かに、そうした意識努力により、分かりやすさという名のバイアスに支配されにくくはなる。

だが、いくら意識していても、多かれ少なかれ分かりやすさという名のバイアスには支配されていることには変わりないのだ。

だから、どうしようもないという話なのではなく、自分がいかに正確さに非忠実かということをシビアに自覚していき、

より分かりやすさにとらわれない認識形成を行っていくように努力することが場合によっては必要だという話である。

もちろん、何も苦しんでない人はそういったことを考える必要がないが、失敗を繰り返している人はそういうところに原因があるかもしれないよという話である。

追記

ブクマコメにやる夫で学ぶで分かった気になってる人が挙げられていた。確かにそれも危ういと思う。

苦しみの原因が分かりやすさという名のバイアスにあるということを自覚するまでは、そういう簡易な理解に安住しつづけるのだろう。

たとえ、正確な情報ソースにあたったとしても、そういう人は過度に単純化して読んでしまうものだし、その結果誤読してしまうことも非常に多い。

何か文章読むにつけ「当たり前のこと言ってるだけじゃん」と思いやすい人は、単純化して読んでいる危険性が濃厚である。

ただ、今回言いたかったのは特定のタイプの人の批判ではなく、誰もが陥るバイアスの指摘だということには注意してほしい。

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