はてなキーワード: ファンタジーとは
なにが新しかったのか
その1:女が主人公
当時のファンタジーと言ったら
屈強とまでは言わないまでも強そうな男が主人公というのが本場。
そこへ出てきたのがスレイヤーズのリナ。
キャラ萌えの先駆けだった。
当時は主人公と言ったら戦士。
それを逆手にとったのがスレイヤーズ。
剣を振り回すよりも特殊能力を駆使した
バトルを展開した方が楽しいことを教えた。
その3:主人公が最初から最強
最初弱くて試練を越えて強くなるのがファンタジーの通例。
その後この手の主人公は最初から最強で
強くなるんじゃなくて才能が開花するだけ、という少年漫画の流れを作った。
その4:笑える文章
やけにシリアスぶった和製ファンタジーを茶化していたのがスレイヤーズ。
当時、10代が読んで素直に笑える文章っていうのは皆無に等しかった。
中高生に受けた。ファンタジーブームやTRPGブームとあいまって、時代感覚の切り取り方に優れていた。
いい年のオッサンが小難しい理屈で評論するようなものではないが、だからといってエンターテインメントとして劣っているわけではない。
引用元の「アニメ的」ってのと、元増田の考えた「アニメ的」ってのは結構かけ離れてる様に思う。
例えば、演出手段。
アニメ的グラフィックのゲームってのと、ゲームでアニメ流すのは違う。
要は、「リアルである事を追求する」「実在する物をシミュレートして、それを重宝がる」ハリウッドと、
「外観とかシステムとか、バランス良く作る」「どちらかというとファンタジー好きな、実在しない空想の物を重宝がる」日本のアニメーション。
FPSで米軍の制式装備だとホルホルするより、日常からエスケープした世界であり得ないけどかっこ良い剣の方でホルホルする方が日本人は好きなんじゃない?
って話なんじゃないかな。
>何巻から面白くなるのか
ワンピースは航海で立ち寄る島周辺で、話の区切りがつくようになってます。
(もちろん大きな話の枠は連続していますが、基本的には、ひとつの島を出て、次の島へ航海を続けると、また次の話の区切りが始まるかんじ。)
なので、その区切りごとに「この編は面白かった」「次のあの編はそんなに面白くなかった」というような言われ方をしているように思います。
その区切りと巻数は、だいたい以下のとおりです。
1巻~12巻 (12巻) 東の海編
12巻後半~23巻 (11巻) アラバスタ編
24巻~33巻 (9巻) 空島編
34巻~45巻 (11巻) ウォータセブン編
一般的に人気があるのは、たぶんアラバスタ編と空島編だと思います。
(連載の中盤のほうで、この編を読んで知っている人も多いから、世間話(…?)のネタにもなりやすいかと。)
それぞれの編が、どんな感じのあらすじなのかは、公式Webが数分のFLASHにして見せてくれてます。
私はアラバスタ編よりも、空島編が好きです。
俺が二次で抜けない理由がここにある。
描写技術的に難しいから?
二次絵のデフォルメされた表現ってのが日本のマンガ・アニメ史の中で進化してきたと考えると、アンダーヘアーってのはいわばガラパゴスみたいなものだろうか。表現方法が確立されていない、ゆえに描けない。アニメキャラの場合、ピンクや緑色に染められた髪の毛に対して、下の毛のカラーリングはどうしたらいいんだろうという疑問もある。
それとも、それが二次絵としてのシンボルだから?
まさか二次エロ作者がみなパイパン愛好家というわけでもないだろうが、二次絵というファンタジーの世界においては、アンダーヘアーの存在が図らずとも「リアル」として機能してしまうのかもしれない。俺自身「こんな可愛い子にあんなアンダーヘアーが」というギャップに興奮するという側面は、少なからずあるので。
そこんところ、どうなんだろう?
http://anond.hatelabo.jp/20091201085812
彼女は人権(笑)とか男女平等(笑)というファンタジーに翻弄される哀れな女性ですね。
なんで人間(女)がケダモノ(男)に配慮せねばならないのかって?
そんなもん女の方が弱いからに決まってるだろ。
こういうのもなんの意味もない虚勢だな。
ファンタジーの世界では理性的であると優位に立てるのだろうが。
現実にはついカッとなってもダイアリを更新する程度な奴なんて怒らせても全然怖くないもんね。
獣を怒らせたら殺されるから配慮するだろうが、自称人間様なんぞ怒らせても何も問題ないわけです。
30代独身の後輩がうっかり「子供欲しい、希望の嫁は大人しくて可愛くて良妻賢母、でも俺の収入はアテにしないで」と言ってしまい、女性陣全員を敵に回した。
嫁の美貌を維持するためには結局旦那がせっせと金を貢いで楽させなければならないんだよ。それが良い妻賢い母かどうかは微妙だし、逆に金のかからない女というのは、手入れされてない外見か、自分で稼げる女だから「大人しくて可愛い」の条件からは外れてしまう。最初から矛盾している。そんなファンタジー女を求めているからお前は童貞なんだという。子どもが欲しいなら妥協しろ妥協。外見で選り好みしてる場合か。
あと嫁の産休の間はもちろんお前が稼ぐんだ。それをアテにしないでくれというのはヤリ逃げとかわらん。
と、ここまで書いたが、後輩は夢を見ていられるだけ勝ち組のような気がしてきた。現実に妥協するということが、必ずしもいいことではないよな。童貞に戻りたい。
色々、本を読んだり、試したりしているが、難しい。
今までやってきた方法論と考え方をある程度、整理するために、自分の考えを書きながらまとめていこうと思う。
議論はしたくないが(ハイ、チキンです)、ご意見をいただけると嬉しい。
正直、純文学は俺自身よく分かっていないので、エンタメ小説の話という事を前提に読んでいただければ、と思う。
まず、物語のパターンに対する有名な言説として、『村上龍の「穴に落ちた主人公が、穴から這い上がる」「 穴に落ちた主人公が、穴の中で野たれ死ぬ」の2つしかない』というのがある。おそらく、これはエンタメ小説の基本形だと思う。「そもそも穴はどうしてできたのか?」「主人公は本当に穴の中にいるのか?」「そもそも主人公はなぜ主人公なのか?」のようなことを延々と逡巡するのが純文学かも知れない(純文学は読まないので、間違っていたらごめんなさい)。純文学は、(面白い/鋭い/ビビットな/より本質的な)問題提起自体が重要であって、それを読者に考えさせることが主題である……様な気がする。ただ、純文学の作者にせよ、物語の基本を踏まえたうえで、あえて外すからサマになるのであろう、とは思うが。
話を元に戻すと、エンタメ小説の基本を俺なりにさらに単純化させると、「主人公が問題を解決するか/しないか」であると思う(以前、増田の「5分で物語を作れるにようになるコツ(p://anond.hatelabo.jp/20091002081424)」が話題になっていたが、この増田の考え方はそれほど間違っていないと思う)。ただし、エンタメ小説は、エンターテイメントである以上、読者を楽しませなければいけない。問題が解決するにせよ、しないにせよ、きちんと納得の行くオチにすべきであろう。そうしないと、読者は満足感を得られないだろうし、満足度が低い店に行かなくなるように、ファンもまた離れていくと思う。
もちろん、将来のファン離れを心配する前に、やる事があるのではないのか?というのはごもっともな意見だと思うが、やはり、自分でも読んでいて面白い物語を書きたいし、途中まで書いていて、自分でも面白くないなあ、と思った事がたびたびあるのでその辺を考えていきたい。
では、面白さとは何か、という話になる訳だが、「主人公が問題を解決するか/しないか」に絞って下に挙げてみよう。
(1)基本的に、読者は「主人公が問題を解決するか/しないか」分からないから、ハラハラドキドキする。サスペンス性(→suspense 不安感。特に、映画や小説などで、観客や読者が危機的な場面にはらはらする感情)。あるいは、大抵のエンタメ小説の場合、「主人公が問題を解決してしまう(読者も基本的には楽しむために読むので、ハッピーエンドも望んでいるはず)」ので、どのように解決するのかという点が重要。
(2)問題設定の面白さ(舞台設定/キャラクター設定/問題の大きさと主人公の能力のバランスなど)。”奇(変わっている事)”であり、”妙(巧妙さ。全体のバランスも含めた緻密な設定)”なほど、評価が高いのではないか?ジャンルがSFやミステリの場合、いかに凝った問題設定と解法を用意するかがキモになると思われる。ただし、あまりにもぶっ飛びすぎていると、読者が感情移入できなくなる問題も発生するような。
(3)間口の広い感情移入の仕組み。感情移入できない主人公の小説というのは、エンタメ小説の”てい”をなしていないのではないだろうか。主人公に感情移入出来なければ、他人事と捉えられてしまい、熱中して読んでもらえなくなる。想定している読者になんらかの”共感”を持たせるような主人公を用意すべきではないだろうか?(例えば、何らかのコンプレックスを持たせる)
(4)展開のドラマチック性。(1)の”サスペンス性”にもつながってくる話だが、「読者が想定している期待度を超えるという意味で、予想を裏切る」展開が重要になるのではないか。展開が二転三転して、劇的な勝利(問題解決)をするというのが理想かも知れない。もちろん、より読者にドラマにのめり込んでもらうためには、(3)の”間口の広い感情移入の仕組み”が必要でないかと思われる。
つまり、教養小説(ビルドゥングスロマン)的側面。通過儀礼(イニシエーション)としての小説。これこれこういう理由で、彼は”強く””大人に”なったのさ、というお話としてのエンタメ小説。
また、面白さとは何か、を追求していくと、以下のような視点も考えられはしないだろうか?
(1)読者の想像力を喚起させる事
例えば、文章レベルで言えば、情景が浮かんでくること。読者に、痛み/恥ずかしさ/快感などの感覚を想起させ、リアリティを持って受け止めさせ、疑似体験させる事。”体験的なもの”として、読者に受け取ってもらえるか。文脈レベルで言えば、展開の読めない”不安”感、手に汗を握る”緊張”感、問題解決による”達成”感などを過去の展開の蓄積により実現しているか?
(2)読者の欲望を刺激する事
例えば、女の子の描画。ポルノでも萌えでも女の子のかわいらしさをどういう風に表現し、読者の想像力を喚起させるか。あるいは、食べ物の描画。うまそうな食べ物をうまそうに(文章で)描画できるか。カッコイ戦闘機をどう格好良く(文章で)描画できるか。外には、ファッションなど。粋なファッションを粋に表現できるか。読者が関心がある事柄に対して、いかに”幻想”を抱かせ、”欲望”を感じさせるか、という点。
(3)教養としての側面
さりげなく、”うんちく”を混ぜる。例えば、中世ファンタジー物だったら、朝食は貴族しか取れなかった事を説明しながら、朝食を要求する元貴族の商人の心理を読者に想像させるなど(ライトノベル「狼と香辛料」にそんなネタがあったはず)。個人的には、少々苦手。資料用に読んだ本で気に入った設定はメモっておくなどしているのだろうか?
(4)虚構と現実の境界性
例えば、伝奇ものの面白さ。現実の実在の人物(や場所?)がファンタジーで出てくるというハイブリット感。あるいは、2chのどこまでネタか分からない感というか。
(5)比喩表現の面白さ
暗喩と直喩。村上春樹は独特の比喩表現で有名になった訳だが。(1)の”読者の想像力を喚起させる事”や(2)の”読者の欲望を刺激する事”に密接に関わってくる。例えば、「彼女の組んだ腕の上には双丘が気持ちよさそうに並んでいる」の様な表現などはどうだろうか。
(6)気の利いた会話
最近流行りの会話劇だが、コントや漫才、ネット上のやりとりなど、トレンドの文脈をある程度押さえつつも(気に入ったネタはストックしておくべきか)、表面だけの真似に留まらないために、自分の言葉による体験的要素も問われるのではないか。
(7)説得力のある説教
ガンダムの富野氏の説教くらいに説得力がありつつ、面白い説教するためには、独自の価値観を持っている必要がある。大抵の人は人生経験を積めば、それなりの一言を持っているはず。一人の人間としての成熟性が問われる、のかも知れない。
(8)笑いの要素
ギャグ/ユーモア/パロディ/言葉遊びなど。個人的に苦手な要素である。自分の場合は、どうも野暮ったくなってしまう。センスや基礎教養が問われるからかも知れない。とにかく面白いと思う話を大量に読み、小話を書いたりして、自分にあったやり方を発見するしかないのではないか。自分の場合は、実にどうでも良い事を真剣に議論していく話がウケが良いようだ。
(9)恐怖の要素
笑いと恐怖は近いものがある、と言われている。(8)の”笑いの要素”がうまく書ける人は、恐怖もうまく書けるのではないか。これも個人的には苦手な要素だ。ホラー映画も苦手だし。単に読者のトラウマを刺激しても、嫌われるだけだろうし……。ただ、最近のトレンドにはこの要素が絡んでくる作品も多いのではないか。また、サスペンス性を上げるという面でも重要な要素であろう(ジェットコースターのようなスリルと快感の関係というか)。それから、演出技法としては(1)の”読者の想像力を喚起させる事”と関連性が高いと思う。スティーブン・キングなどを読んで勉強すべきかも。
(10)恋愛的な要素
いわゆる一つの萌え要素、と言う訳でもないが(ほら、スベった)、自分の中にある理想のヒロイン像を具現化して駆け引きを思考実験するという意味では、裸になって踊るようなものだと思う。慣れれば快感になるのかも知れない。ただ、個人的には最近、食傷気味。
(11)バイオレンス
闘争本能を刺激する要素。”読者の想像力を喚起”させ、重みのあるリアリティとして受け取ってもらえないと、単なる茶番になるような気がする。
……ひたすら要素を羅列してきたが、要するに、”読者の感情や価値観を揺さぶる”という点が重要なのかも知れない、と思った。
(文字による心理操作によって衝撃を与える、という意味では、詐欺師に近いものがあるというか。嘘をつくのがうまい人間がお話を作るのが上手、というのも頷ける。本来、エンターテイナーというのはそういうものなのかも知れないが。ヤクザな業界というか。現在最強の任天堂さえ。というか、任天堂こそが勝つべくして勝っている”名博打打ち”なのではないか。そもそも、経営という概念自体が(ry)
あと、話題になっている、うまい=面白いでない、という件について。
テクニックは描いた量に比例する(作品の)魅力は考えた量に比例する
物語の中だるみについて。
途中からなんだか間延びしている、なんだか乗れない、と感じたとき、物語の推進力が低下している。
主人公を追い込んだり、障害を増幅したりして、推進力を高める必要がある。すなわち障害やクリア条件を上げていくのである。
主人公は最後のゴールに簡単に到達してはいけない。ハードルが最初よりも下がってはいけない。敵が最初よりも弱くなってはいけない。
考えてみれば、続刊の出ない、あの小説やあの小説も、すでに、主人公を危機に陥れる「強い敵(難しい問題)」が取り除かれてしまったのではないか。あとは、シミュレーションゲームの終盤局面のように力押しで何とかなる状態というか。主人公がリアルに死ぬ/臨死体験するくらいの危機が常にある状態で、最後の最後で、”おおかた”の問題が片付くのが理想かも知れない。
文章力の磨き方。
基本かも知れないが、自分の好きな作家の文章を写す(タイプする)。良さが理解できない作家の文章を写しても多分、意味は無いと思う。文章を写すだけのヒマがない場合は、ラインを引きながら読むだけでも違うような気がした。逆に思ったのだが、好きな作家の文章をラインを引きながら読んでいると、作者の認識力の限界を見切る事がたまにある(例えば、そもそもの問題設定の矛盾とか、作者のルーツ(根源)はどこにあるとか)。その辺が大切なのではないか。また、好きな作家は最低二回読むべきかも知れない。
(Webより引用)
正しく見るためには二度見よ。
美しく見るためには一度しか見るな。
実は、優れたツリーの裏側に何十枚もの「デッサン」がある。
例えば医者コントってテーマを決めたら、オーソドックスな医者コントを、だーっと全部考える。
それだけでも充分おもしろいっていうネタにしておきつつ、更に松本がやった作業って言うのは、 部分部分で、どれだけ予想できる笑いを裏切るかって作業。確かにこれでもおもしろいけど、ここはこうやったらもっとおもしろい、こうやったらもっと裏切ってる…そういうのを延々繰り返していって、どれが一番ベストな裏切りかなぁってことを積み上げて、ネタを磨き上げていくんだって。
例えば、小説の創作手法にシミュレーション的手法を取り入れるということなのかも知れない。つまり、何回も思考実験を繰り返して、ドラマチックな展開のものだけを商品化する、という考え方。確かに、小説は元々、思考実験的な物を含んでいると思う。
その他。
「最初からフルスクラッチすると、効率が悪すぎる(1から作るのは大変であり、ベーマガのプログラムを改造しながらプログラミングを覚えていったように、まず改造する)」「問題を小さく切り刻む」「リファクタリング」的な要素を考えると、二次創作のSSをとにかく大量に書き、慣れてきたら、規模を増大させていく、徐々に設定も作り込んでいく、の様な方向になるのではないか。
まだよく分かっていない事。
あかほりさとるの新書に、「見たいシーンを書け」と書いてあったが、全く別のWeb上の指摘で、「最近のドラマは、脚本家が見たいシーンだけ繋げていった感じで、物語的な山場や整合性が軽視されているのではないか?」のようなものがあった。その辺の解決法。
文章の勉強以外であまり再読をした事がないので、よく分からない。
何かを創り出そうというタイプの人間には多かれ少なかれ、精神的な「欠損」があります。
その欠損を埋めようとするところから、何かをクリエイトしたいという欲望や欲求が生まれてくることが多いのです。
もちろんそれだけじゃないけど、そういうケースはしばしば見受けられます。
問題はその欠損をどこまで「普遍的なもの」にまで高めていけるかということだと思うんです。
中にはその欠損の欠損性にいつまでも拘泥しているという人もいます。
それでは本当の芸術にはなりませんよね。そのためには、人はもっと広く世界を見なくてはなりません。
人生は長期戦ですから、ゆっくりとしっかり息をしながら、前に進んでいってください。
まとまらないけど、以上。
補足。
(1)確かに、とりあえず、稚拙でも一作書き上げるという考えもありかも知れない。試してみるか……。
(2)色々本の紹介、ありがとうございます。
(3)Webからの引用元を書かないのに、他意はありません。面白いと思った文章は個人的にスクラップしているのですが(ローカルのメモ帳にコピペするだけ、のようなもの)、URLまでは保存していませんでした。申し訳ないです。
(4)確かに、あるパターンの繰り返しや場面転換の組み合わせというのは、あまり考えた事がなかったですね。なるほど。……少し見通しが立った感じです。ミクロレベルとマクロレベルの視点を重視しすぎて、中規模レベルのパターン認識がうまくいっていなかったようです。皆さん、ご意見ありがとうございました。(さらに追記すると、これは上に書いたあかほりさとるの新書の話にも繋がってきますね。それなりに問題意識を持っていたけれど、もう一押し足りませんでしたね>自分)
あのね、増田、極端に話題をずらしたら、それは主題がずれていると言われても仕方がないんだよ
例えば文学作家の名前をpixivで検索すれば、そこそこヒットするんだよ。その作家さん自身の肖像や、その作家さんの作品をテーマにした絵もね。
まあBLに関したらそりゃ知らんが
文学作品をテーマにした絵があるからといってそれがBLの発展に寄与するのかな?文学作品でBLも1ジャンルとしてあるけど、それが何かチボー家の人々を持ち出す正当性になるのかな?
そして何故BLに関しては知らない、とくくってしまったのかな?そこの話をしてたんだよね?
http://anond.hatelabo.jp/20091027203555
このテの作品に明るい作風のものが割と増えてきたように思うのですよ、pixivなんかを見てるとね。
と一番最初に言い出してBLの話をしはじめたのは増田で、この時点で「pixivなどで発表されているBL」に話題が絞られたと通常の人は判断するよね
http://anond.hatelabo.jp/20091029033855
というか、現実に即したなんちゃらとか救いのないなんちゃらってのはただの1ジャンルにしかすぎないでしょ。
高度も何もないっての。ただのエンターテイメントだよ?
と、彼女は増田の問題提起に即してBLの1ジャンル/現実に即したなんちゃらとか救いのないなんちゃらについて言及したわけだ。それは次のステップではなく、1ジャンルでしかないのだと。たとえ現実に即した救いのない暗いBLをテーマにしたとしても、それだけでは次のステップだとは呼べないのだと。
なのに増田の返しはひどい。ほんとうにひどい。
フランスのマルタン・デュ・ガールって作家が書いた『チボー家の人々』っていう小説は、同性愛がテーマになっていながらも高度な精神性を世界に認められたエンターティメントなんだけど。
まあ貴方が言ってることも割と極端だよね、って話。
馬鹿。もうほんものの馬鹿。何かを言い返したいが為だけに別にチボー家の人々はpixivBLの人たちと同じ観点で描かれたものではないのに持ち出してきた。
しかも的を綺麗にはずしている。単にチボー家の人々が高いステップにいる作品であると増田は言ったに過ぎない。そのジャンルそのものが次のステップだなんてことを証明してない。
で、それを端的に指摘された返しがこう。
まあ私も同じように極端だ、という話。
という話って君、そんな話じゃなかったよ。増田が極端なアレのはそりゃまあそうだろうけど、そんな話じゃなかったよ。
「まあ」とか「という話」「って話」という言葉を使ったって、くくれてないものはくくれてないっていう当たり前のことには気づこうね。
そしてくくれてないものをくくれてる顔をしてる時点で、その文章には増田自身の判子が押されているも同然なんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20091028202023
でも昨日このツリーで散々色々言われておいてまだうにゃうにゃ言っているのはすごい。頑張れ。
ちなみにチボー家の人々を持ち出したのは明らかに失敗だ。改めて見てみたら増田よ、プロタゴラスで同じこと言われてんじゃねーか!ばかばか!学べ!
他の増田も書いてるけど、努力して見つけるモノでもないからなぁ…
世の中、「趣味に熱中してる=オタク」なんてほんの一握りで、「熱中しないが履歴書に書く程度の趣味はある」のが本当だろう。
オタクの代表選手みたいに言われる、同人やらコミケやらだって、大多数は単なる「買物客」でしかない。
本
1:一冊面白い本を見つける
2:まずはその作家を制覇
3:飽きる、もしくは他の作品は大して面白くなかったら、同ジャンルの他作家へ
↓
SF・ファンタジーとかだったら、年表や手作り辞書なんかも作ったり
大概元ネタだの、パクリ元だの、大御所だの、がいるから、これまた掘り直しに際限がない。
漫画も大体一緒かな?
勿論、自分で書いてみる、という方向もある。
アニメはもっと切り口が多い
日本人は、小学校で絵も字も習うんだから、よほどの事はできる基礎が備わってる。
ネットがあれば心強い。
別に趣味らしい趣味ばかりを追う必要もなくて、仕事も趣味で楽しんじゃう手だって十分あるよ。
些細な事だっていい。
ポケットに歩数計を入れて、イスカンダル目指してもいいと思うよ。
激安生活でも、贅沢生活でもいいし、メシに凝ってもいいし、逆にたまごかけご飯連続記録を打ち立ててもいいと思う(体は大切に)
そして、飽きる、という事は次の熱中への一歩でもある。
たぶん今までもやり玉に上げられたことがあるかもしれないけれど、
毎度毎度下記のエントリー郡に対しはてブのブックマーク数が増えて幾たびにいたたまれなくなるので、釣りだろうがなんだろうが書きなぐる。
http://coliss.com/articles/build-websites/operation/design/3072.html
photoshopでゼロから作るウェブデザイン チュートリアル30選
http://www.designwalker.com/2009/07/photoshop-scratch.html
http://blog.creamu.com/mt/2008/10/45.html
http://dawble.com/2009/09/design/amazing-fonts.html
いいかげんにしろよと。おめーらどれだけ、マニュアルを求めているんだよと。
おかしーだろ。
なんとなくいいからで、ロゴを使って、なんとなくきれーだからでフォトショップで作って、それで胸はって作ったって言ってるのか!?
こうゆうものを見るたびに、きれいなものは作れるけども、中身のあるものは作れていけない奴らが増えていく感じがする。
「作る」ってことを至上のものにしたいとかは思わないが
人の作った物の寄せ集めを「作る」ということだとは思えない。
(コラージュは別)
それじゃあ、あんたのファンタジーがないじゃないかっ。
求めている人はいるんだろうけど、なんでこんなエントリー書くんだよ。
馬鹿でも糞でも真似でもいいから、最初一から作って見ろよ、って。
一から絵を描いて、フォントを描いて、それを取り込んで、PC上に置き換えていって、WEBデータにして・・・
これを書く奴らも書く奴らだ。
見てるやつは、あんたらを求めているんじゃねーぞと。
あんたらが持ってる外部のものを求めているだけだぞーと。
そもそも、情報を編集するなら、もっと高度に、面白く編集しろよ。
みんな疑問におもわねーのかなぁ。
怖くならないかなぁー。
黒の乗り手(指輪の幽鬼)の一つの指輪探知能力は指輪の魔力が使われた時に発揮される。
物語を見ていると、フロドが指輪を嵌めた時に指輪の位置を感ずる様子が描かれているはずだ。
ファンタジー的な解釈でいうと、指輪の幽鬼は指輪に囚われたことでこの世の者ではなくなり、その結果この世を良く見る事が出来なくなったため。
指輪が使われた時に幽鬼は指輪を使った者を見ることができるが、そうでない時には良く見れないということだ。
指輪を使ったシーンでフロドが見た光景が幽鬼が見ている光景なわけ。
フロドは指輪を使うことで幽鬼と同じ世界に入り込んでいるわけだな。
空を行けば余りに目立ちすぎる。
オークもいれば招聘された人間達もいる。
tonbo tonbo 読書会で、その「限界」に言及したけど、「ラノベの限界」の解釈のニュアンスがずれてるんだよなあ。ブクマコメント見るとさらにズレて解釈されてる。もどかしい。商業的な限界を言いたかったんだが……。 2009/09/23
あえて商業に話を限定して言うけど、クオリアに限らず今のラノベでSF分を増やせば増やすほど読者は加速度的に減少していくというでっかい現実がある。これは詳細までよく練られていようが、理論的な整合性がきちんととれているかどうか、とかはあまり関係がない。
もちろん、いくつか例外はあるけどそれはあくまで「例外」なのであって、SF分を一定以上に濃くした物語で損益分岐点を越えようとすると、特に大手のレーベルのような初版が多いところにはバクチ要素がかなり強くなる。
さすが、ライトノベル感想サイト大手の中でも指折りのスイーツ(笑)脳の持ち主、極楽トンボ御大でございますな。
自分のジャンル小説リテラシーのなさ(SFもミステリもファンタジーも本当に読めませんよね、この人)をライトノベル読者全体の問題であるかのように語らないでいただきたいものです。
小・中学生でも、《涼宮ハルヒ》シリーズを単なるキャラ萌え小説として読んでいる読者ばかりでもないし、SFよりもある意味でハードルの高いファンタジーでも、『精霊の守り人』みたいな、リテラシーが要求される児童文学作品を普通に読んでいる(《守り人》シリーズは下手なラノベよりよっぽど売れてるし、学校図書館の貸し出しランキングでも上位に入る率が高い)。そういうものは全部「例外」ですか?
トンボ御大やラ管連の大勢は、そろそろ自分たちが「一般的なライトノベル読者」ではなくて、「まともな知性も向上心もないライトノベル読者」という少数派の代表であることを悟っていただきたいものである。この人たちの声が大きいことって、害悪でしかないと思うよ。
このラノベは今から約10年前に始まった全10巻のシリーズです。魔術士オーフェンシリーズで大ヒットを飛ばしていた秋田禎信氏の新シリーズで、奇数巻と偶数巻で主人公が違うという特徴を持っていました。今回話題にしたいのは奇数巻シリーズのfrom the aspect of MIZUです。
このミズー編、あるシーンが非常に強烈でした。ラノベ脳に染まっていた自分に、もっこりハンマーを実際に食らったような衝撃を与えてくれました。どこがそんなに強烈だったのかちょっと他の人にも知ってほしい。というわけで、その衝撃について解説しつつ語ってみようと思います。
まず主人公は辺境最強の女暗殺者、ミズー・ビアンカ。当然のように美人です。クールビューティーです。裏の情報屋のアジトに向かうときなんか、冷静に見張りに話しかけ冷静に見張りのあごを砕いてアジトに入り込みます。クールです。強いです。そして情報屋ともクールなやり取りで自分の要望を飲ませます。頭も切れるいい女です。そして彼女はある敵に遭遇します。相手は通り魔的な殺人鬼。名前ありません。モブです。つまるところやられ役の雑魚といったところなんですが、ミズーさん、彼と戦って勝ちはしたものの左足を負傷し出血多量で昏倒してしまいます。しかし、最強という言葉があまりにも意味をなさない魔術士オーフェンという作品を世に送り出した秋田氏の作品です。このくらいでがっかりしてはいけません。それに、本番はこれからです。
足を怪我して自由に身動きを取れなくなってしまったミズーを助けたのは、アイネストと名乗る青年でした。金髪長身痩躯の優男です。彼は学者らしく、ミズーに興味を持って彼女を観察していた、と言います。クールビューティーミズーさんは超冷たい態度で彼を追い払おうとしますが、なんだかなりゆきでアイネストと道中を共にするはめになります。なんていうか、王道です。ボーイミーツガールです。いや、ガールミーツボーイか。とにかく、クールビューティーで強いお姉様とちょっと間抜けでやわな優男のでこぼこコンビの出来上がりです。王道だ、そう思っていました。
さて、当面の間はミズーはアイネストに冷たいままです。当時この言葉があったかどうか定かではありませんが、いわゆるツンデレです。いったいいつミズーはアイネストにデレるのかな?それを楽しみに巻を読み進めていきました。
続く3巻では間抜けに見せかけておきながらガチでミズーのことを観察していたアイネストに、ミズーは心の弱いところを突かれます。ここもニヤニヤしながら読んでいました。あー、アイネストはなんだかんだいってミズーのことよーっく判ってるんだなー。ミズーからしてみたら今のアイネストは怖いだろうけど、でもそのうち頼るべき人になるんだろーなぁ。いつその時が来るのか、楽しみだなー。なんて思っていました。
…、思っていました。話が進むごとにアイネストは道化の仮面を脱ぎ捨ててだんだん冷酷になっていきます。ミズーを好きに操るために何重もの罠を用意してミズーを脅したりすかしたりします。ミズーもそれに応じてアイネストへの憎しみを募らせていきます。それでも思っていました。クールな素顔のアイネストもいいなー。相変わらずミズーには嫌われっぱなしだけど、なんだかんだいってアイネストにとってミズーは重要な人みたいだしなー。こういう仲の悪い会話をしておきながらも話が進めばいい感じになるんだろうな、ああ、王道。なんて。思っていたんですが、衝撃の瞬間は唐突に訪れました。
7巻、237ページ。アイネストとミズーの会話シーンで、ビンタが飛びました。ミズーからアイネストに対して?いえ、アイネストからミズーに対して。頭に大きな?マークが浮かんでいるところに畳み掛けるようなアイネストの台詞が。
「まず言っておこう。君と一緒にいるのは、ぼくにとっても甚だ不愉快だ」
もう、このときの衝撃と言ったら筆舌に尽くしがたいです。あれ?この二人って修復しがたいほどに仲が悪いの?アイネストはなんだかんだいってミズーのことが好きで、いつかミズーもアイネストに転ぶんじゃないの?でも、一瞬後に気づきました。ああ、自分はなんて馬鹿だったんだ、と。真面目に考えて、自分のことを利用しようと罠にはめる男に対して恋愛感情なんて芽生えません。真面目に考えて、はなっから自分のことを嫌っていてことあるごとに襟首締め上げてくるような女に対して恋愛感情なんて芽生えません。何夢見てたんだ、自分。
いや、そこを夢見させてくれるのがラノベなんじゃないか!ごもっともです。でも、この作品はなんていうか、そういう夢&冒険&恋のエンターテイメントをラノベとするならば絶対にラノベとは呼べません。世界観はファンタジーなんだけど、人物まではファンタジーじゃないというかなんというか、徹底的にリアリズムを追求しているというか。話の途中でミズーさん全治3か月の重傷を負って素直に3ヶ月間病院に入院してますし。入り口は最強の女暗殺者と最強の精霊を瞳に宿した少女を主人公として2本立てしてとても厨2病っぽい設定だったりするんですけど、中身はまるで違っていてそれがすごいです。
さて、そんなびっくりアタックが待っているエンジェル・ハウリングですが、じゃあつまらないのか?と聞かれると、そんなことはない!と声を大にして言いたいです。この物語で語られている、信じるものと愛についての誠実な考察はとても面白いです。
12月に発売される秋田禎信BOXにはオーフェンシリーズの後日談とともにこのエンジェル・ハウリングの後日談も収録されています。エンジェル・ハウリング?知らねー、オーフェンだけ売ってくれりゃいいのに、などとぼやいているそこの貴方!多分この世で1番ラノベらしくないラノベを読了する時間は十分にあります!ぜひ一度このシリーズに挑戦してみてください。