はてなキーワード: タイムマシンとは
何故か露出狂とか触らせ系ばかりに遭遇する。
「はじめて」の時、「私処女だけど、触るのは5本目見るのは10本目だよ☆」って
心の中でちょっと思ったのは内緒。
触られたのはもっとあるけど、10年間の通学・通塾を通して20件くらいかな。
当時の同級生よりはずっと少なかった覚えがある。
露出狂にしょっちゅう遭遇するのは珍しかったのかな。
少なくとも周囲では、見せる・触らせる被害は他にきかなかったんだが。
「つけいる隙があるから、いけない。置換されても文句言えない」みたいこと、
親から言われてたけど。
そもそも鞄前方にかかえて触られないよう自衛はしてたんですが。
触るヤツはそれだって胸にて伸ばしてくるし、
触らせるヤツは鞄握りしめてる手を狙ってくるし、
見せるヤツは連絡通路に潜んでるし。
娘ができたら、痴漢専用撃退具を作って持たせたい。
あの、スプレー缶のガス抜きするヤツとかで、プスッとやったらいいのに。
ま、そんなことできるような気の強そうなコは狙われにくいかもしれませんが。
一端のおばちゃんになった今なら、余裕で股間に一撃プスッとできるわ。
伊達にドラえもんファンを長年やっているわけではないので、それくらいのことは当然承知の上だよ。
原作を批判しているわけでは決してない。
ただし映画ドラえもんを情操教育の見地から見た場合に偶然を待つよりなんとか対処しようという姿は重要と思う。
そこでなんの発想があったか。
ワープ航法だ。
ワープ航法の説明も、超空間の説明も作中にあったし、これは原作どおりだ。
時間がない場合に瞬間的にどこか遠いところへ移動させる手段は最初に説明があった通りだし、超空間に何もないことは作中通して描かれている。
ここでタイム風呂敷がなかった場合に次善の策としてワープ途中に超空間へ放り出すという発想はあっていい。
まぁ・・・唯一これで残念なのはドラえもんはあわてるとポケットから見当違いのものを取り出す・・・という伏線が完全にムダに描かれたことだな。
タイム風呂敷とあわてた時の動作は二重の伏線でもって最後の逆戻りを実現させたわけだから、ここはもう少し考えて欲しかったわけだ。
ちなみに映画では壊れてなかったはずだろ・・・というのび太のセリフは目立たないように描かれていた。
漫画ではタイム風呂敷に重点が置かれていたものが、映画ではワープ航法に重点が置かれて描かれた・・・というだけの話だな。
その点を見ると説明にどこでもドアを持ち出したのはあまり良くなかった。
どこでもドアは間に何もないがゆえに超空間の概念に気づきにくいからな。
かと言って妥当な道具は他にない・・・タイムマシンがいいがあれは時間移動が重なってしまうので理解しづらい。
よく考えるとタイム風呂敷に似たひらりマントを活躍させたのも最後の偶然を作るためだったのだろうな。
映画ではムダに活躍する。
景気ってなによ?ということからはっきりさせておかないと。
不景気=生活水準がよくならない=ほしいものが手に入りにくいというように定義しておくと、消費拡大=好景気といっても過言じゃない。
製品を国がどんどん買って捨てていくとどうなるかというと、メーカーは金が手に入ってそこで働く人はほしい物が手に入りやすくなるが、他の人は国が買うときの金を税金によってまかなわれるので、ほしいものが手に入りにくくなる。国債発行によって財源調達した場合は金利かインフレ率の上昇によって他の国民がツケを払う。
しかも捨てるものを作るのに労働力を使う分、他の分野に労働力をまわせなくなる。不況時はそういうことをしても人手が余ってるので大丈夫だが、好況時にやると当然生活水準が下がる。不況時にやる場合でも捨てるものを作るより何か役に立つものを作ったほうがよいので無駄な公共事業をやめろという批判は正しいが、代わりに役に立つ事業の代替案を出すなり、現金配って需要増やすなりで失業者の労働力活用する対策はやっておかないと損。なぜならタイムマシンは存在しないので、今のあまった労働力を将来使えるわけじゃないから、余ってる労働力は今使わないとその分丸ごと無駄。
タイムマシンで過去に行って、ばあちゃんの恋路を邪魔したら増田の存在は消えてしまうわけで、つまり増田が決意をした瞬間には消えてないとおかしい。増田がこの日記を書いて投稿しているときには決意をしているはずだからその日記が読めてると言うことはつまり増田はタイムマシンに乗って邪魔できてないか、そもそもタイムマシンは出来なかったってことか。
先日亡くなった祖母の遺品の中に、一枚の古い写真があった。モノクロの写真。長い年月のせいでかなり傷んでいるけれども、そこに写る人々の姿は、はっきり見て取れる。親戚のおばさんの話によれば、写真は戦後まもなく撮られたもので、そこには二十歳前の祖母が女学校の同級生たちと共に写っているとのことだった。そこに写る数人の女生徒のうち、誰が祖母なのかわからなかった。ただし一人だけ、もの凄い美人が写っていて、この人ではないだろうということはわかった。
実際、おれはその美人に目を奪われた。昔の人の写真になぜか一人だけ現代の女性が写っているみたいで、異質な存在だと言ってしまっても良いほど、その人が美しかったから。
背が高く、百六十五センチはあるように見える。二重まぶたでぱっちりと開いた目から、こちらを射抜くような光がこぼれている。鼻は高くないけれども、鼻筋がすっと通っている。唇は少しぶ厚いけれども、だらしない感じは全くしない。白黒の写真だからこそ、透けるような肌の色がいっそう際立っている。頬は白磁を思わせるような白さと丸みを帯びていた。その時代の人なら化粧気などそれほどないだろうに、彼女はそれ以上何か手を加える必要を微塵も感じさせなかった。少し澄ました顔で、かすかに目元を緩め、ほんのわずかに口角をあげる、たったそれだけで艶のある魅力的な表情を作り上げていた。
おそらく当時の価値観では、そこまでの美人と言う認識ではなかったのかもしれないと思う。どちらかと言えば男好きはするけれども、派手めの容姿で他人に後ろ指をさされることもあったのではないか。だが、現代に生きるおれの目から見れば、そこに写るのは勝気そうでいながら慎ましさも備えた可憐な少女だ。正直、祖母が誰かよりも、この人が誰かを知りたかった。
ところが、ばあちゃんはこの人、とおばさんが指したのがまさにその美人だったので、おれは自分の目を疑った。この人があのばあちゃんだと、にわかには信じられなかった。言われてみれば面影があるような気がしないでもないが、二十歳と八十歳では何もかもが違いすぎて較べようもない。それ以上に、そこに写る美人の遺伝子が自分の体に受け継がれていると言うことが到底信じられなかった。
そして、彼女が祖母であると言う事実を受け入れたくなかった。なぜなら、困ったことにおれは彼女に恋をしてしまったから。一目惚れというのは実際にあるのだと知った。決して叶わない想いであるということが胸を締めつける。この美しい少女はもう、この世界のどこにもいない。
生前祖母が語ってくれた昔話も、この少女の姿を思い浮かべれば丸っきり違う印象になってしまう。もっと話を聞いておけばよかった。どんな青春を送ったのだろう。どんな恋をしたのだろう。どんな時に笑ったのだろう。何に心を痛め泣いたのだろう。そんなことを、うだうだと考える。考えれば考えるほど、おれの頭の中で彼女は可愛くなっていった。まるで、架空の少女に恋をするような感覚だった。
もうずっと前に他界している祖父に、嫉妬せずにはいられない。その祖父がいなければおれ自身この世に生を受けることはなかったのだけど、それでも、なぜおれがじいちゃんじゃないんだと恨めしく思ってしまう。
もしかしたら血縁者の中に彼女の面影を残す人がいるかもしれない。そう思って、法事の際には疎遠になった親類をじろじろと観察したりもした。けれどそんな人はどこにもいなかった。
今はどうやってこの恋心に折り合いをつけるべきだろうかと迷っている。彼女への想いを抱いたまま、いつまでも過ごすことになるのかもしれない。もし、彼女によく似た女性が現れたら、即刻なびいてしまうのかもしれない。あるいは、結局こんな恋心はほんの一時の熱情に過ぎないのかもしれない。
とは言え、将来タイムマシンが実用化された場合の行き先は決まった。
どうなんだろうか。俺さ、自分で言うのも何だけど、そういう風に生きてきた気はするんだ
でもね、ある瞬間において「これが一番良い」と思った決断が、後から考えると必ずしもベストではなかった。という経験は少なからずある気がするんだ。具体的な例を出せなくて申し訳ないけど
もちろん、人は未来のことなんか分からない。「タイムマシンで過去に戻れるなら」なんてのが無意味なifだというのは、わざわざ書くほどのことではない
ただ、ここからなんだけど、少なくとも後から振り返ると、そういう判断を、大人には止められていた。いつも。親とか教授とかね
「大人には止められた、でも今の俺にとってのベストな判断はこれだ」みたいな。「大人には分からないさ」みたいな。そーゆー判断を、何年かして「あれは実際どうだったんだろうか」と思ってる気がするんだなぁ
今この瞬間も俺の人生だけど、それは同時に「第三者が見た俺の歴史」の一部でもあって、それを俯瞰する視点は、少なくとも俺より、俺を可愛がってくれる大人の方が正しく持っている。ような気はする
生活維持省は価値観の転換が主眼に置かれてるけど、イキガミは、試し読みしたかぎりでは、余命宣告をされた人間が残りの時間をどう生きるかを描いた作品っぽい。
星さんはエッセイで『いまタイムマシンものが書けるのは、ウェルズの「タイムマシン」の二番煎じをした人がいたおかげだ』(出典は覚えてない)とか
『フィクションには発想の新鮮な意外さが要求されるが、さらに重要なのはストーリーのまとめ方。うまくストーリーが組みあわさると、強烈な現実感のある、なまなましい余韻を持った作品ができることがある。たとえばジェイコブスの「猿の手」など、三つの願いというアイデアはありふれているが、そこからの展開と結末はまったく異色。』という主旨(『きまぐれ暦』の『SFと寓話』から)のことを述べてたから、もし設定を借りていたとしても十分な独創性があれば焼き直しにはあたらない、と言っていいんじゃないかな。俺は生活維持省のほうが好きだけど。
そもそも、問題になっている「全体の利益のために誰かを殺す制度」が、星さん独自の発想なのかも微妙。『生活維持省』の数年前に海外のSFで既出とかいう話もあるみたいだ。国内にも類似した設定の作品は多い。
「理解」って本は無いよね。短編集の「あなたの人生の物語」に収録か、アンソロジーで読んだのかな。
ちなみにテッド・チャンの理解という話は、いうなれば人情味の全く無い「アルジャーノンに花束を」みたいな感じ。「アルジャーノンに花束を」はSFだけど一般の人にもファンがいるという点で「夏への扉」と似ているかな。
頭が良くなる薬といったSFガジェットとしては共通だけれども、それによって引き起こされる人間関係に重点を置くか、知能の増加そのものに視点を置くかでこうも違うのかというのかというのが興味深い。
それと同じ構図が「夏への扉」と「輪廻の蛇」でもいえるかも。作者はどれもハインライン。タイムマシンを使って世界を変えようとしても変えられないのは「夏への扉」も「輪廻の蛇」も同じ。でもそのラストの違いが「アルジャーノンに花束を」と「理解」を連想させる。
なんでSF初心者が広瀬正とか知っているんだというのが不思議なところだけど、古い話でもいいんだったら小松左京の「果てしなき流れの果てに」や光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」なんかもどう、とか書いてみる。
http://anond.hatelabo.jp/20080609182133
こんなクソったれた世の中に新しい命を送り込んでどうするの?
こんなクソったれた世の中だが、俺は生きてる。幸い戦争もないし、働けば明日食うには困らない。ネットもテレビもあるし、頑張って働けば欲しい車だって手に入りそうだ。何より生きてて良かったと感じることがたくさんあるぜ。
この文章、後半書き換えて「こんなクソったれた世の中に生きててどうするの?」としても同じこと言ってるように感じるがどうか?
子供ナメんなよ。オマエの思い通りに「苦しんで苦しんで、挙句死ぬ」とでも思ってるのか? ふざけるな。それとも、オマエは長い人生生きてきて、自分の子供に「苦しんで苦しんで、挙句死ぬ」方法しか教えてやれないっていうのか?
子作りにおいて負担は圧倒的に女性の方が高いわけで、頑張れ頑張れ言ってるだけのくだらん生き物である男がこんなことで悩む資格はないのだけど
悩む資格がないと言っておきながら悩んでるじゃねぇか。どっちなんだよ。
今つきあっている彼女は好きで一緒に暮らしたい
そんな人と出会えただけで、オマエさんの人生素晴らしいじゃないか。
だが、そんな風にしか人間を見れないヤツの子供には生まれたくないな。オマエが俺の親じゃなくて良かったよ。
俺が毎日こんなに大変な思いをして生きているこの不完全な世界に、新しい命を送り込んで同じような思いをさせるのは本当に忍びない
毎日大変な思いをせずに生きれる完全な世界ってどこにあるの? そんな理想世界じゃないと子供つくれないの?
とりあえずワンピースが理想だと思ってるならオマエは漫画読むのやめたほうがいいよ。
なんだろうなぁ。つか、人生の伴侶に足るよき人に出会えてまでそんなこと言えるなんて、すごくオメデタイと思うぜ。客観的に見て幸せそうなんだが、おまいさん。
俺はどうやって責任を取ればいいんだろう。
責任なんてとりようがないだろ。誰にも。それでも責任云々言うなら、子供が幸せを感じられる人間になるように、がんばって育てればいいじゃんか。
また極端だなぁ。まさかおまいさん、仕事で失敗したり、会社倒産して返せないような借金背負ったら、そのまま首つって一家心中するタイプ? やめやめ、そんなの。ばかばかしいからやめれ。
呼吸をして飯を食い、日々を過ごすごとに他人に迷惑をかけていく。
他人って誰?
最初から生まれてこなければよかったのに。
そうか? でもおまいさんが生まれてこなければ、彼女はさぞガッカリだったろうな。
父親のチンポから母親のマンマンに一斉に俺たちが放たれた時、俺の横にいたあの時の精子君が卵子に飛び込んでいれば、こんなことにはならなかったのに。
そうかなぁ。
優秀すぎてイヤミなやつになってたと思うぞ。たぶんもう少し謙虚じゃなくなってただろうな。
罪悪感で胸が一杯です。早く俺と言う存在を消してしまいたい。
まあまあ。おちつけ。
憂鬱にもならないし、迷惑も蒙らない。ただただ、おまいさんの死を悲しんで、おまいさんの分まで生きようとするだけさ。みんなそうだし、たとえばおまいさんがの周りで誰か死んだら、おまいさんだってそうするだろう。それともおまいさんは誰かが死んで「迷惑を蒙った」と思うような人間なのかい?
どうすりゃいいんだ。どうすりゃいいんだよ。
どうもすんな。生きろ。幸せをつかめ。
知ってると思うけど、ないよ。
いいけど、もうちょっとマシなことに使おうぜ。
本当にごめんなさい。生まれてきてごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
謝るな。胸張って生きろ。でないと子供がまっすぐ育たないぞ。どんなクソッタレな人生でも、親がガンと胸張って生きてれば、子供は親を尊敬するもんだ。逆にどんな成功者でも、うじうじしてるヤローはダメだ。親をバカにしちまう。だがそれは子供にとって一番悲しいことじゃあないのか? 俺はそう思うが。あんたはそう思わないか?
あんたは良い親になるよ。期待してる。俺が将来、あんたの子供に会ったら、助けてやるぜ。だからおまいさんも頑張って子供育てろ。
最近子作りをする友人が増えてきて、友人たちはとても嬉しそうなのでそれはそれで素晴らしいことだなあと思う反面、こんなクソったれた世の中に新しい命を送り込んでどうするの? そんなにも子供を苦しめて苦しめて、挙句殺して楽しいの? という気持ちもあるわけで、自分がいざ結婚して「そろそろ子供欲しいの」とか言われたらどうすればいいのか正味の話よく判らん。子作りにおいて負担は圧倒的に女性の方が高いわけで、頑張れ頑張れ言ってるだけのくだらん生き物である男がこんなことで悩む資格はないのだけど、でもそう思ってしまうのだから仕方がない。
今つきあっている彼女は好きで一緒に暮らしたいし、俺の人生を豊かにするおもしろツールとしての子供なら、そら欲しいですよ。ダンコーガイみたいに「俺は子供が出来てからの方が楽しいし、あとは子供が考えろや! 不満なら殺しに来い!」というマッチョ的な割り切り方も、まあそれはそれで正しいんだろうと頭では理解してますよ。でもね、俺が毎日こんなに大変な思いをして生きているこの不完全な世界に、新しい命を送り込んで同じような思いをさせるのは本当に忍びないし、まあその子がルフィのように困難と冒険を愛し日常を楽しんでくれる優秀なソルジャーならいいけれど、俺のように世間に対してルサンチマンを募らせ「産まれてこなければ良かった」とかほざいている社会不適合者だとしたら、俺はどうやって責任を取ればいいんだろう。子供と妻を殺して俺が自殺しても、責任なんか取れっこないんではなかろうか。
呼吸をして飯を食い、日々を過ごすごとに他人に迷惑をかけていく。最初から生まれてこなければよかったのに。父親のチンポから母親のマンマンに一斉に俺たちが放たれた時、俺の横にいたあの時の精子君が卵子に飛び込んでいれば、こんなことにはならなかったのに。もっと優秀な俺君が生まれていれば、俺の親も喜んだだろうし、俺の友人も俺の彼女もみんなハッピーだっただろうに。罪悪感で胸が一杯です。早く俺と言う存在を消してしまいたい。だけれども、今死んだら俺なんかのために憂鬱になる人がいて、俺なんかのために迷惑を蒙る人間がいる。どうすりゃいいんだ。どうすりゃいいんだよ。このゲームのリセットボタンはどこなんだよ。タイムマシンを誰か発明してくれよ! 本当にごめんなさい。生まれてきてごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
http://anond.hatelabo.jp/20080312121901
前回の続き。
これらの雑誌は女子高生(または女子高生風のモデル)を被写体にしていたわけだが、必ずしもロリコン向けというわけでもなかった。今でもそうなのかもしれないが、女子高生好きはロリコンにカウントされていなかった記憶がある。「男は女子高生が好きなもの」というのはあからさまじゃなくても、暗黙の共通認識になっていたと思う。
こういう事情があったからか、これら雑誌にはブルセラショップの広告やブルセラビデオの内容紹介も普通に掲載されていた。ブルセラビデオの類は東京を中心とした少数のショップが販売拠点となっており、地方にはそこから通販される形であった。だからマニア向けの商品であることは間違いなかったが、雑誌に紹介ページがあったことで地方在住の高校生であった増田にも内容が把握できたのであった。
90年代はエロ業界以外でも女子高生がやたらとフィーチャーされることが多かった。「コギャル」という言葉が生まれたのも90年代の半ばか。こうした世間の風潮との相乗効果もあって、投稿系雑誌はブルセラや女子高生エロスを強化する方向に進んでいった。
ちなみに1993年にウッチャンナンチャンの南原清隆氏がテレビ番組「ウンナン世界征服宣言」の企画で、女子高生Tバックアイドルユニット「メロン組」をプロデュースしている(この番組、ウッチャンが女子高生デートクラブに行く企画もやってたと思う)。地上波テレビにTバック女子高生が出演できるくらいなので、エロ本業界は推して知るべしだ。でも具体的に言うと「Tフロント女子高生」みたいな雑誌もあったな。ただ、91年の樋口可南子、宮沢りえを皮切りにヘアヌードが解禁されはじめた時期だったのにもかかわらず、女子高生ヘアヌードというのはあまり見た記憶がない。
最近でいう「着エロ」というジャンルの走りなんだろうが、女子高生ものにおけるこうした流れにロリコン向け雑誌も合流するケースもあった。増刊として「モデルは全員15歳以下!」と銘打って、際どい水着写真やセミヌード、そしてヌードグラビアも掲載した雑誌が出されたこともあった。やはり盗撮コーナーもあった気がする。この時期にはコギャルよりもさらに低年齢の「マゴギャル」という言葉も生まれていた。ただ、これらの雑誌はさすがに際どすぎたためか、いずれも短命に終わっていたはず。
一方、女子高生中心の投稿系雑誌は「爽やかなお色気」のイメージがあったためか、トラバしてくれた人も指摘するようにコンビニの成人雑誌コーナーにも置かれていた。「日本ではコンビニで堂々と児童ポルノを販売している」なんて欧米に批判されることもあるが、このような事実をかんがみれば、その批判も故なきものではないと思う。
しかし、90年代後半にはブルセラが社会問題となり糾弾されショップが撤退しはじめた。さらに援助交際が問題視され、各都道府県で青少年育成条例が厳格化されるようになってきた。国会でも児童ポルノ問題が語られ始めるようになる。
児童ポルノ法が成立・施行される前の議論の段階で、女子高生をフィーチャーした雑誌はリニューアルを余儀なくされた。しかし、それは雑誌の売りをすべて捨ててしまうことと同義だった。
私増田はその頃大学生で、エロ的欲求のはけ口を雑誌よりもAVに求めるようになっていたのに加え、編集者側の自主規制によって投稿系エロ雑誌の内容がヌルくなっていたので見なくなっていた。したがって、これら雑誌の断末魔を知らない。しかし、児童ポルノ法施行以前にこれら雑誌の命脈は尽きていたように思われる。
だいたい自分が語れるのはこれくらいのことだ。要は児童ポルノ法以前にはガチのロリコン向けポルノでなくとも児ポ法の定義でいう「児童ポルノ」は広く流通していた、ということだ。未成年のセミヌードや未成年素人の盗撮映像などが全国の普通の書店に出回ったりしていたわけで、今から考えるととんでもない時代だったと思う。かといって、ガチのロリコン向けコンテンツを手に入れるハードルはそれなりに高かったわけで、児ポ法以前はロリコンにとって天国だった、とか、日本では児童ポルノが野放しだった、とか言われると、時代の生き証人、語り部としては「それはちょっと違うんじゃね?」と言いたくなる気持ちはある。もっとも、自分がモデルと同世代だったことでそれらを「ガチのロリコン向け」と思わなかったということもあるかもしれない。現在の価値観を持ったままタイムマシンに乗って90年代に戻れば「なんちゅうワイセツなもんが流通しとるんじゃ!」と思うかもしれないな。
以上、かなり不十分な叙述だと思うので批判・訂正・補完を大いに求めます。
最後に付け加えておくと、こうした投稿系雑誌(のコラム・コーナー)がリリー・フランキーの才能を見出したり、根本敬に活動の場を与えてきた功績はもっと讃えられてもいいと思う。リリーさん、当時から面白かったけど、こんな大作家になるとはなあ…
苦しいったら苦しい♪ もう笑っちゃうしかないくらいに苦しい♪
苦しいのワルツみたいに苦しい♪ もう盆踊り踊っちゃうしかないくらいに苦しい♪
未来からの治療法はまだもたらされませんか♪ ノーベル賞級の学者さんによる遺伝子治療の発見はまだですか♪
お薬はきちんと飲んでいますよ♪ それでも鬱は晴れませんか? 躁転してしまいますか?
助けて 神様 助けて
僕は自分を傷つけたくはないし、人を傷つけたくもない
助けて 神様 助けて
ちゃんと病院にも通っていい子にしていますから
助けて 神様 助けて
本当に 助けて
この病気は100人に一人と言われています。
脳の病気で、一生完治することはないと言われています。
お薬を飲みながら再発のリスクを避け続ける予防療法が取られます。
躁状態はおそろしいものです。幻覚を見る人もいますし、精神病状の症状を示す人もいます。
私はその両方を体験しました。
しかも、幻覚って現実と区別付かないから、今でもそれが現実だったのか幻覚だったのか分からなくて検証を続けています。多分、一生、私はそれを続けてしまうでしょう。
自分が体験したモノが夢か現実か全く区別がつかないのです。
私は三度風俗に行きました。でも、途中で超常現象も体験していて、本当に風俗に行ったのか、行っていないのか、一部が幻なのか、全部が幻なのか、まったく区別が付かないんです。
私は自分のホームページのPayPalの寄付受付や各種アフィリエイトで食べていくのが、妄想に過ぎないとは知りつつ夢でした。
でも、躁状態の躁うつ病患者は全ての買い物(寄付含む)がやめられません。まったく判断がつかないのです。
だからそれらも泣く泣く(本当に泣いて)ホームページから取り外しました。
躁状態はアフィリエイトのリンクすら生存の脅威になってしまうのです。Adsenseのリンクや、各種広告さえも、まったく判断なしでクリックして登録、購入してしまいます。判断がつかないのです。おそろしい、おそろしい。
よく、情報商材なんてものがありますが、あれも購入してしまいました。本当に判断力がゼロになってしまうのです。
こんなことでは財産は危なっかしくてもてない。怖い。怖い。
もちろん、躁うつ病よりも苦しい病、大変な病がたくさんあることを私は知っています。実際に見聞きしています。
でも、躁うつ病も大変苦しい。一生完治するみこみも今のところなく、鬱のときはベッドに横になっているだけで、TVをつけるのさえ脳が疲れるのでできません。
躁の時には色々やらかしてしまいます。周りの愛する人達にも迷惑をかけてしまいます。
本当にどうしたらいいのか分かりません。
三ヶ月後のCERNの実験で本当にタイムマシンが開発されて、未来から治療法がもたらされればいいのになあ。もちろん全ての肉体的、精神的病(やまい)の。
妄想にすぎないと言われるかもしれませんが、そんなことに最後の希望の一つをかけなければならないほど、私の心は暗闇で満たされてしまっています。
私よりも大変な肉体的、精神的な病に冒されながらも、笑顔で前向きに生きている人達は本当にすごいなあ。
私は一生、そんな風にはなれないでしょう。
でも、できれば。
そんな風になりたい。自分が希望であるような存在になりたい。はげませたらいいのに。同じような苦しい境遇におちいっている人達を。
そんなの無理。一生無理と分かっているけれど。
この手にはそんな希望しか残らない。
俺が都内某所の王将で餃子を食っていた時の事だ。カウンター席に座っていた俺の隣に、男の二人連れが座った。身なりは一人は普通のサラリーマン、もう一人はぱっと見でニート臭のあふれるヤツだった。そいつらは隣の俺にも聞こえるぐらいの声でなにやら話し出した。
「おかしいって?」
「なんだかさ、見たことが無いようなアニメが上がってんの」
「それ、マイナーなだけじゃね?」
「いやそれがさ、まだ流れてるはずがねえのが流れてるみたいなのよ」
「はあ?」
「だからさ、まだ今やってる戦隊物の続編とか、アニメの第二期とかやってんの」
「なにそれ? 流出でもしてんの?」
「どうも違うみたい。流出っていう奴もいるにはいるけど、それは素人だね。時期的に考えたら、まだ出来てるわけないのよ。特撮とか、まだ終わったないのとか、次の次という噂のだってあるしさ」
「へー」
「噂だと、見たことないやつには今企画段階なやつまである、って話だよ」
「おかしな話もあるなあ。で、見てんの?」
「そりゃ見るよー。だって、俺のみたかった続編が今やってるんだぜ? 見ないわけが無い」
「でも、それ著作権とかどうなわけ? やばいんじゃないの?」
「さあ? 今のところ消される気配はないけど? 噂だと、まだできてないのだから著作権が発生してないとか」
「ホントかよ」
そこまで聞いてから、俺は冷たくなったチャーシューメンを一気に食い、レジで金を支払った。
外に出て、人目につかないよう路地裏まで移動し、タイムマシンを呼び寄せる。中には、俺が未来で撮り溜めたアニメや特撮のデータの入ったHDが入っている。
地球が滅亡しちゃうらしいです
人間が
海面が上昇して
飢饉が起こり
進みすぎた文明を作ったことによって
強力な兵器が使用され
ロボットの反乱が起こり
エネルギーが枯渇し
地球が
地軸のズレで
大地震になって
氷河期になって
寿命を迎えて
爆発して
宇宙の
太陽が
爆発して
寿命を迎えて
隕石が衝突して
ブラックホールに飲み込まれて
寿命がきて
神の
怒りに触れて
きまぐれで
フリーザの
エネルギー弾で
地球侵略によって
敗北によって
着地の振動で地震が起こり
イチローの
地球が滅亡しちゃうらしいぞ☆
・審議中
鳩山の
友人の
友人の
テロによって
・・・他になにがありましたっけ?
thank for
http://anond.hatelabo.jp/20071105021900 (地球の寿命、太陽の寿命、宇宙の寿命)
http://anond.hatelabo.jp/20071105021900 (オゾン層の破壊、エネルギー枯渇、鳩山の友人の友人のテロ)
あの子が好きだった。
かわいくて、純粋で、活発で、でもすぐにヘコむ。そして人のことを心の底から思い遣れる子。
サークルでも人気だった。かわいくて性格もよけりゃそりゃ当然だな。
でもすぐに、ひとつ上の先輩と付き合い始めた。正確には俺が好きになる前にできていて、その後知った。
そのときにはまあそれなりの失恋的な凹み方をしたわけですよ。ベタにね。
そこで終わっていればただの失恋で済んだのに。
その後もよく絡んで、ますます好きになってしまった。もうどうにもならないのに。
奪い取りたいと思い始めてしまった。駄目だとわかっているのに。
どんどん仲良くなっていった。サークル内の誰よりも。
一度だけ二人で遊びに行った。
その子が実家に帰る途中に俺の実家付近を通るので、案内してほしい、という理由で。
他意があったのかはわからない。
「○○ともっと早く会ってたらな…」
そんなこと言うなよ、という悲しさよりも、好かれてるんだ、という嬉しさが大きかった。
その後猛アプローチをかけたけれど、"安定志向だから""別れる理由がないから"。
しつこく続けるのは相手にも自分にもよくないのは明らかだった。
「友達としていよう」
そして俺はがんばった。友達になるために。
あらゆる恋愛的感情を封じ込めた。もののけ姫のアシタカの右腕のごとく。
文字通り全力で。
そしてあのデートからほぼ1年後の今。
友達から、あの子が同じサークル内の男と付き合い始めたことを聞いた。
なにこれなにこれ?
あの「もっと早く会っていれば」はなんだったの?
それとももっと粘ればよかったのかい?
こういうのを「帯に短したすきに長し」って言うんだよね!
ボク知ってる!!
切実にタイムマシンが欲しい。
戻って、あの半年間封じ込めた感情丸ごとぶつかっていきたい。
「ほーほっほっほっほっ。あなたは今、ばく大な借金に悩んでおられるようですね。それで今年のお年玉も50円しかもらえなかったことを嘆いている。」
「な、なぜそれを知ってるんだ!?」
「ほーほっほっほっほっ。私にはわかります。あなたのご先祖さまのせいで、一族は延々と借金を払い続けさせられている。どうです?あなたのご先祖様を私に売っていただければ、今のあなた方の借金を0にして差し上げますが。」
「う、売る!?どういうこと?」
「なあに、心配はいりませんよ。あなたのご先祖さまはいつもどおりの生活ができます。ただ、私どもが派遣するスタッフと一緒に暮らしていただくだけでいいのです。」
「え、ほんと?じゃあ、よろしくたのむよ。」
「はい、わかりました。では後日、つかいの者をおくりますので、あとはその者の指示にしたがってください。ほーほっほっほっほっ。」
そのセールスマンは笑いながら暗闇へと消えていった、、、というところで目が覚めた。
「おはよう、セワシくん。今日はおじいさんの所に行く日だよ。早く支度してよね。」
「ああ、分かってるよドラえもん。」
.....
ある日、のび太はドラえもんの押し入れでとある秘密道具を見つけた。それは自分の不幸を他人に移しかえる道具だった。のび太はそれを使って一儲けしようと考えるが、どうやっても自分に対しては不幸のやりとりができないことに気づく。不思議におもったのび太はそのことをドラえもんに言うと、ドラえもんの表情がふっと暗くなり、「故障だよ。」としか言わない。いつもと違うドラえもんの態度に疑問を抱いたのび太はタイムマシンでセワシくんとドラミちゃんのいる22世紀へと向かった。
.....
横文字にするとなんだかカッコイイですよね。
世の中で特別な存在なのだと思っていた時期がありました。
常に新しい価値観を生み出し続け、
皆があっと驚くようなアイデアを見せ、
自分の作り出すものが凄ければ、
センスを研ぎ澄まし、
常に圧倒するような完璧な物を作り続け、
自分が納得のいく所までこだわり、
自分の力と作った物で皆を動かさねばいけないと
思っていた時期もありました。
自分はデザインだけを考え、
デザインだけに集中し、
デザイン以外の事を行うのは悪と考えていた時期もありました。
そんな考えも、今思えば非常に恥ずかしく、
もし、タイムマシンがあれば、
過去へ行き、そんな自分に酒でもオゴりつつ、
色々と、ゆっくりと話をしてあげたいと思うようになりました。
なんだかんだで、僕はプロとしてデザインでお金を貰い始めてから
6年ほど経ちました。
まだまだ視野は狭いとは思いますが、
それでも、上に書いたような事を考えていた時よりは、
よく物事が見えるようになってきたかなと思っております。
久しぶりに深夜にテレビを見ていると、
素晴らしいデザインの製品やアイデアなどが取り上げられていました。
画面の中のはなちゃんは、興味深そうに製品にコメントをしていました。
でも、僕はあまり興味を感じることは出来ませんでした。
リアルさというのが感じないというのか、なんというのか、
非常に奇妙な感じがしました。
こんなものは自分の好みもあるのかもしれないので、
偉そうなことは言えませんが…。
僕は仕事に対しての考えのひとつに、
という妙な意識を持っています。
そもそも「仕事」って何でしょうね?
僕は、仕事というのは、必要とされているものに対してサービスを行い、
その代価として報酬を頂くものだと考えております。
それは人間が相手であったり、世の中が相手であったり、環境だったり。
報酬というのも、お金であったり、スキルであったり、経験だったり。
求められている事に最大限に応えてあげる。
そんな事だと思うんですよね。
相手が何を求めているか、何に困っているのか、何を知りたいのか、
そして何を伝え、何を形にしたいのか。
この「何を伝え、何を形にしたいのか」、
という要望に対して、クライアントや、
最大限のサービスで応えてあげているんだなぁ、
と思うようになりました。
クライアントの伝えたい意図をどうやって伝えるか?
今は、デザインというのはあくまでも手段。
自分の手持ちの武器のひとつと考えるようになりました。
案件次第ではデザインをしない時もあります。
その方が妥当だなと思うからです。
でも、それで仕事がまわり、
クライアントも満足し、
お客様も喜び、
世の中がちょっとでも良くなれば、
それでいいんじゃないかと今は思っています。
そう考えると非常に気楽というか、
変なプレッシャーというのが無くなった感じがして、
非常に精神的にも肉体的も楽になり、
非常にこのあたりの意識があいまいです。
アートとビジネスの狭間を行ったり来たりするからだと思いますが。
だからと言って、日頃のデザインのセンスや力を養わない、
ということでもありません。
必要な時に期待に応えられないようでは、プロではありません。
でもこういう考えって、
飲食関連等に代表されるようなサービス業と言われるものだったり、
みんな同じ考え方だと思うんですよね。
相手に対して最大限のサービスを行い、満足をしてもらう。
満足をしてもらうには自分には何ができるのか?
演出したり、根回ししたりしてスムーズに流してあげる。
もしくは情報自体を考えてあげる。
というようなサービスを行っている気がしますね。
これもあの番組のせい…、なのかな?
この日記も10年後の自分が見たら、
きっと恥ずかしいと思うのでしょうね。
あ、最後に、コミュニケーションスキルと対人術と会話術。
それと相手に対する思いやりと愛みたいなものと義理人情。
これが仕事で何よりも大事なものだと思いますわ。
私が本にのめり込むきっかけとなったのは、小学二年生の時に親から買い与えられた江戸川乱歩だった。題名は覚えていないのだが、怪人二十面相シリーズのどれかだったと思う。それまで童話やゲームブックしか読んでいなかった私は、たちまちその"はじめての小説"に夢中になった。何度も読み返し、本屋に行くたびにシリーズをねだり、次々と読破していった。読書欲、を感じた最初の瞬間だった。初めて自分のおこづかいで買った小説は「三角館の恐怖」で、この本に関しては購入した店も、そのシチュエーションも、はっきりと覚えている。あの頃は今よりももっと、本は輝いていて、私にとって尽きぬ宝の山のようだった。
やがて江戸川乱歩の子ども向けに出ているシリーズを制覇した私は、買い間違えたことをきっかけに、よく似た装丁のアルセーヌ・ルパンシリーズにも手を出した。「奇巌城」「813の謎」……ルパンの冒険と謎に胸をおどらせることの幸せだったこと。読み終わった私は、今度は祖父母に世界文学全集をねだった。この頃にはもう、両親よりも祖父母にねだる方が勝率が高いことを、私は理解していた。手に入れた全集は分厚く、何冊も連なり、私はそれをむさぼるように読んだ。私はそこにある本を読まずにとっておくことや、ゆっくりと何回にも分けて読む、ということの出来ない人間だった。覚えたての読書の味は熱病のように私をとりこにしていて、憑かれたように全集に没頭した。「海底二万マイル」「秘密の花園」「小公女」「黄金虫」……めくるめく世界は、まだまだ幼かった私の前にどこまでも広がっていた。
そうして、三年生になる頃には親はもうあまり本を買ってくれなくなった。その代わりに、図書室があるじゃないか、と私に言った。図書室に入り浸ることを覚えたのはこの頃だったと思う。毎日、給食を終えるなり図書室に駆け込んだ。読書に熱中するあまり、本棚の影で授業が始まっていることにも気づかず本を読み耽ったのが、私が始めて授業をさぼった思い出だ。その調子で図書室を開拓し、私は年間で20枚以上の図書カードを消費し、登下校の最中も歩きながら本を読んでいることで先生に怒られ、一年と少しが過ぎる頃には図書室の本は大体読んだと豪語するまでに至った。
それでもまだ読む本を貪欲に求めた私は、父親に面白い本を尋ねた。本の世界はあまりにも広く私の前に広がっていて、私はまだ、指針がなくては進むべき方向が分らなかった。父は私に「ロビンソンクルーソー」を勧め、それを私が気に入ったとみるや、次々に本を教えてくれた。これは後に私が入り浸ることになる図書館のものだったが、この時の私はまだ図書館を知らなかった。「二年間の休暇」「トムソーヤの冒険」「月面旅行」「地底探検」、冒険もの、漂流モノにはまったのがこの頃だった。
五年生になって、私には新しい友人が一人増えた。彼の影響を受けて、私は今度はSFの世界にのめりこむことになった。タイムマシンものよりも、謎のウイルスの話、宇宙人よりも、突然変異体が暴れまわる話が好きだった私を、彼が笑っていたことを覚えている。最も印象に残っているのは植物が突然人を襲い始める話で、何故か最後の部分だけ落丁していて読むことができなかった。そのせいで今でも覚えている。
六年生になってようやく、私は図書館という広大で未知の宝の山に足を踏み入れた。ここで赤川次郎にのめり込み、やっと私は、"作者で本を選ぶ"という指針を手に入れた。今までSFであればSFを、無人島ものであれば無人島ものを、とジャンルで開拓していたことに比べて、作者、という指針は非常に分り易かった。何より図書館は作者ごとに整理されていて、端から読んでいくのにちょうどよかった。私は弟の分のカードも使い、12冊借りては読み、翌日また12冊借りては……ということを夏休み中繰り返した。たまに別の作家の本に手を出し、それが面白ければその作者の別の本も…というように"あ"から順に私はじりじりと侵攻していった。
あの頃むさぼる様によんだ赤川次郎の面白さを、今ではもう理解することができない。けれど棚ひとつを埋めつくす赤川次郎の著作を眺めながら、少なくともここに棚ひとつ分の読む本がある、と奮い立った胸の高鳴りはしっかりと覚えている。赤川次郎や森村誠一や筒井康隆といった、あたるとデカイ作家は、あの頃の私には本当に偉大な存在だった。その分、寡作な作家は私の包囲網からはすっかりと抜け落ちていた。
穴を埋めてくれたのは、母だった。母は私に恩田陸をすすめ、若竹七海をすすめ、服部まゆみをすすめた。それらの少しマイナーで著作の少ない作家の作品は私を魅了し、私は父より母を頼りにするようになった。母は次に、綾辻行人や西澤保彦をすすめ、有栖川有栖を見切っていた私に、江神先輩シリーズを読ませて改心させることに成功した。いわゆる推理小説にはまったのがこの時期、中学二年から三年にかけてだったと思う。
母からは面白い作家だけでなく、"賞で選ぶ"という新しい指針も教えられた。母のお気に入りはメフィスト賞と日本ファンタジーノベル大賞で、私が講談社ノベルの新刊を全てチェックする、という蜜月の日々を一時期過ごしたのは、このせいだった。
中学を卒業する頃には私はいっぱしの読書家になっていた。最早教えを請わずとも、本屋を回り、タイトルを眺め、新たに開拓することができるようになっていた。けれど、書くスピードの方が確実に遅く、読む本はいずれ尽きるのではないか、という思いが頭に時折浮かぶようになったのもこの頃だった。
そんな思いを裏切って、高専に進学した私は新しい世界を知った。ライトノベルというその手付かずの場は、まだまだ広く私の前に残っていたのだ。コバルト,電撃,スニーカー,ビーンズ,ホワイトハート,デュアル,富士見……毎日学校帰りに本屋で一冊読破する、という本屋に迷惑な習慣を身につけたのはこの時で、毎月いっぱい買ってるのだからいいではないか、と自分の中で言い訳していたような気がする。当時バイト代は半分近く本代に消え、年間30万に届こうという勢いだった。今思えばあれが最後の、輝かしい読書の思い出だ。銀河英雄伝説を一気読みして泣いたことも、グインサーガを一週間で既刊読破し、読む時間と巻数が反比例していることを嘆いたことも、銀の海金の大地を捜し求めて古本屋を回ったことも、本当に懐かしく幸せだったと思う。
今ではもう、好きな作家の新刊と一部の賞の受賞作品をチェックするだけで、何も新たに開拓しなくなった。開拓する余地も、なくなってしまったように感じる。今でも本は変わらず楽しく、面白いもののままだ。それでも全てをかけてのめりこむような読書はできなくなってしまった。
まだ海外作品と古典が残っている、そう思うこともあるけれど。それに手を出すのは隠居生活に入ってからになりそうだ。
光が見れてエキサイティングとかいってる時点で被爆してるだろw
と、それなりの装置がつくれるようじゃないから、そこまでアレな学生とは思えないけど、
記事があまりにもバカくさい。
実際は少年はプラズマあたりを発生させる実験に成功しただけで、
電子遊離やら重合あたりを説明しようとしてフュージョンって単語をつかっちゃって、
それを聞いた人にはなんのことかわからないがそれは核融合なのか!!?
ということになり、なんかめんどくさくなって、そーそーそー、となって、
そんな匂いがするよ。
核融合をしたいだけなら材料さえあれば高校生でもできるんじゃないか?
だって北朝鮮だってできるんだよ?
関係ないけど、アリニール・セルカンが子供の頃タイムマシンの実験に成功した!っていうエピソードと似てるね。
追記:
華氏をファラデー温度とか書いて、あれ??と思って後から調べた。
ファーレンハイト度なのね・・・。
世の中難しい。