はてなキーワード: 秘密の花園とは
どこにも吐き出せないからせめてここにだけ書き残させて。
夢の内容は
「高校時代の友人と数年ぶりに会って現在の自分の生活や高校生活を振り返りながら談笑する」という字面だけ見れば何ら恐ろしい要素は無い他愛のない夢だった。
その友人との関係性を加味しなければの話だが。
元々面識はなかったが、高2の新学期コロナによる数ヶ月にわたる臨時休校の狭間で行われたクラス替えで同じクラスになり自己紹介で私が「趣味は読書で◯◯◯◯◯と◯◯◯◯が好きです」と言ったのがきっかけで仲良くなった。
自己紹介が終わって自由に席移動して気になる人と話していい時間になった時、私は元々友達が少ないためクラス内に友達がいないこと、そして他人に執着しない性格だったこともあり手持ちの本を読んでやり過ごそうとした。
すると、「ねえ、◯◯◯◯◯好きってホント?わたしも好きなんだ〜」とみらいが話しかけてきた。
第一印象は「綺麗だな」だった。
二重まぶたに通った鼻筋、光を湛える黒目がちの瞳、細く白い腕、赤い唇。
どこをとっても絵に書いたような美少女だ。
◯◯◯◯◯は私達の世代が好んで読むような作家ではないので本物の読書家だということは問わずとも明らかだった。
その後時間の許す限り◯◯◯◯◯や他の好きなこと、部活などの話をした。
その日の下校の時にはどちらともなく先生の目を盗んで校内でスマホの電源をつけ、LINEを交換するほど意気投合していた。
その日からは臨時休校で暇を持て余していたこともありほぼ毎日のようにLINEでいろいろな話をした。
初めて話したときからなんとなく感じていたが、みらいは私と思考パターンが似ていた。
そして学力もほぼ差が無かった。
得意な教科の話になったとき時、二人とも同じ教科を挙げた。
その教科は私が1年の間たった1度だけ1位を名も知らぬ誰かに明け渡してしまった教科だった。
まさかと思いながら「もしかして1位取ったことある?」と返信した。
すると、「もしかしてずっと1位だったの◯◯(増田の下の名前)だったの!?私、1回だけ1位取ったことあってその回以外はずっと2位だったの!」と返ってきた。
こんなことってあるのかと思った。
それと同時に彼女のは切磋琢磨しあえる良い関係になる予感がした。
それとともに私の中には負の感情が巣食いはじめた
初めて遠隔ではない担任の授業を受け、二人で談笑しながら教室へ向かっていると、担任から話しかけられた。
「増田に新川(みらいの苗字)(仮名)!お前ら1年の頃から同じクラスだったのか?」
担任にはそれぐらい仲がよく見えたのだろう。
「違いますよ〜!担任なら前のクラスぐらい把握しておくのが筋ってもんじゃないですか〜?」
とみらいが軽口を叩いているのを横目に見ながら私は内心嬉しくて堪らなかった。
こんな美少女と対等な友人関係を築けていることが他人の目から見ても明らかなこと、私はその事実に歓喜した。
その日、授業が終わると担任がロッカーを整理しているみらいの所へ向かうのが見えた。
その数秒後、廊下から二人の笑い声が聴こえてきて、今度は私のもとに担任がやってきた。
「ごめん。新川を増田だと勘違いして声かけちゃった。だってお前ら背丈といい雰囲気といいなんか似すぎなんだよ。」
だった。
信じられなかった。あの美少女を私だと見間違えるなんて。
それなのに見間違えるなんて許せない、彼女の美に対する冒涜だとさえ感じた。
きっと委員会の連絡か何がだったとは思うが、担任のその後の言葉が頭に入ってこないほどの衝撃だった。
担任と会話したあとチャイムがなったので自分の席に戻るともう一度さっきのことについて思索を巡らした。
そこで私は気付いてしまった。
私がおかしいということに。
普通の人間なら心の中で喜ぶべきことを私は赦されないことだと感じて、しかも怒りさえも感じた。
どう考えてもおかしい。
他人に執着しないはずの私が、彼女には彼女に対しては何故かこんなに心を掻き乱されている。
もう手遅れだった。
その頃にはもう彼女への、そして彼女の美に対する感情はもはや信仰の域に達していたことを、その時ようやくわからされた。
休み時間になると彼女の方から私の所へやってくるのが当たり前だった。
その美しさや性格から友達は多いが、その数多くの友達の中で私のことを選んでくれた。
それが私にとっては至上の喜びだった。
クラスメイトが
みらいは
「まぁね〜」と当たり前だとばかりに返答していた。
そんな彼女の自己肯定感の高さがこの上なく好きで、でもそんな彼女が眩しかった。
彼女が他のクラスメイトの「かわいい」と言われる時、私はいつも息苦しかった。
当たり前だ。わかってる。私が彼女より醜い事は私自身が誰よりも知っている。
決して表には出さなかったが称賛を全てほしいままにしている彼女が横にいると気が滅入ることも多々あった。
それでも私は彼女と一緒にいた。
二人でいる時だけは、その美しい瞳に私以外は映らないから。
もちろん全ての行動を共にした。
一日目は某県の某資料館へ2学年全員で向かった。
手が触れたのを契機に、どちらともなくお互いに指を絡めて相手の震えを感じながら暗い館内を歩いた。
私は手汗が出やすい体質なので1度手を解こうとしたが、
「怖いから話さないで」と小声で訴えられたので逆らえるわけもなく結局出口までそのまま向かった。
私がお土産を見繕っていると、みらいが
「ねえ、◯◯こういうの好きでしょ?」といきなり声をかけてきた。
彼女の指差す先には、色とりどりの硝子でできた美しいエジプト香水瓶(中は空)があった。
凄く綺麗……とつぶやくと
「全部一点ものらしいよ!せっかくだからお揃いで買おうよ!」とみらいはもう買う気満々でその手の中には桜色の香水瓶が収まっていた。
私は彼女のそれとデザインの一部がよく似た空色の香水瓶を選び二人でレジへ向かった。
なかなか量が多く、少食気味なみらいは食べきることができるのかと心配になったのでそれとなく隣にいる彼女を見やるともう限界という顔をしていた。
「これとこれ食べれる?」と言ってきたので有り難く拝借した。
それで終わると思いきや、デザートでミニケーキの二種盛りがやってきた。
私はぺろりと平らげたが、彼女はどうしても最後の一つが食べられないようだった。
そして
「ごめん。これ食べれる?」と聞いてきた。
私はうんと言おうとしたが、
私の食器やフォークはつい先程席を巡回しているホテルの方に回収されてしまったので食べる術がない。
手で食べるのははしたないしと逡巡していると
「はい、あ〜ん」
同じテーブルの生徒の視線が彼女の手と私の顔に集まり、恥ずかしさで頬に熱が走るのを感じた。
いつまでもこのままではいられないと思い、覚悟を決めて顔を近づけ、食べた。
修学旅行でそんなことが起こったため、その後の学校生活ではクラスメイトに彼女との仲をからかわれることも増えた。
「なんかみらいちゃんと増田さんって二人だけの世界?っていうか独特な空気感あるよね〜」と言われたりなんかもした。
今まではそう感じたことは無かったがあの修学旅行を経ると確かにと思う自分も居た。
その関係に心地よさを感じる一方、今振り返ればどこか嫌悪感があった。
念のため言っておくと、私は普通の女だ。
小中学生の頃は普通に男子と付き合っていたし、好きになるのはいつも男だった。
でも共学は嫌いだった。共学の女が嫌いだった。
あらぬ噂を立てて私と彼氏を引き離そうとする、そういう汚い女が大嫌いだった。
「女子校は本当に生きやすい。男がいないとそういう争いとかもないし。」と聞いていたのもあり必死に勉強して女子校に入学した。
秘密の花園なんてのは空想だけれど、進学校だったこともあり皆自分が一番大切だから自然と無駄な争いを避けるようになっていたから本当に生きやすかった。
今思い返すとというより当時から薄々感じていたが、みらいはボディータッチが多かった。
1日に少なくとも2回以上はハグしてくるし、堂々と人前で手は繋ぐし、とにかく距離感がおかしい。
最初こそ戸惑っていた私も仲良くなるにつれて気にしなくなってきたものの、時折嫌悪感に近いものを感じることさえあった。
でも、やめてとは言えなかった。
2年の3学期になって3年生0学期なんていう進学校あるあるワードが教師の口から出始める中、彼女との関係が変わった(と増田が勝手に思っている)出来事が起こった。
その前の記述模試から国数英3教科に加えて理社科目が追加された。
2年最後だしここで一つ頑張ってあの教科でみらいに勝ちたいと密かに思っていた。
毎晩負けまいと勉強して迎えた本番。
習っていない範囲もあったが自分で勉強してカバーした分自身はあった。
3月、結果が出た。
私はその教科で全国一桁の順位を取った。
模試の順位は掲示されるので早速見ると、みらいは私のすぐ下の段にいた。
私は勝ったと思う前に彼女の不調が気になった。
トイレに行っていたみらいがこちらに来て順位が張り出された紙を見ると
「やっぱり◯◯はすごいよ、」と一言言って自分の席に戻っていった。
その日は話しかけてもどこか上の空だった。
次の日、彼女は休んだ。
心配で休み時間隠れてスマホを起動させ、LINEを開いてメッセージを送った
すると数分後
こんな時まで謝ってくるのが彼女らしいなとその時は思った。
次の日予告通り彼女は帰ってきたが、いつものボディータッチは無いしなんだかひどく静かだった。
結局2年の終業式の日まで彼女はずっとそんな感じだった。
3年になるとクラスが離れた。
前はあんなに同じクラスがいいと思っていたのに、最近の彼女の煮えきらない態度をあまり好ましく思っていなかったので実際の所は
嬉しさ7割悲しみ3割といったところだった。
しかしその思いはすぐ覆された。
一つがクラスメイトの私に対する反応だった。
2年の時みらいと私ともう一人のクラスメイトの3人でたまに会話することがあった。
3年に進級してそのクラスメイトとはまた同じクラスになったので声をかけると
素っ気無いそぶりですぐ別の友達の所へ向かっていった。
そこで私は気付いてしまった。
結局私は彼女が隣りにいなければ価値のない、何も特別なところなどない人間だと。
みらいとはクラスが2つ離れていたため頻繁には話すことは無かったが、たまに会話するとそれはそれは惨めな気持ちになった。
私にとっての彼女はたった一人の心を許せる友人だった。
けれど彼女にとっては大勢の友達の中の一人でしか無いという事実に串刺しにされる気持ちだった。
私にはポテンシャルがあることを教えてくれた。
それだけに縋って、今までの人生でやったことのないぐらい死ぬ気で勉強した。
その成果は存外早く出て6月の模試では早速学年1位に躍り出た。
この結果には教師陣も驚いたのか露骨におだててくるようになった。
それをあしらいながら只管勉強した。
7月、もう何ヶ月もLINEなんて送ってこなかったのにみらいから急に連絡が来た。
良かったらうちの部室くる?」という内容だった。
3年に入ってからは画塾にも通い始めたと聞いた。
彼女には夏休み中特別に部室の一角を占領する権利を顧問からもらったらしい。
私はその誘いにあっさり乗った。
彼女と実質二人だけで過ごせる時間をみすみす手放す訳がなかった。
夏休み、みらいの部活の日はみらいの部室で、それ以外の学校開放日はひたすら教室と図書館で勉強をする日々が始まった。
部室ではみらいが自分の背丈ほどの大きさのキャンパスにひたすら油性絵の具を塗りたくっていた。
正直油性絵の具の匂いは苦手だったが、みらいと同じ空間にいる方が大切なので我慢した。
他愛のない話をしながら、彼女は絵を、私は過去問をそれぞれ仕上げていった。
そんな夏が終わると、また連絡を取る回数が減った。
それもそのはず、彼女は推薦と一般で美大を受験するため、画塾に通うだけでなく面接の練習なども必要になったからだ。
私はただ勉強していった。
この頃には志望校の偏差値を大幅に上回る成績を取れるようになってきた。
冬がやってきた。
そんなことを思いながら夜食で出されたホールケーキの残りを頬張りながら勉強していると突然LINE電話がかかってきた。
みらいだ。
修学旅行でまわったとこ、また二人で全部回ろう」
みらいは電話越しにそう言った。
私が
と言うと
突然そんな提案をしてきたのには驚いたが、その約束は私を鼓舞した。
かつて無い手応えを感じた。
自己採点をするとこれまで取ったことのないほどの高得点だった。
みらいは家の都合で国公立しか受けられないと言っていたから3月にならないと結果は出ない。
式が終わってもみらいの元へ向かった
「◯◯、待ってた」
そう彼女は言った。
「写真撮りたい」
自分の顔面に自信が無い私はせっかくだから二人で映ろうよと言って彼女のスマホを借りてツーショを撮った。
案外あっさりした別れだった。
そのときはそれでいいと思っていた。
その日、LINEで彼女のスマホで撮った写真が送られてきたのを最後、彼女からLINEが送られてくることは無かった。
彼女の志望校の合格発表日が過ぎても連絡が来なかったので、私はある決意をした。
整形をする決意を。
幼い頃から親に「醜い顔で産んだから整形代は出すよ。ただし、高校を卒業したらね」と言われていた。
今こそその時だと思い、すぐカウンセリングの予約をし、施術プランと日程も決まった。
私の思い一重は施術とダウンタイムを経て左右差のない整った二重になった。
私は私で上京したので新しい暮らしと新しい環境に慣れるので精一杯でみらいに連絡している時間もなかった。
「かわいい」なんて言われるようにもなった。
やっぱり美は正義だなと感じた。
前期は友達と遊んだりテストやレポートと格闘している間に過ぎ去っていった
夏休みも終わりに差し掛かった頃、ふとみらいのことを思い出した。
数時間後、数日後、数週間後。
待てども待てども返信が来ない。
それどころか未読無視をされている。
プロフィール画像などは変更されているからLINEを見ていない訳では無いだろうに。
しかし私は今でもふとした瞬間にかつての彼女を思い出してしまう。
いつだっただろうか。
私とみらいはあの時担任が言ったように本当に瓜二つだと初めて気付いたのは。
卒業式の後、送られてきた彼女と一緒に写った写真をまじまじと見てみると
私と彼女は鼻の高さ、形、口の大きさ、頭蓋の形が本当によく似ていた。
そう、違っていたのは目だけだった。
私が二重に整形したことで、私の目はぱっちりと開くようになり、彼女の瞳の形そのものになっていた。
今の彼女はどんな顔をしているのだろう。きっと美しさが増しているだろう。
今日見た夢は
みらいと数年越しに会って食事なんかしながら
近況や今までのこと、あの時はお互いをどう思っていたかについて話し合う夢だった。
美しいのは相変わらずだなぁなんて彼女を見つめていると、
「◯◯、整形したの?良いじゃん似合ってるよ」なんて言ってきた。
本当に彼女らしいなんて思っているとアラームの音で現実に引き戻された。
起きて夢かぁと思いながら十数ヶ月ぶりに彼女のLINEを開いたがやはり既読はついていない。
午後、用事を済ませて家に帰って来ると既読がつくはずないのになんとなくまたみらいのLINEを開きたくなった。
その衝動のまま、トーク画面を開き、自分の送ったメッセージを目で追う
「みらい!最近どう?元気?」
見慣れたそのメッセージの上に目を向けると、そこにはそのメッセージを送った日付が表示されていた。
それを見て息を呑んだ。
そこに表示されていたのは
「1年前の今日の日付」だった。
こんなに都合のいいタイミングで夢に出てくるほど彼女の幻影をいつまでも追いかけている自分が心底恐ろしい。
という話。
失敗談である。緊張で勃たなかったとかそういうのではないが個人心情的には失敗談である。
ひょんなことから突然1日暇ができ、何をするか悩んでたところに友人に誘われた。
人生で彼女というものは出来たことはある。がしかし、恥ずかしながらいろんなことが重なり性行為まで及んだことがない。
これまで風俗体験というものはほぼ無いに等しい。一度おっぱぶに強制的に連行されたくらいか。
連行されたときは、この行為をするために〇円・・・おいしいものを食べたほうが良いじゃん・・・などと思ったものだ。
そんな考えをしているからなのか上記に書いた通り彼女はいたが女性との性的経験は皆無。
これまで何度か風俗店を利用しようと考えたこともあったが、シコればその気持ちも薄まるので一時の気の迷いと思っていたものだ。
さて、行くことが決まり当日緊張で勃たないなんてことはあってはいけないと思い善は急げとコンビニへ駆け込み精力剤を購入。前日に飲み錠剤の精力剤を飲み、当日はドリンク系の精力剤を飲む。
驚くことにこれが大変効果があった。プラシーボの可能性もあるが私にはこれで十分効果があったのだ。
ソープランドに到着するとまずは女の子を選べとのこと。パネルマジックという言葉は聞いたことがあったので顔では決めずスタイルで決めることにした。
さて、次は時間を選べとのことだ。といっても何もかもが初めて尽くし。時間などわからずとりあえず1時間でいいかと60分を選ぶ。本当に60分で良かったのか。果たして60分で満足できるのだろうか。そんなことが頭を駆け巡りながら待合室で流れていたメジャーオールスターの大谷翔平のピッチングを見ながらこんなことを検索してしまった。
初心者は緊張しすぎてイケない可能性があるので長めにしておいた方が良いという情報を見つけてしまった。そこで席を立ちあがり受付の人に時間を延ばせるかどうかを確認した。どうやら問題ないようだ。
これで失敗しないで済む。私はそんなことを思いながらウキウキで待合室に戻った。しかしこの選択は失敗だったのだ。いや、別の視点でいえば成功だったのかもしれないがここはソープランド。お風呂に入っていたら女性と恋に落ちSEXをしてしまう場所なのだ。そういった意味では失敗だっただろう。この時はそんなことなど知る由もなかった・・・。
さて、受付番号が呼ばれエレベーターに乗る。
エレベーターを出るとそこに女の子がいた。なんと驚くかな、我々は恋に落ちてしまったのだ。まずは体を清めるためにお風呂がある部屋に案内される。ちなみに余談だが顔はパネルとは程遠い。とはいってもかわいくないといえばウソになる。が、顔で選んでいたら間違いなくがっかりしていただろう。
軽く雑談をしシャワーを浴びながら体の隅々を洗われる。何とも新しい感覚だ。この時私は緊張していたので気の利いたことが何も言えず童貞らしさを最大限に発揮し肌がきれいですねなどと言葉を発してしまった。しかし嬢はまんざらでもないようだ。いや、今考えると演技だったのかもしれない。しかし童貞である私はそれに満足してしまっていた。
隅々まできれいになった後は浴槽に入り雑談。おしりに息子があたり気持ちが良い。というか女性の体はとても柔らかい。本当に同じ生き物なのだろうか。
後になって知ったが、本来ならここで潜望鏡というプレイがあるらしいがそんなことを知っているわけもなく浴槽を出ることになった。お願いしたらよかった。
浴槽から出て体を拭くとマットプレイをするかベッドプレイをするかを問われる。マットプレイも興味があったが今日はSEXだ。迷わずベッドプレイを選択。嬢のスイッチが入った。
突然ドエロオーラを出しながら抱き着いてきたのである。そして放たれた神の一言「乳首舐めて」である。いかん、これは童貞には刺激が強すぎる。と思ったのもつかの間。気が付いたら私は胸をなめていた。不思議なものだ。人は生まれながらにして母の乳房をなめる。ほとんどの人はそのことを覚えていないだろう。しかしこの時ばかりは乳には抗えないという事を思い出した。人は皆乳房に惹かれてしまうのである。
ある程度エロい雰囲気にも慣れてきたところでそろそろベッドに横になりましょうという案内が。この時の残り時間は30分ほどである。えっもうそんなに時間たったの!?と驚いた。(後になって聞いたが実はもう+10分あったらしい)
ベッドに横になり嬢が上に載ってきたところで脳裏にあることが浮かぶ。シックスナインやってみたさあるな・・・人生で1回くらいは経験しときたいな・・・30分あるしちょっと聞いてみるか・・・
シックスナインやってみたいんですけど と提案すると若干引かれたような気もするが快く受け入れてくれた。
これが失敗だった。女性経験があまりにもなさ過ぎる私には刺激的すぎたのだ。
上に覆いかぶさるように。すると目の前に女性の秘密の花園が広がる。すごい眺めだ。なるほど、世の中のヤリチンたちはこの眺めを何度も体験しているわけか。などと思っていると私の息子から謎の快感が襲ってくる。
そう、フェラチオされているのである。未曽有の快感に気持ちの悪い声を出してしまったが、嬢がこんなに頑張ってくれているのだ、こちらからもと思い私はクンニリグスを決行する。
想像していたより柔らかい、味も無味。若干ヌルっと指定がこれは果たしてローションなのか愛液なのか。童貞の私には見当もつかない。というか女性経験もないのになぜ今まで想像していたのか不思議だ。しかしそんな虚像とも今日でおさらば。これからは実像を想像できてしまうのである。男の階段を一つ上ってしまった。そんなことを思うことおよそ3分。突然息子が爆発寸前に。膣内を経験していないのも関わらずである。
まずい!出てしまう!ああああ!ビュルルル
なんと情けない事か。膣内を経験する前に出してしまったのだ。嗚呼・・・人生とはなんと無常なのか・・・これが女性経験のない男の末路なのか・・・
その後10分経てど20分経てど私の息子は満足してしまったかのように静寂を保っていた。
何故60分から時間を延ばしたのだろうか。時間を延ばしていなければシックスナインなんて提案しなかったのに。
何故出してしまったのだろうか。射精感覚が迫ってきていることはわかっているはずなのになぜそのことを伝えなかったのか。
何故再度勃足せることができなかったのだろうか。もう少し積極的に誘っても良かったのではないだろうか・
そんな後悔の念が頭の中をぐるぐる回っている。
もう・・・ソープランドには・・・いかない・・・そんな29の夏なのであった。
もし仮に次行くなら大阪か兵庫のなんとか新地とやらに行ってみることにしよう。そこならば失敗しないだろう。何をもって成功なのか自分の中ではわからないがおそらく性交を以って成功なのだろう。
サンダーロードが広がっている
そこには秘密の花園もあって
お子様には刺激的だけど
大人にとっては野暮ったい
カレーの中辛
サンタクロースは何者?
着ぐるみの中身もそーよ
大人は知らないふりをする
だけど
その刺激が誰にとって
どれくらい良いもので
どれくらい悪いものかなんて
本当のところは誰も把握してない
共有できもしない前提で覆う
子供を礎にして整備するの
知るべきか知らないべきか
だけど魔法少女の正体は
大人すら知らないようだった
そりゃもー興味津々よ
だから正体を突き止めようと
仲間たちと調査に乗り出したの
……あーそうね
仲間の話もしておこうかしら
ヒトは一人では生きていけない
仲間ってのは大事
言っとくけど
惚れた腫れたって話じゃないわ
恋愛モノの見すぎよ
わたしも嫌いじゃないけど
なんなら好物だけど
今そーいう話をしてんじゃないの
価値観の違いはあっても
何かあれば助け合う
利害の一致だけじゃなく
行動と魂で繋がる関係性
そーいうのが仲間なの
ブクマコメントと返信、ありがとう。 もともとこの疑問は「なんで日本人は赤毛のアンがそんなに好きなんだ?」って疑問に答えようとしたときにふと浮かんだ疑問だったんだ。
実際古くさいとか言われようと、赤毛のアンってカナダ人がドン引きするくらい日本人に人気で、今はそうでもないんだろうけどいつもはこの時期プリンスエドワード島は日本人の観光客であふれかえるらしい。
あと、念の為に書いておくと、どっちの作品も小学生くらいから読めるようやさしくした本は出ているけれど、別に子供向けじゃない。とはいえ「子供でも読める」は三大に入れるには必須かなと思ってた。当然、近所の図書館に置いてあることも重要だと思う。
それにしても、ファンタジーが山盛りでお勧めされるのはちょっと意外だった。挙げた2冊、どっちもファンタジーじゃなかったから。ハリーポッターのおかげでイギリスのボーディングスクールが海外展開に大成功したし、長くつ下のピッピだってやってることや起きていることそのものがファンタジーじゃないかと思うくらいに突飛だったりするし、ファンタジーと現実の境目は意外とわからないものだけど、今回はファンタジーは外したいなと思った。「不思議の国のアリス」「モモ」「ムーミン」「星の王子さま」「ハリーポッター」あたりは今回はごめんなさいだ。
そうすると残るのは「大草原の小さな家」「嵐が丘」「高慢と偏見」「あしながおじさん」「風と共に去りぬ」「秘密の花園」「小公女」あたりか(ほかにもいっぱい挙げてもらってる)。
そして、改めて題名を言われてみて初めて、随分昔に交際してた(と断言できるほど深い交際ではない)友達から「嵐が丘」の現地報告絵葉書もらったこと、思い出した。自分にとって「ヒースクリフ」は性格の悪いアメリカンなマンガ猫のことだったから、何書いてるのかさっぱりわからなかったんだ。そんないやなトラウマを思い出したので3つめは「嵐が丘」ということにしておきたい。
もちろんこれは自分の中で完結する話だし、最初の疑問への回答に「3大日本女性が好む海外文学」なんて書くつもりもないので、各自好きなように候補を入れ替えたりして3大を決めてほしい。もちろんそっちにはファンタジーが入っていても全然かまわない。
うおー詳しい増田だ!そうそう、ゾロリ以外にズッコケがあったはずなんだけど読んでないので思い出せなかった
自身に照らし合わせて思い出してみれば
小学校のころはルパン(ポプラ社のアレ)、海外SF、ノンフィクションを主に読んでた
祖父の家にあった辞書みたいな少年少女文学大全の青い鳥やくるみ割り人形の幻想的な描写、
秘密の花園や小公子のハッピーで優しい物語に感動したものだった
江戸川乱歩の少年探偵団は何冊か読んだが全部犯人が二十面相なのでガッカリした
逆に大人向けな読み物じだわ。二十歳過ぎてから面白さが分かった
中二の時に図書室にあった美しい表紙絵に惹かれて
スニーカー文庫の某ギャグファンタジー小説を読んで大変にショックだった
面白くて楽しいというのを第一に物語を書いていいんだ!みたいな…
そういや小-中学校のころにコバルト文庫の少女小説読んでたくせにな
これも大変ショックを受けた
そっからは筒井康隆、山田風太郎、大槻ケンヂ、平山夢明と分かりやすい路線まっしぐらじゃよフォフォフォ…
windows。そのライセンス認証の向こう側には日の巨人MSの用意した秘密の花園があるという。
MSへのお布施を納めればそのスイートな世界でビジネスは円滑に進むという。
私は計算機が好きだ。
MSDN?で俺が公開したりギッハブに上げた大規模というよりマルチマシンなアプリは誰が使ってくれるんだ?
確かに正直だ。でも正直すぎるんだ。
俺が知りたいのはそこじゃない。ほらもっと簡単に〜って初心者相手すぎるのも困るんだよ。
ある一点においては感謝している。
Linuxの動くマシンをまともな互換性で安価に提供される市場を構築、維持してくれている点だ。
まあ、それもChromeBookなんかが天下を取れば用がなくなるのかもしれないが
とにかく敷居が高い。入ってもよくわからない。なんだろう情報量がMSのガチ情報しかない。
知りたいことを知るためには、そのガチの世界を、スマートなMS社員が書いた、これぐらい知ってるよね?
って感じの文章か、プロプラ独特の弊社の責任範囲はここまでですがなにか?の足切り情報ばかりだ。
で、さらにMSの独特な世界観を表す用語を理解しなくちゃいけない。
バグ票バンバン切られるイシューのようなOSSの用語で語ってくれるフレンズもいない。
辛い。
最近のTVアニメは円盤(DVD/BD)で作画修正しすぎだと思う。
「作画修正するくらいなら最初からちゃんとしたの作れよ!」って主張がしたいんじゃない。
多少作画崩れてても、TVアニメなんだから仕方ない部分があるし、むしろそこがTVアニメの味なところだよねってことが言いたい。
たとえばはいふりは円盤でものすごく作画修正してる。(はいふりのダイマ)
艦橋内のテレグラフやジャイロコンパスの位置がおかしかったから直す、とかは確かに分かる。
でも、人物の作画をあそこまで執拗に修正する必要があったかどうかは疑問なのだ。
もちろん修正後の方がキャラクターデザインとしても正しく、バランスが取れたものになっている。
だが、4話のココちゃんの一人芝居シーンや7話でクロちゃんが秘密の花園に塩水直撃して「ウヒィ!」ってなる場面は修正前の方が程よく崩れていて好きだった。
はいふりはキャラクター商売を中心にビジネス展開を考えている作品だろうから、キャラクター作画が重要なのは分かるのだが・・・
なんかこう・・・整えすぎなのだ。別にTVアニメなんだし多少崩れていても別にいいと思うのだ。
それに、作画修正しようがしまいが、買う奴は買うし、買わない奴は買わないと思うのだ。
そこにお金をかけるより、別のところに使ってほしい。
以前呼んだデリヘル嬢がけっこう可愛くて、アナルをチェックしてみたらあったんだよな。
広げたら臭いし、ほじったら指にうんこ付くし。あんなに可愛いのに。
でも、あの子のものじゃない。あれは男の汚いケツの穴を移植したに違いない。
可愛い女の子のアナルは、まとめてアナル界という場所に保管されているのだ。
だから、可愛い女の子のアナルはアナル界にあって、ケツには付いてないんだ。
常に可愛い女の子たちのアナルで渦巻いている天国のような場所だ。
そこはもう穴だらけ。うんこはまとめて排泄される。
でも、そこにいけるのはアナル神に認められた可愛い女の子だけなんだ。
アナル界とはいわば秘密の花園、大奥のような近づきがたい場所なんだ。
ネタばれありますよーご注意ください!
じゃ、順番にいくよー
当り前だけどさ、人にものを借りたら、どんな形でもいいから返そうよ。違うのかな。
返さないんだったらさ、人間あっての生活なんだしさ、当然さ、質素に生きろよ。
じゃなきゃ、スピラー的な狩り暮らししようぜ。
スピラーが折角くれようとした、カエルの足見て、気色悪くなってるようなさ、動物としての本来の生き方放棄した、仮ぐらしなんて止めよう!
今回はさ、、宮崎アニメと違って魔法とかなくて人間離れしすぎないお話だよね。
だれかが言ってたけど、アニメって2通りあって、
屋根から落ちたら死ぬタイプのアニメと、死なないタイプのアニメがあるじゃん。前者はサザエさんで、後者は攻殻機動隊とかさ。
この物語は前者だよね。
だから、リアル世界での位置づけって言うか、食物連鎖ピラミッドのどこにアリエッティたちが位置づけされるか、気になっちゃったよ。
人間>たぬき、ねこ>からす>ねずみ、カエル、ごきぶり>アリエッティ>こおろぎ、だんごむし、あり
こんな感じ?
こおろぎとか、だんごむし、群れたアリって結構、貪欲で凶暴だから気を付けた方がいいよ。
ちょっと、俺の話で申し訳ないけどさ、
ちいさいころ、「だれも知らない小さな国」っていうコロボックル(小人)が出てくる本が好きだったの。
人間との共存の難しさとか自然の怖さが描かれててさ、今回も勝手にそんな感じだと思ってたから、
やっぱり捕食関係がぜんぜん描かれていないことに気になったよ。
「君たちは滅びゆく種族なんだよ。君はこの世界にどのくらいの人間がいるか知ってる?67億人だよ」
これはさ、生物多様性の話じゃないよ。
ま、ヤンデレな翔くんだから、ついつい自分より弱い存在に対して、ひどいこと言ってしまったのはわかる。
でもさ、そこで突然「オレ、心臓悪いんだ」っていうオレかわいそうな奴発言は、浅ましくない?
「君はぼくの心臓の一部だ」
あのさ、アリエッティの逞しさ、ほんとに伝わったてたのかな。突然出てきた、その言葉だけじゃわからないんだ。
翔くんの大きな手で、いきなりアリエッティ家のリフォーム始めたよね。
やっぱり、リフォームは、キッチンからなんだ!
あの欲深いというか、あざといママエッティに、「ここが地獄かあああ」って形相にさせるとはね。
親切心が裏目に出ちゃっただけなんだよね、ドールハウス、美しいから。
小人さんにとっては、テラフォームくらいの勢いの、恐怖を与える想像力はあったと思うんだ。
それに、翔くんは知らないかもしれないけど、もともとのキッチン、なかなか使い勝手も良く綺麗で良かったんだ。
リフォームの必要性なかったよね。
とりあえず、脱出はしたし、新しい世界がはじまるんだよね。
でもさ、また、この家であったことと同じこと繰り返すよ。
だって、ただ逃げただけでしょ?
ぜんぜん成長してないじゃん。ママエッティも、パパエッティも。
アリエッティなんかはさ、かなり前向きな女の子だから成長要素なかったじゃん。
アリエッティの軽やかに飛び回る姿、ホッチキスの針の階段、水滴の質感、小人さんの生活を楽しんでみて!という描写がアニメならではで、素晴らしかったよ
ここまで読んでくれてありがとう、まあさ、キャラを掘り下げられなかっただけなんだろうなってのが感想。
鈴木敏夫が言ってた3つのキーワード「静かで、ひっそり、そして質素に」の正反対だった。
あざとく、あさましく、そして浅い
それなんてToらぶ(ry
「いつか成長するんだもん」はデフォ。
詳しいことはよなかのとりさんのおっぱい効果音inネギま!あたりをどうぞ。
おっぱーいを大きくしったいっなら揉みー揉みー。ネタが古すぎるか?
それなんてちゅーぶ(ry
湯 気 が 邪 魔 だ !
とりあえずもうちょっとでかいサイズの服を買え。
巨乳キャラと比べればサービスがいいよね。やっぱデカチチはけしからん。
そのままむにゅむにゅタイムに突入(成年コミックならギシギシアンアンタイム?)。
バカにならない額のお金が無駄になってそうで女の子には悪い気がするけど、まあ妄想ですから。
以上、いまだに18禁のものを買えないヘタレ19歳がお送りしました。
私が本にのめり込むきっかけとなったのは、小学二年生の時に親から買い与えられた江戸川乱歩だった。題名は覚えていないのだが、怪人二十面相シリーズのどれかだったと思う。それまで童話やゲームブックしか読んでいなかった私は、たちまちその"はじめての小説"に夢中になった。何度も読み返し、本屋に行くたびにシリーズをねだり、次々と読破していった。読書欲、を感じた最初の瞬間だった。初めて自分のおこづかいで買った小説は「三角館の恐怖」で、この本に関しては購入した店も、そのシチュエーションも、はっきりと覚えている。あの頃は今よりももっと、本は輝いていて、私にとって尽きぬ宝の山のようだった。
やがて江戸川乱歩の子ども向けに出ているシリーズを制覇した私は、買い間違えたことをきっかけに、よく似た装丁のアルセーヌ・ルパンシリーズにも手を出した。「奇巌城」「813の謎」……ルパンの冒険と謎に胸をおどらせることの幸せだったこと。読み終わった私は、今度は祖父母に世界文学全集をねだった。この頃にはもう、両親よりも祖父母にねだる方が勝率が高いことを、私は理解していた。手に入れた全集は分厚く、何冊も連なり、私はそれをむさぼるように読んだ。私はそこにある本を読まずにとっておくことや、ゆっくりと何回にも分けて読む、ということの出来ない人間だった。覚えたての読書の味は熱病のように私をとりこにしていて、憑かれたように全集に没頭した。「海底二万マイル」「秘密の花園」「小公女」「黄金虫」……めくるめく世界は、まだまだ幼かった私の前にどこまでも広がっていた。
そうして、三年生になる頃には親はもうあまり本を買ってくれなくなった。その代わりに、図書室があるじゃないか、と私に言った。図書室に入り浸ることを覚えたのはこの頃だったと思う。毎日、給食を終えるなり図書室に駆け込んだ。読書に熱中するあまり、本棚の影で授業が始まっていることにも気づかず本を読み耽ったのが、私が始めて授業をさぼった思い出だ。その調子で図書室を開拓し、私は年間で20枚以上の図書カードを消費し、登下校の最中も歩きながら本を読んでいることで先生に怒られ、一年と少しが過ぎる頃には図書室の本は大体読んだと豪語するまでに至った。
それでもまだ読む本を貪欲に求めた私は、父親に面白い本を尋ねた。本の世界はあまりにも広く私の前に広がっていて、私はまだ、指針がなくては進むべき方向が分らなかった。父は私に「ロビンソンクルーソー」を勧め、それを私が気に入ったとみるや、次々に本を教えてくれた。これは後に私が入り浸ることになる図書館のものだったが、この時の私はまだ図書館を知らなかった。「二年間の休暇」「トムソーヤの冒険」「月面旅行」「地底探検」、冒険もの、漂流モノにはまったのがこの頃だった。
五年生になって、私には新しい友人が一人増えた。彼の影響を受けて、私は今度はSFの世界にのめりこむことになった。タイムマシンものよりも、謎のウイルスの話、宇宙人よりも、突然変異体が暴れまわる話が好きだった私を、彼が笑っていたことを覚えている。最も印象に残っているのは植物が突然人を襲い始める話で、何故か最後の部分だけ落丁していて読むことができなかった。そのせいで今でも覚えている。
六年生になってようやく、私は図書館という広大で未知の宝の山に足を踏み入れた。ここで赤川次郎にのめり込み、やっと私は、"作者で本を選ぶ"という指針を手に入れた。今までSFであればSFを、無人島ものであれば無人島ものを、とジャンルで開拓していたことに比べて、作者、という指針は非常に分り易かった。何より図書館は作者ごとに整理されていて、端から読んでいくのにちょうどよかった。私は弟の分のカードも使い、12冊借りては読み、翌日また12冊借りては……ということを夏休み中繰り返した。たまに別の作家の本に手を出し、それが面白ければその作者の別の本も…というように"あ"から順に私はじりじりと侵攻していった。
あの頃むさぼる様によんだ赤川次郎の面白さを、今ではもう理解することができない。けれど棚ひとつを埋めつくす赤川次郎の著作を眺めながら、少なくともここに棚ひとつ分の読む本がある、と奮い立った胸の高鳴りはしっかりと覚えている。赤川次郎や森村誠一や筒井康隆といった、あたるとデカイ作家は、あの頃の私には本当に偉大な存在だった。その分、寡作な作家は私の包囲網からはすっかりと抜け落ちていた。
穴を埋めてくれたのは、母だった。母は私に恩田陸をすすめ、若竹七海をすすめ、服部まゆみをすすめた。それらの少しマイナーで著作の少ない作家の作品は私を魅了し、私は父より母を頼りにするようになった。母は次に、綾辻行人や西澤保彦をすすめ、有栖川有栖を見切っていた私に、江神先輩シリーズを読ませて改心させることに成功した。いわゆる推理小説にはまったのがこの時期、中学二年から三年にかけてだったと思う。
母からは面白い作家だけでなく、"賞で選ぶ"という新しい指針も教えられた。母のお気に入りはメフィスト賞と日本ファンタジーノベル大賞で、私が講談社ノベルの新刊を全てチェックする、という蜜月の日々を一時期過ごしたのは、このせいだった。
中学を卒業する頃には私はいっぱしの読書家になっていた。最早教えを請わずとも、本屋を回り、タイトルを眺め、新たに開拓することができるようになっていた。けれど、書くスピードの方が確実に遅く、読む本はいずれ尽きるのではないか、という思いが頭に時折浮かぶようになったのもこの頃だった。
そんな思いを裏切って、高専に進学した私は新しい世界を知った。ライトノベルというその手付かずの場は、まだまだ広く私の前に残っていたのだ。コバルト,電撃,スニーカー,ビーンズ,ホワイトハート,デュアル,富士見……毎日学校帰りに本屋で一冊読破する、という本屋に迷惑な習慣を身につけたのはこの時で、毎月いっぱい買ってるのだからいいではないか、と自分の中で言い訳していたような気がする。当時バイト代は半分近く本代に消え、年間30万に届こうという勢いだった。今思えばあれが最後の、輝かしい読書の思い出だ。銀河英雄伝説を一気読みして泣いたことも、グインサーガを一週間で既刊読破し、読む時間と巻数が反比例していることを嘆いたことも、銀の海金の大地を捜し求めて古本屋を回ったことも、本当に懐かしく幸せだったと思う。
今ではもう、好きな作家の新刊と一部の賞の受賞作品をチェックするだけで、何も新たに開拓しなくなった。開拓する余地も、なくなってしまったように感じる。今でも本は変わらず楽しく、面白いもののままだ。それでも全てをかけてのめりこむような読書はできなくなってしまった。
まだ海外作品と古典が残っている、そう思うこともあるけれど。それに手を出すのは隠居生活に入ってからになりそうだ。