はてなキーワード: ガス抜きとは
身の回りには長時間勤務をしてる訳でも無いのに「疲れた」言う人が居る。
そして自分もそれに該当する。
まず私は、パチンコしない、タバコしない、飲み会以外では酒しない。
1999年といえばプレイステーションゲーム真っ盛りで、FF8が出た時期だ。
正直な所、ゲームは嗜む程度のモノであるという考えは根底から抜けていない。
「別にハマってないしすぐ止められる」系の人だ。逆に言えば
「する事してるし(仕事とか)止める必要があるとも考えてない」とも考えてる。
そして慢性的な疲れを感じている。
体を動かしたくないと感じてる。
だから動かなくていいゲームをする。
そして、ここ数年はオンラインゲームをしている。
・・・で「ゲームする事が義務化」されてるんじゃないかと最近ひしひし思う。
楽しいと思える時は「圧倒的に勝っている時」ぐらいだ。ただそれも枯れた喜びに感じる。
似たような境遇のゲーマー複数に聞いてみた。
「今のゲームは楽しいか?」回答は殆ど同じで、殆どの人が容易に想像できる感覚。
一般的には「昔のゲームの方が面白かった」という解釈が殆どだろう、だが少し違う気がする。
名作と言われるゲームは確かに面白い・・・が、操作性は明らかに劣る為「当時の評価」は既に使い物にならない。
遊びづらいというだけで面白さは幾分も下がる。個人的にはこう思う↓
熱中・没頭・反復により習慣化された性分はそう簡単に消えない。
その為新作をどんどん買っていく。そして徐々にツマラナイという感情がわいてくる。
これは似たり寄ったりなゲームに対して「刺激」という反応を脳がしなくなってるせいだろう。
工場の流れ作業は生活に直結する作業なので幾分マシだがそれでも年単位で続ければつまらないので止めたいと感じる。
そこで「つまらないと思うゲームもサボる」行動はアリだ。
だが行き成りスパッと止める事は出来ないだろう。
タバコ吸ってる人に禁煙しなさいよ!と言って止めたためしが無いのと同じ理屈だ。
前途の通り私はオンラインゲームをしている。
プレイヤーは人間同士の為色々都合をあわせないといけ無い事もある。
だが、これは非常に「心が疲れる」原因になる。
だからゲーム内部で「普段強いられてる事」から徐々にサボっていこう。
サポート&ヒーラー役は活躍出来無いのに疲れる仕事。こういうのを要請されたら断る、もしくはそもそも参加しない。
交流もあるだろうから頻度を減らす事が大事。これで幾分か時間に余裕が出来る。
徐々にゲームから遠ざかるのだ。そしてたまに思いっきり楽しむのだ。
少々下品な話になるがオナ禁という活動がある。
私は体の不調の原因がオナニー後に発生する為頻度を減らす方向で調整している。
数日間溜まると相当に気持ちが良い。理論的にはゲームも同じだ。
違った趣味を見つけるのは大変だ、なぜなら今までの生活スタイルが変わるためだ。
新しい事へ行き成りシフトしようとすると、当日張り切って疲れて、終了。三日坊主の出来上がりだ。
ゲーマーは一種の脅迫概念が染み付いている為「遊ばなければ…」という考えを緩めなければ話にならない。
そのために、ゲームをサボるという感覚を身に付けなければならないのだ。
最後に、サボるという概念はゲーム以外へ応用出来る。例えば仕事だ。
職場が働き蜂状態でサボる…もとい休暇を取る概念無ければ、まず他人を休ませて習慣を作るしかない。
1人ぐらい休んでもらった所で会社は破綻しない、それどころか毎日高負荷を持続させる方が破綻しやすい。
そして、真の休暇とは趣味をサボる事。
自分の時間を遊びに当てるのは一種の「自分への仕事」であり疲れる要員だ。
PCを付けず寝たり、30分ばかり家から最寄の駅まで散歩する等、いつもと違った行動を「少量」含ませるだけで
かなりのリフレッシュ効果がある。
もし心当たりある人がいたら試してみてほしい。
人と付き合うってのを深く考えすぎるとそう思うんじゃないの?
完全にひとりで生活していくことを望んでいるのならそれでいいと思うけれど、
社会的存在(少なくとも会社やら役所やらで勤めで給料貰う身)なら人との付き合いが0って訳にはいかないから
あと、家族とも相互に音信不通が許容されない限り何がしかの付き合いは残るしなあ。
だからこそ、最低限周辺に迷惑をかけない方法を考えるのは戦術的に有効なんじゃないかと思うぞ。
相手に対して、自分はこの程度の付き合いを望んでいるってことを示しておく。
親に対しては2,3ヶ月に1回は電話して状況を知らせておく。お袋の愚痴とか聞いとく。ガス抜きだな。
会社の人たちとは、1月に1回を上限に付き合う。職場の飲み会があったつきは他のお誘いはみんな断る。
仕事でのコミュニケーションに問題がなければ、プライベートのお誘いは断っても
まあ、付き合いの悪いやつだと言う認識が広がってゆくだけのことで、丁度良い。
実は人間嫌いというか一人でなんかしてるのが好きなんで、休日は引き篭もりなんだけど、
平日はしょうがないと思ってエネルギー使って人と付き合ってるよ。
それにしても、人付き合いの信頼残高って・・・なにそれって感じだなあ。
俺は別に大きな成功も大きな幸せもいらないから、静かに平和にささやかに暮らしたいよ。
ひとりでもしょうがないよ。寂しい時もあるけどそれが俺の望んだ暮らしだからな。
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090610/p1
と言う記事があって、感動した。そうだ、表現の自由・言論の自由があるのだから
と気づかされた。
何というすばらしい文章だろうか。目から鱗である。
そこで勇気をもって、俺の大嫌いな相撲・格闘技について、文章を参考に、相撲・格闘技を擁護する関係者に対し、以下の文章を発表したいと思う。
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どんな主義・主張であれ、自らの正当性を社会に対して申し述べる機会があるべきである。「表現の自由」とはそのためのものである。だから、相撲・格闘技の愛好家・擁護者は、「表現の自由」を正しく行使せよ。それはつまり、「デブが裸でくんずほぐれつ」のような表現が、今もなお存在する圧倒的な暴力構造を解体するためにいかに有用であるか、ということを説明せよ、ということだ。
それをしない、できない、ということは、相撲・格闘技は一目で了解する限りの意味以上のものを含まないと、愛好家・擁護者たちが認めている、ということだ。それは暴力そのものの表現であり、それ以上のなんらの意味を含まないということを、愛好家・擁護者たちが認めている、ということだ。愛好家・擁護者がこの程度である限りは、こんなものは規制さるべし。
さらに言えば、一度規制を受けたら終わり、というわけではない。規制を受けた上で、改めて相撲・格闘技が私たちの社会に対して持っている「良き意味」について真剣に考え抜いて、それを社会に向かって主張すればいい。それが成し遂げられれば、相撲・格闘技ならびにその愛好家に対する差別と偏見を私たちは詫び、再び相撲をとり愛好する自由を認めるだろう。
「相撲を規制せよ」という主張の前にも、表現の自由はあるし、その規制が実現した後にも、表現の自由はある。相撲の愛好家と擁護者は、存分に使うがいいと思うよ。やれるもんなら。
もともと、規制より何より先に、一見してデブが裸でくんずほぐれつにしか見えない表現に対して、「それはガチムチパンツレスリングだ」という批判がなされてきたのだ。それに対して返されるべきは、「ガチムチパンツレスリングではない」という応答のはずだ。ところが、それは、それだけはなされなかった。代わりに、「表現の自由だ」などという、木で鼻をくくるような応答が返されてきたのだ。どこが「表現の自由市場」だよ。愛好家も擁護者も、表現以前じゃねえか。
結局、愛好家も擁護者も、話の通じないバカorカマトトであり続けてきた。だから規制という話になる。なるしかないわな。しかしまぁ、今からでも遅くはない。真剣に、相撲・格闘技は暴力解消に向けた真剣な表現であるのだ、試みなのだということを、真剣に論じて見せよ。できるものなら
ちなみに、スポーツがガス抜きになる、みたいな論がある。実際にガス抜きになっているのかどうかは、助長しているかどうかと同じくらいに検証困難なことなので脇に置く。強いて言うなら、かわいがりを禁止したら暴力が増えた、という話は聞かないので、元々ガス抜きにもなってなかったんではないかとは思う。助長していないとしても、ガス抜きにもなっていないならば、規制したって別にいいわけだよな。
まぁ、それはともかく。「ガス抜き」になるかどうか以前に、意図するせざるに関わりなく、性暴力を肯定する表現が野放しになっていること自体が、直接に脅迫として作用している、という点だ。つまり、「ガス抜き」論が言っていることは、「直接裸でくんずほぐれつするのと、組んずほぐれつするぞと脅すのとどちらがいい」という、それ自体脅迫でしかない。それに対する応答は、「どちらも選ばない」以外ありえない。ただ、暴力も脅迫もやめろ、というだけのことだ。この件について、妥協の余地はない。
それが不可能だというならば、脅迫か暴力のどちらかなしでは生きていけない自分が人と人の間に安住できるなどと思うな。そこに開き直る人間がいる限り、性暴力を恐怖する人々は安心して生きていくことはできないのであり、故に、両者は並び立たず、並び立たないならば、僕は性暴力を恐れる人たちの側につく。倶に天を戴かず、ということだね。
「誰かを殺したい」という欲望を抱えつつ「殺さない」ことは可能だ。言うまでもなく、ガス抜きなるものがなくても可能だ。「誰かをレイプしたい」という欲望についても同様。「ガス抜きしないと、そのうち前後不覚になって、思わず誰かを襲ってしまうかもしれない」などという生まれついての暴力依存など、そうそういるものではない。
欲望は人間にとって完全に自由になるものではないにせよ、完全に天与のものであるわけでもない。だまされたと思ってしばらく相撲・格闘技を断ってみろ。ちょっとくらい不満が続くかもしれないけど、少なくとも「代わりに襲ってやろう」とか、まず、思わないから。で、そのうち、それなりには慣れる。人と人の間に暮らすことを諦めないのならば、そのくらいのことはやってみろ。
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はてなの気持ち悪さは、メタに更にメタにとどんどん逃げていけるような設計、直接対決の緊張感を常にガス抜きさせることを可能にするシステム設計にある。
キーワードで議論っぽくなると、id pageに逃げ、更には、☆、☆引用部、☆コメ…どんどんコミュニケーションがメタ化していく。
同じつぶやきサービスでもTwitterの@と比べると、違いがよくわかる。
はてブの構造も同じ。自分のダイアリに書いて、トラバなどで正面から議論するのではなく、ブコメで一言バカにして終わり。ブコメなんて一言しか書けないんだから、内容に対して大してつっこまれることも少ないし、ガチな反論されることも少ない。そこで更に旗色が悪くなれば更にメタブタワーも可能、と。
そんな風にコミュニケーションにおいて対立し、極度の緊張が発生した時、逃げる道を一杯用意してくれてるのが、はてな。
「悲しい時や苦しい時はメタな視点を持てば良い」んだもん。確かにメタに逃げると、楽になるのは事実w
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20081223/1230031157
ここで言っとくがメタな視点が常に悪いわけではない。メタな視点を持った上で、新たな議論が生まれうることはある。が、はてなにおいてはそれは難しい。ブコメ、☆、☆コメ、などなどレイヤーの違うコミュニケーションが同時に複数存在するし、何がなんだかわかんないもん。反論するの面倒になっちゃう。発言してるレイヤーが違うから。←はてブに対する反論のコストが高いって誰かが言ってたのはそういうことでしょ。
トラックバックや直接メッセージ(メールなど)まではいかない「集団間でのゆるういつながり」を可能にしてくれているといえば聞こえはいいけど、直接喧嘩はしない(できない)けど、遠くから聞こえるように陰口を言うことを可能にしてるだけとも言える。
いかに傷つかないで傷つけることができるか。「議論」というがっつり組まなければいけないコミュニケーションのフィールドに乗らずに、いかに、場外から、もっともらしいことだけ言い逃げできるか。そういうことを可能にしたいという夢を叶えるのが、はてなのサービス群(特に、ブコメ、☆、☆コメ、ハイク)。
もちろん北朝鮮が核兵器を持ってほしくないと俺も思ってるよ。住んでる街に核ミサイルが落っこちてくるのとか勘弁して欲しいし。だから日本政府が北朝鮮に抗議するのは当たり前。
だけどさあ、「北朝鮮は何考えてるわからない」「信じられない」「理解不能」みたいな反応がテレビでも自分の周囲でも多いんだけど、俺はそういうこと言ってる人たちのほうがわかんないよ。だってアメリカも中国もロシアもフランスもさんざん核実験やったわけでしょう。それと同じことをやってるだけで、何も不思議じゃない。そりゃあ北朝鮮の核ミサイルが日本に照準を合わせてると思えばいい気分はしないけど、それを言ったら中国の核ミサイルだってずっと前から日本を狙ってるわけで。
日本はまだしも、アメリカとか中国とかロシアみたいな国が今回北朝鮮を非難しているのは結構すごいよね。自分達はさんざん核実験して技術を蓄積しておいて、あとから来た国には「核実験やめろ」「平和を乱す行為だ」とか言ってるわけでしょ。何?そのご都合主義。そのくらい面の皮が厚くないと常任理事国なんかできないんだろうけどね。
そりゃあ北朝鮮は拉致とか大韓航空機爆破とかビルマ爆弾テロとか、酷いことやってますよ。最低な国ですよ。でも、じゃあ安保理常任理事国のお歴々がそんな、他国に指図するほど偉いのかと。北朝鮮が日本人を拉致してた頃、中国は中越戦争でベトナム人を何万人も殺してたわけで。チベットやウイグルのことは言わずもがな。ロシアはアフガンで、アメリカはイラクで似たようなことをやってたし、アメリカの偉い人たちは「核兵器による先制攻撃」を平気で議論の俎上に載せたりしてる。「核は自衛のため」って言っている北朝鮮よりも、ある意味アメリカのほうがもっと酷いよ。
インド核実験の時も国際世論は非難の大合唱だったけど、インドは実はそれまで「核兵器の全廃」をずっと主張してきたんですよ。でも核保有国は聞く耳を持たず、「俺らは持つけどお前らは持つな」っていう立場を頑なに変えなかった。だから「核保有国がどうしても核を手放さないなら、われわれも自衛のために核を持つ権利がある」って言って核保有へ方針転換した。インドの言い分が正論だと俺は思いますよ。アメリカとその同盟国(日本含む)や中国やロシアやイスラエルが核で守られてるんだから、インドだってパキスタンだってイランだって台湾だって北朝鮮だって核武装する権利はあるでしょう。本当に核の脅威から逃れるためには、核保有国の核兵器も含めて全廃するしかない。
「理屈はどうだろうが、北朝鮮から核ミサイルが飛んできたら困るから絶対反対」っていう話ならわかるんですよ。ていうか俺もそう思うし。実際、北朝鮮からミサイルが飛んできたら困るし、金正日体制なんか早く崩壊してほしいと思ってる。だけど「あいつらは頭おかしい」「何考えてるか分からない」とか言われると、「なんで?」って思うんだよな。だって日本だって自国を守るためにアメリカの核の傘の下に入ってるでしょう。北朝鮮も同じことをしてるだけじゃん。国家として自然な考えだと思うけど。
3年生になったということで、就活をそろそろ始めようと思う。
のだが、分かってはいたことだが、『会社の求める新社員像』てのが輝きすぎてて、ビビる。
モラトリアムが終わろうとしている。
そろそろ就活始めないとな。
なるほど、エントリーシート書かなきゃならんのね。
まず所属とか色々書いて、その次は、
志望動機な。あるある。全然あるよ。
で、自己PRな。ないない。全然ね~~~~~~~~~~~~~よ。
――――――――――――――――――――――――――――――
とある割とマジメなボランティア団体に所属していて、
アルバイトは1年の秋から接客業一本でやっている。
高校のときは短期の語学留学をしたりもして、TOEICは900点ある。
落ち着いていて協調性があるとはよく言われるが、自分の意見もはっきり主張するし、
それなりに自分から行動して色々やっているつもりである。
「自己PRってどういうこと書けばいいんすか」
と聞くと、
「自分の持ち味を過去のエピソードを通してアピールすることね。
色々やってるんだから、その中で自分が何を得たか、
何を克服してどうレベルアップしたか書けばいーのよ。
具体的なエピソードを通して、自分の行動によってどういう結果が得られたか書くといいわね。」
などと教えてもらえる。
そりゃ人並みに色々やってきて、それなりに色々得てきたという自負はある。
しかし、それって、人並み程度でしかないわけである。
人様に御開陳して、PRできるような自己かというと疑問なのだ。
そこらの大学生がちゃんと何かに打ち込んでんのよ。
でも、それから客観的に認められるようなオンリーワンを得てる奴より、
エントリーシート流し読まれて、そこで落とされても仕方ないような実績しか、
ないような奴のほうが圧倒的に多数なわけ。俺みたいに。
――――――――――――――――――――――――――――――
君にあう企業がきっとあるはず!」
なんていう台詞もよく目にするが、ほんとうは、
要るやつはどこででも要るし、要らないやつはどこ行っても要らんのではないか。
人の意見も聞けるけど、チームをまとめるリーダーシップがある。
熱意と高い目標を持っていて、地道な行動力もある。みたいな、理想像。
だいたいそんなリーダーリーダーしたやつばっか採ってどうする気なんだ。
山か。山でも登る気なのか。船で。船頭多くして。
でもよく考えたら船で山登れるってスゲーよな。
そっか。山登りたいのか。
でも、船で山登ろうぜ!!って言い出して、みんなを実行に導いたりはできないけど、
みんながリーダーに反発しまくってるときに、
リーダーがんばってるよな、大丈夫?飲みにいかね?って言えたり、
みんなのガス抜きしてあげたりできる俺、要りませんか?
あ、雑役夫係は足りてる、と。
出直してきます。
長々とありがとうございました。
やっている事は同じなのだが、天国だと、税金を納めることが地獄の苦痛に等しいと主張している事になって世間体が悪いという事で、港や避難所を表すhavenという発音が同じ単語を持ってきて、納税する時期をずらしたり、相手を変える事で避難すると言い換えている。
海外投資による租税回避が可能になるのは、二重課税を避ける為であった。国家の徴税権は国境内に限定されており、多国間取り引きにおいては、利益の出ている側と損失の出ている側とが発生した場合、損失の出ている側の国家は税を取れず、利益の出ている側だけしか税を取れないという状態になる。
海外投資による租税回避は、これを意図的に発生させ、利益を税率が0や極端に低い他国に設置した企業に集約する行為である。
税制に矛盾があったり、使い勝手が悪かったりする場合、制度を改善させるというのが本筋であるが、その改善がどう考えても私利私欲の為でしかない場合には、私利私欲が通る場所に企業を作って、そこへお金を通す事で、税制に関する問題を解決してしまおうという考え方が出てくるのは、何ら不思議な事ではない。
金儲けだけが目的となってしまった企業にとって、社会との共存や人民の利便に奉仕するといった理念は建前でしかないのである。
企業が金儲けだけが目的となってしまうには、その出資者・株主の構成が、偏るという状況が、基本的には発生していると見て間違いない。多額の資金を運用しなければならなくなったファンドが、より効率の良い資金の増殖方法を作り出す必要に駆られ、経済オンチの議員を騙してグローバリゼーションを実現させるといった手段が、最近では耳に新しい。
ジャパンバッシングを実現して世界中に工場をばら撒く、その為の投資は基軸通貨である米ドルによって行われるし、アメリカ企業が自由貿易だけでなく工業生産においても世界を牛耳る。アメリカの金融界は巨大な富を実現できるし、議員の隠し資産を運用するファンドの運用成績も向上するという目論見は、基軸通貨の地位が揺らぐ事によって崩壊したのであった。
海外投資による租税回避行為を実質的に奨励していた法制を転換し、課税を強化するという話は、後進国や中進国、反米国や基軸通貨を狙う野心国に生産設備と技術をばら撒いたグローバリゼーションの否定とも言える。
あからさまに否定する事は、今のアメリカの地位では難しいので、海外投資の優遇を廃止して、国内投資を勧めるという穏便な表現を行うしかできないのである。
腐敗債券やCDSのような博打の負け分を、税金で保証して連鎖破綻を防いだコストの支払いの為に、課税を強化しなければならないという懐事情もある。もっとも、企業の帳簿はとっくに赤字であり、法人税の税率が上昇しても、当面は課税が発生するような状況ではないし、投資をしても利益を発生させられる状況ではない事から、金持ちに対する課税が強化されても、お金を動かさずに寝かせておくだけとなる。
雇われ取締役が高率の所得税をかけられて納税している姿に同情する意見が出てくるまでは、庶民の不満は納まらないであろう。
お金は、動かさなければ課税の対象にならない。租税回避地に飛ばした利益に対する課税は、そのお金が、再投資されたり、本国に回帰した時に発生するので、お金を動かした方が利益になる時期がくるまで、税率がどれほど高かろうが、実際には関係が無い。税率が高いことが世間に対するガス抜きになるならば、その効果を只で使える方に価値がある。お金を動かす事が利益になる頃には、また税率を引き下げれば良いのである。
本当のお金持ちは、時期を選ぶ事の価値を理解している。資金を動かすにしても、世論操作をやるにしても、政治的な圧力をかけて税率を引き下げさせるにしても、最適の時期がある事を理解しているから、お金持ちなのである。
何故か露出狂とか触らせ系ばかりに遭遇する。
「はじめて」の時、「私処女だけど、触るのは5本目見るのは10本目だよ☆」って
心の中でちょっと思ったのは内緒。
触られたのはもっとあるけど、10年間の通学・通塾を通して20件くらいかな。
当時の同級生よりはずっと少なかった覚えがある。
露出狂にしょっちゅう遭遇するのは珍しかったのかな。
少なくとも周囲では、見せる・触らせる被害は他にきかなかったんだが。
「つけいる隙があるから、いけない。置換されても文句言えない」みたいこと、
親から言われてたけど。
そもそも鞄前方にかかえて触られないよう自衛はしてたんですが。
触るヤツはそれだって胸にて伸ばしてくるし、
触らせるヤツは鞄握りしめてる手を狙ってくるし、
見せるヤツは連絡通路に潜んでるし。
娘ができたら、痴漢専用撃退具を作って持たせたい。
あの、スプレー缶のガス抜きするヤツとかで、プスッとやったらいいのに。
ま、そんなことできるような気の強そうなコは狙われにくいかもしれませんが。
一端のおばちゃんになった今なら、余裕で股間に一撃プスッとできるわ。
http://anond.hatelabo.jp/20081222030401 や http://anond.hatelabo.jp/20081221041441 を読んでいろいろ考えた。
自分はずっと非モテに分類されると思っていたが、前増田達に聞いたら「それは草食系男子だろ」と言われたので多分そうなんだろう。
独占欲が無いのは人間としてどうなのという意見があるが、無いものはない。我慢しているわけではなくて、本当にないのだからどうしょうもない。
どうして俺が独占欲のない欠陥した人間に育ってしまったのかはわからないが、なんとなく心当たりはある。幼少期の家庭環境は劣悪で、我侭は一切認められず、食ってくだけでいっぱいいっぱいの生活だった。暴力や育児放棄もあった。黙々と暴言や暴力に耐え、個を潰し、奴隷のようにならなければ身に危険が及んだ。どうすれば殴られないで済むか、どうすれば今日のご飯が食べられるか、暖かい所で寝れるか、そればかり考えていた。
そんなだったので、子供時代に何が欲しいとか考えたことも無かったように思う。あれが欲しいなんて口にだそうものなら殴る蹴るだ。ゲーム、マンガ等同年代の子なら持っているものも一切触れずに中学まで過ごした。中学生になって、バイトの金や行動範囲の向上から時間が手に入るようになると、やっと自分のものや時間を持つことができた。が、物欲を持つことは生きていく上での敵という感覚が身の底まで染みているせいで、それが物欲に繋がる事はなかった。お金があっても生活に必要最小限なものしか手に入れない。
高校の頃、余剰のお金はゲーセンとか体験として消えることにばかり使っていた。モノを残すことにすごく抵抗があったんだ。所持する事への恐れというのかな・・・これは今でもそう。旅行や美容室代、スポーツ等体験には比較的気前よくお金と時間を使うのに、残るものには異常な程使わない。業者に頼まずに引越しできるほどモノが少ない。
未だに、俺には独占欲や物欲が殆どない。おそらく、子供時代に自分の要求を訴える事、甘えることを学ばなかったからだろう。
そんな俺は、自分から女性を好きになって付き合いたいと思ったことが無い。"好きになる"という感覚がないんだ。ストレートに言えば、"俺のものにしたい"という感覚がない。独占欲は人間ならあって当然のものだろうから、なかなか理解してもらえないとは思うが、本当に"好きになる"という感覚がない。むしろ"俺のものにしたい"ってどんな感じなんだと聞きたいくらいだ。
そんな俺でも、女性と付き合ったことは幾度かあるし、長続きするほうかもしれない。第三者からみて彼女といえるような関係になった相手は今まで7人ほど。その全てが、女性側からのおしかけともいえるようなアプローチだ。もしくは、偶然のハプニングがあって知らないあいだに成り行きでそういう関係になってたとか。(女性側がそうなるように何かしているのかもだが、俺はそういうのに疎いので)
始めはおしかけでも、その人が自分にとってなにか穴を埋めてくれるような存在になったときスイッチが入って、"この人がありのまま幸せであってほしい"とか"この人を守りたい"という要求になってくる。
でもそれは"俺の手元に置いて傷つけないようにする"という感じではないんだ。ちょっと一歩引いた所から、彼女に気づかれないように守るイメージかな。彼女にはできるだけありのまま自由であってほしいと思うし、そのためなら相当な努力もする。結果として、他の男と関係したり俺から離れる事があっても、それが彼女の望む"ありのままの幸せ"ならそうさせる。それが俺にとって彼女を大事にするということだからね。
そういうのは全く女を大事にしていない、やっぱり独占欲のない男に女は大事にできないと言う人もいるだろう。結局、独占欲がない男に女が大事にできるのかは、"大事にする"の意味によると思う。同じように女性側にも大事にされるとはどういうことか、色々な概念があるだろう。世の中には俺に組み合わされるような女性もいるわけだから。
俺のようなタイプに女性側から見て利点があるとすれば、離れたあとも良い関係を維持しやすいこと。実際、元彼女に込み入った相談やガス抜きの会話を持ちかけられることが多い。俺にとっては、独占欲と"この人を大事にしたい"という気持ちは全く別のものなので、わかれて自分の元からいなくなっても大事にしたいという気持ちは続行できるし、そのように振舞う。
がんばってください。
あと吐き出すのは必要なことだと思いますよ、このガス抜きができないと人は壊れてしまうのかもしれません。と村山由佳さんの小説で読んだことがある気がします
無理に溜め込み我慢しようとするのはやめたほうがいいと思います。
もう本当に返信は不要です
長々とすみませんでした
どこまで人に甘えていいのか、自分の事情をさらけ出していいのかがわからない。
もちろん甘え方、さらけ出し方を気をつけるのはわかるんだけど、内容をどこまで出して
いいのかがわからない。
こんな話してもどうにもできない話をされても相手が困るだろうと思うと話せない。
でもそんな事情ばっかりなので結果的に「秘密主義なマスダ」と思われてるようだ。
「1人で生きていける鉄の女」のようにも思われているらしい。
ホントは弱いよ。凹みやすいよ。あまりの理不尽さに泣き叫びたい時もあるよ。
でも解決しようのないことだからどうにもできない。
1人でこっそり泣いたりしてガス抜きをしてるからみんなの前では笑っているんだよ。
ずっと1人でいろんなことを抱えていくんだろうか。
『本当のことを言う』
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090212/324601/
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090212/324601/
「オレたち,マスゴミって呼ばれてるんだぜ,知ってた?」。向かいの席で藤堂さんが言う。もちろん知っている。小心者なので,そのことをいたく気に病んでもいる。
何でこんな記事がこんなにブクマされてるの?しかもブクマのコメントも好意的なものばかり。
なんだかガッカリしちゃったよ。はてなってもっと冷静な人が多いと思っていたのに。
こんな記事のどこがいいんだ?書いてある内容は「ジャーナリストもサラリーマンなんですよ」程度のものだし
本当のこと云々のところだって何百回も繰り返された手垢べとべとのジャーナリズム論でしかない。
マスコミ内部の人が「マスゴミ」って言葉について考えたのが偉いって?
結局は全部人のせいにしてるし、たった一人が自省したって何になるのか。しかもそのレベルも「大変なんですよ」程度。
この記事に喜んでいる人は「本当のこと」に喜んだんじゃなくて
マスコミがマスゴミって言葉を使って自己反省するという「欲しい答え」に喜んでいるだけじゃないのか。
喜んでブクマした人たちは自分にとって耳の痛い「本当のこと」でもきちんと受け入れる覚悟があるのか。
これを喜んでしまったら、マスコミの提供する「相手の欲しい答え」の微調整にしかならないじゃないか。
適当に自己反省しておけば、「マスコミもまだ捨てたものじゃないな」とガス抜きになって
喜ぶからという「視聴率稼ぎ」に使われてしまうだけじゃないか。
求めるのはこんな長々とした弁明じゃなくて、行動と結果でしょう。
派遣を全部切っても生産過剰という事で、正社員の解雇が始まった。
労働者=消費者なのだから、労働者の所得が減れば消費者の可処分所得も減ると言うことで、生活の質をワンランク落とすという行動が出てきている。レストランをファミリーレストランや回転寿司に落として居た人達が、さらにランクを落として、ファーストフードやフードコートといった軽食堂へと移動している。これまでそういう所を使っていた人達は、それ以上下げようが無いから、頻度を落としたり、利用しなくなったりとなっている。
経済活動の理由と行動は、スパイラル状に波及効果を発生しやすく、一度方向性が定まって動き出してしまうと、簡単には止まらないし、逆転させるのも難しくなる。労働者が減って購買力が落ちたから、生産減少。生産減少で人が余っているから解雇。解雇されて所得が無くなったから買い控え。買ってくれる人が居ないので生産減少。と、繰り返されていくのである。
派遣で働いていた層は独身の若年者が多く、いざとなったら親元に転がり込むという手法があった。親元に転がり込むことができない事情がある人が、無銭飲食や強盗、窃盗を行い、刑務所に行けば衣食住を面倒見てもらえるという刹那的な行動に出る例があったが、あれだけ派遣が切られたのに、社会不安はそれほど高まらなかった。ニュースとして報道できる程度の頻度にしか発生しなかったのである。それに安心したのか、無為無策で時間を浪費し、いつか支持率が上向くと期待していたようであるが、もはや、支持率が上昇する事はあり得ない状況へと入りつつある。
正社員は、配偶者や子供を養う立場であり、逃げ場が無い。離婚して母子家庭が生活保護の対象になって、旦那はホームレスとか、無理心中、あるいは、生命保険を目当てに電車に飛び込むといった事が、頻繁に起きてもおかしくない。
正社員切りを公言しているメーカーが増えてきており、切られた人やその周辺で、政治に対する不満が高まってくるであろう。
このような状況では、衆議院の3分の2を持っている事も、選挙をしないでいた事も、デメリットにしかならないのだが、気が付かなかったのであろうか。人望や信頼は、先を読む能力の有無によって発生する。
政権に対する信頼感は、消滅しつつある。かといって、今の民主党はまるっきりダメである。第三極が必要であり、大宏池会を悪役にして、自民党の中で党内クーデターでもやって貰うくらいしか無いであろう。茶番であるが、民主党がダメな以上、政治に対する国民の不信を雪ぐには、これぐらいは必要であろう。
2ちゃんを代表にしたネットがガス抜きになっている理由、放置したら危険な理由はそれで認めたようなもんじゃん。理解はしてるけど認めたくないってやつ?
ネットは証拠が残りやすいからリアルでやってた誹謗中傷が可視化されただけでネットをなくしたらガス抜きできなくなるなんて事はないと思うが。ネットがない時代は誹謗中傷がなかったというならネットがあるおかげでガス抜きできるということになるんだろうけど。
あとネットのせいで仮に誹謗中傷が増えたとしてもされたほうはそれによって余計に不満がたまるはずなので社会全体としてはガス抜きにならないはず。
そういうのって寝らーの問題でもないと思うが。裏サイトやらSNSやブログでも誹謗中傷殺人予告はある。はてなでもあったはず。単にユーザが多いから目立つだけと思うが。
2ちゃんを代表にしたネットがガス抜きになっている理由、放置したら危険な理由はそれで認めたようなもんじゃん。理解はしてるけど認めたくないってやつ?
それが分かっていて尚且つ2ちゃん擁護に徹するとは余程はまってるんだな。
別に俺だって2ちゃんが問題の全てだと思ってるわけじゃないが、君は中毒気味だから少し気をつけたほうが良い。
そういうのって寝らーの問題でもないと思うが。裏サイトやらSNSやブログでも誹謗中傷殺人予告はある。はてなでもあったはず。単にユーザが多いから目立つだけと思うが。それに殺人予告や炎上があればガス抜きになって政治家役人が得するというのも論理が飛躍しすぎのような。
なんで2ちゃんがガス抜きになるのかわからん。そもそも放置したらだめな理由もないと思うが。政治的な話題やってるのなんかごく一部だし、政治が好きな人はそういう板・スレばかり見るから2ちゃんは政治的な話題ばかりだと思い込んでるんじゃなかろうか。
まぁ、村で気軽にガス抜きできるからそこまで病状が進まないんだろうけど。