2009-06-11

相撲格闘技」と表現の自由

相撲格闘技」と表現の自由

レイプレイ」と言論の自由

http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090610/p1

と言う記事があって、感動した。そうだ、表現の自由言論の自由があるのだから

  • 基本的な論点がわかっていなくても、好き勝手に言っていい
  • オレオレ世界オレオレ法律を前提にしていい
  • 自分が知らない・理解できない・理解する気がないだけの事を無いものとして扱って他人を貶めるようなことでもかまわない
  • わかりやすい文章を書く自信がなくても、自分でもよくわかってない用語を適当にならべればもっともらしく見える
  • 触れたくないけど触れないと自分の言いたいことが言えない部分には「それ以前の問題」と書いておけばOK

と気づかされた。

何というすばらしい文章だろうか。目から鱗である。

そこで勇気をもって、俺の大嫌いな相撲格闘技について、文章を参考に、相撲格闘技を擁護する関係者に対し、以下の文章を発表したいと思う。

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 どんな主義・主張であれ、自らの正当性を社会に対して申し述べる機会があるべきである。「表現の自由」とはそのためのものである。だから、相撲格闘技の愛好家・擁護者は、「表現の自由」を正しく行使せよ。それはつまり、「デブが裸でくんずほぐれつ」のような表現が、今もなお存在する圧倒的な暴力構造解体するためにいかに有用であるか、ということを説明せよ、ということだ。

 それをしない、できない、ということは、相撲格闘技は一目で了解する限りの意味以上のものを含まないと、愛好家・擁護者たちが認めている、ということだ。それは暴力そのものの表現であり、それ以上のなんらの意味を含まないということを、愛好家・擁護者たちが認めている、ということだ。愛好家・擁護者がこの程度である限りは、こんなものは規制さるべし。

 さらに言えば、一度規制を受けたら終わり、というわけではない。規制を受けた上で、改めて相撲格闘技が私たちの社会に対して持っている「良き意味」について真剣に考え抜いて、それを社会に向かって主張すればいい。それが成し遂げられれば、相撲格闘技ならびにその愛好家に対する差別偏見を私たちは詫び、再び相撲をとり愛好する自由を認めるだろう。

 「相撲規制せよ」という主張の前にも、表現の自由はあるし、その規制が実現した後にも、表現の自由はある。相撲の愛好家と擁護者は、存分に使うがいいと思うよ。やれるもんなら。

 もともと、規制より何より先に、一見してデブが裸でくんずほぐれつにしか見えない表現に対して、「それはガチムチパンツレスリングだ」という批判がなされてきたのだ。それに対して返されるべきは、「ガチムチパンツレスリングではない」という応答のはずだ。ところが、それは、それだけはなされなかった。代わりに、「表現の自由だ」などという、木で鼻をくくるような応答が返されてきたのだ。どこが「表現の自由市場」だよ。愛好家も擁護者も、表現以前じゃねえか。

 結局、愛好家も擁護者も、話の通じないバカorカマトトであり続けてきた。だから規制という話になる。なるしかないわな。しかしまぁ、今からでも遅くはない。真剣に、相撲格闘技暴力解消に向けた真剣な表現であるのだ、試みなのだということを、真剣に論じて見せよ。できるものなら

 ちなみに、スポーツガス抜きになる、みたいな論がある。実際にガス抜きになっているのかどうかは、助長しているかどうかと同じくらいに検証困難なことなので脇に置く。強いて言うなら、かわいがりを禁止したら暴力が増えた、という話は聞かないので、元々ガス抜きにもなってなかったんではないかとは思う。助長していないとしても、ガス抜きにもなっていないならば、規制したって別にいいわけだよな。

 まぁ、それはともかく。「ガス抜き」になるかどうか以前に、意図するせざるに関わりなく、性暴力を肯定する表現が野放しになっていること自体が、直接に脅迫として作用している、という点だ。つまり、「ガス抜き」論が言っていることは、「直接裸でくんずほぐれつするのと、組んずほぐれつするぞと脅すのとどちらがいい」という、それ自体脅迫でしかない。それに対する応答は、「どちらも選ばない」以外ありえない。ただ、暴力脅迫もやめろ、というだけのことだ。この件について、妥協の余地はない。

 それが不可能だというならば、脅迫暴力のどちらかなしでは生きていけない自分が人と人の間に安住できるなどと思うな。そこに開き直る人間がいる限り、性暴力を恐怖する人々は安心して生きていくことはできないのであり、故に、両者は並び立たず、並び立たないならば、僕は性暴力を恐れる人たちの側につく。倶に天を戴かず、ということだね。

 「誰かを殺したい」という欲望を抱えつつ「殺さない」ことは可能だ。言うまでもなく、ガス抜きなるものがなくても可能だ。「誰かをレイプしたい」という欲望についても同様。「ガス抜きしないと、そのうち前後不覚になって、思わず誰かを襲ってしまうかもしれない」などという生まれついての暴力依存など、そうそういるものではない。

 欲望は人間にとって完全に自由になるものではないにせよ、完全に天与のものであるわけでもない。だまされたと思ってしばらく相撲格闘技を断ってみろ。ちょっとくらい不満が続くかもしれないけど、少なくとも「代わりに襲ってやろう」とか、まず、思わないから。で、そのうち、それなりには慣れる。人と人の間に暮らすことを諦めないのならば、そのくらいのことはやってみろ。

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というわけで暴力を助長し、醜く不愉快で、必要のないもの(ソースは俺)である相撲格闘技規制すべきだ。

みんなも彼の文章で勇気をもらって、規制すべきものについて批判すればといいと思うよ!

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