はてなキーワード: てすとは
顔が広いことそのものをアイデンティティにするタイプの人がいる。
何か目的があって人間関係を広げるんじゃなく、恋人探しをするわけでもなく、広げることそのものが目的?の人。
「モデルの○○ちゃんとレセプションで会ってさあー」
「この前紹介した△△さんは##事務所のすごいえらい人で…」
一度しか会ったことがない人でも有名人や顔の広い業界人だとすごい勢いでからんでいく。
パーティーに関係なくても入りたがる。VIPルームに入りたがる。ゲストパスが大好き。
普通にファッション誌とか読んでて、この服かわいいね、といっただけなのに、
「このブランドのプレスあったことあるかも!」とか。だからかなんだよ。
そんなにそういうのがすきなら、マスコミとか芸能とかアパレルとかの広報の仕事でもすれば。
私は仕事だから顔を出しているところだよ。ゲストとれなかったり、紹介しなかったり、それで怒られる筋合いないよ。
仕事だったら必要に応じてするけど、そうでもないし、まず自分が何者かをはっきりさせてよ。
「紹介屋」とでも書いた名刺もって歩いとけ。あー
愚痴でした
まってくれ。
人当たりが良くて優男で流暢な言葉遣いで抜きんでた能力があって「綺麗な目」をしているからってすなわち嘘をつかない人だなんて言い切れないんだぜ。むしろ、ちょっと挙動不審でやましい気持ちでもあるのか言い訳みたいなセリフを口にしている一見さえない人心の病でも患って良そうな人間の方が嘘をつかない(嘘をつけない)人間だってことはよくあるんだ。なかなか見た目では判断できないところなんだ、と頼子にいいたくなった。
『文字情報ばかりで構成された世界観など、文字情報によってすぐひっくりかえる』
とは、一見いかにも現実を無視した相対主義的な発想で、歴史学の蓄積を蔑ろにした不届き者の発言である。
しかしながら、ネット上の南京大虐殺を巡る論争は、そもそも歴史学的な手続きに則って行われているだろうか。
否定論者にしろ肯定論者にしろ、彼らのうちの多くは虐殺問題を取り扱った著作や資料にあたったり、グーグルで1ページ、2ページ目に出てきたサイトを読んで得たものを手がかりに議論を行う。
しかし、自分の持っているデータを根拠に議論する、というのは実は「歴史学的な手続きに則った議論」ではないのだ。
東の言わんとしたことは、次のように読み替えられる。
「ネット上の南京問題を巡る議論など、全部個人的な信念や趣味に基づいて行われるものでしかないのだから、
と言ってもすでにかなり巨大化しているので、オープン化していたようなもんですけどね・・・
クローズドなコミュニケーションをしたい人はそれぞれのジャンルのSNSにもう移ってしまっていますし。
PV上げて、広告収入増目指すってことでしょうか?よくわかんないです。
また、規約云々の時みたいに騒動になるのは必須だと思います。
まぁ、日記の公開範囲設定くらいなもんでしょうけどね。それでも一応招待制でクローズドなんだっていう、形だけになってはしまってはいるもののそのはりぼての安心感に穴が開くような・・・
mixiに適うんでしょうかね?テレビCM打ったり、何か迷走しているように見えますが、そういう方向だとDeNAのモバゲーがありますし・・・
うーん、きびしいんじゃないかなぁ。
株価見守りましょう。
話は戻って、さっきのmixiオープン化なんですが、やっぱり形の上だけでもクローズドな状況って守るべきだと思うんです。
Webってメディアの一つじゃないと思うんですよね、もはや。僕の感覚では。
SNS、というよりもっと大きな言い方をしてしまうと、現在のWebに違和感を感じています。
実生活にかなり近いものになってると思うんです。双方向性という言葉に収まらないと思います。
オープン化って、要するに「エントランスのオートロック設備撤去します。部屋の扉の鍵は各自してね」って状況だと思うんです。覗かれ放題です。
そうして広告収入モデルのことを考えるときに、人が大勢行き来するような道端でティッシュ配っているような、いや、もっとあれですね、言ってみればビラ配っているか、もしくは俗にいうところのサンドイッチマンみたいなもので(邪魔に感じる具合とかも含めて)、とても大きな効果をもたらすものにはならないんじゃないかと思うんです。
もっともっとWeb2.0的なことって、あると思うんですよ。具体的にこうことだよ、っていう提案ができないことが非常に悔しいのですが。
このままだとテレビその他従来のメディアのように、何か見えない大きな力で動かされてしまうつまらないものになってしまいそうだし、そうさせてはいけないと思うんです。
そこらへんで僕らのようなWeb標準世代(言い方があつかましくてすいません;;)がちゃんとしないといけないっていう使命感があるのですが具体的な手段もなく・・・
なんか、テレビCMその他情報操作系(笑)の広報活動ってそっちで勝手にやっててほしいのに最近Webにも乗り込んできてたり、その他現状のWebについてすごいもやもやしてて意味分かんない文章になってしまいました。
ちゃんとおかしなものに対して違和感を感じる感覚をいつまでも大切にしようと思っています。
あー
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081201-OYT1T00646.htm
全国の消費者団体などで組織する「消費者主役の新行政組織実現全国会議(ユニカねっと)」は1日、マンナンライフ(群馬県富岡市)によるこんにゃく入りゼリー製造再開について、「事故の再発の可能性が否定できない」と、製造・販売の見送りを求める声明を発表した。
声明では、「客観的なデータに基づいて安全性が担保されない限り、安易に製造・販売を行うべきではない」と、公正中立な機関による商品テストの実施を求めている。
なにそれ、客観的データって。
客観的なデータに基づいてというならば、ご飯の安全性や、ゼリーの危険性についても評価したほうがいいんじゃないの?
「事故の再発の可能性が否定できない」なんて事言うならば、ご飯だって年間何人ものどに詰まらせているわけで、事故の再発の可能性は否定できないわけで。
http://shin-jitsugen.sakura.ne.jp/
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20081202_mannanlife/
連絡先
事務局長 弁護士 拝師 徳彦
260-0013
電話 043-225-6665
twitterの話ですよ奥さん。
followingしてないのに@で話かけてきたやつがいてさー。
twitterクライアントはtween使ってるから、本当は青色なんだけど、いきなり赤字になってるから何かと思ったんですのよね。
最初は無視してたわけ。
自分が興味持った人の発言しか普段聞きたくもないし、twitterなんかつぶやくためのミニブログだと思ってる。
だから暫く無視してた。
なのになんなんでしょうか。それから1ヶ月間ぐらい執拗に絡むようになってきて、1日に4、5回@を飛ばしてくる。最近じゃおやすみとおはようの挨拶までしてくるようになった。自分もtween使ってることがwebから確認できちゃうから、
「無関心を装うふりをして、視界のどこかで俺の発言を捉えているでござるな?ウェッヘヘ」
と思ってるに違いない。
こっちはうざいなーくらいにしか思っていないし、そんなものは屁でもないのに、向こうの視線を感じなきゃいけない毎日。
ずっとタイムラインを追ってるネット上級者だったらtwitterの観測範囲から、リアルでの行動範囲を割り出すことは可能になると思うけど、「二郎なう」とか通過駅名とか言わなきゃ良かった。多分コイツは私の生息範囲を知ってるし、昨日何本のうんこを出したかまで知っているに違いないんだ。
リア充ではてな付き合いのいい人たちは、はてなのコミュニティでもオフ会とかばんばんやってるみたいで、すごいなーと思う。
はてなみたいなちょっと時間的隔たりのあるコミュニティでオフ会が出来る人ってすごい。すげえよあんたら。
twitter始めた頃は「twitterやってたら3ヶ月でヤれました」みたいなことの現実味がなかったんだけど、そういう処世術の上手い人達もいるんだな、ってことぐらいは分かってきた。
でも私みたいな非リア充で世渡りの上手くない人は、自分の興味もない人から執拗に迫られて、拒否することも出来ずネットの片隅でずぶずぶと埋まってったり、妊娠しちゃうのがオチだ。
そのうちdとか投げられてレイプされるんじゃないかなーと思ってる。
例の
の件のことなのですが。
人それぞれに、色々な意見があって、さまざまな価値観があって、色々な意味で面白いのですが、自分の中ではもやもやしてすっきりしない部分が多々ある。
公然猥褻とはいわないけど、恥ずかしいことをやめてほしいって気持ちは理解してほしい。
私に勝手にさわらないで。
私の精神に侵入しないで。
私に無理な同意を押しつけないで。
私の親のことを悪く言わないで。
私のパブリックもプライベートもコントロールしようとしないで。
私に楽しむことを強要しないで。
私の話を無視しないで。
私に給料を払っているからと言ってすべてを握れると思わないで。
私に金を借りているんだから金を無駄遣いしないで。
私のやりたいことを制限しないで。
つかれた、こういう女。
所々わざわざ太字にして書き込んだりしてる辺り、poponsが
既に矛を下ろしてるというかそもそも当人は矛を上げてすらいないし
だとは思えないけどなw
迷惑電話がかかってきたら取り敢えず出てみて、
「○○さんですよね?」と聞かれたら
「いいえ違います」「増田(偽名)です」と言い張る。
「間違えてすみません! 良い機会なのでお話させていただけませんか!」みたいな事を言われても
「忙しいんで」とかかんとか言って電話を切る。
うまくいくと、相手が持ってる名簿が更新されて、電話自体がかかってこなくなる。
一時期、迷惑電話が頻繁にかかってきて、
いいかげんキレたので「ちげえよ! 間違えんなカス!」とばかりに上の様な対応したら、
もうかかってこなくなった。
付き合い初めてすでに5年以上経過してる。
それなりにやることもやってる。
そんな、やることをやったあとのトークで、彼女が口を滑らせた。
「高校の時に、彼とHが出来なくて悩んでたなー。大体、処女と童貞で、そういう事なんか上手く行くわけないんだよね」
ははは、そりゃそうだ。
「こればっかりは、男には分かんないよ、こんなもの(つまむなw)が入るとか、その時は絶対信じられなかったもの」
んで?結局どう決着したん?
…は?
「あ、あれ?あ、ちょっとごめん、今の無し」
マテこら、お前初めての相手が高校の教師?(それなんてエロゲ?)
「うわー。。誰にも話したことないのに。何言ってるのかな私」
何でも、彼とのHが上手く行かずにトライ&エラーってた頃に、当時ソコソコ人気あった先生から飯に誘われ、その後するべきことをしたと。
その時色々教えてもらったことで、彼とのHも上手く行って、その先生とは1回だけでその後全く何も無かったと。
正直、付き合っている贔屓目ではないが、彼女は結構聡明だし、その場のノリで何でもやらかしてしまうような性格とは程遠い女性。
焦りもあったんだろうけども、恐らくは(若さが成せる事ではあっても)計算づくでやらかした事なんだろう…と、納得してしまったわけで。
田舎の方では、割とその辺の、初めての人を経験させる的なモノがまだ残ってるのかなとか
ホントにその後何も無かったのかとか、しかしホントに何も無かったのならその先生はどういう気持ちになったんだろうかだとか
その時の彼氏にちょっと同情したりとか
つか、初めての女性に「舐めてみる?」とか教えてんじゃねーぞとか
実際その時に何が起きたのかとか
一回経験すれば上手く行くモノなのかとか
その貴重なモノを頂いた時の感想はどんなモノなのかとか
そんな、実にどろどろとした感情を持ってしまったわけ。
多分。女性は男性よりも早く大人になる「事が出来る」性なんだろうし。
そういう、普通なら決してその2人以外は知ることが無いHというものも、結構あるのだろうし。
上手く人生渡っていける奴は、処女だとか童貞だとか、そういうモノですら上手くトラウマになったりしないように、捨てる事が出来るんだろう。
そして、そういう人は、こういう問題をさらっと受け流す事も出来る人生を送れるのだろう、とも。
俺はもちろん、それをさらっと受け流せない人生。こういう事を経験したのは、社会人になってから。
未だにこんな話題のエントリが有れば、はてブを打って家に帰ってきて読んでしまうような、ヒドイこじれ方をしてる。
ほんと、Hなんかすでに散々してるっつーのに、ね。
ここにこんなことを書いてるのも、きっとこじれてるのが原因。
処女だとか童貞だとかで盛り上がれるのは、そういう事に対して、上手く経験することも、立ち回る事もしない事を「選んだ」人の末路。
それが悪いことなのか、良いことなのかは、正直分からないけど。
別に彼女との仲を悩む訳でもなんでもないけど、この事実を知ってしまったという事を、これだけうじうじと、増田で書いてしまうって事自体がしょっぺぇ。
そういう人生を選択したのは間違いなく俺だって事実がくだらねぇ。
すでにここに書き捨てるってことだけで、目的は果たしたから、この辺で止めとく。
薬にも毒にもならない、時間の無駄文章にお付き合い頂き、すいませんでした。
最後に、その、アレだ。その時の先生とやら。仮にも教師だろ、とはいわねーけど、自重位しやがれ。あと、変な知識を教えてんじゃねーぞ。
そりゃまあ、誰が見てもイケメンっているよ。
外人とか、芸能人の無茶カッコいい人とか。でもさ。女性側から見れば、好みとかもあるわけじゃない?あ、いっとくけど俺は男でブサメンね。はい、サーセン。話しずれちゃったけど、もどすね。女性からしてみれば、この芸能人のイケメンはカッコいいけど、私の好みじゃないとか、あるわけじゃない。多くの人が見てカッコいいイケメンへの評価も、ま、それぞれじゃないかと思うんですよ、まず一つは。
はてなで例をあげると、俺から見たらy_arimとか間違いなくイケメンだよ。彼にはイケメンとしての発言をしてほしいものだと思う。非モテ属非イケメン科として発言してもらっては困る。非モテ属イケメン科として発言して欲しい。ま、これは俺の独断だから強制力はないんだけど、そういうわけで、イケメンの定義はあいまいなんだよね。
y_arim氏に限らず、非モテ諸氏の中には、イケメン科の人は結構いると思う。ただ、自分でそれに気づかない、もしくは気づこうとしない、もしくは認めようとしない人が結構な数いると思う。ちょっと髪型を変えればとか、ちょっと服や靴を変えればとか、そんなきっかけで結構どうにでも変わるんじゃないかと思う。ま、自分で言っててなんだけど、俺はどうあがいてもイケメンにはなれないですけど。サーセンw。あとy_arim氏引き合いに出してすみません。顔出ししてるはてなの方はy_arim氏しか知らなかったので。あとはてなの方ではないけど、顔出ししてる人で言えば、dankogai氏も割とイケメンの部類だと俺は思う。みんなはどうかな?
あと、イケメンって顔だけじゃないだろ。生き方とか心とか、なんか男としてにじみ出る物があるだろ。顔はブサでもなんか魅力的な顔だっていう奴がいると思う。そういうの、たぶん「イケメンに限る」には入っていないと思うよ。そういう人もイケメンなんだと俺は思う。何か乗り移ったようなかっこよさってあると思う。そういうかっこよさって、男ならっていうか人間ならっていうか、いくらでも出るんだよ。dankogai氏はそういう意味で言うと無茶苦茶イケメンなんだと思う。
たぶん、ブサとか関係ないって。いける、いける。俺はいけると思った時点でイケメンになれるんだよ。水だって「イケメン」って紙に書いて容器に貼って凍らせたら綺麗な結晶が出来るらしい。いや、綺麗な結晶が出来ると思い込ませるような勢いが出るんだ。大事なのは、科学じゃない。勢いだ。雰囲気だ。科学は立証しないといけないかもしれないけど、イケメンは雰囲気でいい。勢いでいいんだ。
俺は今思えば、神をも恐れぬ行為だと思うけど、ブサメンでありながら、自分自身がイケてると思い込んでた時期があった。いや、今よりブサ度は高かった。それでもイケてると思っていたからか、彼女が出来、結婚した。今はとてもイケてるとは思えない。笑えるくらい哀れなオヤジだ。そういうわけで嫁の尻に轢かれている。サーセン(´;ω;`)
ま、話がズレたが、そういうことで、誰でもイケメンになれると思う。
2008/11/24(月) 23:22:33
【6日目】
ここ最近で珍しく長期間オナニーをしてないんで、ついでにオナ禁に挑戦します。
朝シャワー浴びてても何もしてないのに、チンポはビンビン。
仕事中も、たちはしないものの、絶えず、我慢汁が出ているような感触でした。
何かの刺激で、ピュッっと出たらどうしようとドキドキしながら仕事してました。
仕事から帰って、気が抜けると、しごいてないのにビンビン。
今ちょっと収まったけど、半起ち状態。
そんなところです。
2008/11/25(火) 08:44:12
【7日目】
朝起きたらすげームラムラした。
ようやく収まった。
いや、やっぱムラムラする。
2008/11/25(火) 10:43:40
【7日目】
シャワー浴びてしばらく裸でいたら気がついたんだけど、
しごいてないのに我慢汁がたらたら出るんだけど、
みんなこんな感じ?
パンツにいつも染み作ってるんだろうな。
2008/11/25(火) 17:41:06
【7日目】
さっき小便したら、その後に精液が出てきた。
もう、これ以上溜められないんだろうな。
今晩当たり夢精しそう。
2008/11/26(水) 朝5時頃
【8日目→リセット】
2008/11/28(金) 13:16:06
【2日目】
水曜日(8日目)の朝、ムラムラして仕事にならないと思って、起きてすぐ抜いちゃいました。
オナニーしなかった期間、ムラムラはするけど、体のだるさはなかった。
これからもなるべくしないようにしよう。
僕はMacユーザだ。最初に買ったのはスケルトンのiMac。FirewireとDVD-ROMがついているやつで、色はグリーンだった。OSはMacOS9.0.2。もう10年近く前の話だ。
僕がMacを買ったのは、ひとえに絵が描きたいからだった。正直Windowsにするかどうか、とても悩んだ。でもその頃買った色彩王国という色の塗り方をプロにインタビューした本では、CG塗りをしている人はMacを使っていた。だから僕もMacを買った。その頃は絵のプロになる気満々だったから、A3までプリントでき、カートリッジを交換すれば同じくA3までスキャンできるプリンターと、とても高かったけどPhotoshop 5.5J、そしてタブレットも一緒に買った。さすがにタブレットまではお金が回らなくて、Favoの一番安い奴になっちゃったけど。本を読んでPhotoshopでの絵の塗り方を勉強した。自分なりにいろいろいじって、デジタルトーンのかけ方を覚えたりもした。それで僕は満足していた。その頃に描いた絵は今もちゃんととってあってpixivにアップしてあったりする。
でもMacに不満がないわけでもなかった。興味本位でプログラミングをやってみたいと思っていたけど、ネット環境もなく大型書店もない田舎住まいの僕にはMacでのプログラミング方法なんて分かんなかった。それに、爆弾がよく出たりとか、どこにファイルを置いたのかすぐ忘れてしまったりとか、そういうところでも不満があった。
そして、絵のプロを目指すとか思っていたのに、いろいろ思う所あって実家を離れ大学に進学した。学科はプログラミングが出来そうな情報系を選んだ。そして大学で、コンピュータ室の管理のアルバイトをすることになった。
そのアルバイトでは、大学で使っているUNIXシステムのユーザサポートと、その他の雑用をやった。雑用用にはWindowsXPだったか2000だったかのマシンを使わせてもらえることになった。そして驚いた。WindowsはMacよりも使いやすかったことに。
ユーザのホームがあってその下にマイドキュメントがあって、とどこにファイルを保存すればいいのか簡単に分かったし、それゆえ作ったファイルが行方不明になってしまうこともなかった。安定性も高かった。
ただ、プログラミングに関しては大学の授業とバイトの兼ね合いで、WindowsではなくUNIXを使ってやることになった。最初に覚えたのはCだ。UNIXの世界に触れたのも、僕にとっては非常に大きなカルチャーショックだった。それまでアイコンをクリックして何かが出てきて、といったGUIの世界しか体験したことのない僕にとって、コマンドを打ち込んであれこれやるというCUIの世界は、なんと言ったらいいんだろうか?効率性とかそういうものも当然感じたけれど、でもそれ以上にコンピュータの原点というか、よりコンピュータの弱いところというか、コンピュータに自分が降りていくというか、そんなことを感じた。変なことを書いたがとにかく、コマンドを使ってファイルを作って消して実行して、自分がどこに居るかということは見た目ではなく自分の頭の中で把握していなければならない、自分の他にもコンピュータのユーザが居る、まるでコンピュータの中のマンションに住んでいるような錯覚を覚える文化に、虜になったとまではいわないが非常に感銘を受けた。
さて、次に買うマシンはどうしよう?と思ったとき、僕はWindowsを買おうと思った。UNIXシステムは大学にあるし、Linuxを入れるにしてもまずはPCを買わなければならない。そう、このとき僕の中で2代目のマシンをMacにするという選択肢は綺麗に消えていた。しかし、そんな僕を変える出来事があった。MacOSXとの出会いだ。
バイト先ではどんな環境のユーザから問い合わせがあるか分からないから出来る限りいろんな環境を揃えなくてはならないという理由で、2台だけだったがMacも置いてあった。僕がMacユーザだと知った技官の方は、そのMacの管理を僕に一任した。そのMacに当時ですら古かったMacOSX10.0が入っていたのだ。
この最初のMacOSXは評判が悪かった。すぐ固まる、落ちる、今までのソフトが使えない、そんな悪評を僕はマックの雑誌で沢山目にしてきた。しかし実際にこのMacOSX10.0をみて、それらの評判がそう的外れなものではないということはすぐわかったが、MacOS9に比べると、Windowsのように自分のホームがあって基本的にファイルがそこに置かれるというところは改善点だと思った。だがそれ以上に僕を魅了したものがあった。ターミナルの存在だ。今までのようにGUIを使ってファイルを作ったり移動したりすることができる。しかもそれをUNIXのように(実際UNIXなのだが)CUIの世界から眺めることもできる。その逆もしかり。それにWindowsでは面倒なUNIXへのログインも、sshを使って簡単にできる。そんなことにとても感動した。そしていろいろ調べているうちに当時最新のMacOSX10.2だったらX11betaも使うことができると知って、技官の方や先生へ直談判した。技術的なことにどん欲な彼らはそれに非常に興味を示し、MacOSX10.2を買ってもらえた。僕は早速それらをインストールし、Mac上でUNIXサーバからEmacsの窓を引っ張ってきた。それだけのことであるが、それがたまらなく楽しかった。いつどこの研究室からどんな問い合わせが来るか分からないから、暇なときはMacを使って勉強しなさい、と言ってもらえ、僕はMacに夢中になった。日本語Texを入れたり、Mac上でCやJavaの勉強をしたりと、それはとても楽しい時間だった。そんな僕は次のマシンもMacにするぞ、と固く心に近い、そしてその通りまたMacを買った。友人達がコンピュータ室にこもってプログラミングの課題をこなしているとき、僕は早々に家に帰って自宅のMacからサーバにログインして課題をこなしたものだ。
今この文章も、当然Macで書いている。今はWeb開発系のバイトをしていて、その上でもMacはいい選択肢だと思っている。ペーペーの僕の遥か上を行く開発チーフ達もうちの会社の場合ほとんどMacだ。ApacheをはじめとしてWeb開発に必要なものはほとんどあらかじめインストールされているし、足りないものはMacPortを使ってすぐにインストールできる。ブラウザでの表示確認にはSafari、Firefoxをはじめとしたモダンブラウザが使えるし、Parallels Desktopを使えばWindowsもインストールでき、そのブラウザからMac側で動かしているWebアプリの表示確認をすることだって出来る(たいていはIEに失望することになるが)。
絵を描きたいというところから始まった僕のMac人生だけれど、Web屋もどきになった今でも重宝している。これからもよっぽどのことがない限り変えることはないだろう。非常に長く主観的な思い入ればっかりの文章を書き連ねてきたけど、これが僕がMacユーザを続けてるわけ。
http://anond.hatelabo.jp/20081127225711
席を探している杖を持った老人とかがいたら譲る。
席を探してる感じはない老人が目の前にいたら、何も言わずに席を立って入り口の方に移動。
大抵はそこに老人が座る。
老人扱いされて断る人もいるから、消極的だけどこんな感じで席を譲ってる。
最近、youtubeで聞いてんだけど、昔みてみたかった映像が今簡単にみられるんだと、今ごろになって気がついた(遅すぎ)。若々しいクライバーのリハーサル風景とか(クライバーのこうもり序曲、ニューイヤーのより、ミュンヘンのライブ映像のほうがずっとすばらしい。下品でざっとしてるのに楽しくてウキウキする。これでなくては)。ああ、いい時代だなあ。こんなの、ただで見ちゃっていいのかな。
で、ウ゛ェルディの運命の力序曲の聴き比べをした。
http://it.youtube.com/watch?v=kJ-anabq2zM
ライブだからまだのってないのかもしれんが、たとえば最初のバイオリンのテーマをレガートで歌わせる理由が分からない。もうひとつのってこない。
次はカラヤン。
http://it.youtube.com/watch?v=dhmS5ILD5pA
冒頭の重重しい金管といい弦といい、分かりやすくて面白い。ああ、ここは神様だ、これは人間だ、ははあ女の子が出てきて恋をするけれども男たるもの戦さをして見えざる力と戦わねばならんのだな、ははあ、と筋が全部分かる。そういう風に演奏している。うまい。
で、トスカニーニを聴いてみたんだが。
http://it.youtube.com/watch?v=9JQvyg3kJ54
この映像は昔見たことがあって覚えてる。まあ、どうだったかなと気楽に構えてたわけで。
ところが、メニューインのインタビューなんかどうでもいい。コメント欄ではテンポの速さが議論になってるがもうどうでもいい。速すぎて弾けてないところがあるとかそれもどうでもいい。
金管は重重しい神というより厳しくて怖い感じがして、人間がそれに対抗するのだという意図がすこぶる明瞭、愛しい彼女が出てきてなんたらかんたらあって戦争もあって、最後の一番盛り上がるところ。5分8秒くらい、ここだ。ストーンとテンポを落とす、このあざとさ。あざといの分かってるのに、やたら感動してしまう。ムーティでもカラヤンでも、こんな感じはうけなかった。
よくよく聴いてみると、トスカニーニは無茶苦茶にテンポ動かしてるんだな。それでちっとも変に聞こえない。聞こえてくるのは、この音楽はこーだー!!!!お前らわかったかーーー!!!!の叫び声だけ。ほとんどハードロックだ、気持ち的には。
で、ベートーベンも聴き直したがやっぱりハードロックなんだねえ、これが。ワーグナーとか、バイロイト仕込みのせいか知らんがイタリア人のわりにワーグナーの響きになってて感心した。
いまこんな演奏はできない。このハードロック調ではオケのほうが多分に引いてしまう。気持ちでついていけない。
それをやったトスカニーニはすごかったんだね、きっと。ドイツ系の指揮者が日本では人気だけど、ああ、イタ公、なかなかやるじゃねーかって思った。