はてなキーワード: けいおん!とは
けいおん!とか苺ましまろ的な、女の子だけのユートピアとしてのソフト百合はこれまでもこれからも市場がありそうだけど
ガチはもともと人気なかったんじゃないですか?
物語に限らず、自分の精神を安定させるための基盤を外的な何かに求めるというのは、それほど変な話でもない。むしろよくある話だ。
組織や人間集団への帰属感、特定の地理的領域への執着(その地はしばしば故郷と呼ばれる)、その他いろいろ。宗教だってそうだ。
ここまでの一般論は
前段の一般論は俺自身もその通りだと思うけど、「けいおん!への傾倒を宗教になぞらえる人」が、
どのような意味で宗教となぞらえてるかを見ればそのつじつまの合わなさが一目瞭然でしょう。
あなたが詭弁を使っているんでもなければ、あなたは一般論と具体論の区別がついてないと思うよ。
aoi_tomoyuki 増田, アニメ, 人生 私の高校生活はクソで死にたい死にたいいってましたが創価学会が救ってくれました。もう苦しむ必要はないんだ! ありがとう創価学会! これとどう違うの?
tororo-imo ( ゚д゚)ポカーン, これは困った, 宗教, 社会 これって、「特定宗教」が「救済」するパターンそのままだよね。ただこの人にとっては「けいおん!」だったというだけで。 / これを「いい話」と思っている人は頭を冷やした方がいい。
kokutou_gareria いつからこんなにアニメって宗教じみてきたんだろう。いや、別に悪い意味ではなくて、社会学的な観点から興味がある。オウム後の新興宗教団体が地下に潜ってから・・・?
rosaline これはキモい イッちゃった右のヒトが「ヤスクニのエイレイ」「セカイイユイイツのバンセイイッケイ」とか言うのと同じ匂いがする/他者の栄光を写し取って自分の過去に貼り付けて何の意味があるのやら/しかも現実ですらねぇ!
「宗教」およびそれに通じるような意味合いで彼女の「救われ」を否定して潰そうとしている人が使う「宗教」という言葉の使われ方からして、
今から十年前のことだ。
あの頃は、今よりずっと人付き合いが苦手で、でも一人でいるのも恥ずかしく、必死で友達を作ろうとしていた。
いじめと呼べるほどのものではない。ただ昨日までは机を突き合わせて一緒にお昼を食べていたのに、今日になると突然私の机だけがはじかれているとか、聞こえるギリギリくらいの声で悪口を言われるとか、そういった地味な仲間外れが度々起こった。一大決心で他のグループに入れてもらっても、仲良くなるとそこでは売春や万引きが当たり前だということが判明。自分に合う友達はなかなかできなかった。
卒業間近にはようやくあるグループの中になんとか入ることができたけれど、「高校生活、うまくいかなかった」という感情が残ってしまった。そして最終的に仲良くなった子たちとも、卒業後何年かしてちょっとひどいことが起こって、付き合わなくなった。
卒業アルバムは捨てた。学生時代のものは、もうほとんど何も残っていない。
「死にたい」って言葉ばかり並んだ、あの頃のノートだけは捨てられずにいる。
毎日お茶したり、お昼を食べたり、放課後には当たり前のように集まってじゃれ合っている。
憧れの日々。
1期と2期を通して見ていたら、一緒に高校生活を楽しんでいるような気分になった。
そしてふと思った。ムギって、ちょっと浮いてるよね。
なんだかんだ言って幼馴染って特別な絆なんだ。律は澪で、唯は和ちゃん。あずにゃんは後輩だからまぁいいとして。あの「みんな仲良しだけど特別仲良しはいなくてちょっと浮いてる感」が、うまくいってる時の私とちょっとダブった。ただし逆のベクトルで。ムギの場合は一人だけお嬢様だけど、私は一人だけ貧乏な家の子だった。みんなは大事に育てられてる子たちで、私はその逆。
決めた。
私は高校時代を、この桜が丘高校軽音部で過ごした。
毎日みんなと一緒にお茶して、いっぱい笑って。
中でもムギと特に仲良しだった。
そういうことにした。
だからもう苦しむ必要はないんだ。
職場での世間話の途中で学生時代の話になったり、テレビに高校生が映ったりする度に落ち込んだりしなくていいし、彼氏が友達の話をする度に自分たちを「うちら」と呼ぶことにいちいち傷つかなくたっていいんだ。唯が「卒業アルバムは一生残るんだよ」って言ってたけど、私の卒業アルバムは大嫌いな人たちが載っている捨てたアルバムじゃなく、みんなに髪を整えてもらって撮った桜が丘のアルバムなんだ。
多くの人にとってはただの萌えアニメかもしれないけいおん!だけど、私にとっては青春だ。
けいおん!ありがとう。
大好きを、ありがとう。
ずっとずっと苦しかった三年間の思い出を、書き換えてくれてありがとう。
http://anond.hatelabo.jp/20100831203134
はっきり言って、HMV、Right On、ピンクラテ、IKKA、ヴィレッジヴァンガード、ワーナー・マイカル、無印良品がある程度で「擬似東京」なんて言う人がお目出度すぎる。あんなもん、東京資本が中国の工場で作ったものを売ってるだけで、別に東京の文化を売っているわけでもないし、東京の記号ですら無い。確かにそれっぽい服を買ったり、けいおん!のCDを買ったり、特攻野郎Aチームを見に行くにはいいかもしれないけど。でもそれ、別に東京じゃなくてもできるじゃん。
そういうわけで、本当に擬似東京「トーキョーモール」に有るテナントを妄想してみた。
紀伊国屋でも三省堂でもなく青山ブックセンター。今となってはブックオフ傘下となってしまい、スノッブハイソ書店としての地位はすっかり凋落してしまったけど、それでもここで洋書や美術書を買ったり、トイカメラを買ったりするというのは、一種のトーキョー的消費じゃないだろうか。どれもこれもアマゾンで買えるものだけど。
イオンモールがランドマークになるようなクソ田舎で一番文化的にレベルが下がるのは映画。フジテレビとかが制作するような映画とか、ハリウッド大作とかはワーナー・マイカルで十分だけど、ユーロスペースでやるような単館系は田舎じゃ見る機会がない。いや、それどころか「涼宮ハルヒの消失」ですら見れない県は沢山ある。
ここも青山ブックセンターと同じで、アマゾンで買えるんだけど、でもかつての田舎の音楽少年ってここに憧れてたよね。
去年のここの銀座店オープンの時、田舎のおしゃれ好きさんたちが、現金握りしめてならんでたよね。
アップルストアを家電量販に含めるのは間違っているんだけど、扱い的にここ。MacもiPhoneも別にヤマダ電機で買えるんだけど、最上階でやるワークショップとかイベントとかはアップルストアでしかやっていない。
あとは神田古書店街とか下北沢のライブハウスとか秋葉原とか中野ブロードウェーとか色々あるんだけど、それを言い出すとモールじゃなくなるので除外する。
2009年に放送され、ヒットを記録した「けいおん!(一期)」はまだ記憶に新しいが、その続編である「けいおん!!(二期)」の人気にはいささか翳りが見えてきているようである。
まず、客観的数値として一番わかりやすいそれぞれの初動売上を比較してみよう。
一期1巻:40,452
二期1巻:33,078
数字としては約2割も売上が落ちている。
もちろんキャンペーンの差であるとか、様々な要因が考えられるが人気作の続編としてこの下落率は大失敗と言わざるを得ない。
ここで本題である、「なぜけいおん二期は失敗したか」について考えてみたい。
あまり長いことを書いても読んでもらえないと思うので真っ先に考えられる一番シンプルな理由だけを極々簡単に紹介してみたい。ずばり、二期は全体的にヌルいということである。
一期は言うまでもなく高校入学から軽音楽部入部、そして初めての楽器演奏といった主人公唯の成長譚としても観ることができた。そして1クールという短い回数の中で二年間の成長がうまくまとめられていた。
まじめに練習しているシーンがないと重箱の隅をつつく人もいたようだが、短い尺に納めるため、練習していることは前提としてそれ以外のより重要なシーンを描くことに重きを置いたと解釈するのが自然だと思う。
一方で二期目はどうか。そもそもの話として、二期は一期の成功を確認した上での企画であると思われる。二期を観ていると一期で評価された部分にスタッフが味を占め、そこをあざとく強調しているようにしかみえない。
もちろん一期の短い放送回数では描ききれなかった日常シーンを望む声はあるだろう。けれど、実際に放送された二期をみると制作側からのチャレンジ精神は見えてこず、安易な需要へのフィードバックだった。
つまり、二期は「空気系」および「日常系」といった単語で安全圏に引きこもり、惰性でなんの起伏もないシーンをだらだらと続けているだけである。
過去に大ヒットを記録したアニメは例外なく多くの論争を巻き起こした。某ロボットアニメを例にとるまでもなく、歴史に残るような作品はすべて多大なる長所と短所を包含し、ネット論壇において、放送当時はもとより未だに議論の対象となっている。
ここでけいおん二期に話が戻ると、この作品に至っては「短所」がほとんど存在しない代わりに「長所」も皆無である。一期の成功を前提に無難に無難に作られた作品であるが故に評価すべき点がまったくと言っていいほど見あたらない。
ネットを見渡してもこの作品について精緻な考察を繰り広げているブログも存在しないのではないか。あるのは、キャラに対する表面的な萌えの声や、“あるあるネタ”への共感のみである。
「けいおん!」(一期)は確かにヒットした。時代をうまく汲み取っていたし、批評性があるように思われた。けれどそれに続く二期は、うまみを知って舞い上がった制作陣による、薄く引き延ばした劣化レプリカ、失敗した二次創作、もしくは傲慢な京アニから放たれる醜悪な排泄物にすぎない。
京都アニメーションはこれまで時代性をうまく作品に反映し、優れた技術と相まってその時々を代表する作品を生み出し続けてきた。そういったアグレッシブなメンタリティこそが京アニの真価であり、圧倒的な人気を誇ってきたゆえんでもあろう。
その京アニがけいおん二期という冒険心のない凡作を生み出してしまったという事実は大きい。
一般メディアや中高生向けクラスタへの露出の多さから関連商品は売れ続けるだろうが、その求心力はどんどん衰えていくだろう。
確かに新しいことにチャレンジすることのリスクは大きい。それが京アニという巨大ブランドであればなおさらだ。しかし、当初のコンセプトを失い、目の前にぶら下がった利益だけをむさぼり続けた企業が衰退していくことは歴史が証明している。
京アニには腹の周りについた醜い贅肉をそぎ落とし、いつまでもラディカルな制作集団でいてもらいたい。けいおんはその意味でとてもいいクスリになったはずだ。
もう無理なんだよ。
そのキャラの性格なんか変えようと思えばすぐに変えられるよね、
それはもう公式になる。それが嫌で嫌で悔しくてたまらない。
ねえ、なんで?なんで2期をつくっちゃったの?
つまらない水かさを加えてまで2クールでやる必要があったの?
ああ、
俺たち萌豚の寿命を延ばすためですか
そしてけいおん!にすがる萌豚から金を巻き上げるためですか
ついていけなくなったのは俺の責任。あんなに好きだったけいおん!を
これ以上俺みたいなやつが汚すわけにはいかん。
だから今後一切かかわらないようにするよ。大好きだったころのけいおん!
への想いも情熱もなにもかも捨てる。
本当に本当に好きだったよ。さようなら。
池上彰「今回、なぜ、平野綾さんが恋愛経験を語っただけで騒動になったのでしょうか?ひとりさん分かります?」
劇団ひとり「え~っと 綾ちゃんがアイドル声優だからですか?」
池上彰「正解です。その通りなんですね。では、なぜアイドル声優だから、これ程騒がれるのか解説していきましょう。
キーワードは『アイドル神話の崩壊』です。従来、アイドルと呼ばれる人はトイレにもいかない、虚像的なイメージを持っていたんです。
それが80年代に入り、おニャン子クラブの登場でごくごく普通の女の子がアイドルになって、この神話は崩れました。でも、もうお判りですね。土田さん?」
土田「そのアイドルの代わりに声優さんが、このイメージを持つようになった……」
池上彰「そうなんです。アニメという二次元的なイメージと密接に関わる声優さんは、虚像的なイメージをもたれやすいです。
『声優は最後のアイドルだ』と言う人も少なくありません。彼女たちもこのことをわきまえて、アイドルを演じています。
その筆頭格の一人であった、平野綾さんが恋愛経験を語ったんだから、騒動になるのも当然なんですね」
柴田理恵「ああーなるほどー」
池上彰「いい質問ですね。この騒動で幻滅した平野綾さんのファンは、スフィアの四人に移行すると言われています。
彼女たちは11月に武道館ライブも決定しています。言わば、ノリにノッている声優グループです。
平野綾さんの騒動が彼女たちの更なる起爆剤になることが予想されています」
池上彰「そうなんです。ひとりさん!!いい所に気が付きましたね~
平野綾さんの代表作と言えば『涼宮ハルヒの憂鬱』ですね、彼女のファンの多くはハルヒからファンになったという人も少なくありません。
スフィアで一番人気と言われている、豊崎愛生さんは『けいおん!』の平沢唯役で大ブレイクしました。
土田さん、もう、お判りですね?」
池上彰「そうなんです!この現象は京アニブームの移り変わりを上手く象徴しています」
柴田理恵「じゃ……綾ちゃんはどうなるの?」
池上彰「またまた、いい質問ですね~ 恋愛経験を語ると同性に好かれます。
昨晩の騒動は熱狂的だったファンを減らして、代わりにライトな女性層を獲得する意図があったですよ。
これが成功したかどうかは、これからの彼女の頑張り次第です」
劇団ひとり「いやー、すごくよく分かりました」
池上彰「でも、皆さん、これだけはわかって下さい。演じるということは経験を積むということです。
普通の女性のように恋愛経験が合ったほうが演技に幅が出ると思いませんか?
彼氏が居ても、居なくてもファンは一途に応援しましょうよ」
柴田理恵「そうよね。22歳で恋愛経験が無い方がオカシイわ。アタシだって、綾ちゃん位の歳で彼氏居たわよ~」
池上彰「最後に答えづらい質問が来ちゃいましたね(汗)~
えー喜多村英梨さん、伊藤かな恵ちゃん、花澤香菜たん、スフィアの四人も当然好きですね。
一同「ハハハッ」
池上彰「いや〜でも、それだけ魅力的な声優さんが多いですよ〜 皆さんも好きな声優さんを見つけて素敵なボイスライフを送りましょうね。本日はここまで、ありがとうございました」
澪に恋に落ちた。
いやね、けいおん!、けいおん!!ともに全話見てるんだが、今までは澪はそんなに好きじゃなかったんだ。むしろなんだこの狙ったキャラは、舐めてんのか、って思ってた。あずにゃんぺろぺろとか言ってた。みちあるいてるときも、たばこすってるときも、ぼーっとしてるときも。
それが、突然。日笠陽子さまを見てから。ぴかしゃかわいいよぴかしゃ。うがぁぁ。YouTubeとかにライブ映像あがってたじゃないですか。あれで泣いてるのがもう、もう、もうっ!!
それ以来ブログ、らじおん、ぴかしゃの出てる他のアニメ、ネットストーカーでごぜえます。けいおん全話見返しても澪しか見てないというか澪の姿をした日笠さまを追っている。これまで声優に興味はなく、声優ヲタとかは作品を見てない(キリッ っとか言ってましたよ そ れ が な に か おれはもうだめかもしれない かあさん、ごめん みおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉー00---=--!!! ぴかしゃー0----ぁあだdsふぁs
誰かたすけて
http://www.youtube.com/watch?v=zyOLb8D8ezI
Utauyo!!MIRACLEがけいおん!分を存分に盛り込んだ卒業ソングなんだろうな、というのは「だいすきーだいすきー」らへんから伝わってくる。
これをまず念頭に置いておく。
ライブシーンにおけるギー太の不在。そして歌っている最中に手に持っているのはマイクじゃなくて「ふでばこ」。
(部室シーンでは持ってます。あくまでライブシーンの話。)
唯の必殺技は1話の冒頭で2期のはじまりを告げる、強いインパクトを視聴者に与えるものであったはずだ。
その必殺技を1話と同じ場所、同じ制服でギー太なしでやっている。
なぜ唯はライブでギー太を手にしないのか。
なぜライブという軽音部の活動のなかで一番の見せ場となる場所で、楽器と唯が同時に登場しないのか。
ギー太は唯の高校生活を象徴するもので、その唯とギー太が分離している状態というのは、
つまり卒業。
卒業しても唯はギー太を手放すことはないだろうし、ギターも続けていくんだろうけど、
2008年夏にストライクウィッチーズが起こした奇跡はまだ記憶に新しい。
ヤマトからガンダムそしてエヴァへと続いたSFアニメ、エヴァ以降に生まれ席巻した萌えアニメ、その両方を奇跡的なバランスで兼ね備えた名作である。
00年代末期にして生まれた00年代の代表作である事は誰もが疑わない事であろう。そのDVD第一巻の売上は推定累計15000本の大ヒット。
だが後の「けいおん!」の50000本、「化物語」の80000本と比べると見劣りしてしまう。
この2作品は実に特殊である。化物語の特徴的な演出は普遍性があるとは言いがたいし、けいおん!に至っては本放送当時、多数の同業者が首を傾げた事実がある。
そんな言わば傷物の作品が何故これほどまでの売上を誇る事が出来たのであろうか。
結論から言ってしまうと「女性アニメオタクにも配慮した結果」である。
化物語も個性あふれる多種多様なヒロインが登場する作品であるが、原作からして女性ファンが多く、アニメも人気男性声優を起用する事で
否応なしに女性を惹きつける事に成功している。
けいおん!は劇中に女性キャラしか登場させず、ヒロイン達も非常に媚びた言動をするキャラクターであり、一見男性向けのように感じるが
その実、女性の嫌がる性的要素を徹底的に排除してあり、加えて、京都アニメーションの高い演出力によるリアルな描写に反した
いかにもアニメ的な言動をするキャラの“ちぐはぐさ”が、逆に「これはフィクションなんだ」と無意識に訴えかけ、女性に抵抗を感じさせない。
そして決定的なのがキャラクターデザイン。いわゆる「萌え絵」と言うものが浸透した現代において明らかに異質な絵柄。何と言うか、非常に“ブサイク”
まるで平安美人のようである。この絵柄は近年の京都アニメーション作品の中に蔓延し「涼宮ハルヒの憂鬱」第二期の中にも見え隠れしている。
特に「らき☆すたin武道館」におけるこなた達を見れば、いかに“けいおん顔”がブサイクであるかは誰でも容易に一目瞭然である。
だがしかしこのブサイクさが重要なのである。「家庭教師ヒットマンREBORN!」におけるヒロインへの女性からのバッシングを代表するように
女性オタクは非常に嫉妬深い。アニメキャラクターへも容赦なく負の感情をぶつけてくる。
けいおん!はあえてキャラクターの外見をブサイクにする事でそれを回避する事に成功しているのである。
そういった様々な配慮により、女性の目にも耐えうる作品になっているのである。
こう言った要素の片鱗は08年秋から始まった「とある魔術の禁書目録」に感じられ、翌年の「とある科学の超電磁砲」に引き継がれる。
09年「けいおん!」から始まり「化物語」「とある科学の超電磁砲」と女性配慮アニメが台頭する中にあっては
男性主観の象徴である百合アニメ、そのブームの延長線である「咲-saki-」が失敗し、「大正野球娘。」が不発に終わったのも時代の必然だったのである。
時代。そう、ストライクウィッチーズ誕生の奇跡によってアニメは一つの限界を向かえ、新たな時代へと進まざるを得なかったのである。
そして10年代に突入した現在、女性配慮の意思を受け継いでるアニメがある。それが「WORKING!!」「Angel Beats!」である。
WORKING!!も「けいおん顔」のようなブサイクさを踏襲し、化物語のように男性キャラクターを兼ね備えている。EDで男性キャラクターを立たせているのは
「バカとテストと召還獣」でも見られた手法だ。そして「種島ぽぷら」のような扇情的な造形をし、女性の逆鱗に触れるようなキャラクターは不自然なまでに隅に追いやっている。
こういった細かい「配慮」で非常に少ない放送局でありながらDVD売上30000本に届こうかという勢いを叩き出している最中である。
そして「Angel Beats!」だ。このアニメも近年のアニメとしては男性キャラクターが多く、直井というキャラに緒方恵美を起用するなど女性に配慮しているアニメである。
しかしこの作品の真価は非常に特殊な設定で、00年代に流行った要素を意図的に詰め込んでる感があるのは誰もが思うところだろう。
真っ先に思いつくのが涼宮ハルヒ以外何者でもないヒロインのデザインと、SOS団を思い起こさせる「死んだ世界戦線」略して「SSS」だ。
意図せずにこうまで類似した設定を作るものだろうか? あえてやっているとしか思えないのである。
では何故そんな、ともすればバッシングの的になる事をあえてやるのか?
一つ思う。
00年代の要素すべてを一途に消費させ、新たな10年代のアニメを始まらせるためではないか。
そんな「架け橋」になろうとしているAngel Beats!が、「女性配慮」という00年代末期に「けいおん!」「化物語」が起こしたばかりの新時代の要素をも
内包している事に驚きを隠せない。……これは偶然だろうか?
古き時代と新しき時代を繋いだAngel Beats!、その終了によってアニメはようやく10年代のスタートを切る事が出来るのだろうか。
7月からは待望のストライクウィッチーズ第二期が開始される。
他にも「みつどもえ」や「侵略!イカ娘」「神のみぞ知るセカイ」そして「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」のアニメ化が決定
話題作が目白押しだ。
それらの中から「10年代のストライクウィッチーズ」が現れる事を、ただひたすら祈ることしきりである。
俺も同じような意見持っていたんだけど、改めて他人が同じこと言ってるの見たらなんか違うんじゃないかって気がした。
つまり、そういった分かってくれない奴らに立ち向かわなければいけない状況であったからこそガンダムみたいなのはリアリティがあったわけだろう。
今もそういった状況は続いていることは続いているけど、当時と全然違うのは「分かってくれない大人には自信がない」ってことだろう。
急激に社会が変わっていく中で、徐々にそのスピードについていけなくなった大人が、子どものことを「分からない」とか「理解出来ない」と表現するようになった。
これは、昔の、いわゆる頑なな大人たちが子どものことを「世間のことを何も分かってないガキ」と断言できたような状況とは全く違う。
そうすると、だんだん大人は立場が小さくなっていき、子どもは子どものやりたいことをやることが賞賛されるようになる。
すると、大人たちも、ブラック企業やパワハラなどの社会問題への注目度から分かるように、のびのび生きられない社会はおかしいと思い始める。(昔は根性で乗り切るのが当たり前)
その結果、いわゆる萌えアニメのような「自分にとって心地よいものしか存在しない世界」が許容され、争いのない「けいおん!」のような世界もいいんじゃね?と思い始める。
どれが良くてどれがダメと言ってるわけじゃない。そういう風に社会が変化したからこそ、文化の面にもそういった気分みたいなものが反映され始めているのではないかなと
私が思うに日常系漫画の面白さ=魅力的なキャラ×多彩な舞台(あるいはシチュ)なんだと思うんですよ。
今までのけいおん!って箱庭と揶揄されるアニメ群でも群を抜いて箱庭度が高かったと思うの。極端な話し、学校と、楽器店と、唯の家とムギの別荘だけで物語が作られていた。
だけど、私の好きなARIAはまさにネオ・ヴェネチア全体が舞台だし、時々不思議世界に行っちゃうこともあるのですが、この不思議世界というのは別にARIAだけに限らず、「GA」でも「あずまんが大王」でも「それ街」や「ちびまる子ちゃん」でもあり以外と日常系ではポピュラーな話しなのです。もっとも不思議世界展開をやれば面白くなるという訳じゃないでしょうが、前述の多彩な舞台の確保には役に立つのだと思います。
それか、「ワーキン」か「マリみて」みたくラブコメ要素を入れるか。「マリみて」がラブコメと言われると違和感がもたれるかもしれないけど、令ちゃんのバカといってロザリオを返したあげくよりを戻したり、可南子と瞳子どっちを選ぶかとかモロラブコメの文脈なんですよね。恋人という普遍的なもので結ばれるか、スールという特殊なものよってむずばれるかの違いだけど。
だから、「けいおん!」も音楽やるより、男性キャラを出してのラブコメとか、唐突にガチになる展開は絶対にあり得ないわけで、琴吹家私有ゴルフ場でゴルフやったり、骨董品屋に行ったり、山荘に閉じ込められて事件が起きてその謎を解いたりした方が面白いんじゃないかと思いました。
とはいえ注意しないといけないのは演奏シーン。、本来なら演奏レベルは読者や視聴者の想像に任せないといけないのですし、梓が入った理由も、上手いからじゃなくメンバーの誰かが親戚か、音楽やっていると知っていて、強引に入れさせるか、逆に澪を最初から知っていて、彼女に憧れてとかそういう理由じゃないと駄目なのだと思うのですよ。もっとも今更それを言うのは手遅れだけど。
どうなんだろうね。
おっしゃる通り、「けいおん!」にしろ、「らき☆すた」にしろ、メッセージ性がほとんど皆無だ。
……ただ、現象としてみると、個人的には結構面白いと思った。
例えば、ロックが駄目になった理由は、金儲けに走ったからだという話がある。
つまり、「体制への反逆」のようなメッセージを発しても、最終的には、「金儲けの道具」としてシステムに取り込まれてしまうという話だ。
では、「反逆の反逆」として、欺瞞的なメッセージ性(例えば、「最後に愛は勝つ」とか)が皆無の作品が若者から要求された結果、上記作品が売れた、という考え方もありだと思う。(もっとも、「金儲けの道具」である限りは、システムに取り込まれるし、大人の手のひらで踊っている訳だが)
その流れが、「嫌儲」への流れになって、例えば、ニコ動なんかの隆盛につながるという考えは穿ち過ぎだろうか。
そのニコ動も、金儲けに走りつつあり、ややシステム(体制)寄りになって来つつあるようだけれど(例えば、事業仕分けニコ生でのNGワードなど)。「体制への反逆」と「金儲け」が根本的に矛盾している以上、どこかでバランスをとるか、何らかのトリック(iPhoneアプリ市場は有望ですよ、とか。90年代の音楽業界はそのトリックがうまくいったからあの盛り上がりだったのだと思うけど)を仕掛けないといけないわけだけど、欺瞞を見抜く(足を引っ張る)のがインターネットのシステムの最大の長所であり、問題点である以上、なかなか難しいんじゃないかなと思うなー、ただ、引っかかるときは引っかかる。熱病にうなされているみたいになる。Twitterのように、とかいろいろ考えられて楽しいと思う。
ゲームも出るし、新作も出るし、ムックも出たし、武装神姫様様ですよ
非オタが多い増田に取っては何コレキモイなんだろうけど、コレ、フィギュアと一緒にアクセスコードがついてきて、それをネトゲに打ち込んだら3Dポリゴンのジオラマスタジオとネトゲのアイテムが手に入るのね
ただ、やっぱり、プラダの靴やシャネルのバッグに僕が興味を持たないのと同様に
世の大半はこれを見ても特に素晴らしいとか感じたりはしない
だからといって、武装神姫愛好家にとっての武装神姫のすばらしさが色あせたりする事はない
そして、愛好家達は関連グッズを買い、メーカーにお金を支払う事でたまらなく幸せになる
例えば、初詣に25円を賽銭箱に放り込んだ人は
神社なりお寺なりに参拝してお金を投げ込む事に有意義な価値を感じている。そういう文化が無い人にとっては無意味な行為に、僕らはお金を払う意味を見いだしている
おなかがふくれるものはほぼ万人にとって等しく有意義なものだけど
三大欲求のどれにも当てはまらないものは、ある人にとって無価値なものが、別の人にとってはかげがえのない価値ある物になる
大多数の人が無価値だと考える物に惚れていると自覚したら、気楽に生きれるようになった
ちなみに一番好きなのはこの子