はてなキーワード: うつ状態とは
心理カウンセラーも「うつ病です」とか「PTSDです」とか言うとまずそうだ、ということは当然知ってる。
でも「うつ状態かもしれません」とか言うのは少し言葉や語尾が変わっただけで微妙だと思う。
あと「休ませた方がいいです」とか本人や職場に助言したとしたらどうだろう?
別に専門家として命令してるわけでなかったり、正式な文書にしなかったとしても、結構なインパクトがあると思うし、こんな感じの発言って"治療の指示"にならない?
どちらもグレーゾーンだと思うけど、厚生労働省や司法はこの関連でトラブルが起きたらどう判断するのかな?
まあ、薬を処方したりとか、注射をしたり、診断書を書いたり、なんて明らかに医師しかしてはいけないことをするわけはないのだけれどー。
でも精神科医の中には心理カウンセラーが国家資格でなく、乱立してるから「勝手に診断してけしからん!」なんて考えている人もいるらしいと聞いたので気になってる。。。
http://www.geocities.jp/botsuwan/newpage4.htm
「双極型」の躁うつ病についてです。「双極性障害」とも言います。躁状態(躁病相)とうつ状態(うつ病相)が繰り返し現れます。20??30歳くらいと、50代以上の高齢者に発病しやすく、精神分裂病(統合失調症)が遅くても40歳くらいまでの発病なのに比べると、高齢で初発することもありうる病気です。
うつ状態(うつ病相)の症状については既に述べましたので、躁状態(躁病相)の症状についてお話しします。躁状態では易刺激性(些細なことで怒りっぽい)、多弁、多動、行為心迫(次々と何かをせずにはいられない)、不眠(眠れないのではなく眠らなくても平気)、観念奔逸(話すことのまとまりが悪くなる)、誇大性などが見られ、周囲に多大な迷惑を及ぼします。しかし放置していても自然寛解(自然に病状がおさまる)する場合も少なくないため、性格の問題(時々怒りっぽくなる人etc.)の問題として長年(何十年と)治療を受けずに放置されている場合も少なくありません。単極型のうつ病と同じく病状がおさまれば普通に生活ができ、人格変化などを残すことが少ないため、一見して精神の病気と気づかれにくいのでしょう。
しかしさすがに躁状態のひどい時は周囲に迷惑、被害を及ぼしますので、警察などが介入して精神病院入院のやむなきに至ります。このときは本人は自分がどう悪いかがわからなる一方で(病識欠如)、強制入院させられたことだけは覚えていて、入院させた病院や家族に不満を持つことになります。このため寛解後は通院、服薬を中断しがちです(どう悪いかがわからず強制入院させられた訳ですから無理もありませんが・・・)。したがって急性期の強制入院はやむを得ないことながら、できるだけ早い、軽症なうちの精神科受診が望まれます。(H16.2.2??2.3)。
躁うつ病の治療は躁状態、うつ状態の治療はもちろんですが、長期的にみて大切なのは躁とうつの波を小さくする「病相予防効果」「再燃予防効果」のある薬を長期にわたり服用してもらうことです。
躁病相ではイライラ、興奮などが目立ちますので鎮静作用の強い薬を使います。うつ病相では抗うつ薬と休息を中心としたうつ病の治療を行います。しかしこれでは躁病相、うつ病相が現れたときにその場しのぎの治療をするだけになってしまいますので、「ムード・スタビライザー(mood stabilizer)」と呼ばれる薬を長期にわたり服用してもらい、病相予防、再燃予防をはかります。この薬は躁病相でもうつ病相でもない時期すなわち「中間期」でも服用が必要です。
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俺の見たてではありむーの病状は
単なる寝不足
猫を飼っている。完全室内飼い。
たまに外に出たがってうるさいので、抱えて車道直前まで行く。
するとビビリ入って必死でしがみついている。
一年のうちに10日も外に出ていないのに猫はこの狭い空間で
すごして気がおかしくならないのだろうか。
私はどんどんおかしくなっている気がする。
だって、私は自分の意志で外に出る事ができるのに
何故か外が怖くてなかなか外に出られない。
出られるのは必要に迫られたときか時折ハイになったとき。
もっと外に出ればこのおかしさは治っていくとわかっているのに
足がすくむ。布団に入りたくなる。
横になりたくなる。やわらかい布に包まれたい。
うつ状態と診断された頃からは、薬のおかげでかなりよくなった。
よくなって、自分がいかにだめな大人に成長したことがわかってきた。
わずかな私の家族が私の死で苦しめられる事が、今の私でも予想は可能だ、
死ねない自分がお荷物になっている事でさらに身動きが取れなくなる。
動けない。外に出てお金を使いたくなる事に罪悪感。
靴をはきつぶして新しい靴を買う事にも申し訳なく思う。
さらに家族に迷惑がかかる。
俺から言える事は、陽のあたらない部屋に一日中住むのはやめた方がいいよという事。
http://anond.hatelabo.jp/20080903110415
に刺激されたので、とりあえず書いておく。わしもうつがうつだとわからないままにやめた→苦労したクチだから。
・勤めてる企業が大企業(名前を行って普通に通るようなとこ)だったらとりあえず、しがみつく。休職でも何でもいいから。
・中小であっても、しかるべき手続きを踏んでおくこと。とりあえず、誠意は尽くそう、未来の自分のために。
・心が折れてるなら精神科か心療内科。うつ病って病名が付くかうつ状態という診断書が出る可能性大。
・診断書が出たら傷病手当金を取りに行け。会社の健康保険に入ってたら労務不能状態になった4日目から出る。給料の2/3と考えていい。(ただし、日額が計算のベースになるので実質はそれより低いけどないよりずっと心の支えになる)
・傷病手当は「健康保険」からでるので会社の腹は1銭も痛まない。ちゃんと保険料払ってるんだからしっかり使おう。この制度、単純に怪我して休んだ場合なんかでも使える。
・辞めるのであれば会社都合にしてもらえるか交渉してみる価値はあり。自己都合だと雇用保険3ヶ月間待機になる。会社都合なら7日待機でOK。ただし、蓄えがあるのならここで条件闘争するのは面倒かも。
・傷病手当を取って、心の折れてる状態で辞めるのなら、とりあえず健保は任意継続にすること(ここ重要)。保険料は会社もちだった分が自腹になる分およそ2倍になるが、傷病手当が取れているのならそれでバーター以上の価値はあるはず。小さい会社で事務員さんが???の状態の時は会社の顧問社労士さんの連絡先を聞いてそこに助けを求めるべし。傷病手当は1年6ヶ月継続可能だ。この間に節約モード&ゆっくり過ごしてしっかり治して、納得のいく職場に行こう。
・辞めた後の保険証は国保になるが、これが半端でなく高い。昨年の所得を元に計算されてる上に、元々国保は自営業者(農林漁業とか退職者)むけ、つまり所得の低い人を想定してるからね。辞めてしまう前に遅刻してでもいいから、去年の年収を控えて市役所の国保年金担当課へGOだ。できれば給与明細ももって(天引きの健保料が載ってるからね)。試算してもらえればきっと目玉を剥くような保険料を言い渡されるはずだ。
・国保も健保なしは危険だ。万一怪我とか急病したらどうするんだ。考えてもみろ!
・親兄弟の健保に「一時的に」入れてもらう手がないか調べてみる。
・もし「うつ病」であれば「障害者自立支援医療」(旧精神保健法32条にほぼ相当)を申請すること。通常3割負担のところ1割負担で治療が受けられる。医者に「治療費がかさむのが心配です」と切り出してみよう。名前が名前だけになかなか思いつかない&抵抗感ありなのだが、とにかく非常事態だ。背に腹は替えられない。
・再就職よりもまずは心身を治せ(これ大事)。ケアは速ければ速いほどよい。急がば回れだ。
・ハローワークには時々でもいいから通うこと。たまには条件も変えて検索してみる。年齢が違ってもいい。ネットだけじゃみえない(ネット非公開)案件もある。この企業はいつも求人だしてるなー(慢性的人手不足→ブラック?)とかいろいろ見方を変えてみる。
・違う地域のハロワをのぞいてみるのも手だ。
・求人検索の条件はいろいろ変えてみること。求人が思わぬカテゴリに潜んでる場合がある。
・人材紹介はあんありあてにならない。でも時々親身なところもある。要は人つながり。
・本ばっかり読んでないで、街をぶらつくとかも結構大事。
・母校にとりあえずコンタクトしてみてはどうか。ダメで元々である。
・精神世界系とかに行く人も多い。ある意味真を突いてはいるのだが、金を吸われることも多いから、気をつけろ。
・とりあえず、マルチ系とか、おいしそうな話しは全部outと思ってOK。
雑に書いてしまったが、とにかくサバイバルだ。
3年やってきた自分が言うのもなんだが、死ぬのは安直にして愚かなり。
だから、何とか生き抜こう、何かと生きにくい世のなかだけどさ。
ここまで読んでくれてありがとうね。心から感謝する。(そうそう、感謝の気持ちも大事だよ。意外と普通の生活だと忘れがちだから。)
病気になった原因の人に半ば押し切られるように病院へ行き現在投薬治療中。
原因になったこと自体はもうずいぶん前から続いていることで、発病してからもおそらく10年以上経っている。医者もそういったし自分でもわかっていた。それでも何とかやってきたし一応特に支障なく日常生活をこなせてはいた。ここのところちょっと落ち込みすぎでしんどくてとにかく寝ていたいけれども、とりあえず薬の力を借りても借りなくてもそのうち上り調子になってまた同じサイクルに戻っていくことは自分でよくわかっている。今の自分に必要なものは休息なのだ。根本的な問題が取り除けるならそれでいいと思うので病院には通い続けている。自分のこの気分の上下は少々厄介だ。考えなくてすむようになるなら、それはそれで楽なことだから治せるものだというのなら治したいと思っている。でも今必要なものは休息だ。
だけれども原因になった人はいけといったのは自分のくせに、投薬治療をしていることを異様に攻め立ててくる。あれだから悪い、これだから悪い、あれをしたらどうか、これをしたらどうか、日々うるさく付きまとい自分が原因かもしれないことはうすうす感づいているらしくそのことも口にするが、しかしとりあえずうるさい。頭がいたい、寝ていたいと少しでも漏らすと「薬なんかに頼っているから」「治そうという気がないから」「とにかくあれをすればよくなるから」「怠け癖があるのが悪い」
根本的に病気のことがわかっていないにしてもうるさいし、ますます頭痛がひどくなる一方だ。おかげさまでどんどんうつ状態が加速している。あの人に干渉されるとそれが原因で欝状態になる。しかしそれらしいことを少しでも口の端に上らせれば激昂する、匂わせれば拗ねていじけて生活の邪魔をする、かといってはいはいと流していれば過干渉。おそらく認めたくないのだろう。自分が原因であるということもそのせいで病気になっているということも。いい人でありたいだけなのだ。鬱陶しい。
どうしたらいいんだ。とにかく寝ていたいだけなんだが。病院やめればいいのか。正直もう一人でがんばるのも耐えるのも抱え続けているのもつらいししんどいし、原因になるひともうっとうしいので縁を切りたいのだがいかんせん気力がない。病気にしては正しい判断ができているように思われるが理性のコントロールができすぎているだけでそれで疲れているときいた。一日中いらいらして仕事は手につかないし頭は痛いし食欲は湧かないし眠いしもうなんていうか。消えたい。
元増田です。あの記事は以下の記事の続き。
「うつ病が「移る」というのは、こういう当事者の実態を無視する安易で失礼な表現だと思うよ。」ってのはそう思う。
でも、「うつになる要因はかなり個人的な部分が多い」ってのは実証されてないんじゃないかな。
「うつ状態」になることはよくあるけど「うつ病」あるいは「躁鬱病」であると判断するには一定の基準があるというか、気分障害だけどほとんど体の問題が多いと思うんだよね。で、「うつ病」が完治するって本当にまれなケースなんだよね。殆どの人が再発する。で、一生この病気と付き合って行かなきゃ行けない。
親子とか男女とか親密な関係だと共依存とか発生しやすいし、それこそ普通の人間関係の壁を取っ払った極みだからそこには普通に病理が発生するのだとは思うよ。「うつ状態」や「うつ病」だけじゃなくてもね。
遅レスだけど
まず、今「精神病」ってカテゴリを使うのが無意味だってことをわかってほしいな。昔は、「精神分裂病」、「双極性障害(躁鬱病)」、「てんかん」を三大精神病と言ってたんだけど、今は精神病にはいるのは「統合失調症(精神分裂病)」だけ。「双極性障害(躁鬱病)」は「気分障害」の下位カテゴリだし、「てんかん」は脳の器質的障害とはっきりしたから「精神病」には入らないんだよ。だから、今「精神病」という言葉を使う必要はないんだよ。
そうかなぁ。俺は鬱病七年間患ってるけど、明らかに鬱の人って一人くらいしかいないなぁ。彼女でちょっとメンタル系の人はいたけれど、まあ関係性の問題もあるから、「伝染した」と言えるのかもしれないけど。
カップルの片方が「うつ病」になったって言うのが診断上の事実だったらちょっとびっくりだな。まあ、彼氏彼女で同棲って密着した関係になると共依存的なことは起こりやすいと思うけど。それにしても、うつ病(気分障害)は精神病じゃないよ。
「うつのメンヘラ」ってのが「うつ状態をたまに示すメンヘラ」って言うのならあると思うよ。でもうつ病の診断基準は結構しっかりしてる。身体症状がやっぱりあるからね
ただ、「うつ状態をたまに示すメンヘラ」の人は、単純に鬱傾向な人なのか、擬態うつ病なんだよきっと。
「精神病が感染するか」っていう観点は、「統合失調症」が確率的に遺伝するってのと、「うつ病」になりやすい病前性格が遺伝すると考えるとありかもしれない。
でも、精神病がウイルスや菌みたいに感染するってのは無い。メンタル的な病が共依存的になって健康な人を害することはあるかもしれないけど。
身内がうつっぽいと、対応に困るのはあるなあ。
俺自身がうつだけど、俺は自分で病院行った。
俺の場合、うつ状態になると、「電源が切れた状態」になるから、全然反応しないのね。返事する気力もなくなる。
そんなカンジだったら、調子が良さそうな時に、友達がうつでサーみたいなカンジで、うつについて話してみるといいと思う。
はーい、うつで公金補助受けて通院中の増田ですー。
元増田はうつ状態に入っているのかも。悩んでないで一度病院へ行ってみるべし。
眠れるだけでも楽になりますよ。意外とそれだけで治っちゃうかもしれない。案外眠り重要です。
精神科は意外と診療費が高い。薬代も高い。だから、長くなるようなら公金補助おすすめ。
公金補助の正式名称は、「自立支援医療費(精神通院)」といいます。
自分の前年収入にもよるんだけど、精神科の医療費、精神科から処方箋が出ている薬代が
1割負担になったり無料になったりします。(支給条件あり)
一日一日を生きていくのに必死で目の前のことしか考えられないんだと思う。
普通の人なら一ヶ月単位で家計を考えるし、金に余裕があればそれこそ人生設計も立てられるんだろうけどさ。
日雇いで生きてる人は“今日”を生きることができれば、残った金も使っちゃうのかもしれないな。
仕事も1年以上にわたるプロジェクトなんかに関わることもできず、一日のノルマが決まってるもんばっかだし、目先のことしか考えられないようになっている。
それに加えて、下流食いビジネスの罠。最近はフリーター労組も活動してるみたいだけど、これまではそういう労働者の権利や法律なんて教えられず、「現場では派遣先の指示をよく聞くこと」(態度が悪ければ次から仕事がこない)なんて「グッドウィルの一員としてのマナー」を教え込まれてるんだろう。
それから、貧困状態になるとセロトニンが不足してうつ状態になるらしい。やる気や向上心が出なくなり、冷静な思考ができなるなるのも、これと関係があるのかもしれない。そのストレス解消にパチスロや酒に頼るって側面もあるだろうな。
貧しい人ほど、外部からみれば「何でそんな不合理なことやってんの?」とか「そりゃ自業自得だろ」って言いたくなるようなことやってたりするけど、以上のような心理メカニズムが働いているのだと思う。
まあ、生活に安心感がなければ「ダメでもともと、何でもチャレンジしてみよう」って気にはならないよな。少しでも失敗すれば死ぬ確率がグンと高まるんだし。先の見えない日雇いでも、今の生活にしがみついていた方がマシっていうのは、ある意味で合理的な判断ともいえる。
「恥ずかしながら、これが私の全財産でして」
4月15日夜、東京・飯田橋近くのNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」。男性(39)は財布の中身を見せて、うなだれた。
財布には小銭ばかりで100円ほど。前日に古本屋で本を売った400円の残りだ。飯田橋までの電車賃もぎりぎりだった。
都内の電気工事会社の下請けで働くこの男性は、生活困窮者を支援する「もやい」に助けを求めていた。
「いつお金が入りますか」
「4月18日です」
「いくらぐらい?」
「たぶん、3万~4万円」
「その額でいつまで」
「それじゃあ、苦しいですねえ。どうしますか」
「18日までしのげれば、アルバイトでなんとか……」
1万円を工面してもらい、米5キロと缶詰5個をもらってしのぐことになった。両親は年金暮らしで頼れない。
「本当にお恥ずかしい。仕事を探しながら働く繰り返しで、失業保険も貯金もないものですから……」。何度も頭を下げてはお礼を言った。
男性は99年、都内の私立大学を卒業した。浪人と留年を重ね、このとき30歳。就職氷河期まっただ中だった。
派遣労働者として働きながら、就職活動を続けたが決まらない。派遣会社10社以上に登録し、契約が切れると清掃業務や建設作業などで食いつないだ。たまに採用されても契約社員扱い。細切れ雇用の全部は本人も思い出せない。
そのうち面接で「どうして職をそんなに転々としているのか」と聞かれるようになった。これまで60社以上の面接を受けたが、正社員への壁は高くなるばかりだ。
いまは工事で余った廃材の片づけなどをする仕事。正社員を希望したが、半年間の契約社員。日給1万円、翌月払いだ。3月下旬に入社し、3月は5日間働いた。
ところが、4月18日の給料日、3月分の給与明細を見てがくぜんとした。手取りはたったの2万1814円。健康保険料9456円、厚生年金保険料1万7995円、雇用保険料735円が天引きされていた。
これでは家賃3万200円にも足りない。日雇い派遣大手のフルキャストを通じ、夜も仕事を始めた。
午後5時に仕事が終わると、すぐ派遣先の倉庫へ。6時半から10時まで、ベルトコンベヤーに追われながら荷物の積み込み作業。時給は1千円。一晩で3500円にしかならない。
くたくたでアパートに帰る。倉庫の仕事を始めた初日、1回430円の銭湯は高いのであきらめた。部屋は4畳半一間の風呂なし共同便所。布団はなく、2枚の毛布の間に入って眠る。2日続けたが、3日目に会社を休んだ。ダブルワークで疲れ切った。数少ない楽しみの携帯電話代1万1千円の支払期限で憂うつでもあった。翌日が、会社に昼の弁当代の3月分2千円を支払う日だったことも気分をめいらせた。
翌朝。通勤途中、スーツ姿のサラリーマンたちが足早に彼を追い抜いていく。まもなく40歳になる。その数カ月後には、雇用契約の更新時期がまたやってくる。
「やっぱり、私のような人間では駄目なんです。ピシッとスーツを着て、ライフステージを踏んできましたって胸を張れないと、正社員にはなれない。そういう厚い壁を感じてしまいます」
男性はたびたび、自分のことを「私のような人間」と呼んだ。まじめに働いても、30歳で大学を出たというだけで貧困から抜け出せない。広がる「ワーキングプア(働く貧困層)」。1年間働いても200万円以下しか収入がない人は、06年に1千万人を超えた。
(福間大介)
神奈川県内のハローワーク。女性(32)が求人票を見始めて、もう3時間になる。
「一般事務 18万円以上」。パソコンの画面には1度に20件の求人が表示される。55ページ目に入った。
充血した目をしばたく。
「資格持ってないと、全然だめみたい」
高校卒業後、3年間は正社員だった。その後はバイト、製造業派遣、日雇い派遣へと。「坂道を転がるような日々」だった。昨年夏から生活保護を受けている。
保護費は住宅扶助を合わせて約12万円。簿記やパソコンの資格がないと、選べる仕事の基本給は15万円程度。社会保険料や税金を引くと手取りは保護費を下回ってしまう。
気を取り直して、5社分の求人票を持って窓口へ。職員から聞かれた。
「経理の経験は?」
「あります」
「何年前?」
「……9年くらい前」
「ああ、それじゃだめよ」
基本給20万円の事務職の求人には、履歴書を送ることもできなかった。
高校を出て東京都内の会計事務所に入った。実家から通勤2時間、手取りは12万円ちょっと。気力も体力も尽き、3年でやめてバイト生活へ。居酒屋、遊園地、雑貨店……。転々とした。「ちゃんと仕事をしろ」という両親と口論が絶えなかった。「私だって必死で働いているのに」
29歳の時、「仕切り直し」のつもりで、人材派遣会社の日研総業に登録した。前年の04年に製造業への派遣が解禁され、求人誌には寮付きの仕事があふれていた。
最初に行った宇都宮市のキヤノンのカメラ工場は、「長期」のはずが、減産を理由に3カ月で雇い止めになった。部品を組み合わせて2センチほどのモーターを作る仕事。寮費を引いて手取り約10万円。派遣仲間との間柄も良かった。「ここで1年働けたら、人生変わっていたかも」とつぶやく。
派遣会社をコラボレート(現プレミアライン)に変えた。横浜市内の松下電器産業の工場で携帯電話を組み立てた。寮費から冷蔵庫のレンタル代まで引かれ、手取りは3万円以下。社会保険もなし。虫歯が悪化し、消費者金融で借金して歯医者に行った。
「先が見えないまま走っている感じだった」
1年半で、派遣先は計4カ所。けがで働けなくなり、実家に戻った。その後もグッドウィルに登録して日雇い派遣。20日働いて収入は月7万円だった。両親との仲も悪いまま。うつ状態になった。
昨年夏、家を出た。誰でも加入できる「首都圏青年ユニオン」を知り、相談に行った。書記長の河添誠さん(43)が笑顔で迎えた。「つらかったこれまでのことを、初めて人に話せた」
付き添ってもらい、生活保護を申請した。以来、父母とは連絡をとっていない。
彼女と一緒に実家のある神奈川県の地方都市へ向かった。実家の手前で足が止まり、たとりつけなかった。実家を出る前は、帰宅せずネットカフェやコンビニで夜を明かしたこともあった。「親が携帯に電話してきたことは一度もない」。目が潤んだ。
彼女のアパートも訪ねた。6畳の和室、テーブル代わりの段ボールの上に「求職活動状況報告書」が載っていた。仕事を探した日数や面接の結果などを書き、毎月、市の生活保護の担当者に提出する。
これまで15社受けて、すべて落ちた。大抵は「転職が多い」が理由だった。「派遣という選択は人生最大の失敗」と自分でも思う。面接で何をアピールしていいかわからない。
自信をつけるためにも資格が欲しい。雇用保険に入っていれば、国の教育訓練給付で簿記検定や社会保険労務士の資格を取る講座が受けられる。だが日雇い派遣だったため、1年間の雇用が条件の雇用保険には入れなかった。
4月下旬、商工会議所で簿記検定の受験を申し込んだ。3級の検定費2500円は河添さんに借りた。本屋で立ち読みして勉強するつもりだ。
「やるだけやってみる」
(諸麦美紀)
野宿者や失業者の支援が中心だったNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」だが、ここ数年は、働いている若者や働き盛りの家族持ちも駆け込んでくる。相談日の毎週火曜は電話が鳴り響き、面接ブースに列ができ、まるで救急病院だ。
事務局長の湯浅誠さん(39)は「いまは、少し踏み外しただけでもすぐに貧困のどん底まで滑り落ち、なかなかはい上がれない」と語り、「すべり台社会」と呼ぶ。
90年代の不況期以来、正社員の職場はパートや派遣労働者に置き換えられ、いまや、労働者の3人に1人が低賃金で働く非正社員に。非正社員は、正社員を前提にした社会保険からもこぼれ落ちてしまうことが多い。
たとえば、雇用保険は原則、週20時間以上働き、1年以上の雇用見込みがなければ入れない。加入できても、失業手当をもらうには原則、直近2年間のうち1年以上保険料を納めていることが条件だ。短期契約を繰り返す非正社員が、失業手当を得ながら再就職先を探すのは難しい。
健康保険や厚生年金に入るのも、雇用期間が2カ月以内だと原則として対象外で、労働時間が正社員の「おおむね4分の3以上」が条件だ。社会保険料負担を避けるため。わざわざ適用外になるように非正社員の労働時間を設定している企業も珍しくない。
さらに最後のセーフティーネットである生活保護制度は、自治体の財政難を背景に窓口で違法な申請拒否が横行。生活保護費以下の収入しかない人でも、申請さえ受け付けない例が後を絶たない。
都留文科大の後藤道夫教授(社会哲学)は「日本の社会保障制度は『働いても食べていけない』状態を想定していない」と指摘する。これまでは、正社員であれば企業が職業訓練をし、医療、年金、住宅保障の機能も担ってきた。「非正社員にとって、日本の福祉は『底抜け』状態にある。自己責任を問うだけの時期はもう過ぎており、具体的な対策を議論すべきだ」
(福間大介、諸麦美紀)
国名 相対的貧困率 米国 13.7 日本 13.5 アイルランド 11.9 イタリア 11.5 カナダ 10.3 ポルトガル 9.6 ニュージーランド 9.5 イギリス 8.7 オーストラリア 8.6 ドイツ 8.0
02年8月24日から29日にかけて横浜市で開かれた、第12回世界精神医学会(WPA)の推計によると、世界で日本が実質自殺率1位でした。
マスコミは同年、「自殺4年連続3万人超」「昨年 目立つ経済苦」などと報じました。遺書から動機や原因を分析したところ、「健康問題」が統計のある78年から連続してトップ。次いで2番目に多かったのが「経済・生活問題」で、内訳は多い順に「負債」「事業不振」「生活苦」「失業」「就職失敗」「倒産」でした。
年次別自殺者の推移を見てみると、1978年(昭和53年)から1997(平成9年)までの自殺者数は年2万人台でしたが、1998年には3万2862人に急増します。1997年からの増加率は50歳代男性54%、同40歳代男性33%で、以後この傾向に変化はなく、20003年の自殺者数は3万4427人に達しています。このことから1998年は、自殺者が3万人台に定着した「自殺境界年」、また自殺理由の中で「経済・生活問題」が一気に上昇した「自殺理由境界年」に、当たります。
同年以降、同一グラフ上に完全失業率曲線と自殺率曲線を描くと、両曲線の推移は見事に一致します。また、東京都立衛生研究所は「日本における自殺の精密分析」において、「自殺の増減は景気の動向と密接に関連しているといえよう」と記しています。以上から、自殺誘引の大きい要素の1つに、失業増加があることが分かります。同時にこの動向は、日本男性がマネーを生死の判断基準にさえしているという悲しき真相を、如実に語っています。
命あってこそ!
人の願望の極致は、マネーにではなく幸福にあります。マネーは単なる幸福になるためのひとつの、しかもニュートラルな手段に過ぎません。東京・上野公園に小屋掛けするホームレスにも幸福な人はいます。マイクロソフトの創始者で、世界有数の資産家ビル・ゲイツが幸福とは限らないのですから。
人は自殺するとき、うつ状態になるといわれています。しかし中には死ぬ前に生命保険に加入するなど冷静に計画を立てていた事例もありました。たとえ多額の生命保険金を受け取っても、遺族は悲しく悔しい思いに苛まれ、屈辱感・無気力感に襲われます。しかも、それらを生涯抱えて生きていかねばならず、いつまで経っても、遺族に春はやって来ないのです。
「自殺する勇気があれば、人生やり直せる」などと、よく人口に膾炙されている警句は正しいのです。仕事の失敗、失業・不治の病などに遭遇したとき、死を考える気持ちは痛いほど私にも理解できます。しかしその試練はあなたにとって、人生に一度の、最高の学びのチャンスでもあるはずです。その苦しみを成長の機会に転じることができたなら、それは人生最高の歓びであり、財宝であり、自信として結実します――。
スポーツでも「ピンチの裏にチャンスあり」と言うではないですか。事実、ノーアウト満塁、絶体絶命のピンチを凌いで、逆転勝利する場面を私たちはたびたび観戦させられます。また命あってこそ、逆転満塁ホームランを打つ至福の瞬間を味得することが可能だし、打たなくても、その希望を常に持ち続けていくことができるのです。
ニッポン人の劣化
日本とアメリカは20世紀後半から21世紀初頭に、絶頂期を迎えた近代科学文明の優等生でした。特に、日本はこの文明の熱心な教徒であり、保守も革新も哲学者もみな、その礼賛者でした。その執念が実って日本は今日の経済大国・技術大国になったのです。ところが、いまわが国は長期不況の下にあり、労働者は失業や賃率の低下・長時間勤務・サービス残業に直面し、またフリーターやニートも増えています。それに加えて、年金受給額の引き下げと負担増、近い将来に予想される消費税率引き上げが追い討ちをかけます。労働者にとって茨の道は長く、さらに厳しくなっていきますが、この程度ならまだいいのです。
亡国の兆候ともいえる事件が日本社会の隅々にまで広がり、それは明示的にあるいはメタンガスの気泡のように、不気味にぶつぶつと隠れて噴出し始めています。たとえば、最近のマスコミ紙面を見てみましょう。「世帯所得、4年連続減」「個人自己破産 24万人」「雇用悪化が家計圧迫」「週50時間以上労働日本人4人に1人」「離婚率上昇中」「世帯の所得格差最大に」「働かない若者、年28万人に急増」「ニート急増、社会の機能不全映す」「不登校10年で倍増」「増える若者のひきこもり」「小学生1割強抑うつ傾向」「日本の高校生 自分は駄目」「検挙率 少年、成人の8倍」「10年で治安悪化86%」などの見出しが踊っています。
さらに憂慮すべきことは、東京都衛生局のアンケートに対し、18歳から24歳の層が「仕事の疲れがとれない」「生活に張り合いを感じない」と答えたことです。他の調査では「授業中じっとしていない」が小学校で8割、中学校で6割、高校で5割、「首、肩のこり」「不登校」「腰痛」「腹痛」が中学校、高校とも8割でした。これはいわば一昔前の老人に特有な症候群でした。日本の若者は、精神的にも肉体的にも確実に老化に向かっているのです。
ともあれ実質世界一豊かな日本なのに、皮肉にもその豊かさ指標マネーを苦にして自ら命を絶つ同胞が後を絶ちません。しかもこの数の陰にはその10倍??20倍もの自殺候補者がいると推定され、日の出の来ない日没を見送るような、なんともやるせない心境にさせられます。
だが、《自殺大国》になったのは不思議でもなければ偶然でもありません。
芝伸太郎は、「日本人」、「鬱病者」という言葉を同意語的に用いています。つまり内向性・律義・几帳面・苦労性・馬鹿正直・融通がきかないなど日本人一般の人格構造を極端にしたのが鬱病者の人格構造だからです。この風土の中で培われてきた繊細な日本人のメンタリティーが、価値観をマネーに置く文明、人間疎外の文明に拒否反応を起こしているからのです。
セロトニンとうつ状態のつながりに熱狂するあまり、それを社会的地位の説明にまで拡大する科学者もいる。オナガザルの研究で、社会的階層の底辺にいるサルはセロトニンの濃度が低く,頂点にいるサルは高いということがあきらかにされている。地位が上がると、セロトニンの濃度も高くなる。同じように、人間の社会でも、地位の低い人(貧困者や女性)はセロトニンの濃度が低くなる傾向にあり、実際、うつ病は比較的このグループに多い。うつ病は、社会のより優位なグループのメンバーに対して、地位を表明する手段として進化したという説もある。内向的でひかえめな行動は、将来ライバルとなるおそれがないことを示し、地位の高い者を安心させるというわけだ。(pp.188-190)
亀レスですまん。帰るの遅かったんだ。
辛かったんだろうな。今もきっと辛いんだろうな。きっと、休む時期なんだと思うよ。「周りに迷惑をかけたくない」っていうのは、体が「休みたい」って言ってるのを実は認めてるんだってことに気づいてる?
周りの人は結構頼りになるよ。実体験から。辛いんだって正直に言ったら、きっと全力で増田のことを助けてくれるよ。
自分も最初はプライドと抵抗があって、「うつ病」と診断した病院には二度と行かなくて、三件目で「あなたは"うつ状態"なんですよ」と言ってくれた病院に通って、半年で寛解した。会社休んだのは1ヶ月くらい。有休と代休使ってお釣りがくるくらいだった。
「自分を大切にしてください。自分を大切にするのと、甘やかすことは違います。どうか、幸せになってください。あなたが幸せなら、周りの人も幸せになります。自分にやさしく、そして、人にもやさしくしてください。」
おぼろげに書いたことに対してつっこみを入れてもらい、だいぶ今の気持ちがわかってきた気がする。
気分変調や意欲減退を引き起こす、脳内物質の変調といった内因的な要素と、何もできなくてうまくいきそうもない現実があって、それから逃避し、甘え続けているといった外因的な要素は、相補的に絡み合い、大局的にみたときの「うつ」という状態を悪化させているのだと思う。その悪循環を解消するためには、自分の理性ではどうにもならない生理的なものと、現状に甘えてしまった結果もたらされるものを、線引きして考える必要があるのだろう。また、うつ状態が長期化してしまう原因として、ある程度回復してきたときに、再びスタートラインに立って現実を見すえなければならない、という恐怖から、退避した現状のままでいることに甘んじてしまい、うつから立ち直りたいという気持ちに矛盾を引き起こしてしまう。
今の自分の精神状態を考えれば、投薬のおかげで、精神医療から見たうつ状態に対してはある程度の決着がついていて、否応なくおとずれる調子の波を感じ取り、自分なりの対応をすることもできるはずである。あとは自分に対する甘えに立ち向かっていかなければならなくて、だからこそ、体育会的な自己啓発論にすがりついてでも、なんとかしたいという方向に気持ちが向きつつあるのだと思う。
オナニーしている自分は、なりたい自分とはかけ離れている。
こんなことしても虚しいだけだと実感した。
そして、オナ禁を始めた。
オナ禁 体験記
http://light.kakiko.com/sionta/onaTiken.htm
(↑この体験記と比較して検証しています)
ここ数年でM字型のハゲになってきたが、特に変化は感じられない。
夜ふかしばかりしているので、特に変化は感じられない。
目の下のクマが消えない。特に変化は感じられない。
ここしばらくうつ状態で無気力だったのが、多少改善されて、やる気が持てるようになったかもしれない。
やるべき事が、期限に追い詰められても逃げてばかりいたが、逃げずに取り組めるようになった。
エロ禁は普段から心がけているので、急にムラムラすることはあまりないが、それでも夜寝る前に淫らなイメージで遊ぶことはあった。
(好きな人とセックスすることを空想する。)
夢は見るけど、内容は覚えていない。
同僚のNさんの態度が少し変わったように感じる。
=一緒にやった仕事の内容を話題にして、Nさんから自分に話しかけてきてくれる回数が増えた。
オナ禁の反動によって、いきなり性的衝動が生じるようなことは、特になかった。
夢精もしていない。
金玉がパンパンに張って、今にも射精しそうというギリギリ感もない。
まだまだオナ禁は大丈夫だ。
自分の場合、仕事の面で変化が感じられた。
俺はニートじゃないのか……!
それはともかく、いずれにしろどん詰まりなのは間違いないのだよ。
うつ状態ではある。
みんなに迷惑かけているね。ごめんね。
やっぱりゴールするよ。
バイバイ。みんな大好きだったよ。