子供が嫌いなんじゃなくて「公共の場」で騒ぐ子供を「ちゃんと躾」てない親が嫌い、って意見をよく見る。弱いものを叩く言い訳としては上出来だ。しかし今では、親も含めて支援する方向。親が倒れれば子も荒れる。簡単に児相へとか言うな。この意見は「子供という弱者を叩きたいわけではない」というポーズなだけで、まともそうに見えてやっぱりただのタタキだと思う。「子供がいるなら強者」?そんなに世界は単純だろうか??
「公共の場」ってやたら言うけど、普段そんなに「公」を意識してるのか?意識してたら公共こそ子供や障害者、お年寄りを包括すべきとわかるはずだが。
「騒ぐ」その子供にどんな事情があるかわからない。久々のお出かけで興奮してるのかも、障害があるかもしれない。親はもう疲れすぎて明日◯のうとしてるかもしれない。そもそも赤の他人に優しくできない時点で余裕がなくてみんな疲れている社会なのだ。それを弱い小さい人に当たってる自覚すら持てないのがなお悲しい。色々言い訳してもネットに攻撃性を出してしまってる時点でかなりお疲れなのだよ…街で子供に無関心を通り越してイライラしたならもう合図だ。いいから休めっ…!
躾、って言葉も、もう人に向ける言葉じゃないんだよ。もう周りの先生で使う人見ない。昔の子供って「躾」という名の望ましくない関わり、下手したら虐待や人権侵害みたいな、そこまで行かなくても酷い扱いだったんのが伝わってきて悲しい。「今の子供は叱られない!甘い親!うちは厳しかったのに!」というのは虐待サバイバーの叫び。自分は愛されていたと信じたいから、されていた酷い扱いを正しいと思いたくて怒るのだ。本当に可哀想だ。タイムスリップして守ってあげたい。
誤解しないで欲しいのはしっかり子供と向き合って叱る事と、感情に任せて怒る、は違うって事。
昭和、平成初期世代は、これを全部まとめて「躾」だと思ってたりする。「言うこと聞かなかったらウチのやつ殴ってもイイですから!」みたいな親、まだ、たまーに居る。引く。
自分が子供の時の教育がスタンダードだと思って子供の話する人、今ってAI程じゃないですけどそれでもかなり変化してますので…学校ものの漫画とか見るとたまに「???」ってなる。
子供は、直接育ててなくても決して貴方に無関係じゃない。貴方がネット打ち込むその言葉、それが今の子供の環境を作っているんだよ。声掛け事案よりももっと切実に、ネットの言葉は子供の心に関わっていくんだわ。そもそも「普通」に生きてて子供に接する機会が足りないんだ。接したら、子供は訳の分からないモンスターじゃなくてただの小さい人だって、分かるのに。そしてすぐに大人になる人、だ。
あとは
自分で勝手に産んだんだから勝手に、「社会」から見えない所で「迷惑がかからなくなるまで表に出すな、隔離しとけ」って感覚、普通に怖い。昔、障害児に対してあったような言葉が、普通の子供に対しても広がったような気がする。知らない、わからない、が差別の源だから、子どももそういうものになったんだな…という悲しみ
なんでこんな風になった?明治初期に日本を訪れた欧米人が「日本人子供可愛がりすぎか」って驚いてたけど、そんな時代はもう戻ってこないんだな、二度と。