久しぶりにガッツリと本を読んだ気がする。去年『魔道祖師』(墨香銅臭)を読んで以来? でもたぶんシリーズ全4冊ぶんで『魔道祖師』1巻の3分の1も文字数ないと思うけど。しかしすごい読み応えあった。という訳で感想など。
『白昼堂々』『碧空』『彼等』『若葉のころ』の全4冊のシリーズもの。
主人公は華道の家元の孫息子・原岡凜一(はるおか りんいち)。真性ゲイの凜一が真性ノンケの氷川に恋をしてしまい、もだもだと悩んだり迷ったり僻んだり浮気をしたりしながら送る、15歳から19歳までの約四年間の青春期を描いた物語。
一言で言って「優柔不断」な性格とはどのようなものか、それを執拗に描写しきる長野まゆみ先生すごすぎる。ほんと、凜一の言動の隅々まで一貫とした「優柔不断」っぷり。彼に相対する人物達がイライラするのがよくわかる。凜一のキャラクター造形には細部にわたって一切の手抜きがない。凜一のはっきりしない物言いには時にビンタしたくなる半面、そのネガティブ通り越して傲慢ですらある性格が親という安心基地を持たない孤独により作られたものというのも解るので、おぉよしよし可哀相に~ってしたくなる。
長野先生といえば四季折々の花鳥風月や日本の古民家の内装や調度の描写の詳細さ。それと華道や茶道の知識が豊富なことだけど、人間を描写するのも巧みなんだなと。
見た目は綺麗だけどちょっとひねくれていて意地の悪いキャラクターは長野作品の特徴だが、凜一シリーズの登場人物はいつもの長野作品のキャラでありつつ特別人間臭いんだなと思った。登場人物の全員がどこか欠けていて、誰もまっとうな大人とは言えない。そんな人達が不用意な言動でボタンの掛け違いを起こしたり相手を傷つけたりする様子の描写が繊細。はぁ、そのヒリヒリとした感じ、まさに青春だなぁ。
凜一シリーズを読んでいてふと気づいた、長野まゆみ作品が商業BL読みにはあまり好かれない理由。それは、商業BLで描かれるのがもっぱら掛け値ない永遠の愛であるのに対して、長野作品で描かれるのは有限の美であるからなんだろう。長野作品では男同士の恋愛が毎度のごとくに登場するけど、それは有限の美を表現するツールの一つであってメインテーマじゃないんじゃないかなあ、たぶん。
凜一シリーズも最後は大団円って感じでもなく、凜一と氷川の関係はうやむやのまま綺麗に終わった。
さて、今年に入ってからずっと読書ばかりしていて自分の執筆作業は停止してたので、そろそろ積んでる資料を読んで続き書かなきゃ……。