近頃、(人)文系に対する風当たりが強い。大学は「生産性」を重視されることが増え、文科省からは文系お取壊し令が出るし、学術会議では文系の数人が任命拒否されるし、「文系」いらない論は日に日に高まっている。
そもそも、そんなに大きい話でなくとも、人文系学部に通う中でときどき感じる抵抗は、この現象と同根だと思う。自己紹介で学部名を言うと、「それを研究してなにになるの?」なんて聞かれることはしょっちゅうだし、就活をしていても、理系にしておけば、と何度思ったか分からないくらいだ。私は私自身、文系が役に立たない、という観念を多かれ少なかれ内面化しているだろうし、それは周りを見ていても感じる。
もちろん文系学生が何を言ったところで大した説得力はないだろうけれど、しかし、黙って馬鹿にされているのも癪だし、なによりこれまで会った教授や研究者志望の学生は、みんな優秀な人ばかりだった。優秀だから彼/彼女らがしていることにも意味がある、というわけでは全くない。ないけれど、それでも自分の経験からは、彼らが無駄に難しい論文を読み、無意味な論文を書き続け、税金を無駄にしている、とはとても思えないのだ。
人文系が批判される一番の理由が、その生産性の低さである。たしかにこの分野をいくら勉強したところで、新しい科学技術を生みだせるわけでもなければ、経済や金融システムを上手く回せるようになるわけでもない。別にGDPは上がらない。
ただ、少し待って欲しい。生産性とはなんだろう? GDPが高いほうが「良い」って、どうやって決まったんだっけ?
私たちの生は、原理的に無限の問い返しが可能だ。なにが幸せで、なにをするべきか。そういったことはもともと決まっているわけでも、誰かが強制してくるものでもないはずだ。私たちは自分にとってなにが大切で、どうしたいのか、考えてみることができる。
いろいろな科学知識は「よく」生きるための手段にこそなれども、そもそもの方向性を決められるものではないはずだ。
もちろん人文思想なんて学ばなくても、幸せに暮らすひとはいる。そんなものに頼った覚えはないと、多くのひとが感じると思う。
それでも、全然影響を受けていないひとはいないはずだ。だいいち、生産性だってGDPだって、もとをただせば人文系学問から出発した概念なのだから。
大きな思想の流れは私たちの根本的な思考の裏側に、絶えず流れているんじゃないか。たとえ測定できなくとも。
とは言っても、全然自信はない。自分自身、やっぱり意味がないんじゃないかと、いつもびくびくしながら勉強している。
意味ないと思う。
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自分のとこだと法学部のほうが課題が少なくて(単位を取るだけなら)楽って風潮だったな……卒論もなかったらしいし。 まあ司法試験とか受けるなら当然大変なわけだけど、他学部で...
意味を作るのが文系です