兄弟は下に二人。
就職して1度目の給料で部屋を借り、家に誰もいない隙に転居した。ヤマト便二箱で済んだ。
私が就職して3年ほど経った頃、親兄弟と細々とした交流を始めた。
まだあの頃は、物理的に手の届かない距離の"細々としたお付き合い"なら上手にやっていけると思っていたし、最近までそう思っていた。
実家ではペットを飼っていたから、親兄弟が旅行の間に面倒を見るために泊まる役割をした。ペットのことは好きだったから、また会えて嬉しかった。
私が就職して5年ほど経ったある日、弟がPTSDと診断された。人は日常的に殴られるとPTSDになるらしい。家に居たくないからと私の住むアパートに入り浸る様になった。六畳のワンルームなのに鬱とPTSDを発症している弟がいると、正直嵩張る。邪魔だったけど、帰れば殴られるとわかっていたから、帰れと強く言えなかった。
半年ほどその状態が続いた後、末弟も部屋に来る様になった。来るたびに五万円程度要求してきた。病院代らしい。言われるままに払った。
その頃から母が私の予定を人伝に調べ上げて駅の改札で待ち伏せするようになった。電話も毎日数十件きた。全部出てない。
PTSDの弟が本格的に私の6畳のアパートに住むように外堀を埋め出した。
殴られると痛いと知っているから、どうしても拒絶できなかった。
でもある日、私のボディタオルを弟が使っていることを知ってしまい、ものすごく嫌だと思った。お金をたかられても居場所を奪われても就職するまで20年以上も気まぐれに殴られ続けてもここまで嫌じゃなかったのに、ボディタオルを勝手に使われたことが言葉にならないくらい不快だった。泡立ちが良いって何様なんだ。
仕事も忙しかったし、家に帰りたくなくて職場の近くのビジネスホテルに連泊する様になった。その時に親兄弟親戚全て着拒、ブロックした。
そしたら警察沙汰になった。
少し揉めたが、その後は定期的に切手のない手紙が届く程度で実害はない。
本当はすぐにでも逃げるべきだったのだろうが、人は"一人では生きていけない"。
具体的に言うと、身分を保証してくれる他人がいなければ転職も入退院もできない。コロナ禍でひとりになるのは悪手だと思っていた。
そんな時にプロポーズされた。
自主的に私を保証してくれるなんてありがたいと思ったが、やっとひとりになれたのに誰かと暮らすのが怖い。自分のことを傷つけられる人と、毎日鍵のかかる密室で過ごすのが怖い。
でも誰かの要求を断るなんて人生であまりしたことがないから、断り方がわからない。
なんでメンヘラって家族が苦手なくせに理解ある彼くんと家族になるのかな?と思っていたけど、断り方を知らないのと、自分の身分を守るためと、彼くんが死んだ後に自分の身分を保証してくれる子供を作るためだったんだなあ。
家族から完全に逃げて幸せにおなりよ 殴られそうになったり怖い思いしたら増田にすぐ帰っておいで