みんな、人の姓についてあれこれうるさいと思う。
離婚をして数年経ち、子供が小学校に上がる前に姓の変更手続きをしてきた。
弁護士には依頼せず、①離婚時に姓の変更を行わなかった(元配偶者の姓を使い続けた)理由、②姓の変更が必要な理由及び、①で述べた理由が現在では考慮外になることを書類に書き出したものを一緒に提出した。
裁判所に呼び出しされることもなく、暫くして姓の変更を認める判決が出たと書類が届いた。
元夫の姓を名乗り続けたのは「疲れていたから」が大きな理由だったからのように思う。
離婚前からずっと仕事や育児に追われ、離婚を切り出してからは更にやることが増えて、ぎりぎりだった。
実家の助けも借りながら、幼子を守りながら、生活を切り開きながらの離婚調停は精神的に辛いものが多かった。
離婚理由は単純なもので、「性格の不一致」といってしまえばそれまで。
今にして思えばいわゆるモラハラ夫だったのだけれど、当時はそんな言葉は知らなかった。
元夫に情も何もない状態で離婚は成立したけれど、ボロボロだった私には、もうそれ以上事務的に何かをする気力はなかった。仕事でも責任者から役員へ、という佳境に立たされていたのもあり、姓の変更はマイナスに働くのではないか、なんていう考えも後押ししていたように思う。
ただ、いい加減実家に戻った時に婚姻関係や姓について探りを入れられたり、子供に対して父親のことを問われることが苦痛で、子供の入学に合わせて、という大義名分もあって、旧姓に戻した。
それまで探りを入れてきていた人達がぴたりとそういった話題を私に振ることが減り、親戚への探りもなくなった。代わりに何を言われているのかわからないけれど。
当時の私の姓が元夫の姓であることを知ると、その人は激昂した。気持ちは分からなくもないけれど、そこまで怒ることか?とわだかまりを抱えた。苗字なんてただの記号なのに。姓の変更がどれだけ気力を削ることなのか、この人には想像ができないんだろうな、と思った。そんな態度が透けて見えたのだろう、その人の友人からも糾弾された。糾弾した本人も離婚経験があり、旧姓に戻せた人だった。「私だったら絶対嫌だよ!」なんていう価値観を押し付けられたのが苦しかった。"あなたはできる人だったんだね。"と苦しかったのを覚えている。
参院選を前に、夫婦別姓だとか、同性婚合法化だとか、いろいろ騒がれているけれど、当事者が生きやすくなるならそれが一番だとおもう。少なくとも私は、姓の件で無駄に気力を削り、傷つき、疲弊した。最初から夫婦別姓が許される世の中だったら、こんなことにはならなかったんだろうなと思う。同じように、同性婚合法化も、当事者にとってはとても切実な問題だと思う。だから、こういう人達も生きやすくなってくれたらいいなと思う。
話がそれた。
結婚したら夫の姓を名乗り、戸籍に入らなくてはならない、みたいな今の状況は、私にはとても苦痛だった。
今日も女は元夫元彼叩き