ということを、ネットでたくさんの不幸な夫婦や不幸な独身の話を読んだおかげで知ることができた。
普通に家庭を持てて普通に家のことを任せられる嫁がいるのは幸せなことなんだなと教えてくれた増田やまとめサイトに感謝している。
普通の男らしさや女らしさの規範に適応できずに苦しんでいる人が世の中にはたくさんいて、その不適応を本人や他人が分析する時によく使われる言葉という印象だ。
子供が生まれたから母としての「ジェンダーロール」を押し付けられてキャリアを断念しなければならず理不尽だと言う女性は、これが自分の嫁だったらと思うとゾッとする。
「結婚したせいで、子供を生んだせいで、仕事を続けられなかった」と恨み続ける妻・母と暮らすのは、夫にとって子供にとってどれほどの地獄だろう?
うちの嫁は新卒で入った会社で潰されて、もうフルタイムで働くのはコリゴリという人だ。
「子供の頃から仕事や責任を押し付けられる損な性格で、社会人になっても押し付けられ続けて潰された。誰も助けてくれなかった」という繰り言を100回は聞いた。
「俺に関係無い終わったことの愚痴を俺に言うなよ。会社を辞めたのは俺と付き合い始める前の話だろうが」と以前の俺は冷淡に対応していたが、今は違う。
世間の少なからぬ妻がキャリアを諦めたことの恨みを夫に抱いていると知った今では、嫁が俺や子供とは関係無い理由でキャリアを諦めてくれていて本当に運が良かった思う。
だから「働いていたころは大変だったんだね。でも、もう大丈夫。君や子供たちが落ち着いて生活できるように俺が頑張って稼ぐから。安心して」と余裕をもって慰められるようになった。
中高年になっても男として妻子を養える稼ぎを得るという「ジェンダーロール」を達成できずに結婚できないことからKKOなどと自虐している独身男性には同情する。
俺だって独身時代はさっぱりもてなかった。同年代の男よりも稼ぎは良い方だったので、言い訳できないほどにもてなかった。
たまたまキャリアに絶望していた嫁と出会えて、その時に嫁の逃げ場所になれるだけの稼ぎがなければ今も独身でKKO(金はあるがキモイオッサン)を自称して愚痴を書き込みまくってたかもね。
そうならないでいられるのは運良く嫁と結婚できたおかげで、この嫁に逃げられたら次のチャンスは無いぞ、もっと嫁を大切にしないとな、と中高年独身者の嘆きはいつも俺を反省させてくれる。
他人の闘病記を読んで我が身が健康体であることのありがたさを知るように、ある種の病人や障害者とも呼ぶべきキャリアを断念した女性の恨み言やKKOの自虐を読み続けることで、俺は自分の持っているもののありがたさを確認することができた。