テドリ=ニヒャクマンは時折自分が何のために生きているのか分からなくなる。
自分が今やっている仕事にそれだけの価値があるとは思えないし、今までの自分の生き方がその程度だった自覚はあるからだ。
悩ましいのは、将来性のなさである。
もう5年も働いて昇格でもすれば年収が250万程度にはなるかも知れない。
そこからまた10年ほど働いて昇格できれば年収350万ぐらいにはなるやも知れない。
順調に年収が伸びるのはそこまでであろう。
上司や先輩が時折ボヤく数字を頭の中で差し引きするとそういう結論になる。
これで毎晩家に帰ってテレビを見てからグッスリと眠れるのならいいが、実際はテレビを見ていてはグッスリ眠れるほどの時間などないし、会社でアンパンを食べて夕飯を済まして家に帰ったらすぐシャワーを浴びて寝ようとしても、その日の仕事の失敗がチラついて上手く寝付けない。
今やっている仕事には不可解な所が多すぎる。
なぜ、こんなやり方をしているのか不思議で仕方がない部分があまりにも多く、そしてそれらの理由を聞いて帰ってくるのは前例主義に隷属しない事への人格批判であった。
辞めてしまいたいという気持ちと、わざわざ転職活動をして結局また同じような職場に辿り着く未来視がせめぎ合う毎日に人生は塗りつぶされていく。
しいて今やっている仕事の良い点をあげるとすれば、意味不明なルールばかりで仕事が回っているため、家に帰ってから勉強のやりようなど全くないことだ。
そして、テドリの働く会社の長がセキュリティ意識を闇雲に高くした結果、持ち帰りの仕事は一切禁じられていることだ。
当初はこっそり仕事を持ち帰る者も後を立たなかったようだが、他人の出世を妬む者達の血で血を洗う密告ゲームが何度となく繰り返されたことにより、持ち帰れば帰って仕事が増えると誰もが骨身にしみ、もはやレジュメの一枚すら簡単には持ち替えれなくなってしまった。
そのおかげで、テドリは家に帰ればただ悶々と転職への夢を羽ばたかせながらダラダラとテレビやネットを見るだけの暮らしが出来ている。
出世した所で面倒事が増えるだけだと同期の誰もが出世を蔑ろにしている事もあり、テドリが会社で生き延びるために勉強や仕事を家に持ち帰る必要は一切ない。
だが、テドリとて分かっている。
それは今いる会社で生き延びるためのやり方であり、社会全体で生き延びるという意味では緩慢な死へと向かっていると。
だが、今必死に努力をしても結果が出るのは転職をした後、それも、まともな会社に転職できた後でようやく見返りがあるだけだと思うとテドリの学習意欲は容易に立ち消えていく。
テドリの学歴、職歴、能力、人格、そういうった諸々を考慮すれば、十分なのだ。
今までの自分が努力しなかったこと、そしてこれからも努力をしたくなくて仕方がないことを思えば、これで十分なのやも知れない。
このような結論に至るような思考回路をしている自分自身に対して感じるやるせなさこそが、ネンシュー=テドリ=ニヒャクマンにとって最大とも言える悄然の種である。
テドリが絶望しているのは、可能性を信じて努力しようという活力や、長期的な見通しを立ててそこに向かおうとする精気が己の魂の中にあと一欠片二欠片残っているかどうかすら怪しいことなのだ。