2018-04-09

同人オタク活動への依存と執着

タイトル通り。

きっかけは先日私が大好きだった作品の展開についていけなくなってしまたこと。

展開というか、キャラクターの変化が自分は認めることができなかった。

でも、大多数の人は喜んでいるし、実際そこまで拒絶するような変化でと客観的に思う。

ありふれたものだ。

でも私には無理だった。キャラ作品も大好きだからこそ辛かった・・・

これぐらいのこと受け入れられないなんて所詮自分の好きはその程度かと落ち込みもした。

でも、人間いつか慣れる生き物だし、時間が経てば、ずっと見ていれば慣れてまた好きになれる

だろうと思って努力しようと思ったんだけど、ふと今までの自分生き方を考えさせられてしまった。

なんか・・・趣味依存しすぎじゃね?

実際このことだけでず~~っと引きずって落ち込んでいて、空白の時間ができれば悩んでいたし・・・

オタクならキャラが死んだとか誰かと結婚してしまったとか話についていけないとか誰しもが公式の展開やらに

ショックを受ける時はあるだろうけど、普通はどこまで引きずっているものなんだろう・・・

普通定義は置いといても、自分の中ではちょっとおかしいよなと思い始めた

作品を受け入れられた!はい解決!にはならないのでは・・・

これは実はハマっている間にも頭の中でチラついていた問題なんだけど

ずっとはとは言わないまでも、趣味中心の生活で、仕事から帰ったら原稿したりTwitterで萌語りしたり、

妄想しては頭の中で漫画ネタ考えまくっていたり作品を見れる時間作れるように動いたり、原稿する時間

確保するにはとかばっかりで・・・

仕事はしていたけど、情熱もやる気もないヒラで、友達も少ないし元々一人好きだったのもあり、何より

趣味があったから楽しく過ごせていた

これで本当にいいの?と思いながらも、楽しいからあいいやと自分を誤魔化していた

そんな生活で突然この展開になり、空っぽみたいな生活が続いたことでそこでようやく自分には

この趣味しかなかった、以下に依存し執着していたかと実感してしまった・・・

気づくのおせーよ・・・

はいえ、オタクをやめようとかジャンルから撤退したいという気持ちはあまりない。でも今の依存心を

抱き続けたまま舞い戻ったらまた元の生活に戻り、また自分にとって都合の悪い展開がきたら同じことの繰り返しとは思う

依存からの脱却、もしくは依存先の分散自分には必要

とりあえず公式からは一度距離を取って、あまり触れないようにしていこう

Twitterは前よりは頻度を低め、二次創作自分が好きだった範囲のみで描きたい時だけ描こう・・・

新作見ないで過去作だけ愛するのって相当精神的にキツそうだけど

見た上でやっぱり昔の方が好きだからこっち描いていよう~とはわけが違う・・・

自分自分、周りは周りで生きていきたいけど難しい・・・

そしてオタク以外のこともしてみよう・・・何していいか全然わからんけど

依存を辞める場合は一気に断つ方がいいのかもしれないと思うとこのやり方は甘いのかな

もう何が正しいか全然わからん・・・

しばらく試して全然依存心変わらなかったらまた違うアプローチを試してみる

自分がこんな状態になってもまだ作品キャラも好きだから、今度は心に余裕をもって

楽しみたい

要はひとつのことに依存していたらそれを失った時死ぬ・・・と実感した話

熱中と依存は違う・・・

ただ自分ダメなので全部オタクのせいみたいな感じになっちゃったけど、そこは人間性の問題

オタクを全力で楽しみつつ、私生活も充実させている人ってほんとうすごいなと思った

  • 趣味は分散させるのほんと大事。 一つの事や物に依存しちゃうと本当にそれがなくなったとき立ち直れなくなる・・・。 オタク続けるのは賛成、オタクは楽しい。 やめなくていいよ。 ...

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