私は「自分にとって都合の悪い事を言わない」という行為を卑怯なものだと考えていた。
しかし様々な知人に指摘されたのもあり、もしかしたらそれは卑怯でも何でもないただの普通なことなのかもしれないと最近ようやく思うようになった。
何か出来事が起きたときはなるべく主観性を排除して中立的客観的に事実を述べるべきだと考える人間であったため、
人に説明するとき、私は自分にとって都合が悪い事も含めて全て話すようにしていた。
そうすることで私は私自身に胸を張ることはできたが、それ以外はほとんど私自身が不利益を被るという結果が得られていた。
だとしたらこれはただのバカなのではないのかと最近思うようになった。
知人が戦略的に他人を誘導しているという話を聞いた際、本人に「面白みがないからこのことは相手に言うなよ」と言われたこともあった。
私はそれをチクったりすることはなかったが、「素直に自分に都合が悪いから言うなよって言えばいいのに何故そういう風に自分に都合のいい解釈ができるのだろう」と考えていた。
だがこれも恐らく世間一般的には普通の解釈で、自分の考え方が厳しすぎたのかもしれない。
高校時代学校が嫌で、共働きの親に黙って仮病で休み遊びに繰り出したが、後で罪悪感に苛まれ親に自白して謝罪したこともあった。
親は私のことを褒めも𠮟りもせず、「バカだね~黙っときゃ一生バレなかったのに」と笑った。
当時は肩透かしを食らった気がして呆気に取られていたが、もしかすると親も私のバカ正直な点について懸念していたのかもしれない。
例え車がいなければ赤信号でも横断歩道を渡ってしまうように、私含め誰だってみな柔軟にルールを破る。
恐らく今回の件もそれの一環なのだろう。
それどころか考えてみると「自分にとって都合の悪いことを伏せる」というのはダメなことだというルールは存在しないし、私がそう教え込まれた記憶も一切ない。
上記のことを考えてから、試しに下手に自身にとって都合の悪い事を自ら言わないように意識して生活を送ってみた。
そしたらなんとまぁ簡単に自身にとって都合のいい世界が構築できることか。
気分としてはチートアイテムを使って無双しているような気分である。
だが恐らくこれはチートではなくもともと存在してみんなが使っていたアイテムで、単に自分がそれを使わない縛りプレイをしていただけなのだろう。
だが、今まで25年間ずっとこのような考え方をして生きてきたため後ろめたさがあることには変わりがない。
実際にあった話から自分にとって都合の悪い部分を消去し、捻じ曲げられたイメージを相手に植えつけ賛同を得るというのはどうももやもやとした感情が残る。
また、幸い友人も多く職場などでも非常に良好な人間関係を築くことができているため、今までの自分はやはりあながち間違ってはいなかったのではないかと考えることもできる。
伏せないと自身に胸を張れるが不利益を被ることが多くバカバカしくなる。
都合の悪い事実を伏せる私は卑怯者なのか、それとも今までの私がただのバカであったのか、まだ私自身には冷静な判断を下すことができない。
自分にとって都合の悪い事を伏せて話すことについて皆はどう考えているのか、私はとても知りたい。