なるほど。
あなたには、もっと数段低いレベルのから話をしなければならなかったのですね。
完全に信じ込んでいるのではなく、繰り返し言っているようにそのように解釈できる作品周辺の「事実」があるから、そう解釈しているだけです。
私の解釈が間違っていると言うのなら、根拠をあげて反証し、あなたがルビッチをどのような人物だと解釈しているのかを述べてください。
そもそも、創作者が作品をつくる際、作者が現実世界でさまざまな事象からくる感情を内的衝動として作品にぶつけ、登場人物に作者自身が重ね合わせることはよくあります。
アンデルセンが、自分がモテなすぎて「人魚姫」という悲恋の物語を書いたように、
スピルバーグが、両親が離婚して寂しい思いをしたから彼の映画の多くが「崩壊した家族」を描いているように、
宮崎駿が、本当は飛行機乗りになりたかったのに体が弱くて断念したのを「風立ちぬ」の堀越二郎にそのまま重ね合わせたように、
つい先ほどアカデミー賞14部門ノミネートされた「LA LA LAND」のダミアン・チャゼル監督が、ジャズ・ドラマーの夢を断念した想いを最近の2作品に込めたように、
そのような作品を挙げていけば、キリがありません。
すべての作品が、作者の現実的体験に基づく内的衝動からつくったものというわけではありませんが、
上に挙げたように多くの作品、そしてその登場人物には作者の個人的体験の反映が見られます。
つまり、作者のこれまでの人生、現実に起こっていることから作品の意味を読み解くことは、批評の基本のキ、王道的な批評方法の一つなんですけど、そのことをご存知なかったのですね。
最初の私の評文をよく読んでください。
私の解釈は、
「プペル=ゴミ=大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノ」(これは作者のあとがきにある通り)
その2人の関係については、最初の評文で私は次のような解釈を書いています。
この物語は、現実世界で「夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる」作者・西野氏自身が、清くて純真な「夢の残骸(プペル)」の尊さを自分だけが理解し、・・・
完全に信じ込んでいるのではなく、繰り返し言っているようにそのように解釈できる作品周辺の「事実」があるから、そう解釈しているだけです。 なんで事実を鍵カッコで括っている...
お前は「迫害(炎上)」と「夢をかなえる」と結びつけて語っているが、現実に「迫害されると夢がかなう」あるいは「迫害されると夢がかなわない」などという関連性は存在しない 西野...
最初にお前は「自分だけが夢の価値を知り夢をかなえる話」等々の妄言を吐いているが、これぜーんぶ間違い お前の杜撰な読解による勘違いだ 『えんとつ町のプペル』は夢の話ではない...